T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

 近況 37 再検査

2021-02-28 23:27:56 | 日記・エッセイ・コラム
  

 保険関係の話が長引いていて退院後の検査が受けられずにいたのですが、3ヵ月かかり
ましたがようやく話がついてレントゲンを撮ってきました。当初は交通事故では保険が使
えない等と病院から説明されていましたが、ネットで調べるとあっさり間違いだと判明し、
病院側の泥縄式の対応だと分かりました。しかし抗議する気にもなれず見逃しました。
それは回復が順調で再検査が手続きくらいの意味合いしかなかったからです。
 レントゲンで見ると肋骨が少しへこんで肺活量が減ったことが分ります。CT画像で見る
と折れた肋骨は部分的にずれて引っ付いていたことも分りました。今でも左側に寝返りを
打つと翌朝には具合が悪くなるので気を付けなくてはいけません。
 骨は引っ付いているようなので、鼻炎のくしゃみを殺す動作をしても肋骨は痛みません。
この季節に間に合ったのは助かりました。くしゃみを殺すには、出そうになったら息を吐
き出して止めると見た目には止まったように見えます。実際には横隔膜が痙攣を起こして
肋骨に負荷がかかりますが、激しく息が噴き出すいわゆるクシャミは殺せるのです。

  

 保険会社の人と電話で何度か話しましたが、僕を跳ねた自動車の修理費の一部が私の過
失であるから請求されると聞かされました。それは自転車は軽車両なので責任があると言
う話でした。その割合は18%と言う事ですが修理費自体が高額で私には支払えない額だ
ったので、互いの修理費を相殺するという交渉を持ち掛けられたのです。
 もし、相手が高級外車で修理費が数百万でもそうなるのかという質問をした所、そうだ
という話で釈然としない気持ちがありましたが、他に相談する人もいなかったので承諾し
ました。というのも今回の入院費自体が高額で、そちらを保険会社が持つことの方が重要
だったからです。また、退院後3ヵ月経っていて立て替えている医療費もあったので、早
く解決したいという気持ちもあったのです。
 今後、書類のやり取りの後示談となりますが、うまく行くのか不安が残っています。

   

 外出時に持ち歩いていたBD・DVDプレイヤーが故障したので修理しました。中央の回転
する部分にある円盤を固定するプラスティック部品が割れてしまったので、ジャンク部品を
探して手に入れました。費用は100円ですみ、作動も順調です。タブレットのバッテリーを
増強した関係で、モーターを回す周辺機器を使っても電力の残量を気にせずに済むように
なったので、今後の作業の幅が広がる期待があります。

 

  ────────────────────────────────────

 先週あたり、ウォッチ界隈でまた動きがあったようでボランティアストーカーに変化が
ありました。総合的に考えると、1年半前に退職した会社が関わっているように感じます。
あの会社は必ずしも良い職場とは言えませんでしたが、首を痛めていた私を使ってくれた
のは動かしがたい事実です。あそこで何があったかは私と当事者間の問題であって、他の
人々が勝手に云々できる筋合いはありません。興味半分で入り込まないでもらいたい。
 このようにして私の周囲の人間関係や、私のプライバシーを詮索したり暴露したりして
最終的には人生そのものを破壊するのがストーカー達のやり口であることは明白です。私
に関して利害関係もないのに突撃をかけてくるのであれば、まずその人間の出自を疑うべ
きだと思います。
 他に成人しているのに親元にいて経済的に自立していない等の情報もありましたが、こ
れらは出所の分からない無責任な情報であると思います。私に対する推測にしても無責任
で煽情的な情報が多々あり、名誉棄損を追及されるリスクを考えていないようです。
 現時点で私に謝罪した人は皆無であることから、今後も機会を見て集団によるストーキ
ングを煽る人物が現れる可能性があると考えなければなりません。それは私が自分の身を
法律で守る方法が確立されるまで周期的に続くと考えられます。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 近況36 呪術的逃走

2021-02-21 18:39:55 | 日記・エッセイ・コラム
  

 事故にあった時、かけていた眼鏡とバッグに入れていた眼鏡を同時に壊しました。また
自転車も壊れましたがこれは予備の車輪を使って治すことが出来ました。バッグに入れて
いた眼鏡は高校の時から使っていた物で、僕の半生を共に過ごしたことになります。病院
で眼鏡がないと不便なので接着剤でつないで使いましたが、新しい眼鏡を作ってからは使
っていません。

  

 それからしばらく療養生活をしていましたが、今年の1月に冷蔵庫が壊れました。今ま
でモーターが不調でその都度修理していたのですが、遂に冷えなくなってしまったのです。
モーターは普通に回っているので、フロンガスが抜けたかセンサーが狂って正常に冷えな
くなったのでしょう。もうこうなると私の手では修理不能なので換えなければいけません。
 この冷蔵庫は東京に住んでいた頃姉に譲ってもらったものです。姉が使っていた期間を
合わせると90年代以前の物です。この冷蔵庫も私と苦楽を共にした財産ですが遂に命が
尽きてしまったのです。

     

