野山と田園の画文通信・漫画家【とよだ時】の山中徘徊記
山のふみあと日記
某月某日「北ア・徳本峠の旅と伝説」
某月某日【山の伝承】「北ア・徳本峠の旅と伝説」
徳本峠は奈良時代からあった上高地へ通行路。こんな古い峠ですか
ら伝説もいろいろ残っています。昔、若い旅人が徳本峠をめざして
いました。前を若い美しい娘が歩いています。
娘は峠道の角で見えなくなった。夕日が沈み、月が出てきました。
突然笛の音が聞こえてきます。あの娘が草原で笛を吹いているので
す。
美しい音色に旅人は聞きほれます。娘は笛を吹き終わったとたんお
婆さんになっていました。「キツネの仕業だ」。旅人はあわてて歩き
はじめました。
向こうからほかの旅人がやってきました。そしてすれ違いに旅人の
顛を見て、心配そうに声をかけました。「おじいさん、そんなに急
ぐと転びますよ」。
・長野県松本市
▼【解説文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi.html
★おわり
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某月某日「富山県・埋蔵金伝説鍬崎山」
某月某日【山の伝承】「富山県・埋蔵金伝説鍬崎山」
鍬崎山は埋蔵金の山。いまから四百年あまり前。
富山城主、佐々成政が豊臣秀吉が攻めよせてくるという情報に、百
万両の軍用金を阿部義行に鍬崎山に埋めるよう指示したという。
穏してある場所は、鍬崎山のマムシが巣をくっている大木の下あた
り……。
埋蔵金は笹のしるしのある壷49個に純金がぎっしりつまっていると
いう。
鍬崎山はじめじめした登山道に伝説どおりマムシがウジャウジャ。
やっと着いた山頂は360度の展望。目の前に薬師岳がはだかる。
おやつを食べ、お茶を飲んでいるうちに埋蔵金の話などすっかり忘
れていました。
もう一度行こうとは思わないけれど、妙な満足感がありました。・
富山県富山市
▼【解説文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi06.html
★おわり
………………………………………………………………………………
鍬崎山は埋蔵金の山。いまから四百年あまり前。
富山城主、佐々成政が豊臣秀吉が攻めよせてくるという情報に、百
万両の軍用金を阿部義行に鍬崎山に埋めるよう指示したという。
穏してある場所は、鍬崎山のマムシが巣をくっている大木の下あた
り……。
埋蔵金は笹のしるしのある壷49個に純金がぎっしりつまっていると
いう。
鍬崎山はじめじめした登山道に伝説どおりマムシがウジャウジャ。
やっと着いた山頂は360度の展望。目の前に薬師岳がはだかる。
おやつを食べ、お茶を飲んでいるうちに埋蔵金の話などすっかり忘
れていました。
もう一度行こうとは思わないけれど、妙な満足感がありました。・
富山県富山市
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http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi06.html
★おわり
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某月某日「富士山・五合目の地震」
某月某日【山の伝承】「富士山・五合目の地震」
富士山五合目、佐藤小屋上には八角堂があってわきに日蓮上人のお
経を持った像が建っています。
日蓮は1269(文永6)年に富士山に登り「姥ヶ懐(ふところ)」の
岩穴にこもって修行したという。
そして自筆の経王を近くの経ヶ岳に埋めたと『日蓮大士眞実傳』や
「甲斐国史」などに出ています。
7月の半ば、富士吉田駅から歩き、五合目の日蓮が修行したお堂の
前で食事。突然、グラリと大地が揺れました。
富士山がなにかといわれる昨今、目の当たりに体験すると実感がわ
いて、あすは早めに下山しようと逃げ腰になります。
それにしても地震は富士山をも持ち上げることをいまさら体験しま
した。
・山梨県富士吉田市
▼【解説文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi05.html
★おわり
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富士山五合目、佐藤小屋上には八角堂があってわきに日蓮上人のお
経を持った像が建っています。
日蓮は1269(文永6)年に富士山に登り「姥ヶ懐(ふところ)」の
岩穴にこもって修行したという。
そして自筆の経王を近くの経ヶ岳に埋めたと『日蓮大士眞実傳』や
「甲斐国史」などに出ています。
7月の半ば、富士吉田駅から歩き、五合目の日蓮が修行したお堂の
前で食事。突然、グラリと大地が揺れました。
