「ありがとう、台湾」台湾の義援金に日本人有志が感謝広告

2011年05月10日 | 国際
「ありがとう、台湾」日本の有志6000人、地元2紙に広告 
2011.5.3 18:05
日本の有志約6千人による感謝広告を掲載した3日付の台湾紙、自由時報(左)と聯合報(共同)

 「ありがとう、台湾」。東日本大震災で多くの被災地支援を行った台湾に対し、日本在住の「有志一同」約6千人が3日付の台湾紙、聯合報と自由時報の2紙に、日本語を交えた感謝の広告を掲載した。

 台湾に謝意を伝えたいとする女性デザイナーが短文投稿サイト「ツイッター」などを通じて広告を提案。約240万円の広告掲載料を捻出するため、1口千円の募金を呼び掛けたところ、1900万円以上が集まった。差額は被災地へ義援金として送るという。

 台湾からの義援金は先月27日までに約55億5千万台湾元(約157億円)に達している。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110503/chn11050318070001-n1.htm





【地震】台湾の義援金に日本人有志が感謝広告(05/03 15:56)

 台湾では、東日本大震災に際して150億円以上の義援金が寄せられました。感謝の意を示そうと、日本人の有志が台湾の新聞に広告を掲載しました。

 「ありがとう台湾」と題した感謝広告は3日、台湾の主要2紙の新聞朝刊に掲載されました。台湾では、東日本大震災に対して150億円以上の義援金が集まっています。日本政府は先月、アメリカや中国など主要国の新聞に感謝広告を出しましたが、台湾の新聞には掲載しませんでした。このため、民間の有志が広告を出すための募金を呼びかけて実現しました。募金は2000万円近く集まり、広告費の240万円以外の残りは被災地の義援金として送ったということです。

http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210503022.html

菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由
「台湾に義援金お礼広告出したい」 デザイナーの呼び掛けに賛同者多数



「日本、加油!」台湾、義援金144億円の一部を贈呈
2011年4月21日20時12分

 東日本大震災を受けて台湾で集まった義援金の贈呈式が21日、東京・六本木の財団法人交流協会であった。台湾外交部(外務省)によると、これまでに集まった義援金は官民合わせて144億円にのぼり、この日はその一部を日本赤十字社宛てに渡した。

 贈呈式のため訪日した台湾の王金平・立法院長(国会議長)は「(台湾での)地震や水害の際に日本が支援してくれたことを、我々は忘れていない。今回の被害を台湾の人々は自分のことのように受け止めた」と話し、「日本、加油(チアユー=がんばれ)!」と、あいさつを締めくくった。

 日本政府は義援金の国・地域ごとの内訳を集計していないが、各国・地域の赤十字に集まった寄付で比較すると、最も多い米国の約82億円(4月11日現在)に対し、人口が1割以下の台湾で56億円と際だっている。

http://www.asahi.com/international/update/0421/TKY201104210359.html






台湾の人々が東日本大震災に寄せる義捐金「世界一」の背景

 ついに台湾の義捐金は180億円を突破した。5月12日現在、台湾の外交部(外務省に相当)が把握しているだけで171億8000万円となり、交流協会台北事務所(駐台日本大使館に相当)と高雄事務所(駐台日本領事館に相当)に寄せられている義捐金は5月16日現在、約9億6000万円となっていて、その総額は181億4000万円になっている。

 いったい台湾の人々は、どうしてこれほどの善意を日本に向けてくれるのだろう。本日の産経新聞がその背景を追っている。下記にご紹介したい。

 1999年の台湾大地震やおととしの台風による水害のときの日本からの善意に報いる「恩返し」だという。確かに、台湾の人々は日本人と同様に義理堅い。中には近しい間柄を表す「親類」という言葉を使う人もいるそうだ。また、最近の急激な対中接近の結果という見方も出ているという。詳しくは記事を読んでいただきたい。

 最近、台湾で聞いたところでは、中国傾斜政策を進める馬英九総統の「ほっぺを叩くため」という見方も出ているという。

 2008年の総統選挙に勝った馬氏の総統就任式直前に起こった「四川大地震」のとき、馬氏は中国の一省にすぎない四川省に20億元(当時のレートで約66億4000万円)も拠出したにもかかわらず、今度の日本の東日本大震災では1億元(約2億8000万円)しか表明していない。だから、台湾人は馬総統のほっぺを叩くために頑張って募金しているのだという。

 いずれにしても、台湾の親日感情が強いことに変わりはなく、これほどの親日感情を抱いているのは、世界の中で台湾だけであろう。台湾が日本の生命線だという大きな理由のひとつが、この台湾の対日観にある。

http://melma.com/backnumber_100557_5185904/



義援金「世界最高額」の背景 台湾
2011.5.17 10:00

 東日本大震災で、台湾からの義援金総額が5月上旬に約160億円(約57億台湾元)に達した。人口2300万人、平均所得が年約2万ドルの台湾から米国と並ぶ世界最高規模の義援金が寄せられたことは、社会に親日感情が根強くあることをうかがわせた。

 台湾紙「自由時報」や「中国時報」などの電子版によると、馬英九総統は5日、訪台して感謝を伝えた衛藤征士郎衆院副議長に、「台湾中部大地震(1999年)や台風による豪雨被害(2009年)で受けた支援への恩返し」と説明。12日には日本への観光旅行が安全であることをPRする北海道訪問団(官民約300人)も派遣した。

