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宝塚市・万籟山古墳 全長64m、猪名川流域最大級の古墳と判明

2017年03月19日 | Weblog
 大阪大考古学研究室が17日、兵庫県宝塚市切畑字長尾山にある前方後円墳の万籟山(ばんらいさん)古墳(4世紀前半)の初発掘調査で、全長64m、高さ8.7mの規模と分かったと発表した。これまで全長約54mとする見方もあった。
 猪名川と支流の最明寺川の間に位置する長尾山丘陵では、長尾山古墳(全長42mの前方後円墳、4世紀初頭)に続く古墳である。
 古墳時代前期では畿内北西部の猪名川流域で最大級の規模という。
 日本海と瀬戸内海とを結ぶ重要な交易ルートだったことがうかがえるという。
 大量の葺石や円筒埴輪片が見つかった。
[参考:神戸新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
長尾山古墳


キーワード: 万籟山古墳、長尾山古墳、猪名川
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宝塚市・長尾山古墳 大和政権の技術を取り入れた?排水溝を確認

2011年09月23日 | Weblog
 大阪大学考古学研究室は22日、国内最古級の粘土槨(長さ6・7m、幅2・7m、高さ1m)が見つかった宝塚市山手台東1の「長尾山古墳」(全長42mの前方後円墳、4世紀初め)で今月1日から続けていた調査の結果を発表した。
 墓坑付近に、古墳と同じ4世紀初めの排水溝を確認。大和政権の技術を取り入れたとみられ、古墳の被埋葬者と政権との強い結びつきが改めて確認できたという。
 発見された排水溝は、墓坑の東南部分から東方向に約6m分を確認した。 断面がV字形で、最大幅1・4m、深さ1・5m以上の規模。 底に15~30cm大の石を敷き詰め、水はけのよい土や砂で埋めた「暗渠構造」と呼ばれるものだった。 雨水で埋葬した遺体が腐敗するのを防ぐための構造とみられる。
 猪名川流域で大和政権とかなり密接な関係を持った、最初の豪族であることが改めて確認できたという。
 今回の調査では今まで不明確だった後円部の形がややいびつな円形であったことなども確認した、 また、後円部北側斜面の発掘で、墳丘に置かれた葺き石の裾野も判明し、墳丘の全長を42mと前回の調査時の40mを42mに修正した。
 現地説明会が25日午前10時半から開かれる。
[参考:神戸新聞、共同通信、毎日新聞]

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 2010.10.12 宝塚市・長尾山古墳 国内最古級、ほぼ完全な状態の未盗掘「粘土槨」が見つかる
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宝塚市・長尾山古墳 国内最古級、ほぼ完全な状態の未盗掘「粘土槨」が見つかる

2010年10月12日 | Weblog
 発掘調査を行っている宝塚市教委と大阪大考古学研究室は12日、同市山手台東の長尾山古墳(全長約40mの前方後円墳、4世紀初頭)で、木棺を粘土で包み込んだ全国でも有数の大きさの「粘土槨」(長さ6・7m、幅2・7m、高さ1m)がほぼ完全な状態で見つかったと発表した。
 後円部の墳頂に竪穴(深さ2m以上、幅5m、長さ9m)を掘り、礫を敷いた上に築かれていた。
 通常、粘土槨は内部の木棺が腐り、上部の粘土が落ち込んだ状態で見つかることが多いが、長尾山古墳では造られた当時の形をほぼ保っている。粘土槨がある古墳としては真名井古墳(富田林市、前方後円墳)、鴨都波(かもつば)1号墳(御所市、方墳)などと並び国内最古級であり、しかも、この時代の粘土槨がほぼ完全な状態で確認されたのは初めてとされる。
 粘土槨は4世紀初めに畿内で始まったとされ、竪穴式石室の被葬者に次ぐ地位にある有力者が埋葬されたと考えられている。
 盗掘しようとした跡はあるが、穴は木棺まで達せず、棺内には貴重な副葬品が入っている可能性が高いという。木棺内部の調査については、方針は決まっていない。
 現地説明会は16日(土)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞]

2010.12.17追記
 宝塚市教委は、10月に長尾山古墳で発見された木棺を粘土で覆った国内最古級の粘土槨を埋め戻した。
 市教委の担当者は「数十年ぐらいは、開封することはない」としている。
[参考:読売新聞]

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 2009.9.16 長尾山古墳 埋葬儀礼用?土師器片を発見、大和政権の結びつきを示す?
 2008.9.19 長尾山古墳 摂津地域最古の埴輪列が出土
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宝塚市・長尾山古墳 埋葬儀礼用?土師器片を発見、大和政権の結びつきを示す?

2009年09月16日 | Weblog
 発掘調査を行っている同市教委と大阪大考古学研究室は15日、同市山手台東の長尾山古墳(4世紀初頭)で木棺が納められていた後円部の頂上部分で、葬送儀礼に使われたとみられる土師器片が多数見つかったと発表した。大和政権の初期古墳でも見つかっているが、県南東部から大阪府北西部にかけての猪名川流域では初めて。被葬者と大和政権との結びつきを示す資料となる。
 後円部の頂上には、棺を設置するために掘られた8~5mの穴の跡があった。その中心部分には木棺が朽ちて土が落ち込んだとみられるくぼみ(長さ3.3m、幅60cm)があり、土の中から、こぶし大ほどの大量の石とともに約50点の土師器のかけらが見つかった。
 古墳の周囲の斜面部分からは、石が敷き詰められた跡が見つかっており、長い年月のうちに、石が流出したらしい。土師器は丸底の壺とみられ、同研究室では埋葬が終わった後に、飲食を伴う儀礼を行った跡とみている。
 葬送儀礼の形跡は、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)の大型前方後円墳が集中する奈良県桜井、天理両市で見つかっている。
 現地説明会は19日午前10時30分から行われる。
[参考:読売新聞]

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 2008.9.19 宝塚市・長尾山古墳 摂津地域最古の埴輪列が出土
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宝塚市・長尾山古墳 摂津地域最古の埴輪列が出土  

2008年09月19日 | Weblog
 宝塚市山手台東にあり、猪名川流域最古となる前方後円墳の長尾山古墳(4世紀初頭)で、県南東部から大阪府北部にかけた摂津地域で最古となる埴輪列が出土したことが分かり、宝塚市教委と大阪大学考古学研究室が18日、発表した。
 見つかったのは、朝顔形埴輪計8基で、1基の直径が約30~35cm、高さは約60cm。このうち5基は前方部と後円部の接続部分から約1m間隔で列になって発見。形状などから、摂津地域で最古の埴輪列という。
 また古墳は全長39mで、構造が前方部2段、後円部3段であることも判明。後円部には埋葬後に土を埋め戻した跡があり、地下に埋葬施設が残っている可能性もある。
 阪大大学院文学研究科の福永伸哉教授は「階段状の構造は、豪族が大和政権の主流派の立場にいたことを示している。猪名川流域の古墳時代史を解明するうえで貴重な資料だ」としている。当時の大和政権初期の古墳と共通の特徴が多く見つかり、「猪名川流域を治めた豪族と政権との密接な関係の証拠」としている。
 現地説明会は23日午前10時半~午後0時半(小雨決行)。問い合わせは、宝塚市・阪大学長尾山古墳調査団((電)0797・87・3576)。
[参考:産経新聞]

備考: 昨年夏期に第一次調査が行われ、その説明会資料が大阪大学考古学研究室のHPで公開されています。
 第一次調査では、全長38mの前方後円墳で、2段以上の築成、4世紀初めの築造であることが発表されました。
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