サハリン残留韓国人の半数、日帝の第2次大戦中に虐殺された可能性 があるニダ!

2012年08月14日 | 支那朝鮮関連
日本がサハリンで韓国人虐殺=露政府報告書
2012年08月14日17時55分

  【ソウル聯合ニュース】韓国の国家記録院は14日、ロシア・サハリンの国立文書保管所から入手した1946年のロシア政府の報告書を公開した。

 報告書によると、第二次世界大戦前、サハリンの北西部に住んでいた韓国人は1万229人だったが、戦後は5332人と半減した。ロシア政府は避難や帰還、日本による虐殺を理由としている。

 建国大学のハン・へイン教授によると、報告書はロシア政府がサハリンを占領した後に記録したもの。「戦時中の敵軍に関する情報のため、誇張された可能性はあるが、韓国人減少の理由に日本軍の虐殺を挙げたのは確か」と説明した。

 これまでは1945年8月21~23日に妊婦や子どもを含む46人を殺害したことが明らかになっている。今回の公開により、追加調査や日本への補償要求などが強まるとみられる。

 国家記録院はロシアと日本などに強制動員された約1万2000人の名簿や手紙、家族関係、帰還などに関する記録も確保した。これまで公開された名簿の3~4倍規模に当たる。手紙や家族関係は遺族への補償の根拠になるという。

 韓国政府機関「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」などによると、現在までサハリンへの強制動員で補償を申請した件数は2225件。このうち、補償金の支給が決まったのは1292件にすぎない。

 日本政府は強制動員者数は数千人程度と主張しているが、韓国では最大8万人に上るとみている。今回入手した報告書では、日本がサハリンに強制動員した韓国人は2万2817人としている。

 ハン教授によると、強制動員者の名簿の一部が確認されたことはあるが、手紙や家族関係などが網羅された資料を入手したのは初めてという。

http://japanese.joins.com/article/544/157544.html?sectcode=&servcode=




サハリン残留韓国人の半数、日帝の第2次大戦中に虐殺された可能性
2012年08月15日15時29分
写真サハリン残留韓国人の虐殺の可能性を書いた報告書。

  日本が第2次世界大戦中にサハリンに居住していた韓国人を大量虐殺した可能性が記された旧ソ連(ロシア)政府の1940年代の報告書が初めて公開された。また日帝強占期にサハリンに強制動員された韓国人1万2000人の名簿と家族関係関連の記録も確保され、サハリン強制動員関連の補償請求の裏づけになる見込みだ。今回の記録は、これまで公開されていたサハリン残留韓国人の強制動員名簿の3、4倍の規模だ。

  国家記録院は14日、ロシア・日本などで確保された解放前後のサハリン残留韓国人関連の貴重な資料を公開した。サハリン残留韓国人についてのソ連政府公文書、強制労役に動員された韓国人の作業姿が移っている写真、サハリン残留韓国人名簿などが含まれている。このなかで、ロシア・サハリンの国立文書保存所から入手した1945年のソ連政府の報告書の草案によると、第2次世界大戦前にはサハリン西北部の恵須取地区に1万229人の韓国人が暮していた。しかし戦後は5332人しか残らなかった。ソ連政府は報告書で、韓国人が減少した理由として避難や引揚げなどのほかに、日本による虐殺の可能性を見ている。

  建国(コングク)大のハン・ヘイン教授は「該当の報告書の草案は、ソ連政府がサハリンの占領後に記録したもの」とし「戦時中の資料で敵軍関連の情報なので誇張された可能性はあるが、人口減少の原因として日本軍の虐殺の可能性を記したことは明らかだ」と述べた。

  国家記録院のキム・ガブソブ記録管理部長も「サハリン地域から引き揚げた人々による日本軍の虐殺の証言は数多くあったが、これまでその根拠が不十分だった」とし「外国政府の報告書に関連事実が適示されていたという点に意味がある」と説明した。また一級秘密文書に分類された1949年のソ連文書には、ソ連政府が1945年8月以降、クリル(千島)地域の韓国人をサハリンに移住させて一括統制していた内容が含まれている。ソ連内でサハリン残留韓国人の引揚げ問題に言及することを禁ずる内容を記した“報道指針”(1952年)もあわせて公開された。これらの資料は19日まで「凍土で見つけた痛恨の記録」というテーマで、ソウル歴史博物館に展示される。