 義援金約1万4千円(5千台湾元)を寄せたという台北市在住の元小学校教師は「情けは人のためならず」と説明。菅直人首相が4月11日、米英などの7紙に感謝広告を出した際、台湾が対象から外れた件にも「親類に礼状は不要。感謝の意は別の形で伝わっているから問題ないよ」と寛容で、台湾外交部(外務省に相当)も今回の義援金は「民間、小口が中心だった」としている。

 この手厚い支援は、日清戦争の下関条約(1895年)から終戦(1945年)まで、約半世紀の歴史をともにした本省人(台湾籍)が持つ「親日感情と絆の産物」と一般的に解釈されている。


 だが、日本語教育を受けた世代はすでに80歳以上で、社会の一線から退いて久しい。同時に、国共内戦に敗れて中国大陸から台湾に流入、中国人の視点で総じて日本に厳しいとされる外省人(中国大陸籍)も世代交代し、出身地の違いによる隔たりは、対日観も含めて薄らいでいる。

 外省人エリート家庭出身で経済活性化を目指して対中接近姿勢を打ち出した馬総統は、厳しい対日観を持つとされたが、台湾のメディアと赤十字会が震災直後に共催した義援金募集イベントに夫人とともに駆けつけた。

 8日には台湾南部・台南市官田区の烏山頭ダムを訪れ、1930年に同ダムを建設し、台湾の農業振興に貢献した金沢出身の日本人技師、八田與一(1886~1942年)の業績をたたえる記念公園の開園式にも出席。自由時報などは馬総統が「私は日本の最良の友人」と、脱反日イメージの姿勢をアピールする姿を報じた。

 台湾の外交部元高官は、「戦後、国民党政権の腐敗と横暴が本省人を苦しめ、『日本時代はよかった』と思わせたように、急激な対中接近の結果、札束ふりかざして押し寄せた中国大陸の観光客のマナーの悪さが二重写しとなり、市民レベルの親日回帰に拍車をかけたのでは」との見方を示している。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110517/chn11051710000003-n1.htm







台湾:「台湾農業の恩人」八田技師、功績たたえ記念公園--台南

 【台南(台湾南部)大谷麻由美】日本統治時代の台湾南部で、アジア一の規模を誇った烏山頭(うさんとう)ダムなどのかんがい施設を建設した八田与一技師(1886~1942年)の功績をたたえる記念公園が8日、台南市官田区嘉南村のダム近くに完成した。式典には、馬英九総統や八田技師の故郷・石川県出身の森喜朗元首相ら日本の国会議員20人以上が駆け付けた。

 記念公園は馬総統が日台関係重視の象徴として計画。2年がかりで完成した。土台だけ残っていた八田技師の住んでいた日本家屋を復元し、一帯を公園とした。

 馬総統は「不毛地帯を穀倉地に変えた八田技師の偉業をしのびたい。八田技師の物語と記念公園が新たな日本との懸け橋となる」と述べた。

 東日本大震災では、台湾からの義援金が8日までに約58億台湾ドル(約163億円)に上り、日台のつながりの深さが注目されている。森元首相は「日本を友人として大事にしている証し」と感謝した。

 八田技師は干ばつに悩む嘉南平野に1930年、10年がかりで烏山頭ダムと網の目の広がる給排水路のかんがい施設を建設。嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えた。八田技師は「台湾農業の恩人」と敬愛され、地元小学校の教科書でも紹介されている。

毎日新聞 2011年5月9日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/news/20110509ddm012030042000c.html



八田技師のダム建設顕彰
台湾・台南市記念公園がオープン

八田与一の墓前祭に出席し、花をたむける八田成子さん(中央)ら(台南市で)=多可政史撮影

地元の獅子舞などが披露され、華々しく記念式典が行われた八田与一記念公園(台南市で)=多可政史撮影

 【台南=多可政史】日本統治下の台湾でダム建設に携わった金沢出身の技師・八田与一(1886~1942年)の業績を顕彰する「八田与一記念公園」が台湾・台南市に完成した。8日、馬英九総統も出席してオープン記念式典が行われ、金沢市主催の訪台団(団長=山野之義市長)や日本の国会議員団なども参加した。

 八田は1910年、土木技師として台湾総督府に渡った。当時アジア最大と言われた「烏山頭ダム」を台湾南部の台南市に完成させ、不毛だった嘉南平野を台湾有数の穀倉地帯に生まれ変わらせた。その功績は台湾の中学校の教科書でも紹介されている。

 記念公園はダムのそばにあり、八田ら作業にあたった建設関係者の宿舎跡地に作られた。建設チームが来日して文献などを調べて当時の宿舎を復元、和式の家具も展示している。

 式典で馬総統は「ほとんど砂漠だった嘉南地域を八田先生の勇気で穀倉地域に変えてくれた」と功績を強調。一方で「私は反日的と批判されることもあるが、日本は統治時代に素晴らしいインフラを残してくれた。徳と恨みは分け、未来志向で手を携えたい」と語った。

 式典には台湾に住む日本人も多く訪れた。高雄市で日本語教師を務める舘量子さん(28)は、「台湾には親日的な方が多い。日本人と台湾人の絆を強くしてくれた八田さんの存在は大きかったと思う」と話していた。

 この日は、ダム近くの丘に建てられた八田と妻・外代樹の墓で毎年恒例の墓前祭も行われた。墓の脇にある八田の銅像は、戦後に日本統治時代の銅像が破壊される中で、温かい八田の人柄を慕った関係者が守ったという逸話がある。

