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岡山市・金蔵山古墳 くびれ部の東西に祭壇

2017年02月27日 | Weblog
 岡山市教委は25日、同市中区沢田の前方後円墳・金蔵山(かなくらやま)古墳(全長165m、4世紀後半築造)で現地説明会を開き2016年度の発掘調査の成果を発表した。
 これまでに、くびれ部の西側で「造り出し」が見つかっていて、石敷きや柵形埴輪が出土している。
 16年度は、くびれ部の東側から約10mの場所で「島状遺構」が出土した。「造り出し」とともに、祭壇として使われていた可能性があるという。岡山県内での出土は2例目。一辺10m、高さ2mの方形壇と推定され、上面には祭祀場を区切るとされる柵形埴輪片や、河原石が散在していた。石を敷き、埴輪を置いたとみられる。北側斜面は葺石で装飾され、裾部には小石が敷かれていた。遺構と前方部を接続する陸橋部分(長さ7m、幅推定2m)も見つかった。古墳の主軸に直行して、岩盤および盛土でつくられていた。
 「島状遺構」は、津堂城山古墳(大阪府藤井寺市)、巣山古墳(奈良県広陵町)など4世紀後半~5世紀初頭の限られた時期に畿内を中心に出現する。当時の大王墓級の規格を反映しており、吉備と大和の密接な関係を示す一方、畿内古墳に比べ敷石などで祭祀場の性格が強調されており、吉備独自の祭祀形式があったとみている。
 金蔵山古墳は墳長約165mで県内第4位。県内最大の造山古墳(岡山市北区新庄下)などが出現する前段階に築かれ、同時期では畿内を除いて最大規模。
同古墳被葬者の後継者の墓として有力視される湊茶臼山古墳(同市中区湊、5世紀初め)も島状遺構を持つが造り出しはなく、二つの施設を造り分けた理由の解明などを進めたいという。

 湊茶臼山古墳(同市中区湊、5世紀初め)は金蔵山古墳より古い4世紀後半の築造とされてきたが、平成20年度の湊茶臼山古墳第1次調査以降、金蔵山古墳よりも新しい時期の古墳らしいことがわかってきた。
[参考:2017.2.26読売新聞、2017.2.16山陽新聞、岡山市HP]

過去の関連ニュース・情報
 金蔵山古墳
 湊茶臼山古墳


岡山・金蔵山古墳で島状遺構出土

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岡山市・湊茶臼山古墳 現地説明会11月22日予定

2008年11月05日 | Weblog
 市教育/(財)岡山市埋蔵文化財センターより、湊茶臼山古墳 現地説明会の案内が発表されました。
 湊茶臼山古墳(岡山市湊)は操山(みさおやま)丘陵南部の標高100m地点に、山の起伏を利用して土を盛って造られた前方後円墳で、墳長約125m、後円部径約60m(高さ約10m)、前方部長約65mと言われてきていました。
 この古墳の築かれた当時は、南側に広がる水田地帯は海であり、海上交通路を意識して立地されているようです。
 これまでに、葺石が確認されており、円筒埴輪や家形埴輪が採集されています。
 市教育委文化財課は、9月1日から発掘調査を行い、調査の結果、全長約120m、後円部径約65m、前方部幅約60mを確認したとしています。
前方部の北側に方形壇状の遺構の存在を確認しているようです。調査範囲からは円筒埴輪などの埴輪類が出土したとしていますが、これは今回なのかあるいは今までのことかはわかりません。
 埴輪の特徴から、4世紀末~5世紀初頭の築造としてします。これまで、3世紀後半~4世紀後半としていましたが、若干新しくなる要素があったのかと想定されます。
[現地見学会]
 日  時: 平成20年 11月 22日(土) 13:30~
 場  所: 湊茶臼山古墳 (岡山市湊地内)
[参考:岡山市埋蔵文化財センター、9/2岡山日日新聞]

 操山丘陵および周辺の主要な古墳を築造順に並べると、
網浜茶臼山古墳(全長92m)、操山109号墳(74m)、神宮寺山古墳(150m)、湊茶臼山古墳(120m)、金蔵山古墳(165m)
となります。このうち、最初の2つの古墳は特殊器台形埴輪が出土しているので、3世紀後半から4世紀前半の築造だと考えられています。
[参考:「吉備の大型古墳の展開と性格」/岡山市教育委員会・安川満]
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