暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

こわくないよ

2017-09-19 | -2016,2017
何に怯えているのかはよくわかりませんが、常に何かしらに怯えています。
しかしながら怯えてばかりでは生きていけないので、明るい物事によってとりあえず蓋をしています。
そうすると何となく大丈夫になって、きっともう大丈夫、だから大丈夫なのだと明るくなった気になるのです。
けれどもふとした拍子に蓋が外れ、中のものがこちらを見てきます。
なぜ蓋が外れるのでしょうか。蓋が軽すぎたのかもしれませんし、あるいは中のものが大きくなりすぎたのかもしれません。
しかしおかしいことに、蓋をしているものが肥大化するはずはないのです。
なぜなら蓋をしているのですから。
原子はひとりでに増殖するはずもないのです。増えるならば体積くらいのものです。
あるいは中にあるものは、腐敗しているのだろうと考えます。
腐敗しているならば、膨満したガスが飛び出しても不思議ではありません。
しかし、しかしながら、ちらりと見えたものは有機的に蠢いているようでした。
ならば生き物とも言えるのでしょうか。
あるいはそれそのものに、これまで怯えていたのでしょうか。
人間は理解を超えたものに恐怖を抱きます。
いくら考えても結論の出ないものはつまり、理解を超えているとも言えます。
中をきちんと覗き込みさえすれば、ともすれば怯えから逃れることができるのではないでしょうか。
何に怯えているのかもわからないのです。その根源に蓋をしたのです。
根源とは何であったか、理解できないのです。
発生の原因があるのであれば、中のものはそれ、あるいは類するものであるはずです。
楽しいことを思い出しましょう。そうすればまた蓋を閉じることができます。
重ければ重いほど封印は強固になります。
ただし中のものが有機的な生物に近いものであるならば、いずれは成長し蓋を持ち上げることでしょう。
そうするとより大きな重しが必要になり、だんだんと求められる重量が増えていきます。
常に幸福を貪るのは果たして、正常な状態と言えるのでしょうか。
怯えています。今は蓋の中のものに怯えています。
それ以外にも怯えていたものはたくさんあります。たとえば、無数に聞こえてくる音であるとか。誰かの口の中であるとか。脳に突き刺さるような巨大な有象無象の意識であるとか。
それらが集約されて生命を得たとするならそれはとてもおそろしいことです。
答えは中にあるのです。ならばなぜ見ないのでしょう。
あるいは、いいえ知っているのだと、ひとつの意見が言います。多数の可能性。多様性。客観的な視点。カメラはいくつも設置されている。
かわいそうな子犬が中にいるのです。おそれとは時にそういうものです。
怯えています。今は蓋の中のものに。
中を覗かないのはそれに怯えているからです。本当にそうなのでしょうか。
あの中身を知っている。
知っているのだ。
楽しいこと、嬉しいこと、明るいことを思い出します。大きな蓋ができたので、ぎゅうぎゅうに詰めて封印しました。
よかったね。これで大丈夫だね。
ひと仕事終えたとき、あたたかい声と拍手がするのです。
振り返ればやさしい人たちが、背中に手を添えて輪の中に招き入れてきました。
蓋からごとりと音がします。また大きくなった音がしました。
常に何かに怯えています。何に怯えているかはもはやわからなくなってしまいました。
まったくわかりません。まったくもって何一つ全然皆目これっぽっちもわかっていません。
だってこんなにも楽しいのです。大丈夫。大丈夫なのです。だから大丈夫に違いありません。

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