 墓前祭に出席した山野市長は、「金沢の子どもたちが八田技師のことを知り、故郷に誇りを持つとともに台湾のことも好きになり、金沢と台湾の関係が深まってほしい」とあいさつ。八田の遺族を代表し、六女の成子(しげこ)さん(79)が「銅像や墓を多くの人に守っていただき、墓前祭も毎年盛大に行われ、父も母も浮かばれていると思う」と約1000人の出席者に感謝していた。

(2011年5月9日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20110509-OYT8T00108.htm



水の恩人 台湾に永遠に 八田與一氏の記念公園 開園
2011年5月9日 00:23

復元された八田與一氏の職員宿舎=8日午前、台南市官田区の記念公園

水車に水を入れ公園完成を祝う八田修一氏(右から2人目)と馬英九総統(左から2人目)ら=8日午前、台南市官田区の記念公園

 【台南(台湾南部)佐伯浩之】日本統治時に台湾南部で大規模な農業用水を整備し、一帯を大穀倉地帯に変えた日本人技師、八田與一(よいち)氏(1886-1942)の功績をたたえる記念公園が台南市官田区に完成。八田氏の命日に当たる8日、開園式があった。馬英九総統のほか、日本から森喜朗元首相ら超党派の国会議員でつくる「日華議員懇談会」の25人が台湾当局の招きで訪れ、開園を祝った。

 公園は台湾当局が約1年かけ、約4ヘクタールの敷地に八田氏が住んだ当時の職員宿舎や庭園を、史料に基づき日本人建築家の指導で復元。遺族の協力も得て関連資料や家具などを展示した。総工費は約2億円で、地元の水利組合が管理する。

 開園式では、馬総統が「公園が台湾と日本の懸け橋になってほしい」と祝辞を贈った。日本側は、八田氏の孫の八田修一氏が「建設に携わった日台の関係者に感謝したい」とお礼を述べ、出席者が水車に水を注いで完成を祝った。

 八田氏は石川県出身。台湾総督府の水利技師だった1920年、干ばつ被害に悩む嘉南平野に10年かけて、当時アジア最大級の烏山頭(うさんとう)ダムと約1万6千キロの農業水路「嘉南大〓(たいしゅう)」を整備した。地元は毎年命日に慰霊祭を開いている。

※本文中の〓は「つちへん」に「川」

=2011/05/09付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/240973

「八田氏の功績は永遠に」 台湾、日本統治時代の技師しのぶ
台湾:日本統治時に建設のダム、世界遺産目指し署名運動






台湾・馬総統「私は反日ではなく友日派」
2011年5月8日19時9分

 「私は反日派ではなく、友日派だ」。台湾の馬英九(マー・インチウ)総統が8日、台湾南部・台南市の烏山頭ダム近くに造られた日本人土木技師・八田与一の記念公園開園式でこう発言し、森喜朗・元首相、台湾の閣僚が出席した会場を沸かせた。

 石川県出身の八田与一(1886~1942)は日本植民地時代の台湾で、東洋一といわれた烏山頭ダムを建設、水路を整備し、干ばつに苦しむ台湾南部を一大穀倉地帯にした。台湾では歴史教科書に登場する。

 馬総統は「台湾が日本に割譲されたのは歴史の悲劇だが、日本が台湾を統治した50年に重要なインフラ建設があり、貢献は無視できない」「八田をたたえることは植民地支配を美化すると批判があるが恩讐(おんしゅう)を分ける態度が必要だ」と述べ、最後に「私は日本の最良の友人」と言い切った。

 5月8日は八田の命日。馬総統自身、思い入れが強く、これまで3度慰霊祭に出席した。公園造営も馬総統の指示によるもので、ダム建設当時の八田の官舎が同じ場所に復元された。馬総統は、かつて尖閣諸島問題などで強硬な発言をしたことから「反日」イメージを持たれがちだ。総統就任後は日本重視の姿勢をアピールしており、八田顕彰はその一環でもある。(台南=村上太輝夫)

http://www.asahi.com/international/update/0508/TKY201105080149.html




台湾総統「私は友日派」 日本人技師の記念公園式典で
2011/5/8 19:40

 台湾の馬英九総統は8日、日本統治時代に台湾南部で烏山頭ダムを完成させた日本人技師、八田与一氏(1886~1942年)を記念する公園の落成式典に出席した。尖閣諸島の領有権を強く主張する馬総統を「反日」とする見方があることに対し、馬総統は「私は反日派ではなく友日派」だとして反論した。

 1930年に完成した烏山頭ダムは当時アジア最大規模で、荒れ地だった周辺地域を農地に変えた。馬総統は2年前に記念公園の建設を指示しており、1億2千万台湾ドル(約3億4千万円)をかけて八田氏が住んでいた官舎などを復元した。

 式典には森喜朗元首相ら日本の国会議員25人も出席した。森氏は東日本大震災への台湾からの義援金が160億円を超えたことに謝意を表明。馬総統は「やるべきことをやっただけ」と応じ、台湾の過去の災害に対する日本の支援への感謝を表明した。(台南=新居耕治)

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE2EAE2E3948DE2EAE2E7E0E2E3E39494EAE2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000




八田墓前祭を八田精神も台湾精神も無視する馬総統の「友日ショー」と嘆く台湾人
その馬総統の談話に頷き握手をしている日本人を見て悲しく思った!