http://japanese.joins.com/article/576/157576.html?servcode=A00§code=A10

【韓国】「日本に対抗できる証拠集めが重要」 韓国政府機関
【国際】日本がサハリンで韓国人虐殺=ロシア政府報告書

【韓国】サハリン残留韓国人62人 韓国に永住帰国へ、日本植民地時代に強制動員



樺太の戦い (1945年) - Wikipedia

8月15日、ソ連軍は警備艦1隻・機雷敷設艦1隻・輸送船2隻・小艦艇多数を、ソヴィエツカヤ・ガヴァニから4波に分けて出撃させた。16日早朝、第365海軍歩兵大隊と第113狙撃旅団第2大隊が、艦砲射撃と海軍機の援護で塔路港に上陸を開始した。塔路の町は焼失し、守備の1個小隊は壊滅した。阿部庄松塔路町長(義勇戦闘隊長も兼務)らは、すでに終戦であるからとソ連海軍歩兵との停戦交渉に向かったが、武装解除と住民の呼び戻しを要求されて人質に取られ、まもなく処刑された。上恵須取へ避難する民間人は、無差別な機銃掃射を受けて死傷者が続出した[29]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1945%E5%B9%B4)




樺太の朝鮮人を襲った悲劇とは

「サハリンの朝鮮人急減は日本軍による虐殺が原因」…旧ソ連の公文書公開
「瑞穂では無差別に刃物で刺し、数十人を皆殺しに」…2009年に韓国に帰国した人物が証言
虐殺犠牲者の正確な人数把握には、さらなる文書が必要

 韓国の国家記録院は14日「今回収集した1946年の旧ソ連中央党の報告書によると、日本政府のサハリン強制動員者は2万2817人と記録されている」と発表した。これらの朝鮮人は、主に鉱山、材木の伐採地、建設現場で労働者として働いていた。これまでサハリンの韓国系住民からは「父親や親族が日本軍によって殺害された」という証言が広く聞かれていた。当時、日本の軍人や警察は、終戦を迎え朝鮮に戻ろうとした朝鮮人たちに、銃剣を突きつけた。

 1940年から旧樺太で生活し、2003年3月に韓国に帰国したキム・スヨンさん(73)は14日、本紙のインタビューに対し「エストル(恵須取。現在のウグレゴルスク)地域では45年ごろ、5人家族がトラックに乗ってサハリン南部に移動する途中、日本軍に銃で撃たれて皆殺しにされたという話を聞いた」と語った。1945年に朝鮮に戻ったキム・ギョンスンさん(84)は「終戦後、サハリンから朝鮮に戻ろうとして、兄と父を失った。日本の警察が、朝鮮に戻ろうとした父と兄を警察署に連れて行き、銃弾を浴びせ、警察署を焼き払ったと聞いた」と証言した。

 当時、旧樺太では日本人が、敗戦の責任を口実に朝鮮人を虐殺したとされる。サハリンで生まれ育ち、2010年に韓国に帰国したイ・テヨプさん(74)は「トルという場所で、“かまた”という日本人警察官が農家を襲い、20代の男性とその父親の腹を日本刀で斬った上、近所の若い夫婦も斬り殺したという話を聞いた」「日本の警察は、殺害した人々に対し“ソ連のスパイではないか”と言いがかりをつけた」と語った。

 2009年に韓国に帰国したパク・ノヨンさん(76)は「瑞穂という場所では、女性・子どもを問わず家族を刃物で刺して数十人を皆殺しにしたという話を聞いた」「幼いころに聞いたので、それほど怖くはなかった。瑞穂のほかにも3、4カ所で虐殺があったという話を聞いた」と話した。瑞穂(清水村瑞穂。現在のポジャルスコエ)事件は、朝鮮人のスパイ行為が原因で日本軍が敗北したと考えた青年団や在郷軍人会所属の日本人が起こしたものだ。同年帰国したイ・ボンヨルさん(71)は「日本人は、銃剣で刺し殺した後、遺体を1カ所に積み上げて焼いたり、穴に埋めるなどして処分したと聞いた。殺した理由は、朝鮮人がソ連の手先になったため、戦争に負けたというものだった」と語った。

 日本の敗戦後も、強制徴用者の2世たちの暮らしは悲惨だった。09年に韓国に帰国したパク・イルソプさん(73)は「44年に炭鉱が崩れ、作業服姿のまま血まみれになった父が背負子(しょいこ)で運ばれてきたが、2カ月苦しんだ末に結局亡くなった」「母も病死し、11歳のころから材木の伐採地で働いた」と語った。パクさんは、月給もなく、パン一切れを昼食に、木を伐採して運ぶ仕事を続けたという。

 韓国外国語大学のパン・イルグォン研究教授は「ロシア(旧ソ連)の文書を通じ、民間人虐殺が広範囲に行われていたという証拠が明らかになったが、虐殺被害者の数については、さらなる文書の入手が必要」と語った。

