NHK偏向報道訴訟 「納得いく説明と謝罪」訴え パイワン族指導者、来日

2010年05月15日 | news
NHK偏向報道訴訟 「納得いく説明と謝罪」訴え パイワン族指導者、来日
5月15日7時56分配信 産経新聞

 「NHKから納得がいく説明はずっとなかった。きょうの日を待っていた」

 台湾から来日し、14日に東京地裁で意見陳述したパイワン族のバジェルク・タリグさんは、普段は朗らかでどの部族からも慕われている指導者だが、この日の表情は硬かった。

 番組の出演者たちから相談を受けて1年。出演者とともに、「人間動物園」の事実解明を求める書簡をNHKに送ったが、十分な調査報告はなかった。放送法は、出演者の請求に「遅滞なく調査」することを定めている。

 なかでも落胆が大きかったのは、出演者の名の誤りへの対応だ。NHKは出演者の一人、高許月妹さんを「高許月さん」と放送。中国語の妹(メイ)(女性に付ける呼び名)と混同して省略したとみられるが、正しい名を伝えても誤りを認めなかった。

 NHKは第1回口頭弁論の翌日、サイト上の名を修正したが、「取材のときに(高許月と)うかがった」「放送法第4条による訂正放送とは異なる」(NHK広報局)と、今も非はないという立場だ。取材に同席したパラル・ロンシンさんは「人は間違うこともある。でも、間違ったら謝ることが正しい道ではないか」と怒る。

 ロンシンさんは出演していないが、放送では声のみがほかの出演者が話しているように編集された。高許月妹さんも、懐かしい父親の写真を見て涙を流したシーンを、「人間動物園」に父親が連行され泣いているかのように編集されたとしている。

 タリグさんは法廷で「日英博覧会は良い思い出で、そのときに覚えた英語の歌が今も歌い継がれている。屈辱的な仕打ちを受けたらありえない。動物扱いされたら、命を賭けて戦うのがパイワン族の精神です」と述べた。(牛田久美)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100515-00000038-san-soci

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「八田氏の功績は永遠に」 台湾、日本統治時代の技師しのぶ
2010/5/8 21:28

 【台南=共同】台湾で日本統治時代の1930年、当時としてはアジア最大級の烏山頭(うさんとう)ダムを建設するなどして、不毛の土地を台湾最大の米作地帯に変えた石川県出身の日本人技師、八田与一氏(1886~1942年)をしのぶ会が命日の8日、台湾南部・台南県官田郷の同ダムで行われた。

 馬英九総統代理の頼峰偉総統府副秘書長は「八田与一氏の功績と精神は台湾で永遠に伝わっていくと信じている」とあいさつした。

 しのぶ会には、日本から遺族の八田綾子さん(77)=愛知県春日井市=のほか、石川県の関係者らも参加。綾子さんには、地元出身の教師と、教え子の小学生らがつくった同ダムの絵本が贈呈された。

 金沢市の「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の中川外司事務局長は「(八田氏を)長い間尊敬し続け、盛大な法要をしていただける台湾の皆さまに感謝したい」とあいさつした。

 現在も使われている烏山頭ダムを、歴史的に特別な背景を持つ日台関係の「象徴」と位置付ける馬政権は「台湾農業の近代化に大きな貢献をした」と八田氏を評価し、今年2月、その業績をたたえる記念公園建設に着工、来年5月8日の開園を目指している。

 公園は、約5ヘクタールの敷地に資料陳列館や日本風の宿泊施設などを建設。八田氏の生涯などに関する資料や、当時の家具などを展示する。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E2EAE2E38B8DE2EAE2E7E0E2E3E29180EAE2E2E2;at=ALL

八田與一 news archives









台湾存立の戦いに貢献した根本博元陸軍中将、台湾国防部公式に功績を認める
2010.4.23 01:41

 日中戦争後、蒋介石率いる中国国民党と中国共産党との間で中国の覇権を争って繰り広げた「国共内戦」の事実上の最終戦「金門戦争」に参戦し、国民党軍を勝利に導きながら、長年にわたって存在や関与が認められていなかった根本博・元陸軍中将(1891-1966年)について、台湾当局がその功績を公式に認めたことが分かった。終戦直後、邦人保護のために蒋介石が手をさしのべてくれた恩義に報いるべく、密航までして身を投じた日本人将軍の秘話が戦役後60年を経て明らかになった。(安藤慶太)

