オークの木の下で

成城7丁目の小さなお店「ティンラ成城」の日々を綴っております

新店舗…。

2024年04月05日 15時00分00秒 | お知らせ

4月になりました。

NEW町田っ子です…!

本当は町田という活字を見たり聞いたりするだけで条件反射で身体が硬直し心臓がバクバクするほど嫌い。カズが育った街だけれど殺された街。

でも根無草人生の私はよく知らないこの街しかとうとう居場所がなくなっちゃった。

いつオープンしたの?ってお客さまに聞かれるけど私もよくわからない。

何も整わない中、見切り発車で破茶滅茶でスタートせざるを得ないこの状況に泣けてくる…。

それはカズが町田店は「どうだカンペキ!」という状態になるまで絶対に開けない、皆をビックリさせたいと言っていたから…。私はその途中途中のメイキングをSNSで報告したくてウズウズしていたけれど、その気持ちを尊重し、過程をずっと見守っていたのだった。

不思議なことに彼の死後、成城のお店や寝室でさえも彼の気配を感じることはなかったけれど、工事途中だった町田のお店だけは彼の想いが詰まり過ぎて中に入ると彼の声が聞こえるようだった。

「今まで色々な事を言って来たけれど、最後のお店は思いっきり好きに作って良いよ。」と何の口出しもせず彼が100%好きなように思いの丈を詰め込んで作ったお店。

華々しくオープンして地元の友や親戚や初めましてのお客さまに調子に乗って接客する姿を見たかったな…。

想像すると涙と憤りしかない。何故あれほど働き努力したのに、その瞬間を本人が享受出来なかったのか?

本当に私が殺された方が良かった。こんな怒りや悲しみを背負って生きて行かなきゃいけないなんて遺された方はたまったもんじゃない。

3月、よく乗り切ったなぁ、と思う。高島屋ホワイトデーの大量ご注文にコサージュ製作にスーパーのスポット販売、そして引越し…。その最中、諸々の手続き。

卸売りや高島屋オンラインは走り続けていたので、製造やパソコン、ハード、ソフト面共に上手くスイッチ出来るか日々不安で身体は優に限界を超えていたけれど不安とプレッシャーで心が病んでいるのでどれだけ疲れていても眠れなかった。言葉にすればそれだけの事だが、誰にも理解出来るはずもない。

自宅のお店は私達夫婦にとって悲願だった。3坪の成城店ではどうしても生産量に限界があり、…タマゴが先かニワトリが先かの原理でとにかく生産拠点を作ることが常に懸案事項だった。

百貨店から声がかかる様になってからの仕事のオファーは凄まじく、キャパオーバーの仕事はずっと泣く泣く諦めるしかなかった。その度に「もう少ししたら生産拠点が出来ます。」と説明し、辛抱強く待ってくれているお取引先が何件もあった。

あと2年早く新居が出来ていたら色々な事が変わっていたと思う。彼が殺される事もなかったはず。

もしこの仕事が来た時は絶対に引き受けようと言っていた仕事がコロナ禍だからこその大チャンスで転がり込んで来た事もあった。…でも結局、拠点が間に合わず、みすみす逃すしかなかった。

それでも成城のお店では出来うる限りの全てをやり遂げたと思う。

今思うと無茶苦茶な働き方をしたな、と思う。3ヶ月1日も休みなしとか、1週間睡眠時間毎日30分とか…。

例えば新宿駅のキオスクみたいなところなんかには敵わないけれど坪売り上げは自営業で日本一なんじゃないかな?と本気で思うほどに働いた。事実、この規模で?と私達より多分販売数量を把握していたと思われる瓶屋さんがいつも舌を巻いていた。

これ以上働いたら家庭崩壊するね(実質してたかもしれないけど)、と言って控えていた新宿以東の都内中心部の百貨店や駅催事も昨年の長男の大学受験終了後に再開する予定だった。

彼は利益を追求する事よりも常にお客さまを喜ばせることにやり甲斐や喜びを感じるタイプで経営は二の次だった。一番身近な家族が幸せじゃないなんて…と何度衝突したか知れない。

どこかの知事じゃないけれど、会社員も経験した身からすると、自営業って、商売って甘く下に見られる事が多い。それを象徴するのが、まず借金すら出来ない。

ならば名を売って売り上げ作って…と恵まれた主婦の友たちを横目にただただ働いた結果がこれだから、もう全てが馬鹿らしくなる。

当たり前の平穏無事な日々が続いていたら1年前の今頃、町田店はオープンしていたはずで、詰まっていた血管の血流が綺麗に循環するように、様々なオファーに対応出来るようになり、売上だってMAX2.5倍まで跳ね上がる予定だった。

全ては殺人犯のせいで何もかもが消え元に戻る事はないのに、犯罪者は何一つ、最低限の禊も済まさず日常生活を送れるこの国っておかしいとしか言いようがない。

心機一転、何か前向きなことを…と思うのだけれど頭の中をぐるぐる巡るのはこんなこと。

もはや経営は成り立っていないし、明日はどうなるかなんてわからない、でももう失うものなんて何もないし、どうにでもなれというようなヤケクソ感と何のプロモーションもせず、歳を重ね、お互いおじいちゃんおばあちゃんになっても続けられるようにと、やっと出来た彼のお店はただ悲しく虚しく侘しい…。何故こんなに遠回りする必要があったのだろうか?

今年もカズと私が一番好きな花、桜を眺める時間なんてないし、時間薬で穏やかな気持ちで桜を眺める時が来るなんて私には思えない。今年の成城の満開の桜並木はどんなだろうな?成城のような良い出会いがたくさんあったら良い…。

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