【日韓歴史研究】「共同研究は不毛」 共通認識形成にはほど遠く

2010年03月23日 | news
【日韓歴史研究】「共同研究は不毛」 共通認識形成にはほど遠く
2010.3.23 19:35

 日韓両国の超えられない政治課題を民間に「丸投げ」の形で委託された日韓歴史共同研究は、そもそもの立ち上がりから政治の手段だった。このための埋めがたい溝は第2期研究でより明白になった。政治的には「緩衝地帯」、学会間ではお互いを知る意味はあるものの、「歴史」の共通認識形成にはほど遠い現実が浮き彫りとなった。

 教科書小グループ新設は平成17年6月の小泉純一郎首相と盧武鉉大統領の首脳会談で決まった。小泉氏の靖国神社参拝で冷却した日韓関係修復に向けた日本側の配慮の色彩が濃かった。

 安倍晋三政権でスタートした第2期。安倍氏は韓国側の狙いは承知の上で、主力委員に「がんばって闘ってください」とエールを送り、「健全な議論」に期待を表明していた。

 しかし韓国側は、日本の歴史教科書を「日本の近代史を帝国主義の侵略と戦争を擁護し正当化する立場」(金度亨延世大教授)とひとくくりにし、採択率約0・4%の扶桑社「新しい歴史教科書」などを過半数以上の採択率の東京書籍の教科書と同等に扱い、「右翼」「軍国主義」などの用語で攻撃した。

 一部には『日本の教科書は戦争の拡大過程と占領地の事情についても記述している』(鄭在貞ソウル市立大教授)などと、バランスをとろうとした韓国側委員もあったが、「従軍慰安婦」と「(女子)挺身隊」と混同したままの『重大な欠陥を有した論文』もあり、大半の議論は平行線。このため『2年半にもわたる「歴史共同研究」を行いながら…はっきりした点がある。それは日韓の歴史教科書共同研究が不毛だったということである』(山室建徳帝京大准教授)と書いた委員もいたほどだ。

 教科書小グループ幹事の古田博司筑波大教授は「韓国側のサンプリングは恣意(しい)的。当初から善玉・悪玉史観があり、それに合わせて資料を張り付けた観が否めない。日本側は多くの資料からの帰納的研究を目指したが、議論は全くかみ合わなかった」と総括した。

 一方、植民地時代を含む19世紀中盤から現代までの近現代をあつかった第3分科会の日本側委員は「今年は日韓併合100年。植民地時代は35年だが、日韓にはその後の65年、日々新たに積み重ねた歴史がある。今研究では近代をトータルにみようと、共存の65年に文化や女性、人の動きといった違う視覚からのアプローチを試みた」と述べる。

 だが、このテーマ設定に加え、韓国側は近現代分科会でも日本の教科書記述を扱うべきだと主張するなど紛糾。委員の一人は「文化的なテーマ設定に韓国側はことごとく反対し、議論は“格闘技”だった」と振り返った。(久保田るり子)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100323/plc1003231938012-n1.htm




【日韓歴史研究】第2期報告書「まず攻撃ありき」
2010.3.23 19:30

 平成13年の教科書問題を契機に始まった日本と韓国の学者、研究者で構成する日韓歴史共同研究委員会(日本側委員長、鳥海靖・東大名誉教授)は23日、第2期の報告書を公表した。古代、中近世、近現代史の分科会加え、今期から教科書小グループが新設され成果が注目されたが、約2年半の研究では韓国側が特に「新しい歴史教科書」を繰り返し批判。日本側には、「まず攻撃ありきで、議論は全くかみ合わなかった」と、韓国側のスタンスへの疑問と批判が強く残った。

 公表された報告書は論文48本と座談会や資料など約2200ページ。近現代史分科会と教科書小グループはテーマ設定で当初から難航、事実上のスタートに半年から1年近くを費やした。岡田克也外相は23日、「近現代史ということになると、かなりシビアな意見の違いがあると思うが、それ以前では共通する部分もある。議論で相互の認識が近づくわけだから、共同研究というのは意味あることだ」と述べたが、実際の研究で認識は平行線に終わった。

 教科書小グループで韓国側は論文8本中7本で日本の教科書批判の主軸に「新しい歴史教科書」(扶桑社)を引用した。たとえば『扶桑社の叙述傾向は侵略戦争の責任者である昭和天皇を平和主義者へと歪曲(わいきょく)』(辛珠柏延世大教授)と根拠を示さない分析内容で、日本側の不評を買った。

 日本の教科書検定制度の特徴についても、韓国側研究者は『戦前の軍国主義の時期の遺制』『天皇制国家の時期に形成された慣行の延長』(李讚煕韓国教育開発院碩座研究員)などと論評。日本側は批評文で「学問的な説明とはいえない」(山室建徳帝京大准教授)と一蹴(いっしゅう)した。

 第1期(平成14~17年)の近現代分科会は、韓国側が「日韓併合条約の不法性」を主張し激論となったが、今期は日本側が昭和20年以降に光を当て、「映像」「漫画」「女性」などの切り口を提案した。だが、韓国側はこれらのテーマにも「日本の文化侵略」や「慰安婦問題」といった従来の姿勢を崩さなかった。

 日韓の歴史問題の“ガス抜き”をねらった外交上の副産物だった共同研究だが、国旗を背負った韓国側研究者はかたくなで、この枠組みでの研究継続には日本側委員からは見直すべきだとの声が聞かれる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100323/plc1003231932011-n1.htm




韓国、慰安婦明記減り右傾化懸念=日本、平和憲法記載を要求-歴史共同研究
3月23日18時10分配信 時事通信

 日本と韓国の有識者による日韓歴史共同研究委員会は23日、歴史教科書をめぐる摩擦などについて考察した第2期研究の報告書を公表した。この中で韓国側は、日本の教科書で第2次大戦時の従軍慰安婦に関する記述が減ったことや、「新しい歴史教科書をつくる会」が編さんを主導した教科書の検定合格を挙げ、日本の「右傾化」に強い懸念を表明。一方、日本側は、韓国の教科書が記載していない平和憲法を取り上げるよう主張。教科書をめぐる日韓の溝が浮き彫りになった。
 日韓歴史共同研究は、2001年に就任した小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝や「つくる会」の教科書の検定初合格を受け、小泉氏と金大中大統領(同)が同年10月に合意してスタート。第2期研究委(共同委員長=鳥海靖東大名誉教授、趙※〔※=おうへんに光〕、高麗大教授)は07年6月に始まり、古代から現代までの通史研究に加え、教科書問題の専門部会を設け、約2500ページの報告書にまとめた。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100323-00000138-jij-pol

歴史共同研究 溝くっきり 韓「教科書反映を」 日「議論してない」
日韓共同研究 歴史教育 目的に違い





<古田博司 「“日韓歴史共同研究委員会” 実に虚しい2年間を過ごした!」>

【正論】国家の正統性確立に苦しむ韓国 筑波大学大学院教授・古田博司
2009.12.29 02:44

■発展の遅れた半島の李朝

 来年は日韓併合100周年にあたり、韓国の反日運動の盛り上がりが予想され、また日本の一部学者が同調する動きもある。以下、事実を指摘しておきたい。

 歴史上の朝鮮は、満州から半島へと廻る回廊の上に立つ、いわば回廊国家であった。

 大陸に清国を建てた、第1代ヌルハチと次代ホンタイジの年代記、『満文老档(まんぶんろうとう)』が当時の満州語で残されている。満州軍は清国建国前に朝鮮侵攻を行うが、奉天に集結した軍が朝鮮に南下し、京城を抜くまでにたった2週間しかかからない。半島の東側は険しい山岳だが、西側は何の要害もない野原だからである。もとより守り防ぐことのできない国であった。ゆえに侵略の報が入るや、王は海浜の江華島へと逃げ去った。

 満州やモンゴル諸国から見ても、大陸の明朝と半島の李朝は兄弟国であった。明は白蓮(びゃくれん)教徒の明主が建てた国だったので明という。元朝に宗教反乱で立ち向かい、モンゴル人の放漫な紙幣濫発(らんぱつ)政策に対する反省から、当初は反商業的な国家として誕生した。同時期成立の李朝はこれを真似(まね)し、明がそれを捨てて発展していたころ、なおも反商業的であった。

 商店も筆屋と鍮器(ちゅうき)屋くらいしかなく、人々は市場と行商人に頼っていた。曲げ物の技術がなく、車輪も樽(たる)もない。物は背負子(しょいこ)に担いで人が運んだ。染料も顔料もないので、民間人は白衣、陶磁器は白磁だった。李朝は、いわば世界が中世期の頃に、古代国家として発生したインカ帝国に近い存在として特筆される。

■日本の思い出にさいなまれ

 このような国を植民地とした近代日本から染料が入ると、白衣は柄入りで染められて「倭風」と称され、リヤカーが来ると車がなかったため、ハングルで「クルマ」と呼ばれて今日に至っている。日本植民地時代に朝鮮が年平均で3・7%の経済成長を遂げたことが韓国人研究者の実証研究でわかっており、もはや隠すべくもない。

 戦後、朝鮮は南北に分断されたが、韓国は38度線のおかげで史上初めて中国の勢力圏を逃れることができた。三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわばこの国は島化したのである。他方、北朝鮮は中国の勢力圏に残りつづけた。

 韓国はアメリカによって解放され、北朝鮮は極東ソ連軍の連れてきた傀儡(かいらい)から国が始まる。独力で得た独立ではないため、国家の正統性がない。北朝鮮は金日成が満州で抗日していたので少しはあるが、日本軍が強すぎて朝鮮領内に入ることすらできなかった。北朝鮮は金日成の抗日を誇張し、中国の勢力圏にある現況を表向き否定しなければならなかった。こうして主体思想が生まれる。一方、韓国は日本の思い出にさいなまれ続けることになった。韓国が国の正統性を確立するには、日韓併合条約を無効とし植民地時代を抹殺するか、民主制の成熟しかなかったのだが、後者は流産してしまう。

 2009年5月23日、前大統領の盧武鉉氏が自宅の裏山から飛び降り自殺をした。親族の収賄関与容疑で最高検察庁の事情聴取の最中だった。自殺の時点で盧氏は関与を認めたことになり、遺体は司法解剖に付され、親族の収賄の捜査が本格化するはずである。

■負うべきものを放り出す

 ところが野党民主党は最高検察庁による不正資金疑惑捜査が盧氏を死に追いやったとして李明博政権を批判し、政府は盧氏を国民葬とすることで盧氏支持者たちの反発をかわした。さらに検事総長を辞任させ、盧氏親族の捜査を打ち切った。遺体の司法解剖もついに行われなかった。これで李明博政権が国策捜査を認めたことになるから、今度は政府批判が始まり、政権は倒れるはずである。ところがこれもそうはならなかった。

 このように朝鮮の為政者は、いつも負うべきものを放(ほう)り出すのである。李朝の仁祖は満州軍に民衆を放り出した。1905年、第2次日韓協約の時、高宗は朝鮮の命運を5人の大臣たちに丸投げした。韓国初代大統領の李承晩氏は国民を棄てて亡命し、1997年の金融危機の際、金泳三氏はIMF(国際通貨基金)に国を投げ出した。最後に盧武鉉、李明博両氏が民主主義自体を放り出した。韓国人の意識構造の「恨(ハン)」とは、為政者に放り出された民衆の嘆きから始まるのである。

 さて、日韓両政府の支援により2007(平成19)年に始まった「第2期日韓歴史共同研究委員会」がこのほど終了した。

筆者は今期から設けられた教科書小グループのチーフだったが、実に虚(むな)しい2年間を過ごした。

 論争好きな彼らに引きずられテーマ設定に1年間を要し、いざ共同研究が始まると、韓国の委員は4、5冊、多くて10冊の教科書資料しか読んでこなかった。「日本帝国主義」「右翼教科書」などという用語を使い、政争の観点しか持たない彼らを諄々(じゅんじゅん)と諭す以外にはなかったのである。さらに韓国側が名指しで人身攻撃を行っても、日本側委員長はわれわれ委員を守ることがなかった。私は「恨」を感じた。(ふるた ひろし)

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/091229/kor0912290245000-n1.htm


日韓歴史共同研究委員会 第1期(2002-2005年) 報告書(pdf)
第6回 日韓合同全体会議 (2005/03/26 東京)
第3分科 研究活動の回顧と展望

(韓国側 李萬烈委員)

最後に、日本側の学者の皆様にお願いがある。韓日歴史共同研究委員会で扱ったテーマは、韓日関係史というより主に日本が関与した韓国史が重要なテーマであった。私は、日本人学者の方々が韓国史を研究すること自体に対し、非常にうれしく、また感謝するものである。しかし、韓国史研究が韓国に対する温かい愛情を前提としなければならないことを強調したい。もし愛情がなければ、研究は、その歴史から欠点をみつけるために顕微鏡や望遠鏡を覗き込む作業となんら変わりがないであろう。

かつて、韓国史研究者はまず韓国に対する愛情を持たなくてはならない、と主張したのは旗田巍先生であった。旗田教授が力説したくらいの愛情があればこそ韓国史が正しく見えるようになるのであろう。共同研究に臨んだ日本人学者の中には韓国に対する愛情をもって研究を行った方がなくはないと考えるが、この共同研究を終えるにあたり、あらためてしっかりと考えずにはいられない。愛情をもって韓国史を研究するなら、過去に御用的な植民史観論者が取った韓国史認識を繰り返すことはないであろう。

私は敢えて日本の学者の皆様に対して、日本史を愛し重要と考える、その1%だけでも韓国史を愛し大切に考える心をもって韓国史研究に臨まれることをお願いしたい。そこから本当の意味の韓日歴史共同研究が始まり、我々の子孫の代までも、両国の平和と繁栄のための未来志向的な歴史を共有することができるものと確信する。
p.54~
http://www.jkcf.or.jp/history/all_j.pdf


   ∧__∧    韓国に対する愛情はないのかーっ!
   <#`Д´>||| 
  (     O//バンッ!!
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「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
「チャングム」のまやかし~増殖する韓国の「自尊史観」


【韓国】 大学図書館所蔵の外国図書、「日本海」「竹島」表記が大部分~修正液で訂正する運動広まる★2[07/02]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1246575676/
【日韓】 「外国で地図を修正した韓国人は多いだろう」 ~ドイツ博物館の地図修正に肯定的な意見が多数 [10/30]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1256980974/
【韓国】我が国への唐辛子伝来は、文禄の役で日本軍が「化学兵器」として朝鮮半島に持ち込んだため(中央日報)10/31
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=33905&servcode=100§code=100
【韓国】「色付きチョゴリや洋服など現代韓国人の服装は全て日帝残滓。日帝時代に抹殺された白衣民族の復活を急げ」(中央日報)05/08/09
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66469&servcode=200




金完燮 「親日派のための弁明」 抜粋

私達は歪曲された教育によって、1905年韓日保護条約と1910年韓日併合が、日本の強圧によって締結されたものであると信じているが、事実はまったく違う。

日本と合併することだけが、朝鮮の文明開化と近代化を達成できる唯一最善の道であった点については、当時の志ある改革勢力の間に暗黙の合意があったと思われる。この大韓帝国内部の強力な世論にしたがい、日本が合法的な手続きを経て統治権を接収したとみるのが妥当ではないだろうか。

そのもっとも有力な証拠が1904年に結成された「一進会」である。あの団体はわが国の歴史上初の近代的な大衆政治組織であり、「東学」(1860年ごろ起こった民間宗教)と「独立協会」(1896年に組織された政治結社)が連携して、朝鮮王朝と守旧勢力を倒し、日本と連帯して文明開化という時代の要請、つまり朝鮮革命をなしとげるために結成された。しかし、このような事実は韓国社会では徹底して隠蔽され、韓国政府は一進会について、日本が少数の親日派を糾合して結成した「御用エセ団体」と歪曲して教えている。

1904年初めに起きた日露戦争で、東学教徒たちは教主、孫ビヨンヒの指示により5万の兵士が日本とともに戦った。東学教徒とボ負商(行商人。古くから組織化され、政治的・社会的に影響力があった)たちは「進歩会」を結成し、最初の年だけで38万の人がこれに加わっていた。進歩会はその後、名称を一進会と変え、独立協会系の開化派人士と手を結んで、韓日併合と開化啓蒙運動を展開したのである。一時期は100万をこえる膨大な組織となった彼らは、黒い服を着て髪を短く刈る外見から、たやすく見分けがついたため、保守勢力の攻撃の対象となった。

一進会は結成以来、日本との合併を推進し、それによって反革命勢力との内戦で多くの一進会員が殺され、一進会関係の建物が破壊されるなどの犠牲を払わなければならなかった。今日、韓国で一進会を「親日団体」だと非難し、彼らに危害を与えた反動暴徒を義兵と褒めたたたえることは歴史を逆さまに解釈する過ちと言える。

みずから韓日保護協約締結を主導し、朝鮮の初代統監となった伊藤博文は、政治的、財政的に日本に負担になる朝鮮合併を望んでいなかった。合併は一進会など朝鮮の革命勢力が要請したことであった。安重根の伊藤統監暗殺により日本の世論は急速に合併に傾いていったのだから、安重根は自分が望むのとは反対の「愛国」を実現したわけだ。

日本の統治により朝鮮は多大な発展を遂げた。30年余りの間に1000万足らずだった人口は2500万に増え、平均寿命は24歳から45歳に伸び、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義へと変貌した。
本土からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが建設された。
1920年代には日本への米輸出で財をなした大金持ちが次々と現れ、その基礎の上に民族資本が成立することになった。

1920年代の朝鮮の文芸復興は、日本と同じ時期に起きたものであり、今日、李グアンス、崔南善に始まり、金東仁、李孝石、金永郎、ユン東柱、洪蘭バなど私たちの記憶に残る多くの作家と芸術家は、大部分がこの時期に登場した人たちだ。

韓国人はこうした日本の貢献を認めようとせず、かりに認めた人であっても、それが日本という外国の勢力によって他律的に生じた成果だという理由で、その意味を過少評価している。しかし、ふりかえってみると朝鮮は、人類の歴史上唯一無二の儒教原理主義社会であり、その戒律は、今日のイスラーム原理主義とは比較にならないほど精緻かつ厳格なものだったと言える。したがって、今日、イスラーム原理主義がイスラーム社会に与えている悪しき影響について少しでも考えがおよぶ人であれば、朝鮮の儒教原理主義が、外国の影響が排除された状態で自発的に消滅したとは言えないはずである。

二十世紀初め、外国勢力による改革、それも日本統治による徹底した清算がなかったなら、今日の朝鮮半島は
世界でもっとも遅れた地域のひとつにとどまっていただろう。となれば、日本時代は私たちにとって幸運であり祝福であったということはできても、忘れたい、あるいは認めたくない不幸な過去だと言えるはずはないのである。」

(中略)

こんにちの日本の問題は反省と謝罪がないということにあるのではなく、過去に対する清算があまりにいきすぎたことにある。謙虚と言うよりはむしろ自虐というべき考えは、すべてアメリカによって押し付けられた植民地史観と、それによる自己卑下の結果である。日本が経済だけではなく政治、文化、軍事において堂々たる自主独立国家になる為には、何よりも歴史に対する自負心を回復することが早急な課題である。

   ***

商品の説明

16年前、中曽根内閣の藤尾正行文部大臣が「(日韓併合は)形式的にも事実の上でも、両国の合意の上に成立した」(『文藝春秋』1986年10月号)と「放言」して、罷免されるというきわめて政治的な事件があった。野党のみならず、日本の言論界も藤尾発言を「妄言」とする韓国側の非難に唱和したため、中曽根首相は文相の首を切らざるをえなかったのだが、いらい「併合」を朝鮮半島の「侵略」「奴隷化」とする歴史認識は、韓国では反日イデオロギーとして、日本では「自虐史観」として、ゆるぎなく定着した観がある。
著者は反日歴史教育にどっぷりつかって育った人である。だから「日本語を使う人をみると不愉快になる」というほどの「日本嫌い」だった。それが、海外に出てから「国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できる」ようになった結果、朝鮮の開国期と日本統治についての「一方的に歪曲された歴史認識」から抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったという。

日韓併合については、東アジアの不安定要因である脆弱な前近代的王朝国家を日本が統治するのは、欧米列強にとっても歓迎すべきことであったという見方がある。しかし、著者のいう「バランスのとれた認識」は、それをはるかに越えて革命的なのである。

「藤尾氏の発言中にある『日本が韓国を善意で統治した』というのは事実である」。しかし、「併合は悪いことであった」という前提で「よいこともした」式に論を展開するのはなぜだろう、と著者は首をかしげる。日韓併合は朝鮮の「ブルジョア革命」であり「文明開化」であった、そして日本の統治は朝鮮人にとって「祝福」であった。つまり、著者の認識では、併合は「形式的にも事実の上でも」正しかったのである。本書の扉に「金玉均 伊藤博文 朝鮮の文明開化のために殉じた 二人の霊前に本書を捧げる」とある。いうまでもなく、金玉均(キムオックキュン)は、日本維新政府の力を借りて朝鮮を近代国家にしようと奔走した若き革命家。閔妃の放った暗殺者に殺され、「親日売国奴」として五体をばらばらに刻まれさらされた。そして伊藤は朝鮮民族抑圧の首魁として、ハルビン駅頭で「愛国の志士」安重根に殺された。その2人を文明開化の殉難者とする巻頭の献辞に、著者の歴史認識が鮮やかに浮かび上がるのである。(伊藤延司)

出版社/著者からの内容紹介
韓国新世代の評論家が、抑圧的な旧体制を清算し、韓国を近代国家へと転換させた日本統治を高く評価。誤った歴史認識による反日教育を厳しく批判して韓国で事実上の「発禁(青少年有害図書指定)となった衝撃の書!

閉塞的な言論空間に風穴をあける「革命の書」!

韓国新世代の気鋭の評論家が、季氏朝鮮末期の歴史を公平な視点から検証し、抑圧的な旧体制の清算と朝鮮の近代化は日本の支援なくしてありえなかったとして日本統治を高く評価。韓国政府がおこなってきた反日教育をささえる歴史認識は誤っていると厳しく批判し、韓国で事実上の発禁処分となった革命的ともいうべき評論集である。
近代史をめぐって日韓双方にわだかまる閉塞的な言論空間は、本書の出現によって間違いなく風穴があくだろう。

内容(「BOOK」データベースより)
韓国新世代の気鋭の評論家が、李氏朝鮮末期の歴史を公平な視点から検証し、抑圧的な旧体制の清算と朝鮮の近代化は日本の支援なくしてありえなかったとして日本統治を高く評価。韓国政府がおこなってきた反日教育をささえる歴史認識は誤っていると厳しく批判し、韓国で事実上の発禁処分となった革命的ともいうべき評論集である。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
金/完燮
作家、評論家。1963年、全羅南道光州生まれ。サレジオ高校卒業。高校時代の80年におきた光州民主化運動では市民軍に参加して全羅道庁に篭城、のちに「国家偉功者」として顕彰される。82年、ソウル大学物理学部入学。天文学を専攻するが、歴史、政治、経済にも関心をもつ。89年以降、『ハイテク情報』『ソフト・ワールド』の雑誌記者をへて、92年よりフリーランサー。95年に出版した『娼婦論』がベストセラーとなる。96年よりおよそ2年間、オーストラリアに居住。帰国後、『コスタク新聞』を創刊し編集主幹をつとめる

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421152X/

‘親日作家’金完燮氏に賠償判決
韓国で再考の動き 日本による統治時代 新歴史教科書や経済史翻訳本 近代化促進と評価も
歴史を偽造する韓国ー韓国併合と搾取された日本
歴史再検証日韓併合ー韓民族を救った「日帝36年」の真実
『日帝の土地収奪』など無かった」「『慰安婦の強制動員』というのは、資料が無い話」
【韓国】「日帝、米収奪なかった」~乱闘場になった「教科書フォーラム」
日本統治の遺産評価 米学者の著書、初翻訳
こ、これが地獄の植民地?日韓併合時代、韓国では「整形手術」が流行っていた!
韓国で再考の動き 日本による統治時代 新歴史教科書や経済史翻訳本 近代化促進と評価も
東亜日報、「日本統治時代、韓国は近代化」 多角的に見直す論評
“朝鮮統治”で真に得をしていたのは誰か?









100 :名無しさん@十周年:2010/03/22(月) 23:23:52 ID:K2JihebC0

<ヽ`∀´>ウリ達は常に強い者に付いていくニダ!事大主義マンセー!!


~1910年

 ∧0∧
( `八´)
(  ̄|| ̄)   ニ∧_∧ <ははぁ!宗主国様~
| ̄.| ̄|   <`∀´ ;>⌒)
/__l _ゝ = と と_(_つ


1910年~1945年
              . _
,,'⌒丶、     ,,'⌒丶、. |●|
ゝ☆==>    ゝ☆==>| ̄
( ´∀`)   ∩<`∀´ヽ>∩<ウリ達も列強国の国民ニダ!
( ~=|=)   >     く   大日本帝国万歳!天皇陛下万歳!
| | |     ( <⌒)ノ
(__)_)    ヽ,_,フ


1945年~

  | ̄ ̄|
_☆☆☆_
(  ´_ゝ`) ∧_∧ <ウリ達は無理矢理イルボンに
(  ω  )<`∀´ヽ>   併合されたニダ!ホントは
| | | ⊂  ⊂.)     戦勝国の一員ニダよ!
(__)_)(__と_)




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