 関係者によると、根本元中将は福島県出身。駐蒙軍司令官だった根本元中将は、終戦を過ぎても満州や中国での侵攻を止めず、日本軍や在留邦人を苦しめるソ連軍に武装解除を拒否。日本軍守備隊に戦闘を命じて、ソ連軍の攻撃を食い止めながら、居留邦人4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた。

 その際、邦人救済を手助けしてくれた蒋介石と国民党軍に恩義を感じ、国共内戦で敗走を続ける国民党軍に報いようと密航を決意。昭和24年、第7代台湾総督、明石元二郎の長男、元長氏(故人)や台湾の共産化に危機感を抱いた「東亜修好会」メンバーの手引きによって秘密裏に台湾入りを敢行した。

 密航によって約2週間投獄された根本元中将は、大陸を逃れた国民党軍幹部との劇的な再会を経て、「林保源」を名乗り、中国共産党の人民解放軍との最終決戦となった金門戦争(古寧頭戦役)に参戦。作戦立案が奏功し、二昼夜にわたる戦闘の末、人民解放軍は全滅した。これが、共産化を防ぐことにつながった。

 蒋介石と根本元中将とはその後も交流が続いた。最近米国で公開された「蒋介石日記」にも根本元中将に関する記述があり、蒋介石が心から信頼していた様子が読み取れる。しかし、台湾でも根本元中将の存在はもちろん、功績が認められることはなかった。金門戦争勝利への日本人の関与が明らかになることは大陸から渡ってきた蒋介石ら「外省人」が、「本省人」を支配するうえで邪魔だったためとみられる。

 しかし、戦役後60年目の昨年10月、「古寧頭(こねいとう)戦役六十周年記念式典」へ根本元中将の関係者らの出席が認められ、台湾の国防部が公式に謝意を表明、初めて功績がたたえられた。

 一連の事実をノンフィクション「この命、義に捧ぐ」(集英社刊)にまとめ、近く出版を予定しているジャーナリスト、門田隆将(りゅうしょう)氏は「台湾・国軍の日本人軍事顧問団『白団』は1990年代になってやっと存在が認められた。根本氏の渡台は白団よりも前。今の台湾の存立の戦いに“義”のために生きた日本人の奇跡的な活躍があり、それが歳月を経て正当に評価を受けたのは感慨深い」と話す。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100423/trd1004230143001-n1.htm





花瓶に込められた友情…蒋介石と根本元中将
2010.4.23 01:43

 蒋介石の恩義に報いるべく台湾存立の戦い「金門戦争」に身を投じ、その貢献が戦役から60年を経て公式に認められた根本博・元陸軍中将。蒋介石ゆかりの文書や遺品の数々を掘り起こすと、根本元中将との間に築かれた信頼関係や友情を読み取ることができる。

 「わが国が一番苦しい時に日本の友人、根本さまたちにしていただいたことは永遠に忘れません。わが国には『雪中に炭を送る』という言葉があります。一番困ったときに根本さまたちはそれをやってくれたのです」。昨年10月、「金門戦争」から60年の記念式典で台湾国防部の黄奕炳常務次長(陸軍中将)は根本元中将の関係者にこう語り功績をたたえた。

 当時の根本元中将の行動に、日本ではバッシング報道が目立った。国会でも問題視され、台湾でもその存在や活躍ぶりは秘され続けた。

 米国・スタンフォード大学フーバー研究所に保管されている「蒋介石日記」をみると、蒋介石の根本元中将への信頼が読み取れる。

「與日人根本博談話、討論組織反共義勇軍事」(日本人根本博と話し反共義勇軍の組織について討論した)=1949年9月2日付

 台北市にある蒋介石の顕彰施設「中正紀念堂」には蒋介石が大切にしていた花瓶が飾られている。通常花瓶は2個で1セットだが、展示された花瓶は1個だけしかない。蒋介石は47年、3セットを作らせ、1セットを英国エリザベス王女のご成婚の慶事の祝いに贈り、もう1セットを日本の皇室へ贈った。そして手元に置いた最後の1セットのうちの1個を「これはあなたと私がいつも一緒ということ。常にそばにいてお互いに忘れないという意味で贈ります」といって帰国する根本元中将に贈ったのだった。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100423/trd1004230146002-n1.htm








