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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

金海市・鳳凰洞遺跡 伽耶建物跡・土器数百点出土

2017年11月23日 | 韓国の遺跡・古墳など
 文化財庁国立伽揶文化財研究所は21日、金官伽耶の王宮推定地である金海、鳳凰洞遺(봉황동 유적)跡で伽耶建物跡と土器が発掘されたと発表した。大型建物約10基(4世紀後半に造成)と土器数百点を発見したと発表した。
 今回の調査で地表面を基準として4.5m下まで掘り、原三国時代(紀元前1世紀~紀元後4世紀)から伽耶時代、統一新羅時代、朝鮮時代の時代別文化層を初めて確認した。
 伽耶文化層では直径10mを越える楕円形建物跡が現れた。 この中、規模が最も大きいのは3号建物跡(長軸15m、短軸12m)と推定される。 丸く壁をまいて内部には柱を立てた形状だ。
 これと共に儀礼に使われたとみられる爐形土器、筒型器台等多様な土器のかけらも出土した。
 また、騎馬人物形土器とは異にした角模様の角杯と土偶も出土した。
 鳳凰洞遺跡は1899年発行された『金海郡邑誌』の「首露王旧地は今の金海部にあると伝えられて、古宮地は西門の外、狐峴里にある」という記録を基に金官伽耶王宮(A.D42~532年)の跡地と推定される場所だ。
[参考:2017.11.21聯合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
金海鳳凰洞遺跡
 2014.1.10 2012年6月に鳳凰洞で収集した伽耶時代船舶部材の保存処理を完了。 部材の年代は3~4世紀。
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金海市・鳳凰洞遺跡 伽耶時代船舶、倭(日本)の部材を使用

2014年01月10日 | 韓国の遺跡・古墳など
 嶺南文化財研究院は8日、2012年6月に慶南金海鳳凰洞で東洋文物研究院が収集した伽耶時代船舶部材(長さ390cm、幅60cm、厚さ2~3mm)の保存処理を完了したとして、部材の年代は放射性炭素年代測定の結果3~4世紀と確認されたと発表した。
 部材は、樟(녹나무)と杉(삼나무)であるが、樟は中国、日本のほか韓国では南海岸一部・済州道などで制限的に育つが、杉は日本固有樹種である。 そのため、船は日本で建造したか、あるいは金官伽耶(首都:金海)が材料(木)を輸入して建造したものと考えられる。
 実際の船の長さは8~15m以上と推定され、伽耶時代海上活動、特に倭(日本)との交易に使われたとみられる。
 この船舶部材が発見された鳳凰洞遺跡(봉황동 유적)は、当時南海岸を通して金官伽耶の港の役割をしたところと推定されている。
[参考:聨合ニュースほか]

過去の関連ニュース・情報
2012.6.26 金海市・鳳凰洞遺跡 
 金海市は25日、東洋文物研究院の発掘調査により慶尚南道金海市の鳳凰洞遺跡(史跡2号)から伽耶時代4〜5世紀のものと推定される船の一部が初めて出土したと発表した。 昌寧郡釜谷面飛鳳里の新石器時代の遺跡から出てきた船に続いて韓国2番目に古い船という。
 出土したのは、船舶本体の隔壁(長さ340㎝、幅60㎝)、櫓と錨(いかり)の石。
 船の全体の大きさは、長さ30m、幅10m以上と推定された。これは、35人程度の乗船が可能な規模としている。 伽耶の優れた船舶製造技術を見ることができ、海上王国伽耶の実体を証明する画期的な材料として評価される。
 今回の調査では、貝塚、高床建物跡、Y字型木柵設備なども一緒に発掘された。


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慶州平野内・塔洞 2千年前の新羅建国勢力の首長の木棺墓を発掘か? 

2010年06月19日 | Weblog
 韓国文化財保護財団文化財調査연단は18日、慶州平野内塔洞(경주평야내 탑동)で小規模一戸建て住宅新築予定地を発掘調査した結果、木材が自然炭化する過程で炭のように変わった木棺の痕跡や多くの遺物を発掘したと発表した。紀元前1世紀中~後半に作られたと見られる首長級人物の木棺墓とみられる。慶州平野でこのような木棺墓が発見されたのは初めて。
 これで新羅が胎動した場所は、「慶州平野一帯辺りではなく、舍羅里130号墳や朝陽洞38号墳と同じ大型木棺墓が発見された慶州郊外周辺地域である可能性が高い」とする考古学界の主張が弱くなるものと見られる。
 木棺を埋めた墓壙は、長方形(長さ296㎝、幅144㎝)で東西方向に軸を設けていた。木棺は発見された痕跡から見ると、平面形状は「ㅍ」字形で大きさは長さ196㎝、幅84㎝であった。
 木棺内部から漆鞘銅剣(칠초동검)と漆鞘鉄剣(칠초철검)、刀の柄の剣把頭飾(검파두식)、青銅釧(청동 팔찌)、首飾り、そして死体の顔を隠すのに使ったものと推定される漆器扇(부채)などの遺物が大量に発見された。また、墓壙と木棺を覆った充填土からは紀元前2~1世紀頃この地域を代表する土器の組合式牛角形把手附壺(우각형 파수부호)、両耳附壷(양이부호)、袋状壺(주머니호)や、北方系遺物と評される鉄鍑(철복)、鉄帽(철모)、轡(재갈)、腰帯の虎形帯鉤(호형대구)、炭化した跡にだけ残った漆器(칠기)も多量に発掘された。
 これら遺物中、カエル装飾が慶北氷川入室里遺跡(입실리 유적)に次いで2番目に確認された。
 この墓は朴赫居世(박혁거세)が新羅を建国した紀元前57年と近接した紀元前1世紀中~後半に作られたと推定される。
 今回出土した死体顔面を覆う扇の事例は、昌原茶戸里遺跡(다호리 유적)1号木棺墓で初めて確認されて以来、慶北星州郡礼山里遺跡(예산리 유적)40号墳、金海市鳳凰洞遺跡(봉황동 유적)、そして慶北慶山市押梁面遺跡(압량면 유적)94号木棺墓から発見されており、今回の慶州発掘事例まで総合すると、このような独特の埋葬風習が紀元前後頃今の慶尚道地域全域にかけて流行したという事実を後押しした。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2008.11.28慶尚南道昌原市北面・茶戸里遺跡 出土品から現れた新しい発見!

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