 首相室所属の「対日抗戦期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」は昨年1月、サハリン強制動員真相報告書を発表した。この資料によると、45年の終戦当時、南樺太に住んでいた朝鮮人は約4万3000人で、強制労働に動員された朝鮮人男性の数は3万-3万4000人と推定されている。朝鮮人を動員した企業は主に、三菱、三井、王子製紙、日鉄などだった。国家記録院は、日本軍による旧樺太朝鮮人虐殺に関する文書と共に、強制動員された朝鮮人約1万2000人の名簿や写真、家族に関する記録を入手した。これらの資料は、サハリン強制動員被害者の補償申請の根拠として活用される予定だ。




イ・ジウン記者、イ・ジョンウォン記者

朝鮮日報 記事入力 : 2012/08/15 13:24
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/15/2012081500919.html





サハリン残留韓国人問題「政治利用こうして始まった」 元支援会会長が指摘

 ーー「韓国人4万3千人がサハリンに強制連行されて戦後置き去りにされた」との主張もあった

 「戦前戦中を通し、サハリンは暮らし向きが内地よりよく、給料も高かったため、自ら渡ってきた韓国人がほとんどだ。『強制的』といえるのは終戦直前に徴用された少数だけ。『4万3千人』という数字も、戦後にソ連の友好国だった北朝鮮から来た労働者らが含まれており、根拠はない」

 ーー日本の責任は

 「まったくない。日本が帰そうと思っても、ソ連が労働力が必要だとして帰さなかったのだから。ソ連には、韓国と対立していた北朝鮮を刺激したくないとの配慮もあった。韓国の家族との再会のためにサハリンから日本に呼び寄せた韓国人が、韓国大使館で『なぜ今まで自分たちを放っていたんだ』と訴えたこともある。韓国人には韓国政府を批判する人が多かった」





特集「こんなものはいらない」
果てしなき韓国への補償――ハンセン病患者にも
「正論」2006年5月号

 ☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から。

 四月号、豊中市の辻孝次さんへ。

 一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を述べさせていただきます。

 私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国に集団永住帰国するというニュースのなかでの解説とおもわれます。

 ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のための移住、という首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになってしまった背景には、つぎのようなことがあると考えております。

 それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を捏造してしまったことが原因です。

 その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制連行されて行った人々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてきた」と主張し、その責任として日本政府から多額(数十億円)の補償金を拠出させています。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国するサハリン残留韓国人一世夫婦約千人が三月までに入居することになりました。

 しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それは百人にも満たない数です。

 終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。

 それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分は一九三〇年代にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働させられてきた人たちの子孫です。

 ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業ですが、その対象となる人は、終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外の地にいた人でも一九四五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前からこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への一時帰国(里帰り)事業には、明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の新聞記事で確認しています。

 そこで、ご質問の(二)について考えられることは、現在、大陸に居住している朝鮮族のために置かれているとみられる「ハバロフスク離散家族会」というのがありますが、そこで扱った帰国者のなかに、ソ連による沿海地方から大陸への「強制移住者」が含まれていたことから、このような誤報がなされたのではないかということです。

 (一)についていえば、以上のようにサハリン在住韓国・朝鮮人の由来が意図的に歪められたり、また他でも韓国には謝罪と補償を繰り返していることから、朝鮮半島は条約によって日本と併合されたという基本的な認識がだんだん薄れてきているからなのでしょう。NHKに限らず、あらゆる報道機関で、この「サハリン韓国人問題」を正しく理解し報道しているところは、いまのところ産経新聞以外にありません。

 長い間彼らが帰れなかった理由は、冷戦時代の国際情勢によるもので、日本国にはなんら責任はありません。とはいえ、戦中戦前から樺太にいた韓国人でいま身寄りもなく、故郷に帰りたいという人がいるならば、人道的な見地から援助の手をさしのべるのにやぶさかではありませんが、実際は、その他の人たちにも無制限に日本の国費で援助しているというのが現実で、そのためいろいろな弊害が出ています。

 以上「サハリン韓国人問題」の間違った解釈は、困ったことに「広辞苑」などの辞典や教科書にも書かれて、既に定着しています。

 詳しくは拙著「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)をご参照頂ければ幸いです。

 ☆編集者から=新井さん、お久し振りです。じつは新井さんのコメントを心待ちしていました。ありがとうございました。

月刊「正論」
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/reader/05-r1.html

サハリン残留韓国人への支援問題 理由見えず…いつまで続く 総額六十億円以上
【深層真相】「在サハリン韓国人」理由なき支援 続く予算拠出
サハリン同胞600人余り、来月から韓国移住~日本政府が280万ドル支援
サハリン同胞120人、日本政府に対し被害補償求め訴訟
”仕分け”されても何故か蘇った 「鳩山・仙谷」案件の『在サハリン韓国人支援共同事業』
サハリン残留韓国人問題「政治利用こうして始まった」 元支援会会長が指摘
サハリン残留韓国人って? 多くの国民が知らないまま、巨額の血税がつぎ込まれてきた“デタラメ人道支援”