 今回で15目となった「台湾李登輝学校研修団」の模様について、本部事務局員でスタッフとして参加した佐藤和代(さとう・かずよ)さんが本誌でレポートしている。李登輝元総統もこのレポートを楽しみにされているという。

 その第2弾で、5月8日に烏山頭ダムの畔で斎行された八田與一技師夫妻の墓前祭に参列したときの模様を伝えている。レポートに「わが研修団も団体として名前を呼ばれ、蔡焜燦先生や許世楷先生と一緒に献花をするという光栄にも預かりました」とあったように、当日は蔡焜燦先生ご夫妻、許世楷先生ご夫妻をはじめいろいろな方にお目にかかった。

 その中に、羽鳥直之(はとり・なおゆき)氏もいた。氏は、日本統治時代に最後の日本人台南市長をつとめ、台南の文化遺産を守り抜いて台南の人々から今でも尊敬されている羽鳥又男(はとり・またお)のご子息で、本会常務理事でもある三宅教雄(みやけ・のりお)氏が会長をつとめる「台南会」のメンバーとして参列していた。

 羽鳥直之氏とは確か平成9年(1997年)ころ、氏の兄で、台湾協会の常務理事をつとめていた羽鳥道人(はとり・みちと)氏のご紹介でお会いしたのが初めてだったと覚えている。

 平成19年(2007年)4月25日、羽鳥又男の故郷である群馬県富士見村に許文龍氏が作成した羽鳥又男の胸像除幕式で手島仁氏(群馬県立歴史博物館専門員)などとお会いして以来、氏との交流が深まっていた。

 氏は2000年(平成12年)3月から「シニアネット:資深網路論壇(シニアの談話室)」というホームページを開いていて、その内容はメールでもお送りいただいている。5月20日に届いた号で、この八田與一墓前祭に参列された様子を記していて、許世楷大使夫人で児童文学者の盧千恵(ろ・ちえ)さんとの往復メールを紹介されている。

 羽鳥氏は盧千恵さんの名前の表記を「許知恵」とされているが、本誌では夫人が産経新聞などへの寄稿でも「盧千恵」とされているので、それに従いたい。

 盧千恵夫人が若い高校の先生の文章を日本語に翻訳して伝えている。この先生は「今年の記念会は『八田精神』と台湾農民の飲水思源の『台湾精神』が称えられず、代わりに馬英九個人の『友日』ショーになってしまいました」と嘆いているという。また「参加者の日本人が、『八田精神』と『台湾精神』をないがしろにして、大勢、馬総統の談話に頷き、握手をしているのを見て、悲しく思ったのは私だけではないことをお伝えしたいと思います」とも書いているそうだ。

 台湾には「八田精神」を仰ぎ、恩に報いる「台湾精神」を守りたいとする若い世代は少なくないようだ。墓前祭をも政治利用するグロテスクな政治家のパフォーマンスは、大いに批判されてしかるべきでる。

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お目にかかれて幸いでした=羽鳥直之・盧千恵
【SeniorNet「資深網路論壇」(372号):2011年5月20日号】
http://homepage2.nifty.com/hatori/danwa2/net372.html

● 羽鳥直之氏 → 盧千恵さん

 5月8日(日)にお目にかかれてまことに幸いでした。当日は午前中に大平境教会に出席、国立台湾文学館を台南の劉克全さんの案内で見学、懐かしい度小月のターミーを台南YMCA林敬良総幹事と一緒に味わってから2時からの烏山頭での八田与一氏の慰霊祭に参列しました。(中略)

 国立台湾文学館では奥の資料室にパスポートを提示して入室許可をもらい、許知恵著作集を拝見しました。ついで「ひでちゃんとよばないで」(おぼまこと)台湾の出版社の玉山出版を探しましたが、未刊で見つかりませんでした。(後略)

● 盧千恵さん → 羽鳥直之氏

 本当にお目にかかれて嬉しかったです。大勢の方たちが見え、わたし達も忙しくしていましたが、「友遠方より来る」で、楽しかったです。昨日は、久世礼子さん夫婦が見えました。

 それで、若い高校の先生が、添付ファイルに有るような文章を書きました。翻訳しましたので、ご覧ください。添付できなく、複製で送ります。

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 5月8日は、「嘉南大[土川]! の父」八田與一先生逝去69年の記念日でした。台湾に卓越した貢献をされた日本の技師に対する、台湾人の感謝の念は、烏山頭ダムから田畑に流れ込む流水のように、とどまることがありませんでした。

 しかし、今年の記念会は「八田精神」と台湾農民の飲水思源の「台湾精神」が称えられず、代わりに馬英九個人の「友日」ショーになってしまいました。

 八田精神とは、艱難をはねのけ、その土地を深く愛し、人々に幸福をもたらすことを言います。八田技師は嘉南大�と烏山頭ダムの建設に、人生のもっとも壮健な20歳、30歳代を全力投入し、干ばつ地帯の貧困な15万ヘクタールの土地を「緑野」へと変え、60万農民の生活を潤した日本人です。嘉南平原に住む農民たちは「嘉南大[土川]の父」「烏山頭ダムの父」と尊敬をもって呼んでいます。

 当時、大工事が竣工した後、農民は技師の貢献をたたえ、「八田友の会」を立ち上げ、日本の彫刻家、都賀田勇に八田技師の銅像を作成してもらい、ダムが一望できる丘の上に台座なしで置きました。工作服を着て、脚絆を巻いた足の片方を投げ出し、手で頭を支え、沈思黙考、仕事の進捗状態を眺めている坐像はまさに、八田技師そのままの姿を髣髴とさせるものでした。