【東亜春秋】台北支局長・山本勲 深化する台湾の歴史認識
2010.3.20 03:18

 複雑な台湾の歴史を総合的、客観的にとらえ直し、街造りや地域振興に生かそうとの動きが台湾で広がりつつある。台湾はオランダ、清朝、日本、中華民国と統治主体が入れ替わり、民族集団ごとに歴史認識や価値観が大きく異なる。しかし李登輝政権時代に始まった台湾中心の歴史教育が浸透するにつれ、戦後世代を中心にこうした動きが強まってきた。この変化が今も続く台湾内の激しい政治対立を乗り越える契機となるよう期待したい。

 台湾東北部の宜蘭県員山郷で、太平洋戦争期の日本軍や地元民の活動を紹介する記念館が来月中にも完成、オープンする。宜蘭は日本統治時代に西郷隆盛の息子、西郷菊次郎が県知事を務めたことなどで、日本とのゆかりも深い。木造の長官邸など多くの日本時代の建物が大切に保存されている。

 太平洋戦争では特攻隊の基地となり、沖縄戦では90機余りの陸・海軍の特攻隊機がここから米艦攻撃に飛び立った(台湾・東海大学の蘇睿弼助教授の研究による)。米軍の空襲から飛行機を守るための掩体壕(えんたいごう)や、通信指揮所などの軍事遺跡も数多く残されている。

 戦争記念館は員山郷にある掩体壕をドーナツ状に囲む形で建てられた。館内には清国が台湾を日本に割譲した1895年から終戦までの年表や、出撃前の特攻隊員の写真、軍事施設建設に動員された地元住民の多くの証言や地図などを展示。当時を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 若き特攻隊員を見守った地元民の証言は哀惜に満ちている。出征前の特攻隊員が母親から「これが今生の別れなら、(亡き後は)白い蝶々となって会いに帰ってきておくれ」と告げられた、といった話も数多く残されている。

 記念館建設に奔走した建築デザイナーの黄聲遠さん(47)は掩体壕を取り壊す計画を新聞で知り、県長に直談判するなどして10年がかりで完成にこぎつけた。

 蒋介石・蒋経国時代の歴史教育はもっぱら中国大陸の歴史で、日本時代を含む台湾史はほとんど教えられなかった。

 日本とかかわりの深い郷土の歴史を「広い心で、ありのまま理解する場を作りたい」と黄さんは考えた。さらに「宜蘭各地に散在する軍事・文化遺跡を自転車道でつなぎ郷土理解や観光誘致に役立てる」(同)構想もある。

 これに先立つ昨年8月、台北市が南西部の剥皮寮(ボーピーリャオ)という地域の昔の町並みを復元して人気を集めている。

 清朝時代から木材の集散地として栄えたこの地域には、清朝、日本時代の町並み、建築物が混在、並存している。日中台混合の風俗文化を生かしたところが魅力だ。日本時代の小学校の教室も再現して往事をしのばせてくれる。

 2つの試みはともに10年前から始まっている。李登輝政権下で1990年代半ばから始まった台湾中心の歴史教育が浸透したことが大きい。この結果、若者の台湾人意識や郷土愛が強まった。

 新教育は日本統治のプラス面にもかなり光を当てているから、本省(日本統治時代から台湾に住む漢族)と外省(戦後中国から渡来した漢族)という省籍にかかわらず、若者の対日感情はいい。

 台湾では「台湾人か、中国人か」という自らのアイデンティティーや、「中国との統一か独立か」をめぐる対立が続いてきた。台湾主体の教育がさらに浸透、定着し、こうした対立を超克する時代が一日も早く訪れるよう願ってやまない。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100320/chn1003200319000-n1.htm