目撃談・サハリン残留韓国人VS的場官房副長官
  
 昨日、たまたま本屋で的場順三官房副長官の著書「座して待つのか、日本人」が目にとまり、買いました。平成12年7月に初刊発行なので新しい本ではないのですが、的場氏が安倍内閣の官房副長官に抜擢されたこともあり、再びクローズアップされたようです。

 安倍首相は、事務方の官房副長官(全官僚のトップ)は厚生省や自治省など旧内務省から出すというこれまで連綿と続いてきた霞ヶ関のルールを打ち破り、大蔵省出身で元国土庁長官、民間経験の長い的場氏を副長官につけました。

この人事には、安倍首相が女系天皇実現を強引に進めようとした古川元副長官(旧厚生省出身)や、中国にハニートラップをしかけられた上海総領事館員の自殺を小泉前首相に知らせなかった二橋前副長官(旧自治省出身)に不信感を募らせていたという背景があります。一方、的場氏は安倍首相の父、晋太郎元外相時代からの付き合いとあって、気心が知れていたということもあるでしょう。

それでここからが本題ですが、今回、的場氏の本を読んでいると、サハリン(樺太)でのエピソードが紹介されていました。「朝鮮系ロシア人の言いがかり」という見出しがついていて、次のように書かれています。

《カムチャッカとサハリンの視察に行った折、朝鮮系ロシア人と出会った。このとき、彼らがサハリンに置き去りにされたのはすべて日本政府の責任で、いまでも日本政府は彼らに対して責任を負うべきだと高圧的な感じで迫ってきた。一緒に行った人たちに著名な評論家が多かったためか、雑誌や新聞に彼らの主張を掲載して、そのコピーを送れと要求された》

実は、私はそのときの視察団(日本財団主催)の末席に連なっていました。著名な評論家とは、田久保忠衛氏、屋山太郎氏、日下公人氏らのことです。ですから、この朝鮮系ロシア人との会話もだいたい覚えています。私は平成10年8月に書いた連載記事「日露共生(5)」の中で、こんな風に書いています。

《一方、日本サハリン州経済開発促進協会の趙応奎さん(六五)によると、韓国人は南樺太が日本領となった日露戦争後の一九〇五年ころからサハリンに移り住み始めたという。「戦前の樺太は豊かで、うちは祖父が自分で樺太に渡り、養狐場をやっていた。戦後は、ソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」

 この地に来た韓国人には、(1)戦前戦中の出稼ぎや自由募集、または日本による徴用(2)戦後、友好国の北朝鮮からの労働力募集(3)スターリンの命令で沿海州から中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに強制移住させられていて、共産主義指導のため再び移された-の三通りがある。

 南部の港湾都市、コルサコフ(旧大泊)の市場で働く韓国人女性(七〇)は、日本名「山下花子」と名乗り、話しかけてきた。

 「来年三月、五百世帯が韓国に引き揚げるんだよ。今、日本の援助で韓国に家を建てているんだ。一時帰国で見に行ったけどなかなかいい家で、私もここ生まれだけど引き揚げる」

 「山下さん」がいう一時帰国とは、日本政府が平成元年から毎年、一億二千万円前後の支援をしている事業を指す。また、政府は「自社さ」連立の村山内閣時代の平成七年、“人道的見地”から二十七億円以上かけて韓国・ソウル郊外に永住帰国者のため五百戸のアパート建設を計画、今年十二月に完成する予定だ。居住の条件では、日本の徴用でサハリンに来たかどうかは問われない。

 ただ、こうした善意の支援は「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているからだ」(サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長)と受け止められ、新たな要求の根拠とされている。


 二世であるパク会長は、「ロシア経済は悪く、裕福な韓国に戻りたい人が増えている。日本が何もしていないとは言わないが、もっと帰国支援をすべきだ」と憤まんをぶつけた。》

ここにも村山内閣の後遺症が…という感じですね。的場氏がいう朝鮮系ロシア人とは、このケーレン氏のことです。私は現場で、的場氏が顔を真っ赤にして、ケーレン氏を相手に正論を力説する姿を見ています。そのときに私は、この人は割と信用できるなと感じたのを覚えています。的場氏は著書の中で次のように書いていますが、ケーレン氏にも同様の説明をしていました。

《少なくとも韓国との話し合いはすでに済んでいる。1965(昭和40)年に日韓基本条約を結び、外貨準備が少なく、まだ日本人がそれほど豊かではなかった時代に8億ドル以上(政府無償贈与3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル以上)もの実質的な賠償を払っている。今の経済力でみれば小さい金額と言えようが、払った時代から言えば大変な額を払った。》