 第2次世界大戦後期、日本政府から銅、鉄など金属供出の呼びかけがありましたが、農民は彼らの尊敬する八田先生の銅像が毀損されるのを恐れ、倉庫へ運び入れ隠しました。

 戦後、人々は八田技師の銅像を元のところへ戻し、5月8日の命日に祭礼を行おうとしましたが、当時の中国国民党政権は、蒋介石以外の銅像を建てることを許しませんでした。日本人の銅像などはもってのほかでした。蒋介石の銅像は八田技師の坐像と違い、軍服姿の立像または馬上人で、高いところから人々を睥睨しているものでした。

 八田技師の恩恵をしのぶ記念会などできない状況が続きました。1980年代に民主化が進み、特に李登輝前総統の時代になってから、農民は亡くなられた八田技師に台座をつけ(神様に昇格)、毎年公開記念会を持つようになりました。

 2007年7月12日、八田技師の遺徳をしのんで許世楷駐日代表は、金沢まで出向き、ご遺族に感謝の勲章を当時の陳水扁総統に代わって渡しました。農民から総統にいたるまで、秘密裏の記念会から感謝の勲章までのこの歴史は、台湾人民の「果物を頂くときは、果樹を思う」、または、「飲水思源」の台湾精神を表しています。

 このような歴史背景があるにもかかわらず、中国国民党の党主席馬英九は、1億2千万元を使って当時の日本人の宿舎を再建させたと記念式場で話し、自分は反日だといわれているが、実際は「友日」なんだと話していました。このような馬総統のやりかたは、台湾人の間で、反感を買い、「30数年、八田精神も台湾精神も無視してきた人が何だ」と、台湾人の間で不評です。

 参加者の日本人が、「八田精神」と「台湾精神」をないがしろにして、大勢、馬総統の談話に頷き、握手をしているのを見て、悲しく思ったのは私だけではないことをお伝えしたいと思います。
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● 羽鳥直之氏 → 盧千恵さん2

 私の周りの台湾人は、馬総統が陳水扁前総統馬のした仕事を横取りしたと言っていました。翌日の台湾各紙の報道ぶりが地味になったのは、大々的に馬総統の業績と言いたくなかったからだと言っていました。

PS.

 メールの最後の言葉「参加者の日本人が、「八田精神」と「台湾精神」をないがしろにして、大勢、馬総統の談話に頷き、握手をしているのを見て、悲しく思ったのは私だけではないことをお伝えしたいと思います」の記述に心が痛みました。

 私は前半の式典には出席していなかったので出席の日本人の事は分らないのですが、私が会った前半出席の日本人は馬総統の言葉には批判的でした。それは馬総統のこれまでの言動を知っているからです。

 私どもの台南会は台南育ちで八田さんの下で働いていた人の子供たちが入っている湾生グループです。自らを「日系台湾人」と言っているぐらいです。台湾の事情には日頃から関心をもって持ってニュースに接しています。

 会場にいた日本人は普段「台湾精神」と「日本精神」について考えたこともない、又恥ずかしながら、現代史の台湾の事情を勉強していない代議士などがいたのではないかと想像しています。森元首相の言葉に内容のないことを嘆いている日本人もおりました。

 台湾からの義援金の額が突出していることで、ようやく台湾人の心情について気が付き、台湾についての日本人の学びが始まったと思います。
(後略)

http://melma.com/backnumber_100557_5190099/







東日本大震災 在タイ日本大使館受領の義援金約11億円に
2011/6/ 6

【タイ】在タイ日本大使館は6日、5月27日までに同館が受領した東日本大震災の義援金の総額が4億1602万バーツ(約11億円)になり、このうち3億8465万バーツを日本赤十字社に、1814万バーツを日本政府に送付したと発表した。

 東日本大震災の義援金はタイ外務省、タイ赤十字社、タイ日本人会、バンコク日本人商工会議所などを通じても寄せられている。

http://www.newsclip.be/news/2011606_031071.html





米竜巻被災地 日本支援の催し
4月30日 17時51分

竜巻による被害に見舞われたばかりのアメリカ南部アーカンソー州で、東日本大震災で被災した人々を支援しようというコンサートが開かれ、アメリカ人のオペラ歌手らが「さくら」などの日本語の歌を披露しました。
南部アーカンソー州は、今週発生した複数の竜巻によって合わせて14人が死亡し、多数の住宅や学校が倒壊するなどの被害が出て、復旧作業が続いています。こうしたなか、州の中部にあるホットスプリングス市では、姉妹都市の岩手県花巻市をはじめ、東日本大震災で被災した人々を支援するチャリティーコンサートを予定どおり開くことを決め、28日夜、およそ150人の市民が集まりました。コンサートを企画したオペラ歌手のダリーン・ダビッドソンさんは、みずからも6年前のハリケーン「カトリーナ」によってルイジアナ州の自宅を失い、当時、避難者を多く受け入れたホットスプリングスに移り住みました。ダビッドソンさんたちは、姉妹都市の花巻市も津波で被災した沿岸地域から多くの避難者を受け入れていることを知ってコンサートを企画し、「さくら」や「赤とんぼ」などを日本語で歌いました。ダビッドソンさんは、「勇気と共感、友情を示したかった」と述べて日本の被災者への思いを語り、コンサートに参加した男性も、「私たちも日本の人たちも、転んでも転んでも一緒に立ち上がりましょう」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110430/t10015647031000.html





【フィギュアスケート】世界選手権開会式にプーチン首相が出席 東日本大震災で開催を断念した日本へメッセージも
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1303894406/-100


開会式にプーチン首相出席 被災者へメッセージも

 モスクワで開催されているフィギュアスケートの世界選手権で27日に行う開会式に、開催国ロシアのプーチン首相が出席し、東日本大震災の被災者に哀悼の意を表す演出が用意されていることが26日、国際スケート連盟(ISU)関係者への取材で分かった。

 非公開だった開会式のリハーサルを見たISU関係者によると、氷上に日の丸を映し出すなど、当初大会を開催する予定だった日本へメッセージを発信する。震災の犠牲者へ黙とうもささげる。

 大会は25日の男子予選で開幕したが、開会式は本戦開始の27日に実施する。(共同)
[ 2011年4月27日 09:28 ]
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/04/27/kiji/K20110427000707610.html



氷上から鎮魂の祈り モスクワ、世界フィギュア開会式
2011年4月28日7時40分
開会式で氷上に映し出された日の丸=飯塚晋一撮影

 フィギュアスケートの世界選手権は27日、モスクワで開会式が開かれた。

 東日本大震災の影響で急きょ開催地が東京からモスクワへ変更されたことを受け、式では氷上に日の丸が映し出され、犠牲者に黙祷(もくとう)を捧げた。

 プーチン首相があいさつし、「日本は地震、津波、原発事故に見舞われた。特に原発事故がいかに大変か、我々はよく知っている。国民、政府が今、一丸となって立ち向かっているところだ」と話した。(モスクワ=飯塚晋一)

http://www.asahi.com/sports/spo/TKY201104270657.html



プーチン首相が被災地へ言葉 世界フィギュア開会式
 フィギュアスケート世界選手権の開会式で、あいさつするロシアのプーチン首相。奥は日本スケート連盟の橋本聖子会長=27日、モスクワ(共同)

 【モスクワ共同】モスクワで行われているフィギュアスケートの世界選手権で27日、開会式が行われ、開催国ロシアのプーチン首相があいさつの中で東日本大震災に触れ「日本の政府と人々は必ず問題を解決して復興するだろう」と被災地へメッセージを送った。

 今大会は3月に東京で開催予定だったが、大震災の影響で中止となり、急きょモスクワ開催が決まった。式では、国際スケート連盟のチンクアンタ会長が日本への哀悼の意を表し、日本スケート連盟の橋本聖子会長に花束を渡した。氷上に日の丸が映し出されるなど日本を意識した演出で、大震災の犠牲者に黙とうがささげられた。

 橋本会長は同日、プーチン首相と会談し、2014年ソチ冬季五輪に向けて協力することで合意したことを明らかにした。

2011/04/28 05:13 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042801000023.htm





プーチン首相、日本にエール 世界フィギュア開会式で
2011年4月28日12時24分

 ロシアの首都モスクワで27日開幕したフィギュアスケート世界選手権で、同日の開会式に出席したプーチン首相が、「(東日本大震災が起きた)日本の国民、政府、専門家は立派に、勇敢に問題に対処している」と日本にエールを送った。

 同選手権は当初、3月下旬に東京で開催される予定だったが、震災の影響で日本側が断念。代わりに名乗りを上げていた6カ国のうちロシアが開催を射止めた。

 プーチン氏は開会宣言の中で、「この競技は日本で開かれるはずだった。だが、私たちは今、日本人がどれほどの惨事に直面したのかわかっている。それは地震、津波、放射性物質だ」と語った。

 特に原発事故については、「ロシアでは、単に伝聞ではなく、それがどんなものであるか知られている」と強調し、26日で発生から丸25年を迎えたばかりの旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と重ね合わせた。(モスクワ=関根和弘)

http://www.asahi.com/international/update/0428/TKY201104280261.html




世界フィギュア選手権開会式 ロシア・プーチン首相「日本は必ず試練を乗り越える」

世界フィギュアスケート選手権の開会式が27日、ロシア・モスクワで行われ、あいさつしたプーチン首相は、「日本は必ず試練を乗り越える」と述べ、東日本大震災の被災者にエールを送った。
震災のため、急きょ開催地が東京からモスクワに変更となった世界フィギュアの開会式は、冒頭から日本を強く意識した内容のものとなった。
開会式は、日本風の着物に太鼓の演奏で始まり、白いリンクに「日の丸」が映し出されると、民族衣装のスケーターらが、震災の犠牲者に黙とうをささげた。
プーチン首相は「日本が、尊厳と勇気を持って、この試練を乗り越えられると信じている」と述べた。
プーチン首相は、開会式を日本への支援を表す場にするよう指示し、立ち会った日本スケート連盟の橋本聖子会長に、激励の花束が贈られた。
大会期間中、日本選手が観客に呼びかけて、被災者へのメッセージを折り紙に書いてもらい、被災地に届けるイベントも企画されている。
(04/28 06:18)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00198319.html



フィギュア選手権開会式、日本の震災がテーマに―中国メディア
2011/04/28(木) 09:47  

  フィギュアスケートの世界選手権が27日、モスクワで開幕した。開会式では日本の震災を意識した演出が行なわれ、プーチン大統領が日本に向けたメッセージを発した。新浪網が伝えた。