【日々是世界】台湾・国民党が背負う歴史の十字架 
2010.3.14 11:38

 国共内戦に敗れ、中国から台湾に渡った蒋介石(しょう・かいせき、1887?1975年)率いる中国国民党政権が住民を武力弾圧した「2・28事件」(1947年)から63年となる先月(2月)28日、国民党主席を兼任する台湾の馬英九(ば・えいきゅう)総統(59)は南部・台南での追悼式典に出席した。「政府の腐敗が住民の反抗を招いて事件につながり、多くの国民の生命、財産、自由を奪った」。総統はこう謝罪したが、一部参列者は無言の退席で抗議。癒えぬ遺族の心に声は届かず、国民党に向けられた複雑な住民感情を改めて露呈させた。

 ■複雑な住民感情

 事件は、台北市内でたばこ売りの台湾人女性が外省系(中国大陸籍)の役人に銃床で殴打されたことがきっかけ。威圧的な国民党統治に対する抗議行動は瞬く間に台湾全島に広がり、政権は武力弾圧に踏み切って多くの台湾人を殺害・処刑した。以後、38年間にわたる戒厳令下で行われた政治弾圧も含めれば、犠牲者は1万8000?2万8000人といわれる。

 台湾の中央通信社によれば、追悼式典で馬総統は「事件後の処理も悪く、台湾現代史における最大の事件になった」と述べて過ちを改めて認めた。しかし、事件の真相は今なお明らかになっていない。

 「当時は民主主義社会ではなく、民意やメディアが政府を監督できる状況がなかった。(真相究明の要望は)大いに賛成し、支持する」という総統演説が物語るように、台湾人と外省系が対立する「原点」となる事件は、台湾社会に深い傷跡を残したままだ。

 つまりこの複雑な住民感情は、対応を誤れば外省系が中軸となる現政権の行く末をも左右する重大な内政要因となり、馬総統は重い歴史の十字架を背負い続ける宿命にある。

 ■蒋氏の責任にも言及

 1年前の追悼式典を振り返れば、馬総統は2008年5月の政権発足後、初めて為政者として事件に向き合い、外省系総統として初めて弾圧を謝罪。この中で総統は「政治家には功もあれば罪もある。蒋介石元総統に過ちがあれば隠す必要はない」と述べ、あえて国民党内では絶対的存在である蒋氏の責任問題にも触れた。

 総統の思いを代弁するなら、住民の目線に立って「和解」を呼びかけ、出生地をめぐる歴史的な感情の対立に終止符を打って団結しようと訴えたわけだが、民衆の反応は冷たかった。「国民党は出ていけ」「馬英九下台(辞職)しろ」。飛び交う怒号に総統の声はかき消され、苦り切った表情を見せた馬総統の横顔は、政権運営の難しさを暗示させた。

 08年の総統選で馬総統は、陳水扁(ちん・すいへん)前政権下で緊張した中国との関係を再構築し、経済分野に限った協力関係を築いて台湾経済の再建を図ると公約した。政権発足後は、中台両岸間の直行便の実現や中国人観光客の受け入れ解禁で域内消費にてこ入れするなどの政策を進めた。

 だが、目に見える成果を生み出そうと対中接近を急いだ結果、台湾住民が抱いたのは中国に併呑(へいどん)されるのではないかという危機感だ。

 ■中国の高笑い

 馬政権への不満は昨年夏、後手後手となった台風被害への対応批判という形で噴出。米国産牛肉の解禁を強引に決めて世論の反発を買ったこともあり、与党・国民党は9月の立法委員(国会議員)補欠選挙以降、主要選挙で4連敗を喫し、退潮傾向が鮮明化した。

 台湾では年末、12年総統選の前哨戦となる台北など5つの直轄市長選が予定されるが、それまでに馬政権が失墜した信頼を回復できるかは不透明だ。これに対して最大野党・民主進歩党(民進党)は勢いづくが、最重要の対中政策では対案すら出せないという現状もある。

 「自民党の自滅で政権が交代した日本と同じシナリオをたどれば、台湾は座標軸もないまま難破船と化すだろう。そこで待ち受けているのは、口をぱっくり開けた中国の高笑いだ」。台湾の人々の間からはこんなため息混じりの声も聞こえてくる。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100314/chn1003141139001-n1.htm
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