また、ソ連と北朝鮮政府との間で協定を結んで、労働力不足のために送り込んだ人たちに関しては、われわれには何の責任もない。それは北朝鮮とロシア政府が責任を負うべきものである。いわんや、スターリンが中央アジアで共産主義教育をして送り込んできた人たちに対しては、日本が負うべき義理はまったくない。

こうした的場氏を中心とする視察団の反論に対し、日本人たちからの反論が珍しかったのか押され気味のケーレン氏が繰り出してきたのが、「でも、日本の著名な弁護士であるT氏がもっと日本政府から賠償を取れると話していた」という内容の言葉でした。T氏は、人権派弁護士として慰安婦訴訟などにもかかわっているある種の有名人です。

私はその数年前、インドネシアで慰安婦問題の取材をしている際にも、現地の人から「T弁護士の指示に従った」と聞いたことがあったので、「ここでもTか!」と驚きました。インドネシアでのエピソードについては、拙ブログの7月9日のエントリ「火のないところに火をつける人たち」に書いていますので、関心のある方はご笑覧ください。

ちなみに、われわれはケーレン氏にお茶に招かれ、彼の自宅マンションも訪問したのですが、かなり広い部屋を二つぶちぬいた2世帯仕様になっており、サハリンの中ではかなり裕福な部類だったようです。的場氏はケーレン氏について、こうも書いています。

《一番問題なのは、スターリン時代に、北朝鮮の隣の沿海州シベリアにいたロシア語のわからない朝鮮人を再教育する目的で中央アジアに強制移住させ、その人たちがサハリン州政府の要職に就いたことである。(中略)実は、日本政府に責任を取れと言ってきたのは、サハリンの局長クラスをリタイアした後、顧問として残っている彼らの一人だったのである

ともあれ、日本は国外だけではなく、国内にもたくさんの反日勢力を抱えている内憂外患の状態にあると思います。本来なら、心ある保守陣営が相互に批判しあったり、足を引っ張りあったりしている場合じゃないと思うのですが、現実はあまり芳しい状況にはないようです。

この的場氏にしても、私はこのサハリンでの会合以来、「事なかれ主義が多い並のお役人とは違うな」という印象を持っていますし、安倍政権のスタッフの一人ひとりはなかなかたいした人物だと思っています。それでも、歯車がうまく回転しないときがあるのを見るにつけ、「百鬼夜行、魑魅魍魎の跋扈する永田町」というフレーズが思い浮かびます。

すっきりと、小気味よくうまくいくことなんてあまりないなあ。最近、つくづくとそう感じています。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/91573



火のないところに火をつける人たち

 きょうは前回ブログの続きです。10年前、中京テレビが放映した慰安婦特集番組の不自然な字幕について書いた私は、さらに事実関係を検証するためにインドネシアに向かいました。

 インドネシアでは、空港からホテルへと向かう際に、早くも華僑の白タクに引っかかって相場の数倍の料金をとられたりもしましたが、幸運なことに中京テレビの番組で取材協力者と紹介されていた男性通訳、ワヒューさんと接触することができました。

 彼は日本語が堪能で、中京テレビの取材人と20日間にわたって行動をともにしていたそうです。番組は、ジャワ島西部の町、スカブミに元慰安婦たちが日本からの補償を求めて結集した-というシーンから始まるのですが、ワヒューさんによると、実態はこうだったそうです。

 「慰安婦集会はテレビ局の要請で特別に集めたもので、交通費もテレビ局が負担した。奥さんたち(元慰安婦とされた女性たち)はこのとき、『集まるのはもう3回目になるのに、まだお金がもらえない。もういやだ』と怒り出しました」
 「それ以前にも2回、同じような集会が開かれましたが、それは日本人のライター(戦後補償実現市民基金代表)らが『補償問題で日本政府を追及します』と集めたものでした」

 また、首都ジャカルタでニューズ・レターを発行し、現地事情に詳しい元日本兵の石井サトリアさんにも話を聞くことができました。石井さんは、こう証言しました。

 「インドネシアで慰安婦問題が浮上したきっかけは、3年前にやってきた日本の弁護士。彼らは地元紙に『補償のために日本から来た。元慰安婦は名乗り出てほしい』という内容の広告を出した。それまでは、インドネシア人の間で慰安婦について話題になることはなかった」

 当時、元慰安婦女性の登録作業を行うなどの実働部隊を務めていた「元兵補中央協議会」のラハルジョ会長も訪ねて話を聞きました。兵補とは、日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシア人のことです。

 元兵補中央協議会の活動は、もともとは戦時中の兵補の強制貯金の未支払い分に対する賠償要求が目的で、慰安婦とのかかわりは薄かったといいます。そんな彼らがなぜ慰安婦問題に取り組むようになったのか聞くと、ラハルジョさんははっきりとこう答えました。