  同選手権は3月末に東京で開催予定だったが、東日本大震災の発生により延期、モスクワでの代替開催となった。開会式では、和太鼓の伴奏に合わせて地震や津波の来襲をイメージしたパフォーマンスが行なわれた。自然災害が人類にもたらした傷とともに、地球人が一致団結して自然災害に立ち向かう様子を氷上で表現、日本人へエールを送った。その後、震災の犠牲者に対して1分間の黙とうがささげられた。

  プーチン大統領は開会式のスピーチで、日本で発生した自然災害と放射能事故に対して同情と見舞いの意を表すとともに、日本政府と国民は最後は災害に打ち勝つと信じていると語った。(編集担当:柳川俊之)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0428&f=national_0428_048.shtml






北方領土の軍備強化開始へ=沿岸防衛に対艦ミサイル-ロシア

 【モスクワ時事】ロシア軍のマカロフ参謀総長は11日、北方領土の軍備強化のため、今年後半から択捉、国後両島に駐屯する第18機関銃・砲兵師団に新装備の配備を開始すると述べた。インタファクス通信が伝えた。
 東日本大震災後、ロシアは北方領土問題をめぐる対日攻勢を一時緩めていたが、再び強硬姿勢に転じた形だ。
 マカロフ参謀総長によると、北方領土の軍備強化計画は2014~15年までに完了する予定。沿岸防衛のため、対艦ミサイル「ヤホント」の発射装置「バスチオン」も配備するとしている。ヤホントは射程300キロの超音速ミサイルで、標的を自動追尾する能力があるとされる。 
 同参謀総長は「クリール(千島)には陸、海、空の安全保障を確保できる新型兵器を配備する」と述べた。
 昨年11月に国後島を訪問したメドベージェフ大統領は今年2月、北方領土はロシアの「不可分の領土」と述べ、セルジュコフ国防相に安保強化を指示。国防省は軍備強化計画を策定し、近く大統領に提出する見通しという。(2011/05/11-20:55)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201105/2011051100802








仏番組、原爆と震災比べ「復興努力してない」 謝罪拒否
2011年4月30日20時39分

 在パリ日本大使館は、フランスの有料テレビ、カナル・プリュスが東日本大震災の直後に放映した風刺人形劇の人気番組に「被災者感情を傷つける場面があった」として、3月にテレビ局側に抗議したことを明らかにした。

 問題の番組は、3月中旬の4日間にわたり放映された「レ・ギニョル・ド・ランフォ」。原爆投下後の広島の写真と今回の震災で被害を受けた仙台の町並みを比べて、「日本は60年間も復興に向けた努力をしていない」というせりふをつけたり、福島第一原発の周辺で復旧作業にあたる作業員を映像ゲームのキャラクターに模したりした。日本の国旗に核マークをあしらったものもあった。

 日本大使館はフランス在住の日本人の視聴者から連絡を受け、番組内容を確認したうえで、3月18日付でカナル・プリュスの編集局長あてに文書で抗議。同21日には口頭で抗議したところ、テレビ局側は「ギニョルはいかなる対象も風刺する番組で、人を傷つけるのが目的ではない。表現の自由がある」などと答え、謝罪はしなかったという。(パリ=稲田信司)

http://www.asahi.com/international/update/0430/TKY201104300301.html






毒リンゴ漫画、掲載の米紙がおわび 「日本人傷つけた」
2011年4月26日10時6分

 国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは25日付紙面で、日本の原発事故を揶揄(やゆ)した21日付掲載の一こま漫画について、「日本人と多くの人々を傷つけた。適切な判断を怠り、遺憾に思う」とするおわび記事を掲載した。

 漫画は「放射能の日本」の見出しがついた新聞を手にした白雪姫が、毒リンゴを差し出す魔女風の女性に「日本から来たの?」と問いかける絵柄。在ニューヨーク総領事館が同紙を傘下に持つニューヨーク・タイムズ社に「日本の食品に根拠のない不安をあおりかねない」と抗議していた。(ニューヨーク=田中光)

http://www.asahi.com/international/update/0426/TKY201104260081.html?ref=reca

白雪姫が放射能懸念をやゆ=国際紙の漫画に日本抗議-NY
「ひび割れた日の丸」掲載の米誌に抗議 在NY総領事館










「浜岡原発停止」で英再処理工場が存続危機
< 2011年5月10日 6:42 >

 「中部電力」が浜岡原子力発電所(静岡・御前崎市)の全面停止を決めたことを受け、イギリスでは再処理工場の存続に不安の声が上がっている。

 9日付の「インディペンデント」紙は、1面で「セラフィールド核燃料再処理工場の将来に暗い影を落とした」と報じている。イギリス北西部にあるセラフィールド工場は、去年、中部電力と交わした混合酸化物燃料(MOX燃料)の製造契約が唯一の契約であるため、「浜岡原発の停止によって工場が存続の危機に立たされるのでは」と指摘されている。

 記事では「セラフィールド工場は日本からの受注を想定し、約650億円をかけて建設された」としている。

http://news24.jp/articles/2011/05/10/10182415.html







核処分場:モンゴルに計画…日米、昨秋から交渉

 【ウランバートル会川晴之】経済産業省が昨年秋から米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料などの世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていることがわかった。処分場を自国内に持たない日米にとって、原子炉と廃棄物処理とをセットに国際的な原子力発電所の売り込みを仕掛けるロシアやフランスに対抗するのが主な狙い。モンゴルは見返りとして日米からの原子力技術支援を受ける。だが、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で日本政府は原子力政策の抜本的な見直しを迫られており、「核のゴミ」を第三国に負わせる手法に批判が出そうだ。