富士山がなにかといわれる昨今、目の当たりに体験すると実感がわ
いて、あすは早めに下山しようと逃げ腰になります。
それにしても地震は富士山をも持ち上げることをいまさら体験しま
した。
・山梨県富士吉田市
▼【解説文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi05.html
★おわり
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某月某日「北ア・針ノ木峠の有料道路」
某月某日【山の伝承】「北ア・針ノ木峠の有料道路」
明治時代、針ノ木峠を越えて塩や薬、塩魚など物資運搬のための有
料道路を旧加賀藩士と信州側農民グループ有志が造ったという話が
あります。
明治初年、金沢の佐久間盛武らが「開通社」を、長野県大町方面で
も飯島善造が同名の会社を設立しました。1868年に着工、難工事の
ため1878年やっと完成。
通行料は、1人5銭で、荷物運搬人は7銭、牛馬は10銭、かご12銭
だったといいます。
道路は信越連帯新道、針ノ木新道、立山新道などといい、長野県側、
針ノ木雪渓の下など各所に牛小屋を設け、この峠を越えて富山県
側・黒部川の平を経てざら峠を越え、立山温泉に出ました。
しかし、思ったほど利用する人がなく、また名にし負う険路、道の
冬の決壊が激しく、改修が不能になり、1882(明治15)年ついに道
路は放棄されたということです。
・長野県大町市と富山県立山町との境。
▼【解説文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi04.html
★おわり
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明治時代、針ノ木峠を越えて塩や薬、塩魚など物資運搬のための有
料道路を旧加賀藩士と信州側農民グループ有志が造ったという話が
あります。
明治初年、金沢の佐久間盛武らが「開通社」を、長野県大町方面で
も飯島善造が同名の会社を設立しました。1868年に着工、難工事の
ため1878年やっと完成。
通行料は、1人5銭で、荷物運搬人は7銭、牛馬は10銭、かご12銭
だったといいます。
道路は信越連帯新道、針ノ木新道、立山新道などといい、長野県側、
針ノ木雪渓の下など各所に牛小屋を設け、この峠を越えて富山県
側・黒部川の平を経てざら峠を越え、立山温泉に出ました。
しかし、思ったほど利用する人がなく、また名にし負う険路、道の
冬の決壊が激しく、改修が不能になり、1882(明治15)年ついに道
路は放棄されたということです。
・長野県大町市と富山県立山町との境。
▼【解説文】と【イラスト】は下記からどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi04.html
★おわり
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今月の【絵はがき通信】郵送しました。【とよだ 時】
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今月の【絵はがき通信】郵送しました。
【山岳はがき画の会】読者の皆さま、どうぞお受け取り下さい。
今月の【絵はがき絵通信】の内容は
・939号「海の銘山これひとつ・利尻山」
・940号「甲斐武田終えんの地と大菩薩嶺」
・バックナンバー(018)
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★1:山岳伝承【絵はがき通信】
・939号「海の銘山これひとつ・利尻山」
【前文】
日本最北にある利尻山は、島そのものがひとつの山になっていて、
その美しい姿から利尻富士とも呼ばれています。作詞家、時雨音
羽は「山は世界に山ほどあれど海の銘山これひとつ」と詠んでい
ます。ここにはなぜか熊やマムシなどのヘビ類がいないという。
・北海道利尻町と利尻富士町との境。
★2:山岳伝承【絵はがき通信】
・940号「甲斐武田終えんの地と大菩薩嶺」
【前文】
中里介山の小説で有名な大菩薩峠の北方にそびえる大菩薩嶺も『日
本百名山』のひとつ。その山ろく天目山は甲斐武田氏の終えんの場
所。武田勝頼は、いまの山梨県甲州市田野で奥方とともに自刃。同
所景徳院にはいまでも2人の自刃の石碑や墓が残っています。
・山梨県甲州市と丹波山村との境
★3:【絵はがき通信】バックナンバー(018)
▼下記もどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/gateyuso/gateyuso.html
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