「復興特需が期待される。韓国企業もぜひ参加を」民主党 末松副大臣が在日韓国経済人大会で呼びかけ

2012年06月13日 | news
<在日韓国経済人大会>被災地復興へ参加を…復興庁が呼びかけ
2012-06-13

 

 東京都内のホテルで1日に開かれた第2回在日韓国人経済人大会で、復興庁の末松義規副大臣が「東北地方の復興」をテーマに講演を行い、「復興交付金として1兆8000億円を計上。減税優遇される特区を中心に復興特需が期待される。韓国企業もぜひ参加を」と呼びかけた。

 大会には、来賓の日本国会議員をはじめ、民団や東京韓商、駐日韓国企業連合会、世界韓人貿易協会、韓国人連合会、農食品連合会、貴金属協会など在日経済団体の会員ら約350人が参加した。

 主催者を代表して申?秀駐日大使は「21世紀はグローバル化の時代。同胞経済人の交流を通じて情報を共有すべきだ。協力を通じて韓日関係の発展にも寄与してほしい」と激励した。主管を担った東京韓商の金光一会長は「さまざまな業界に進出する同胞経済人のネットワーク化を進め、垣根を越えた協力が大切だ」と強調した。

 民団中央本部の呉公太団長は「世界経済が厳しい中、各団体が団結することで祖国と日本の経済発展や、被災地の復興にも貢献してほしい」とあいさつした。

 なお、あすか信用組合とSBJ銀行による金融調達策、韓国文学の普及方法などが紹介された。

(2012.6.13 民団新聞)
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=2&subpage=5224&corner=3

【東日本大震災】日本の自治体、韓国産資材輸入で恩返し~必要な仮設住宅10万軒中、6万8千軒を韓国から輸入する方案推進
【韓国】「月650万ウォンで日本の福島でバイト?」~求人募集広告で物議

民主党が韓国企業繁栄に尽力する真相:韓国を繁栄させるためにできる限り日本叩きをするという“半島政権”
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民主党防衛政務官「民団」団長から310万円の問題献金が判明
2012.06.13 07:00

 またしても民主党政権で在日外国人からの政治献金問題が判明した。

 防衛大臣政務官の下条みつ氏が、在日本大韓民国民団の団長から、献金を受け取っていたのだ。民団は会員数50万人を数える在日韓国人などのための組織で、団長の呉公太氏は今年2月にトップに就任した。

 下条氏の政治団体である「みつの会」の収支報告書を見ると、平成20年から22年まで、それぞれ、100万円、110万円、100万円、政治資金パーティへの支払いが確認できる。いずれも呉氏が代表を務める会社名義で、代表者の名は呉本公太と記載されている。これは呉氏の通名のようで、一見すると外国人からの献金とはわからないようになっているのだ。

 これまでにも、前原元外務大臣は、在日韓国人から総額25万円の献金を受けていたことで大臣を辞任、野田首相、菅前首相も在日韓国人からの献金があったことが指摘されてきた。外国人からの献金は政治資金規正法により違法とされている。

 外国人が国政に影響を与えるのを防ぐ、というのがその趣旨だ。パーティ券の購入は「寄付には該当しないので、外国人が買ったとしても違法にはなりません」(総務省政治資金課収支公開室)というが、その立法趣旨やこれまでの経緯からして、あまりに軽率ではないか。
 
 ましてや呉氏は民団の団長として、今年5月に民団の代表団とともに李明博大統領を訪れ、在日韓国人の地方選挙参政権の獲得などに向けてさらなる支援を要請するなど、政治活動に積極的に関わる人物である。ちなみに下条氏は、外国人参政権に賛成の立場をとっている。

 下条議員に事実を確認すると、呉氏が民団団長であることを知っているとしたうえで、「寄附ではなく、飲食の対価としてご購入頂いていると理解しております。尚、弁護士に相談の上、万一法に抵触する恐れがある場合は返金も考えております」と回答。また、呉氏も弁護士を通じて、「パーティ券購入は違法ではないため問題ないと考えている」と答えた。

※週刊ポスト2012年6月22日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120613_118014.html

【民主党政権】売国奴たらい回し。あらら~野田氏も怪しいの?韓国民団に選挙協力で謝辞、献金も発覚。
民主に蔓延する外国人献金 判明分は氷山の一角か






【民主党】東日本大震災で国民見捨て放射能怖さに逃げた小沢一郎元代表!和子夫人が支援者に「離婚しました」と手紙 「隠し子」も綴る
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339579702/-100

小沢一郎夫人が支援者に「離婚しました」
「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃
2012.06.13 18:03
和子夫人が支援者に送った手紙の一部

 民主党の小沢一郎元代表(70)の和子夫人(67)が、昨年11月に地元・岩手県の複数の支援者に、「離婚しました」という内容を綴った手紙を送っていたことがわかった。

 便箋11枚にも及ぶ長い手紙の中で、和子夫人は、昨年3月の東日本大震災後の小沢元代表の言動について触れ、「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」と書いている。

 手紙では、小沢元代表の愛人や隠し子の存在についても触れている。8年前に隠し子の存在がわかったとき、小沢元代表は和子夫人に謝るどころか、「いつでも離婚してやる」と言い放ち、和子夫人は一時は自殺まで考えたとも記している。

 そして、このように綴っている。

「それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水を差すようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。

 ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました」

「国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです」

 こうした大震災後の小沢元代表の言動がきっかけとなり、和子夫人は昨年7月に家を出て別居を始めたという。その後も現在まで別居は続いているが、小沢事務所は「離婚の事実はない」としている。

 和子夫人はこうも綴っている。

「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」

 現在、消費税増税法案の採決をめぐって、小沢元代表は造反をちらつかせて野田政権を揺さぶっているが、和子夫人の手紙はそうした政治情勢にも大きな影響を与えそうだ。

「週刊文春」編集部
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442


「被災地より政局」の小沢一郎の1年
岩手選出2議員に見る“政治家”と“政治屋”の分岐点
2012/03/19
安藤 毅

 一方、政界の実力者と称されてきた小沢氏のこの1年はどうだったのか。一言で言えば、「被災地より自分の裁判と延命」に心を砕いてきたのは間違いない。

 実は、小沢氏が震災後、公に岩手入りしたのは3回だけだ。しかも、そのうちの1回は県庁での達増拓也知事との会談。被災地の沿岸部の一部は中選挙区時代に小沢氏の選挙区だったにも関わらず、震災後、初めてかの地に足を運んだのは、今年の正月のことだ。

 被災地入りをほとんどしていないことに関し、小沢氏は朝日新聞とのインタビューで、「それは本質的な問題ではない。情緒論だ。まず復興予算を手当てするのが僕の役割だ。現に知事はしょっちゅう来て、話をしている」と語っている。

 しかし、この発言を見たり、聞いたりした地元関係者からは「故郷を思うなら、飛んできてほしかった」「国民の生活が第一、というのは口だけか」といった失望や怒りの声が続々とあがっている。

 こうした指摘に対し、小沢氏の周辺は「警護の問題などもあり、地元に遠慮してあえて現地入りを避けてきた」と小沢氏を擁護する。しかし、民主党のある幹部は「陳情されてもあまり対応できないことが明らかになり、“神話”が崩壊するのを避けたかったのだろう」との見方を披瀝する。

 この指摘は、正鵠を得ているかもしれない。小沢氏は昨年1月に政治資金規正法違反の罪で検察審査会に強制起訴され、党員資格停止処分を受けた身。民主党内で最大のグループを率いているとはいえ、小沢氏の影響力をかなり排除した野田政権では、予算編成作業に関与できる余地が乏しかったのは間違いない。

 まして、ゼネコン(総合建設会社)との関係が自身の裁判の焦点の1つになっている最中に、地元の予算配分や工事の発注に“天の声”を下すことなど困難だろう。「現地入りしたくともできなかった」面もあったはず。そんな見方が政界では広がっている。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120313/229769/?P=3&ST=rebuild





【反原発】山本太郎の妻が海外移住を告白「私達だけが逃げるのは抵抗あるけど、日本はどうなるかわからないから」★5
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339591369/-100

山本太郎妻が結婚理由明かす「海外の永住権取りやすいので前倒しに」。
2012/06/12 18:31

5月に俳優の山本太郎(37歳)と結婚した、プロサーファーのやまもと朱璃(旧姓:割鞘[わりさや])さん(19歳)が6月12日、公式ブログで山本と交際1か月でスピード結婚した理由を告白している。

12日付けのエントリーでは、「実家の両親にこれからのことをちゃんと伝えるため」に夫と2人で岡山に来ていることを報告。“これからのこと”とは、「福島4号機のことや、大阪に瓦礫が入ることなどから海外に移住しようというお話になっていて 移住先の国も決まっていて、具体的にお話が進んでいるの」とし、海外への移住を計画していることを明かした。

そして、19歳と若くして入籍した理由についても言及。「永住権を取るのに家族で取ったほうが取りやすいから いずれ結婚するのなら早く籍だけでも入れようって そんな訳で、結婚の時期を前倒しにしたんですよ」と説明している。

ちなみに、海外への移住について朱璃さんは「福島で苦しんでいる人や震災の復興もあるし 私達だけが日本を捨てて逃げるなんて。。。すごく抵抗があったけど この先、日本はどうなりかわからないからって。。。。」と胸中を吐露。「移住するのは私達だけじゃなくて一緒に行くご家族がいらっしゃる」そうで、「私的には、入籍だけして今までの活動はそのまま続けるつもりだったんですけどね 郷に入らば。。。で、もろ郷に入っちゃったって感じ」と心境をつづっている。

また、夫の山本は12日にTwitterで海外移住についてツイート。比較的永住権が取りやすいフィリピンへの移住を検討中で、山本の母親らが現在現地へ下見に行っているそうだ。そして「もし、海外脱出となればその先で日本人村の様なものが何処かに作れればと思っています。子どもを守りたいお母さん達が一歩踏み出せるような」と、移住後のプランも披露している。

http://narinari.com/Nd/20120618198.html

【芸能】山本太郎、今春大阪移住へ「東京の放射能汚染は深刻。僕もいずれ家族がほしいので、子どもの将来を考えてのこと」★4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1329208955/-100

"朝鮮半島の統一"願うワンコリアフェスに、反原発の山本太郎ゲスト出演…大阪
山本太郎「竹島を韓国にあげる」発言 「謝罪文」が意味不明で騒動再燃

脱原発活動の山本太郎さん、太陽光発電企業に就職へ






「歴史的に終止符打つべき」解放運動の拠点全廃方針貫く 橋下市長
2012.6.25 12:39

 大阪市が策定中の「市政改革プラン」で、市内10カ所にある市民交流センターを平成26年度に全廃する方針を打ち出し、波紋を呼んでいる。いずれも市が同和対策事業で建設し、解放運動の拠点となった歴史を持つ施設。利用者や解放同盟大阪府連は廃止に強く反発しているが、橋下徹市長は「歴史的に終止符を打つべきだ」として方針を変えない構えだ。

国の同対事業が終了後、10年以上も市職員を派遣

 廃止対象は、旧人権文化センター(解放会館)5施設▽旧青少年会館4施設▽旧地域老人福祉センター1施設-の計10施設でいずれも市が同和対策事業で建設。市は全廃の理由として、センターの利用率が全館平均で約50%にとどまっていることや、60代以上の利用が約4割を占め、多世代の交流が図られていないなどと説明。指定管理期間が終了する26年度に廃止し、年間約10億円の経費削減を見込んでいる。

 市は昭和30(1955)~50(1975)年代、「地区」に指定された市内12地区で、同様の拠点施設を40カ所以上建設。平成13(2001)年度に国の同和対策事業が終了した後も、市職員を派遣するなどして、これらの施設を運営していた。

 しかし18年に、同和行政を巡る不祥事が相次いで問題化。関淳一市長(当時)は18年度予算で68億円計上していた同和対策関連事業費を、19年度予算で半減し、施設の運営についても見直す方針を打ち出した。

 平松邦夫市長(当時)も22年度から、残っていた32施設を、10施設に再編統合して市民交流センターに衣替えし、交流促進事業や貸室事業を実施していた。

 元解放同盟中央執行委員で、解放同盟大阪府連日之出支部の初代支部長を務めた大賀正行さん(74)は「50年かけてやってきたものがすべて壊されていくようで悲しい。ただ、同和事業にあぐらをかいていたわれわれの方にも反省点はある。今の流れは止められないかもしれないが、お年寄りの居場所だけは残してほしい」と訴える。

 一方、橋下市長は「いわゆる被差別の問題をひとつひとつ解決していこうと思えば、役割を終えたものはできる限りなくし、普通の地域にしていくのが僕の手法。これからの時代、あのような形でハードを残す必要ない。むしろ残してはいけないと思っている」と話している。

      ◇

 【用語解説】同和対策事業

 被差別の環境改善や差別解消を目的に「地区」指定された地域で行われた事業。昭和44(1969)年に同和対策事業特別措置法に基づいて開始。後継の法律によって引き継がれ、平成13(2001)年度まで33年間続いた。社会福祉施設、公営住宅などの建設、同和教育の推進、奨学金支給など内容は多岐に渡る。財政措置を伴う国策としての同和対策事業は終了したが、同和行政は継続しており、関連事業を引き続き実施している自治体もある。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120625/waf12062512430006-n1.htm






【民団新聞】 "関東大震災で朝鮮人・中国人虐殺…朝鮮人へのおそれと差別意識があった" 横浜市教委が中学生用副読本を改訂
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339580281/

<関東大震災>虐殺の主体鮮明に…横浜市教委が中学生用副読本を改訂
2012-06-13

 【神奈川】横浜市教育委員会は中学生用副読本『わかるヨコハマ』(かながわ検定協議会と共同編集)の記述の一部を改訂した。問題となっていた関東大震災に関する項目では、迫害・虐殺に関わった主体として軍隊や警察が記述に復活。朝鮮人ばかりか中国人までが犠牲になった事実も明らかにした。市教委が採用して今年度からすべての横浜市立中学で使用されている育鵬社版の歴史教科書とは対照的な記述となっている。

 09年版『わかるヨコハマ』は、朝鮮人迫害・虐殺に対する軍隊・警察の直接的な関わりがあいまい。朝鮮人に対する迫害・虐殺は自警団のみによって引き起こされ、軍隊は自警団を取り締まるために派遣されたのだとする趣旨の内容だった。このため、横浜市立中学校を定年退職した社会科の元教員が、「誤った見解」と1年前から再三にわたって質問状を送るなど、記述の改訂を求めていた。

 今回の改訂版を見ると、迫害・虐殺の主体として自警団だけではなく、初めて軍隊や警察の存在を明確にし、犠牲者には朝鮮人だけでなく、中国人がいたことも新たに書き加えた。旧版では削除されていた「殉難朝鮮人慰霊の碑」の写真も復活した。同慰霊碑は少年の日に朝鮮人虐殺を目撃したという「1市民」が74年、謝罪と反省のため市内久保山墓地に建てたもの。

 横浜市教委は「旧版の記述が誤っていたわけではない。ただし、国の中央防災会議で示された史料『1923 関東大震災』や『横浜市史』が示すような歴史研究の一般的な理解を踏まえ、より適切な表現に改めた」と話している。

 改訂を求めてきた元教員は、「誤った記述が正され、歴史研究に沿った記述になった。デマを信じた軍隊、警察、民衆の自警団によって朝鮮人、そして中国人が虐殺されたこと、その背景に植民地支配に抵抗する朝鮮人へのおそれと差別意識があったという記述に戻ったことを歓迎したい」と語った。

 副読本『わかるヨコハマ』は2日の開港記念日に合わせ、市内149の公立中学校で学ぶ1年生2万6866人全員に配布された。市教委は「横浜の時間」「社会科」「理科」など、様々な場面での活用を期待している。

 発行は神奈川新聞社で、一般にも販売される。

『育鵬社版』と対照的

 「関東大震災と朝鮮人・中国人虐殺」は現在、すべての中学校歴史教科書が取り上げている。だが、その記述内容は教科書によって大きく異なる。

 今年度から横浜市内のすべての公立中学校で採用されている育鵬社版は「交通や通信がとだえた混乱の中で、朝鮮人や社会主義者が、住民たちのつくる自警団などに殺害されるという事件もおきました」とあるだけ。デマについて書いてあるわけではなく、軍隊、警察の動きも記述されていない。

 横浜市で育鵬社版が採用されるまでは、中学校の歴史教科書は日本書籍版が主流だった。同教科書は軍隊、警察、自警団が数千の朝鮮人と数百の中国人を虐殺したことを、その背景まで踏み込んで書いてあった。

 市教委に副読本の改訂を求めてきた元社会科教員は、「育鵬社版が教材として役に立たないなか、今回の記述は大震災の中で起きた朝鮮人・中国人虐殺の問題を考え、学んでいくきっかけを与えてくれるだろう。来年は関東大震災から90年の節目の年。教育現場で今回の改訂を活かしていこう」と呼びかけている。

(2012.6.13 民団新聞)
 http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=18&category=2&newsid=16006
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=4556&corner=2

3 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:38:58.12 ID:k+bbnkgP0
もっと作りこむニダ

5 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:40:11.30 ID:KkQjApbb0
二次大戦終戦時、強姦、強盗、略奪を繰り返した在日朝鮮人史も書いとけ。

13 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:43:15.01 ID:I6so+5p70
横浜市教育委員会が糞だということはわかった

19 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:45:06.15 ID:SE3+qOD20
でもマスコミは号外出して謝ってないのはなんで? 朝日新聞だって報道してたじゃん。
謝らないのはなんか訳があるの? 民団も新聞社批判しないのはなんで?


http://www5f.biglobe.ne.jp/~asapy/anotoki/asakanto_chousenjinhouka.gif

20 :かわぶた大王ninja:2012/06/13(水) 18:45:46.50 ID:ltlRdOe/0
当時の新聞をネットで閲覧できるというのに、
まだ子供だましの嘘をついてる莫迦がいるのか。

21 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:45:53.63 ID:maTyaoqW0
友好関係は無理だと思う。

24 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:46:36.47 ID:w9Itwj7lO
早い話が

①差別は今もある→ ②就職出来ない→③ 生計保障しろ!→④在日特権継続ゲット

59 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 18:58:14.31 ID:a+HM366W0
ロス暴動でも韓国人は襲われました。それはあまりにも韓国人がひどい奴らだったからです。めでたしめでたし

66 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 19:02:13.92 ID:uEKCkhnU0
実際あいつら治安が悪化するとすぐ暴行・略奪するからな
過剰反応しても仕方ないだろ

83 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 19:12:42.68 ID:lyLVQQci0
>迫害・虐殺の主体として自警団だけではなく、初めて軍隊や警察の存在を明確にし、

え?、これはどうすんの? 整合性がとれんよ? 無かった事にするのw?

【神奈川】関東大震災:虐殺から300人守り感謝状 当時の鶴見署長、朝鮮人から〔08/31〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156990997/

92 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 19:19:43.82 ID:t4IXI5/00
●不逞鮮人各所に放火
 
 http://image.blog.livedoor.jp/otsu3/imgs/6/1/6152aea9.JPG

●不逞鮮人益々拡大
 
 http://image.blog.livedoor.jp/otsu3/imgs/1/4/141a8005.JPG

●震災の混乱に乗じ、鮮人の行った兇暴
 
 http://image.blog.livedoor.jp/yorogadi/imgs/f/2/f27d67cf.jpg

●鮮人浦和高崎に放火
 
 http://blog-imgs-24.fc2.com/k/o/r/koramu2/20090610103544728.png

●不逞鮮人一千名と横浜で戦闘開始 ※日本人は武器を持つことを禁止されていました
 
 http://blog-imgs-24.fc2.com/k/o/r/koramu2/20090610103425a5f.jpg

●屋根から屋根へ鮮人が放火して回る
 
 http://blog-imgs-24.fc2.com/k/o/r/koramu2/20090610103508f25.png

312 :名無しさん@13周年:2012/06/13(水) 21:42:21.51 ID:lyLVQQci0
【教育】神奈川では在日韓国人や左翼グループが暗躍…育鵬社教科書採択、目立つ教師らの妨害、沖縄のメディアも糾弾キャンペーン[9/2]
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/news4plus/1314968692/
【神奈川】中学校の教科書採択めぐり在日韓国人らが横浜で集会 「断固阻止する」 [06/05] ★2
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/news4plus/1307325579/

【民団新聞】 赤坂憲雄教授「在日韓国人の3・11体験…東北地区で関東大震災のような不幸なできごとが起こったのか、ぼくは知りたい」

朝鮮人が暴徒となって放火ー関東大震災時の報道
関東大震災:虐殺から300人守り感謝状 当時の鶴見署長、朝鮮人から
【書評】『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』ー 震災に乗じて襲来した朝鮮半島のテロ集団の実態
阪神大震災のとき、北朝鮮工作員?の武器見つかる
関東大震災の朝鮮人犠牲者、後世の記憶に「追悼碑」建立へ

育鵬社採択、目立つ教師らの妨害 メディアも糾弾キャンペーン 在日韓国人らが暗躍
教科書検定:撤回を 市民団体「違法な政治介入」愛媛
中学校の教科書採択めぐり在日韓国人らが集会 横浜


ロス暴動ー韓国人は何故襲撃されたのか?
【米国】 ダラスの黒人社会で反韓感情激化、暴力事態憂慮~韓人店主の「アフリカに帰れ」発言



関東大震災 - Wikipedia
流言飛語と虐殺事件
朝鮮人が暴徒となって放火していると伝える大阪朝日新聞(1923年9月3日号外)

デマを流す事・者に対して警告する警視庁のビラ

記事差し止め解除を受けて朝鮮人の事件を伝える東京時事新報(1923年10月22日)

加藤友三郎内閣総理大臣が8月24日(震災発生8日前)に急逝していたため、地震発生時及びその後は内田康哉が内閣総理大臣臨時代理として職務を代行した。

当時電話は一般家庭に普及しておらず、ラジオ放送の実用化はこの直後、大正末期のことであり(ラジオ#日本初のラジオ放送)、通信、報道手段としては電報と新聞が主なものであった。しかし、東京にあった新聞社は地震発生により活字ケースが倒れて活字が散乱した事で印刷機能が崩壊し、更に大火によって東京日日新聞・報知新聞、都新聞を除く13社は焼失し、最も早く復旧した東京日日新聞が9月5日付夕刊を発行するまで報道機能は麻痺した。通信・交通手段の途絶も加わって関東以外の地域では伝聞情報や新聞記者・ジャーナリストの現地取材による情報収集に頼らざるを得なくなり新聞紙上では「東京(関東)全域が壊滅・水没」、「津波、赤城山麓にまで達する」、「政府首脳の全滅」、「伊豆諸島の大噴火による消滅」、「三浦半島の陥没」などと言った噂やデマとされる情報が取り上げられた[5]。

こうした情報の中には、当時日本植民地であった朝鮮人が「暴徒化[6]した」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というものもあった。流言の数々が9月2日から9月6日にかけ、大阪朝日新聞、東京日日新聞、河北新聞で報じられており、大阪朝日新聞においては、9月3日付朝刊で「何の窮民か 凶器を携えて暴行 横浜八王子物騒との情報」の見出しで、「横浜地方ではこの機に乗ずる不逞鮮人に対する警戒頗る厳重を極むとの情報が来た」とし、3日夕刊(4日付)では「各地でも警戒されたし 警保局から各所へ無電」の見出しで「不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとするの模様あり・・・」と、警保局による打電内容を、3日号外では東朝(東京朝日新聞)社員甲府特電で「朝鮮人の暴徒が起つて横濱、神奈川を經て八王子に向つて盛んに火を放ちつつあるのを見た」との記者目撃情報が掲載されている。

こうした情報の信憑性については、早くも2日以降、官憲や軍内部において疑念が生じ始め、2日に届いた一報に関しては、第一師団(東京南部担当)が検証したところ虚報だと判明、3日早朝には流言にすぎないとの告知宣伝文を市内に貼ってまわっている[7]。5日になり、見解の統一を必要とされた官憲内部で、精査の上、戒厳司令部公表との通達において

“ 不逞鮮人については三々五々群を成して放火を遂行、また未遂の事件もなきにあらずも、既に軍隊の警備が完成に近づきつつあれば、最早決して恐るる所はない。出所不明の無暗の流言蜚語に迷はされて、軽挙妄動をなすが如きは考慮するが肝要であろう ”

と公表[8]。「朝鮮人暴動」の事実を肯定するも流言が含まれる旨の結論が出された。8日には、東京地方裁判所検事正南谷智悌が一部流言内容を否定する見解を公表、併せて「(朝鮮人による)一部不平の徒があって幾多の犯罪を敢行したのは事実である」とし、中には婦人凌辱もあったと談話の中で語った[9]。一部の流言については、1944年(昭和19年)に警視庁での講演において、正力松太郎も、当時の一部情報が「虚報」だったと発言している[10]。

また、震災後は事態の混乱を防止する為、当局により朝鮮人犯罪に対する報道規制が10月20日まで続けられた。10月20日以降は当局による記事差し止めが解除され、朝鮮人による日本橋の大倉倉庫への放火や、四つ木での少女輪姦殺人・ピストルによる銃乱射等、朝鮮人犯罪者が実名で改めて報じられた。[11]
一方、過去数多く繰り返されてきていた朝鮮人の暴動・襲撃はこの際においても事実であり、台風の時期及び、震災の年の11月に予定された摂政宮(昭和天皇)御成婚式を標的にテロを計画していた集団が、予想外の震災を前にしたため前倒しで騒擾を企てたものであって、それに対する自警団の組織化と防衛は正当だったとし、その後、過剰な排撃による社会混乱を恐れた後藤新平ら治安筋が、暴動自体は事実だとしながらも、事態の収束を図ろうと報道統制に入ったもので、また、善良な朝鮮人が巻き添えになった事実はあるが、被害数は誇張された政治プロパガンダにすぎないという分析もある[2]。

警視総監・赤池濃は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して」内務大臣・水野錬太郎に「戒厳令の発布を建言」した。これを受けて内務省警保局(局長・後藤文夫)が各地方長官に向けて以下の内容の警報を打電した。

“ 東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし ”

更に警視庁からも戒厳司令部宛に

“ 鮮人中不逞の挙について放火その他凶暴なる行為に出(いず)る者ありて、現に淀橋・大塚等に於て検挙したる向きあり。この際これら鮮人に対する取締りを厳にして警戒上違算無きを期せられたし ”

と“朝鮮人による火薬庫放火計画”なるものが伝えられた[12]。

実際、当時の混乱の中、大衆の多くが“暴徒と化した朝鮮人”を恐れ、自警団との衝突も発生した。そのため、朝鮮人や中国人なども含めた死者が出た。朝鮮語では語頭に濁音が来ないことから、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として暴行、殺害した[13]。朝鮮人かどうかを判別するために国歌を歌わせた[14]、警官手帳を持った巡査が憲兵に逮捕され偶然いあわせた幼馴染の海軍士官に助けられたという逸話もある[15]。千田是也は、自身が朝鮮人と間違えられ、危うく殺されかけた経験から芸名をつけている(「鮮(朝鮮人)だ、これは」という自警団の言葉から取られているとも「千駄ヶ谷のコリアン」を自称したためとも言う)。当時早稲田大学在学中であった後の大阪市長中馬馨は、叔母の家に見舞いに行く途中群集に取り囲まれ、下富坂警察署に連行され「死を覚悟」する程の暴行を受けたという[16]。また、福田村事件のように、方言を話す地方出身の日本内地人が殺害されたケースもある。聾唖者(聴覚障害者)も、多くが殺された[17]。

一方で横浜市の鶴見警察署長・大川常吉は、保護下にある朝鮮人等300人の奪取を防ぐために、1000人の群衆に対峙して「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。この大川を殺してから連れて行け。そのかわり諸君らと命の続く限り戦う」と群衆を追い返した。さらに「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」と言って一升ビンの水を飲み干したとされる[18]。また、軍も多くの朝鮮人を保護した。当時横須賀鎮守府・野間口兼雄長官の副官だった草鹿龍之介大尉(後の南雲機動部隊参謀長)は「朝鮮人が漁船で大挙押し寄せ、赤旗を振り、井戸に毒薬を入れる」[5]等のデマに惑わされず、海軍陸戦隊の実弾使用申請や、在郷軍人の武器放出要求に対し断固として許可を出さなかった[14]。横須賀鎮守府は戒厳司令部の命により朝鮮人避難所となり、身の危険を感じた朝鮮人が続々と避難している[19]。

殺害された人数は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、当時の政府(司法省)の調査では233人、吉野作造の調査では2613人余[20]、最も犠牲者を多く見積もる立場からは6661人(上海の大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査)[21]と幅が見られる[22]。内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった[22]。

また警察は、朝鮮人や中国人などを襲撃した日本人を逮捕している。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名に及んだ。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、福田村事件では実刑となった者も皇太子(のちの昭和天皇。当時は摂政)結婚で恩赦になった[23]。“自警団”が本格的に取り締まられるようになるのは10月、解散が命じられるようになるのは11月のことである。

政府はこうした混乱の拡大を防ぐため、朝鮮人が起こした事件の報道を一定期間禁止した[24]。10月21日に差し止めが解除されると翌10月22日から震災当時の朝鮮人による事件が報道されるようになった[24]。10月21日の時点では、すでに取り調べが終わり起訴された朝鮮人による事件は十数件に上り、その他に治安警察法違反・窃盗・横領で起訴された朝鮮人が23人いた[24]。


地震の混乱で発生した事件


政府による記事差止めが解除されたことを受けて事件の正体を報じる10月22日付東京時事新報[21]

9月2日午後11時、下江戸川橋を破壊中の朝鮮人を警備中の騎兵が射殺[26]。9月2日午後11時、南葛飾郡でこん棒などで武装した30人の朝鮮人が砲兵第七連隊第一中隊長代理砲兵中尉高橋克己のオートバイを包囲したが中尉は脱出に成功した[26]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD


【書評】『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』ー 震災に乗じて襲来した朝鮮半島のテロ集団の実態






【高知】 「県内各地で、ご神木など大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。いったい誰が、何のために…謎は深まる」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339341979/-100

2012年06月10日07時59分
いつごろ、何で読んだのかは忘れてしまったが、米国の初代大統領ジョージ・ワシントンの少年時代の話は記憶の底に残っている。桜の木を切り、怒った父親に「自分がやりました」と正直に告白、逆に褒められたという逸話だ。

多くの人々の心を打った誠実な少年の話は、いまでは伝記作家の創作とされている。それでも先年、ワシントンが少年時代を過ごした住居跡が発掘された際、桜の木の切り株を捜したのは、神話が生き続けている証しといえる。

県内各地で、クスノキやヒノキ、スギの大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。ワシントン少年はおのを使ったが、こちらはドリルで根元に十数カ所の穴を開け、薬剤を注入するという悪質さ。樹木医の懸命の治療でも回復しなかったようだ。

神社の「ご神木」として、地域の住民らに古くから親しまれてきた大木も含まれている。「罰当たり」というほかないが、手間をいとわない周到な手口からみて、単純ないたずらとは考えにくい。いったい誰が、何のために…謎は深まる。

日本樹木医会県支部はボランティアの協力を得て、早急に見守り体制をつくるという。広い県土ゆえに難しさはあるだろうが、地道な努力が再発防止につながればと願う。むろん、警察の捜査にも期待したい。

大地に根を張った巨木は、その地域の自然や歴史などを体現したような存在だろう。これ以上、悲しませないで。

http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=289484&nwIW=1&nwVt=knd


高知県内数か所の神社で、いずれも樹齢数百年の御神木がドリルで穴を開けられ、毒薬注入により人為的に枯死
http://www.dailymotion.com/video/xqw97k_yyyyyyyyyyyyyyy-yyyy_news?search_algo=1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18036628

★和歌山県で同じ手口の事件
和歌山県で神社と共に世界遺産に登録された御神木が高知県の事件と同じ手口で薬剤を注入され殺された事件
【世界遺産】樹齢150年以上の杉に除草剤 幹に穴を開けられ…和歌山 
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1150344107/


脱税目的で京都の神社を乗っ取り! 宮司を強迫、韓国人を新役員に、社務所や鳥居を撤去








神になった日本人巡査…森川清治郎(1861~1902)台湾・嘉義
写真副瀬村にほど近い嘉義市の富義宮で例大祭のため義愛公の神像を祭壇に置く信者たち。約40年前、富安宮から分祀された

 人口約2000人の台湾中部・嘉義県東石郷副瀬村。道教廟(びょう)「富安宮」に、「義愛公」という神が祭られている。剣を手に警察の制服姿で鎮座するこの神は、日本統治時代、村の派出所に一人、勤務した森川清治郎巡査だ。

 半農半漁の貧困村で森川は、警察の任務の傍ら、無償で子どもたちに学問を教え、農業指導もした。同村出身で義愛公信仰を研究する虎尾科技大学(雲林県)助手、黄国哲さん(29)によると「謹厳実直で、義理堅く、また人情も厚く、村民の敬愛を集め、村に溶け込んだ」。

 だが、誠実な性格ゆえ、自ら人生を閉じることになる。1902年、台湾総督府は漁業税徴収を始めた。貧しい村民に支払いは無理と考えた森川は、地方官庁に出向き、税の軽減を請うた。しかし、官庁の責任者から「警官でありながら、村民を扇動するつもりか」と叱責を受け、戒告処分に。森川は村民にいたらなさをわび、数日後、朝の巡回を終えると火縄銃をノドに当て、足で引き金を引いた。

 義愛公信仰はそれから21年後に始まる。当時の村長、李九が、「夢枕に森川が立った」と証言した。

 「私を義愛公と名付け祭るがよい。村を守り、村民を病から救おう」――。ペストが猛威を振るった時期。李九は、いくつかの具体的予防策を告げる森川の声を聞いた。李九は富安宮内に義愛公を祭り、村全体でお告げを守った。近隣地域に多くの死者が出たが、村には罹患(りかん)者がほとんど出ずに済んだ。

 義愛公は病の治癒などで霊験を現し始める。李賊という農民が神がかりとなり、義愛公のお告げを伝える「タンキー」(霊媒師)となった。難病はもちろん、風邪の治療も「神頼み」。富安宮でお祈りすると、義愛公が李賊にひょう依し、薬の処方を書く。信者は漢方薬店で薬をもらう。

 村の出身で現村長の林泰平さん(68)は「李賊が亡くなる約40年前まで、義愛公に薬を処方してもらう人が大勢いた。7~8割の病が治った」と話す。

信仰に衰えなし
写真廃虚として残る李九・副瀬村元村長の家。義愛公信仰の発祥地だ

 医学の発達、地域医療サービスの充実で、義愛公に薬を請う人は少なくなったが、信仰に衰えは見られない。旧暦4月8日に執り行われる例大祭は村民挙げてのイベントだ。また、義愛公は村ゆかりの者により、周辺地域や南部・高雄、北部・新北市など10か所以上に分祀(ぶんし)されている。うち2か所にタンキーがいる。

 信者と義愛公の距離は近い。信者たちは、ポエという三日月形の木片二つを使う、道教独特の占いで、日常的に就職、縁談、受験などの相談を持ちかけ、時には商売、バクチでの一もうけについても伺いを立てる。虫のいい「神頼み」も許してくださる。そんな気安さが、今も人の心を引き付ける。

 そして信者は口をそろえる。「すごく霊験あらたかなんです」(文と写真 源一秀)

森川清治郎
 甲府市生まれとされる。1897年に渡台。妻子を残し自決するまでのほとんどを、嘉義県東石郷副瀬村で巡査として勤務する。道教では、関帝など人間が神となった例はあるが、森川のように近代の人物がまつられるのは異例。ただ、台湾では、植民統治時代の日本人が神となった例は、ほかにも見受けられる。

(2012年6月8日  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/trip/earth/20120601-OYT8T00691.htm

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