 ◇福島事故受け批判必至

 各国の交渉責任者が毎日新聞の取材に計画の存在を認めた。

 関係者によると、3カ国交渉は昨年9月下旬、ポネマン米エネルギー省副長官が主導して始まり、経産省、モンゴル外務省が担当。核廃棄物の国内処分地選定の見通しが立たない日米と、技術支援で核燃料加工施設や原発を建設したいモンゴルの思惑が一致した。

 原子力エネルギーは気候変動を防ぐ有効策とされ、原子炉1基数千億円のビッグビジネス。日本政府は原発輸出を国家成長戦略の柱に据え、ベトナムで受注に成功、インドやトルコとも交渉中だ。しかし、ロシアなどは原子炉と使用済み核燃料の引き取りをセットで販売しており、日米は不利な状況にある。

 日本は英仏に再処理を委託、青森県六ケ所村に再処理施設建設を急ぐほか、同村に高レベル放射性廃棄物の一時貯蔵施設を保有するものの、他国に供給した核燃料の引き取りは極めて困難。2035年までに国内に最終処分地を選定する計画も難航が予想される。

 米国もブッシュ前政権が02年にネバダ州に最終処分地を選定したが、地元の反対でオバマ政権が09年に計画中止を決定。使用済み核燃料の処分問題が宙に浮いてしまった。

 このため日米は、処分問題の解決と「国際的な原発売り込みの弱点を埋める」(経産省)ため、地盤が強固なモンゴルに貯蔵・処分施設を造ることで一致。施設は地下数百メートルとなる見込みだ。経産省は計画実現で、原子炉メーカーの東芝、日立などの国際的な原子力ビジネスを支援できるとみている。

 また国際原子力機関(IAEA)が、「モンゴルはウラン推定埋蔵量は150万トン以上の可能性がある」と指摘しており、開発が進めば世界トップ3のウラン供給国となる可能性が高い。日米は計画実現でウラン燃料の安定確保も狙う。

 核廃棄物の国際輸送は、通過国や受け入れ国の同意に加え、IAEAなどが定める輸送方法に従えば可能。ただ、3国交渉の段階で計画が表面化すれば、通過国となりうる中国やロシアなどの干渉やモンゴル国民の反発も予想され、交渉は極秘に進められた。

 しかし今年2月、ワシントンで3カ国が包括的な外交文書への署名にこぎつける予定だったが、直前に計画を知らされた日本外務省が「政府内での調整がまったく進んでいない」と反発。経産省主導に外務省が横やりを入れた格好で、署名は延期。その後に大震災が発生し、署名などの日取りは未定だ。

 日本は大震災で原発政策の見直しを迫られているが、国内すべての原発をなくしたとしても、処分施設は必要。ただ、技術支援の見返りに核のゴミを他国に引き受けてもらう手法は、電源3法交付金による地域振興策をセットに福島などで原発の建設を進めたのと同じ発想と言える。

毎日新聞 2011年5月9日 
http://mainichi.jp/select/photo/news/20110509k0000m040142000c.html





モンゴル核処分場計画:米「核なき世界」へ思惑

 日米モンゴル3カ国による核廃棄物の貯蔵・処分場建設を巡る極秘交渉は、原子力ビジネス拡大のほか、核不拡散体制を実質的に整備したい、「核なき世界」を掲げる米政権の思惑も絡んでいる。

 ◇再処理狙う新興国封じ…国際施設設置で主導権

 核兵器の原料となるプルトニウムは、原発で使用した核燃料の再処理で抽出される。北朝鮮はこの手法で核兵器を開発し、核拡散防止条約(NPT)非加盟国のイスラエルやパキスタンなども同じ手法で開発を進めているとみられている。

 また、原発輸出市場に参入した韓国などが、米国に再処理施設の建設容認を要求。非核国をうたいながら核兵器開発が可能な再処理を認められている日本、NPT未加盟のまま核兵器を保有するインドが米国から原子力技術を供与されている「不公平感」が源泉だ。

 同様の不公平感は、核兵器を持たない国々に潜在している。原発を持つ国が使用済み燃料の再処理を始めれば、核拡散に事実上歯止めがかからなくなり、「第2、第3の北朝鮮」が生まれる恐れがある。米国は、国際的な貯蔵・処分施設を主導して造ることで、「核なき世界」に向けた秩序を構築したいのだ。

 また、国際的な施設は国際原子力機関(IAEA)も必要性を訴えてきたが、他国の核ゴミまで引き受ける国は現れなかった。欧州連合(EU)は2015年までに域内での処理態勢を整える計画だが、それ以外の地域では見通しがなかった。

 米国務省のストラトフォード部長(原子力安全担当)は3月末、ワシントンでの核専門家会合で、「台湾や韓国などは使用済み核燃料の扱いに困っている。国際的な処分施設は諸問題を一気に解決する」と強調した。

 モンゴル政府内には、見返りとして核燃料加工などの技術供与も得ることで、核燃料の輸出国として経済を発展させたいとの思惑がある。アラブ首長国連邦(UAE)とも同じ狙いで今年1月から交渉を始め、日米との計画に「保険」をかけている。日米が2月上旬に外交文書の署名を狙ったのは、UAEより交渉を有利に進めるためでもあった。【会川晴之】

毎日新聞 2011年5月9日 
http://mainichi.jp/select/world/america/news/20110509k0000m040144000c.html






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