 「東京のT弁護士の指示を受けて始めた。『早く』と催促も受けた。われわれは元慰安婦に対するアンケートも行っているが、これもT弁護士の文案で作成した」

 T弁護士は有名な方で、当時、「従軍慰安婦訴訟」にかかわり、戦後補償関係の著書もある人です。

 T弁護士に帰国後、電話でコメントをいただこうとしたところ、いきなり「産経には日頃から不満がある。訴えてやろうか」と脅かされました。ただ、私がラハルジョさんに直接会って話をしてきたと言ったところ、慌てた様子で「えっ…。一度会ってお話がしたい」と下手に出てきました。不思議ですね。

 それはともかく、元兵補中央協議会はT弁護士らの指導に従い、実際には慰安所で働いていない女性も含め、2万人近くもの元慰安婦女性の登録を行い、「1人当たり200万円の補償を要求する」としていました。

 しかし、実際は「登録したら、日本から補償がもらえる。金額がすごいというので盛り上がったが、それまでほとんどの人が慰安婦の存在すら知らなかった」(スカブミでインタビューした青年)というのが本当のようでした。

 2万人という登録者の数について、戦時中のことをよく知る老舗英字紙「インドネシア・タイムズ」の会長に聞いたところ、「ばかばかしい。1人の兵隊に1人の慰安婦がいたというのか。われわれは中国とも韓国とも違う歴史とプライドがある。『お金をくれ』などとは、360年間わが国を支配したオランダにだって要求しない。日本大使館は何をしているのか。日本を理解させようとしていないのではないか」と吐き捨てました。

 日本軍政時代、インドネシアにいた日本人は民間人を含め、多いときで4万5000人ぐらいだったそうです。

 この世の中には、日本を悪者にして、日本を困らせるためには、どんな手段も厭わないという日本人がいる。本当にわけのわからない話ですが、これは確かなようです。そして、世界各地で反日運動を煽っているのも、何割かは日本人自身なのかもしれません。

 実は、このインドネシアで有名だったT弁護士の名前を、それから3年後の平成11年に遠く離れた樺太(サハリン)の地で耳にし、驚いたことがあります。

 ユジノサハリンスクで、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長と話していた際に、パク氏は「日本はもっと韓国への帰国支援をすべきだ」と言い出しました。

 実はサハリン残留韓国人は、日本が徴用で連れてきたというよりも、自分の意思で来た人の方が多いようですが、それはそれとして日本は村山内閣時代に、ソウルに27億円かけて永住帰国者のためのアパートを建てるなど、帰国支援を続けています。

 「韓国人は日韓併合前から、サハリンに移り住み始めていた。戦後は、労働力がほしかったソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」と現地の残留韓国人が教えてくれました。

 ところが、パク氏はこうした善意の支援についても「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているから行われているのだ」と受け止めていました。

 そして、さらなる補償を求める論拠として、パク氏の口から飛び出したのが、またしてもT弁護士の名前でした。

 「東京で、すばらしく大きな弁護士事務所を開いているT弁護士が、日本政府にもっと要求しなさいと教えてくれた。T弁護士のいうことだから、間違いないはずだ」

 なんという反日にかけるエネルギーでしょうか。そら恐ろしい思いがしました。インドネシアとサハリンで私が同じ名前を聞いたということは、このほかの国でもどうようの活動をしている可能性が高いということでしょう。敵は強大です。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/12174/#cmt


「従軍慰安婦」問題(下)
   ~仕掛けられた情報戦争~

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚きつけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやってきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html




【韓国】「ソウル市長候補「祖父に徴用令状は嘘、家族史まで操作、1941年に半島で"強制徴用"はない」[10/12]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1318381676/

パク候補側は先立って、1941年にパク候補の祖父に対する徴用令状が飛んできたが、長男の祖父の代わりに大叔父がサハリンに行ったし、彼の生死が確認されないのでパク候補の親がパク候補を大叔父の養孫として入籍したと説明していた。

シン議員は「初期には日本が韓国人の反発を懸念して国民徴用令を強制施行せず、飛行機の部品および製鉄溶鉱炉製造者、船舶修理工など特集技能を持った人々を日本に移住させる政策を推進したが、それも日本の会社中心の労務動員計画によるものだった」として「1944年8月8日から初めて一般韓国人を対象にした国民徴用令が適用された」と強調した。

彼は「1939年から1941年までは企業体募集、1942年から1943年までは朝鮮総督府斡旋、1944年からは強制徴用形式だった」としながら「パク候補の祖父が1941年に徴用令状を受け取ったというのは偽りの主張であり、大叔父がサハリンに行ったとすれば募集に応じて行ったのであり、兄の徴用令状の代わりに行くということは起きない」と主張した。

「日本に来たがってたの、大勢いたんだ」~大半、自由意志で居住 戦時徴用は245人
パク・チョンヒ元大統領、併合時代に日本人として満州国軍への参加を熱烈に志願 韓国ネチズン衝撃
日本軍の勝利に歓喜する戦前の韓国人は、日本人以上の日本人だった~朝鮮人日本兵 志願者の推移



『日帝の土地収奪』など無かった」「『慰安婦の強制動員』というのは、資料が無い話」

安教授はこの日のインタビューで、慰安婦がいたことを否定する人はないとしながらも、「問題は強制 動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つも ない」として、慰安婦動員の「自発性」を強調した。

安教授はただ、軍が強制動員した可能性があると思って自分は韓国挺身隊問題対策協議会と共同 で調査をしたと明らかにしたうえで、「3年活動してからやめた理由は、彼ら(挺身隊対策協)の目的が 慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだっ たからだ」と主張した。そんな調子の反日運動が今日の私たちにとって何の意味があるのか、という 疑問から挺身隊対策協との活動をやめたということだった。

【韓国】日帝徴用被害者を相手に手数料騙し取る詐欺事件…騙された側も8割が虚言申告
「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発
【韓国】「強制連行されて強制貯金されたニダ! 金をよこせ、カネカネ金庫!」
在米韓国人団体「旧日本軍による戦争被害者を募集します」=韓国






【EU・韓国経済】韓国-EUのFTAによる貿易被害 政府が初認定[08/23]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1345737546/-100

韓国とEU=ヨーロッパ連合のFTA=自由貿易協定により韓国国内業者が被害を受けたという判定が初めて出され、この業者を政府が支援することになりました。
知識経済部の貿易委員会は22日、韓国とEUとの FTAにより、豚肉の輸入が増え、被害を受けたとする全羅北道(チョンラブクド)の豚肉業者の届出を審査した結果、被害が認められるという判定を出しました。
貿易委員会は、FTA発効後、品質はほぼ同じで値段は安いEU産豚肉の市場シェアが高まり、この豚肉業者の売上と営業利益に影響を与えたと判断しました。
FTA発効前の2010年には、韓国産豚肉の市場シェアは84.7%、EU産は5.7%でしたが、FTA発効後の去年は、韓国産は71%に減少し、EU産は12.2%に拡大しました。
知識経済部は、貿易調整支援制度にもとづき、この豚肉業者を近く貿易調整支援対象企業に指定し、支援する予定です。
貿易調整支援制度は、FTAの相手国からの輸入が急増し、深刻な損害をこうむった企業に対し、構造調整などのために融資やコンサルティングなどを支援する制度です。
今回の判定は、韓国とEUとのFTAに対する貿易調整の申請に対して貿易委員会が示した初めての結論で、 これを機に、FTAによって経営に打撃を受けた業者からの支援の要請が相次ぐものとみられます。

KBS: 2012-08-23 11:27:18
http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Ec_detail.htm?No=44983&id=Ec&page=1

関連スレ
【EU・韓国経済】韓・EU間のFTA発効1年間 貿易収支は85%減[07/18] (dat落ち)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1342632542/
ほか






【米韓経済】米でまた韓国企業に先端繊維製品の販売を20年間禁止される厳しい判決 コーロンの繊維技術訴訟[08/31]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1346422533/-100

米でまた韓国企業に厳しい判決 コーロンの繊維技術訴訟

【ソウル聯合ニュース】韓国の化学繊維メーカー、コーロンインダストリーが営業秘密をめぐる米デュポンとの訴訟で敗訴し、米地裁から先端繊維製品の販売を20年間禁止される判決を言い渡された。コーロンインダストリーは31日、判決を不服とし、異議を申し立てる意向を明らかにした。

 米バージニア州の地方裁判所は、デュポンがコーロンインダストリーを相手取りアラミド繊維製品の販売禁止を求めていた訴訟の判決で、コーロンインダストリーが今後20年間、全世界において同製品の生産や販売などを禁じることを命じた。

 コーロンインダストリーは報道資料を通じ、判決は30年間に及ぶアラミド繊維技術開発に向けた同社の努力を台無しにするもので、社員の雇用を奪うと批判した。また裁判は不公平な形で進行され、判決も法律や事実関係に反していると主張し、執行停止仮処分の申請や控訴に向けた手続きを取るとした。

 デュポンはコーロンインダストリーがデュポンの元社員を採用することで、技術を盗みアラミド繊維を開発したとして、訴訟を起こしていた。

聨合ニュース: 2012/08/31 20:48
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/08/31/0200000000AJP20120831005000882.HTML





【モバイル】Apple VS サムソン、特許侵害訴訟の最終弁論概要
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/pcnews/1345620661/
http://www.logsoku.com/r/pcnews/1345620661/

Apple側 最終弁論 抜粋

「デザインに類似性がない」と明言したサムソン側の証人は一人もいません。我々が提出したサムソンの内部資料を目にしたと認めたサムソンの証人は一人もいません。サムソンの幹部は誰一人として、この法定で証言しようとはしませんでした。来たのは弁護士だけです。

サムスンのデザイナーがGalaxy Sのデザインには2・3ヶ月かかったと証言した時、私は椅子から転げ落ちる程の衝撃を受けました。Appleが5年も費やして生み出した革命的製品を、わずか3ヶ月で何のリスクもなしにコピーしてバラマキ始めたという事です。

サムソンがいう3GPPの特許について考えてみましょう。我々はインテルのチップを使っています。インテルはサムソンから、米国内で使用される機器へのチップの供給について、サムソンから特許権の使用許諾をうけています。ここにカリフォルニアとシカゴの受領書があります、サムソンはこの取引が米国内ではないとでも考えているのでしょうか?

サムスンは標準特許に採用される際、自社が保有している知的財産の内容を隠していました。サムスンの証人がなんと証言したか覚えていますか? 「全部公開するのは愚かだ」愚かです、皆さん。ルールに従うことが愚かだと考えているのです。

誰がルールに従っていないか明らかです。サムソンです。我々が勝てばアメリカの特許システムが保護されるでしょう。サムスンの汚いやり方をとめることができます。誰かが手を叩いてやらなければ、彼らがやり方を変えることはないでしょう。

Appleは競争を避けてるわけではありません。公平で公正な競争を望んでいるのです。他人の知的財産を剽窃するのは公平でも構成でもありません。やってはいけないことをやっているのがバレた時、相手を非難することでその場から逃れようとする人がいます。サムスンがやってるのはまさにこれです。

だれもスマートフォンの販売をやめろとは言っていません。私達が主張しているのは、自分自身のスマートフォンを作れということです。自分でデザインした自分の電話で、自分のイノベーションで競争すべきです。



サムソン側 最終弁論 抜粋

競争がこの国を作り上げました。Appleは競争相手を市場からブロックすることで競争を避けようとしています。陪審員の皆さんの判断で、この国の競争システムが変わってしまうこともありうるのです。

Appleは角が丸いタッチスクリーンのデザインを独占しようとしています。家電販売店のTV売り場に行ってみればこれがどんなに馬鹿らしいかすぐわかるでしょう。みんな同じように四角でFlat Screenです。ブラックベリーが登場したらどうなったかご存知ですか? すべての電話がQWERTYのキーボードを備えるようになりました。今、家電販売店に行って電話コーナーを覗いてみたらどうでしょうか?すべての電話がタッチスクリーンを備えているんです。

iPhoneとGalaxyを顧客が勘違いするなんてことはあり得ません。実際は消費者が選択しているんです。混乱したり勘違いなんて存在しません。Appleはそのことについて何ら証明していません。

Apple側の証人が、類似性があると明確に証明できたアイコンは2つだけ。それ以外は不明瞭です。ただカラフルなアイコンを並べることで特許が取れるなんて誰も信じないでしょう。

Appleの幹部のe-mailをもう一度確認してみましょう。そこにはサムスンが7インチのタブレットを発売したあと、「我々も同様の製品を売るべきだ」とあります。他社に触発されるのはなんら悪いことではありません。Apple自身もやっていることなのです。我々はみな良き企業人なのです。我々はただ、消費者が欲しがっている製品を提供したいだけなのです。

コピーしたとAppleは主張しています。でも彼らの本心は、「競争したくない」ということに過ぎません。

Appleが裁判所を利用して競争を止めさせるかわりに、サムソンに自由に市場で競争する機会を与えて下さい。


ソース
http://www.theverge.com/2012/8/21/3254424/apple-samsung-trial-closing-arguments
http://live.theverge.com/apple-vs-samsung-apple-closing-argument/
http://live.theverge.com/samsung-closing-arguments-apple-vs-samsung-trial/

5 : 名無しさん@お腹いっぱい。[] : 投稿日:2012/08/22 17:45:35 ID:tUqbGOsx [1/1回]
サムソン→南朝鮮と替えても違和感の無い不思議w

6 : 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] : 投稿日:2012/08/22 20:19:32 ID:???
QWERTYキーボードはブラックベリーが起源

7 : 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] : 投稿日:2012/08/22 22:23:29 ID:???
盗っ人猛々しい。


9 : 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] : 投稿日:2012/08/23 00:02:34 ID:???
>>1
>やってはいけないことをやっているのがバレた時、
>相手を非難することでその場から逃れようとする人がいます。
>韓国人がやってるのはまさにこれです。

よく言った
これが世界の認識になりますように

韓国サムスンが偶然と主張するGalaxyとiPhoneの比較デザイン集があまりに酷いと話題に
悔しいサムスン、賠償より痛い「模倣品」の汚名 対アップル敗訴の衝撃
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