野山と田園の画文通信・漫画家【とよだ時】の山中徘徊記
山のふみあと日記
山の伝説【ひとり画信】(384)「奥秩父・十文字峠の石仏」
・某年6月27日(月曜日・晴れ)
「奥秩父・十文字峠の石仏」
縄文時代から歩かれていたという十文字峠。江戸時代になると、中
山道の裏街道として利用されます。江戸中期には富士山や丹沢大山、
信州の善光寺参り、また三峰山参詣の人たちもたくさん通るように
なります。
江戸も末期1864(元治元)年、旅人に安全を祈願して、道標を兼ね
た6体の観音石仏を建立。変化観音の馬頭観音を含めた石像は、33
町(3630m)の1里おきに置かれ、1体は埼玉県側栃本集落の人が、
5体は長野県側梓山集落の人が奉納したという。
いまでも栃本側から一里観音、二里観音、三里観音と呼ばれ親しま
れています。ある年の6月、金峰山から甲武信ヶ岳・十文字峠を経
て栃本へ。途中、時間がハンパになり一里観音の前にテントを張っ
たことがありました。まわりの笹やぶにはけもの道がたくさん口を
開けていました。
・埼玉県秩父市。
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山の伝説【ひとり画信】「富士山・山梨県側五合目小御岳の天狗の絵馬」
・某年7月31日(水曜日・快晴)
「富士山・山梨県側五合目小御岳の天狗の絵馬」
富士山の天狗といえば富士太郎坊権現がいますが、これは静岡県側
の高鉢山にまつられる天狗。一方、山梨県側、スバルライン終点あ
たり一帯をへいげいするのが正真坊。
北口五合目に小御獄神社があって境内にその像があります。正真坊
の住処はお中道の御庭から右へ下った奥庭周辺を含めた天狗の庭と
呼ばれるところ。奥庭荘付近には「天狗石」もあります。
五合目小御獄神社には日本武尊や磐長姫命のほか大天狗小天狗の社
もあります。そばに天狗像の顔の部分から顔を出して記念撮影がで
きる看板がありました。
写真を撮りたいのでちょっと顔を出してくれない?と、そばにいた
若者に頼んだら天狗の面のところにきまり悪そうな顔が出てきまし
た。天狗の庭からの帰り、神社で天狗絵馬を求めて下山しました。
・山梨県富士吉田市と鳴沢村との境
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山の伝説【ひとり画信】(379)「北ア・大天井岳の祠(ほこら)」
某年8月24日(木曜日・快晴)
「北ア・大天井岳の祠(ほこら)」
大天井岳の頂上には穂高神社の分祠があって、登山者は槍ヶ岳を入
れて、カメラにおさまります。ところでこの山はなんと読むのでし
ょうか。
ガイドブックでは「おてんしょう」とルビをふってあります。また
「おおてんじょう」と読ませる山の本もあります。ところが松本地
方や安曇野地方ではだいてんじょうと呼ぶ人もいるという。
しかも穂高町営の山小屋「大天荘」は「だいてん荘」だというので
す。さらに嘉門次も「二ノ俣のてんしょう」と呼んでいたという。
そんなことからどうやら「てんしょう」にしろ「てんじょう」にし
ろ、元々は松本城の天守閣のように高くそびえているので「おてん
しゅかく」といっていたのが転化したのだろうとしています。
ちなみに「二ノ俣のてんしょう」は、槍沢の二ノ俣谷を突き上げた
最高所にある天守閣になるわけです。
・長野県安曇野市と松本市との境
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山の伝説【ひとり画信】「北アルプス・赤牛岳に寝そべる牛」(373)
某年8月4日(金曜日・晴れ)
「北アルプス・赤牛岳に寝そべる牛」
▼②(360字)山旅漫歩゜【ひとり画展】373号
「北アルプス・赤牛岳に寝そべる牛」
赤牛岳は、牛が寝ているような山容からついた名前だとか。芦峅の
村民は赤牛岳のことを赤牛三吉と人の名前で呼び、三吉はこの山に
住んでいると伝えています。
三吉とは江戸時代の信州の杣の名で、木材を盗伐中、加賀藩の役人
に見つかり逮捕されたという。それ以来、三吉小屋場・三吉谷・三
吉道などの地名ができたという。
こんなことから赤牛岳に三吉をつけて呼ぶようになり、さらに山鬼
伝承も重なり赤牛岳は神秘の山になったという。
ある夏、黒部湖の最奥平ノ渡しから読売新道の急で長い急坂を登っ
て、赤牛岳から水晶岳、雲ノ平を目指したことがありました。なる
ほど、赤い花崗岩質でできています。
それにしても遠く水晶岳が望め、手前にゆったりと大きな赤牛岳が
寝そべっている感じです。直下の高天原温泉に入りすぎてのぼせた
か??。
・富山県大山町
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山の伝説【ひとり画信】「南ア・甲斐駒ヶ岳黒戸尾根」(371)
某年8月4日(金曜日・晴れ)
「南ア・甲斐駒ヶ岳黒戸尾根」
甲斐駒ヶ岳の名については、①肩に翼が生えた神馬が山中に棲んで
からいたという説、②「聖徳太子伝暦」などにあるように、聖徳太
子の黒駒が空を飛び、ここに降りたという話からついた名前だ。
また③山梨県巨摩(こま)郡第一の峰だから。④いやいや高麗人の
コマだ、良馬の産地があるからだ、またまた雪渓に馬の姿の雪形が
出るから。はては山容が駿馬の駆ける形に見えるからだなどの説が
目白押しです。
8月、黒戸尾根を登ってみました。何年か前の3月、登ったときは
雪の中から鳥居が顔を出す程度で、這ってもその下をくぐれないほ
ど雪が積もっていたのに、きょうは当たり前ながら雪もなくまるで
別のところのようです。
いまはこの尾根から登る人は滅多になく、昔、講中の人たちがここ
でご来迎したなんてウソのようです。
・山梨県北杜市と長野県伊那市の境
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