歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

松山市・文京遺跡 縄文時代晩期末-弥生時代前期初頭の畑跡を発見

2016年11月21日 | Weblog
 愛媛大埋蔵文化財調査室が21日、松山市文京町の文京遺跡で、縄文時代晩期末-弥生時代前期初頭(紀元前700~同500年)の畑跡が見つかったと発表した。
 弥生時代前期前半の庄・蔵本遺跡(徳島市)や筋違遺跡(三重県松阪市)を1世紀余り遡り、国内最古の畑跡という。
 南北は約6~7メートル、東西の長さは不明だが、小規模な畑という。栽培した作物は分かっていない。木製のすきで耕していたとみられ、泥の層が無いことから、水田でなく畑と判断した。畝は作らない平らな畑だった。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 庄・蔵本遺跡
 筋違遺跡
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徳島市/庄・蔵本遺跡 出土した雑穀種子は、アワやキビの種子と判明

2010年03月08日 | Weblog
 徳島大埋蔵文化財調査室は5日、弥生時代の集落遺跡「庄・蔵本遺跡」(徳島市蔵本町)で発見された種子が同時代前期(約2500年前)のアワやキビと判明したと発表した。当時からアワの栽培が行われていたことがわかり、吉野川流域での畑作の起源を考える貴重な資料とし、『阿波』の国名の由来とも関係があるのかもしれないとしている。弥生前期までの雑穀種子の年代が特定されたのは、滋賀県安土町の竜ヶ崎A遺跡(縄文時代晩期)に続いて西日本で2例目。
 同遺跡は徳大蔵本キャンパスにあり、同大学病院の西病棟新築工事に伴い、2006~07年に発掘調査。弥生時代前期の畑(約190㎡)が出土していた。同調査室が、畑から採取した雑穀種子(1~4mmほどで炭化)約500点の年代測定を進めていた。
 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に依頼して放射線炭素(AMS)法で鑑定した結果、弥生時代前期の種子であることが確定。イネは約10点だけで、多数がアワやキビで、他にマメやエゴマも含まれていたことがわかった。
 畑跡のそばには水田跡もあり、弥生前期に水田と畑を併用した農耕が行われていたと推測。種子は通常なら腐って残らないため、焼土を精査し炭化した種子を採取した。
 弥生時代の農業は稲作中心と考えられてきたが、栽培の難しいイネだけに頼らず、雑穀を植えることでリスク分散を図る意味合いもあったのではとみている。
 吉野川流域は『阿波』(あわ)の旧国名の通り、古代から畑作を軸とする農業が見られ、その起源が弥生時代に遡ると推定できるという。
 同大日亜会館(徳島市新蔵町)ガレリア新蔵1階ギャラリーフロアでは、「発掘 徳島大学」展が平成22年3月2日~3月16日の期間で開催されており、調査結果を紹介するパネル展示がされている。3月末に刊行予定の年報でも紹介する。
[参考:読売新聞、徳島新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
■2007.3.9 庄・蔵本遺跡 弥生前期の畑が見つかる
 徳島大学埋蔵文化財調査室が8日、庄・蔵本遺跡で弥生時代前期の畑跡(東西約17m、南北約11m)を発見したと発表した。
 弥生時代前期の畑跡が見つかったのは、三重県松阪市の筋違遺跡(すじかいいせき)と福岡県小郡市の三沢蓬ケ浦遺跡(みさわふつがうらいせき)に続いて、全国で3例目。
 周辺ではこれまでに同時期の環濠集落と水田の跡が確認されている。 [参考:徳島新聞]
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静岡・手越向山遺跡 東日本で最古の畑跡か

2008年09月04日 | Weblog
 静岡大人文学部考古学研究室は3日、静岡市駿河区手越の佐渡山(さわたりやま)にある手越向山(てごしむこうやま)遺跡で、弥生時代中期後半以前の方形周溝墓の下層に畑とみられる遺構が見つかったと発表した。
 東日本では古代人が本格的な稲作を始める前に畑を耕して生活していたことを裏付ける資料として注目される。現在土壌を分析中で、事実が裏付けられれば中期初頭約2300年前の畑として東日本で最古となる。
 手越向山遺跡は、静岡市街から北西に位置する佐渡山(標高102m)の東側斜面にある遺跡。2006年から同研究室の篠原和大(かずひろ)准教授らが発掘に当たり、これまでに弥生時代中期の「方形周溝墓」のほか、縄文時代のヤリの先や古墳時代の土器などが見つかっている。周辺からは、弥生時代中期初頭の丸子式土器、石斧などが検出されている。
 昨年弥生中期後半(約2000年前)の方形周溝墓を発見した時に、下の土層が掘り起こしたように複数の色の土が混じり合っていたため、今夏第調査を行ったところ、地表の約1m下に掘り返したような跡がある土壌を発見し、畑を耕した跡と判断した。遺構は縦3~4m、横10m。遺構の溝を側面から見ると、黄褐色土と黒色土が層をなし、境目は波状になり、さらにその境目は地上と水平に走っている。これらのことから波状の境目は、土が自然に堆積したのではなく人間によって土が耕されたためできたとする。
 石斧を使って耕していたとすれば中期初頭の約2300年前の畑の可能性もあるとする。
 全国的には、三重県松阪市の筋違遺跡の畑跡が弥生前期中ごろで日本最古級とされている。東日本では、静岡県沼津市の植出遺跡など、弥生後期後半(約1800年前)のものまでしか見つかっていなかった。
 発掘調査は、9月5日までの予定。
[参考:毎日新聞、静岡新聞、読売新聞、静岡大学考古学研究室HP]
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