 2月になってバッグの改造をしました。今までPCを底に近い所にに入れていましたが、
ここに入れてバッグを床に置くとPCが直接床に当たって故障の元になります。それにバッ
グの内容物がすべて底に集まるので見た目にも悪く、背負った時の重量分布も良いとは言
えません。(右図)そこでバッグの口に近い所に手さげ袋を縫い付けて、そこにPCを収め
るようにしました。(左上図)これでPCは安全になりバッグも担ぎやすくなり見た目も若
干良くなったはずでしたが、思わぬ落とし穴があったのです。
 重量物であるPCをバッグの上に持ってきた為に、バッグを床に置いた時上下に潰される
力が働き、横のジッパーが左右に開く力が加わるようになっていたのです。(左下図)
PCが底にあった時は、これと逆の作用があって仮にジッパー空いていても口が閉まる方向
に力が働いていました。(右図)
 どういう過程で何が起こったのか事実は分かりませんが、その結果、開いたジッパーか
ら筆入れを落としてしまったわけです。

     

 先週、30年使っていた筆入れを落としてしまい、一応届け出をしました。中に印鑑が
入っていたのでそういう処置をしたのですが、私としては30年以上使っていた道具を無
くすのは大変な精神的ショックでした。ほかに高校の頃から使っていたカッターも入って
いましたが、これももう帰ってこないでしょう。
 カッターにはいわくがあり、その以前に使っていたカッターがなくなった時クラスの知
人が同じカッターに改造を加えて所持し始めたのを目撃しています。しかし私は何も言い
ませんでした。その後使い始めたカッターは数々の模型製作に使い、東京でアシスタント
をしていた時に無数のスクリーントーンを切って削り、私の手の爪を切り続けてきました。
 いま代わりに用意したカッターは、友人に隠匿されたと思われるカッターと同型の物で
当時物をリサイクルショップで見つけて保管していた物です。長い期間をかけて一周した
事になるでしょうか。
 印鑑は下積み時代に盗まれた印鑑の代わりに買った認め印ですが、それから30年近く捺
印し続けてきたものです。印鑑証明に関した手続きが必要ですが政府は印鑑廃止の方向を
表明しているので、次の印鑑は30年も使うことはないでしょう。
 筆入れには他に替えの利く文房具とPCの電子ペンが入っていました。一部のペンは今で
も製造されているので同じものを買い、筆入れ自体もよく似た物がすぐ見つかりました。
しかし、電子ペンの事に関しては今ここで初めて触れる事でありながら、一部のウォッチ
ャーに情報が流れていたようです。それはかなり早い段階であり、落とした筆入れを隠匿
した者が情報を流した疑いが低い確率ながらあります。それはもう戻ってこないでしょう。
と言うのも、いままで私の所有物が置き引きされたことが結構多いからです。そこにはお
そらくストーカー達の個人的な怨念が絡んでいるのでしょう。

     

 事故に先立つ1カ月ほど前、私は親族が大病を患ったという知らせを受けました。(そ
れで精神的に動揺したのが私の事故の遠因になっていたのかもしれません)その当事者は
年齢的な事もあり身辺整理を始め、数々の物を手放しました。その中には先祖から伝わる
仏像があり、地元の郷土資料館へ寄贈されて行きました。現在親族は奇跡的な回復を見せ
小康状態を保っています。その話を聞き、義理の兄は「仏さまが病気を持って行ってくれ
た。」といったそうです。私は更にその話を聞き、「向こうの人(義兄はイタリア系カナ
ダ人なので)はそういう考え方をするんだね。」と話したものです。迷信の類だとその時
は思ったのです。
 しかし、今ではその考え方を少し改めました。それは長年使っていたものが次々に自分
の手から離れて行くことで、その意味を考えざるを得なかったからです。

     

 呪術的逃走譚とは、おとぎ話にも良くある話の一形態です。鬼や魔物などの災難に追わ
れた主人公が、逃げる過程で自分の持ち物を一つずつ捨てて行くことで追走を遅らせ、最
終的には逃走に成功すると言う筋立てになっており、数々のバリエーションがあります。
 日本には古くから物に魂が宿るという考えがあり、お札やお守りを持ったり、長く使っ
た物を供養するという習慣があります。おそらくそうした考え方がベースにあって、自分
の身代わりに物を使うという物語が生まれたのではないかと思われます。
 昔は物が貴重だった半面、人の命は軽く人権もなく、そういう現実が反映した合理的精
神の表れと思えない事もありませんが、もっと深遠な部分もあるようにも思えます。

  

 仏像の件は親族が自ら行った事なのでそれに合致するかもしれませんが、私のケースは
どうなのでしょうか。私は自分から捨てようと思った事は全くありませんし、それは何か
ら私を救ったのでしょうか。そう考えた時に少し思い当たる事がありました。それは11月
ごろから現在にかけてボランティア・ストーカー界隈との関係が改善を見せている点です。
 そして、長年苦楽を共にしたした道具には魂が宿り、自ら離れて行く事で私を守ろうと
したのではないかと思えたのです。これはとてもファンタジックで感傷的な考えでしかあ
りませんが、そう考えることで整理がつき精神的に安定を取り戻せるのは確かです。おと
ぎ話や神話等の物語の真相にはそうした精神の回復を図る効力があるとユング心理学でも
指摘されています。ともかく、そう考える事で精神の平静がたもてるのであれば今はそう
するのがベストでしょう。
 しかし、今後私が貴奴等から完全に逃れるまでどれだけの物を身代わりに捨てて行かね
ばならないのか? 考えるだけで気が遠くなる思いなのです。

  

 バッグのチジッパーが開きやすくなったと言う点に関しては、ジッパー横に30㎝定規型
の柔らかいプラスティック(図の緑の帯)を張り付け、PCの重量がかかっても開かないよ
うにしました。

      
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする