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高松市・船岡山古墳 全長45mの前方後円墳ともう一基からなる古墳群と判明

2009年09月26日 | Weblog
 高松市教委は、香川町の浅野―大野地区にまたがる船岡山古墳が、全長45mの前方後円墳と、形や規模が不明のもう1基の計2基からなる古墳群であることが分かったと発表した。08年からの市と徳島文理大の共同発掘調査による成果。これまで船岡山古墳は、県の77年の測量調査に基づき、円形の墳丘の両側に方形の墳丘がつく「双方中円墳」で、4世紀後半(古墳時代前期後半)に造られたと推測されていた。
 香川と徳島西部でよくみられる積石塚だが、粗く積んだ石に土をかぶせて墳丘を作っており、県内では類例のない築造方法という。
 形態や出土品から、時期は古墳時代前期前半(3世紀中頃~4世紀前半)と推定。出土した埴輪の破片は、ほぼ同時期の石清尾山古墳群(高松市峰山町など)から出土したものとは異なっており、市教委は「高松平野の北部と南部で異なる文化や政治的背景を持つ集団が存在していたと推測できる」としている。
 前方後円墳は南側に方墳、北側に円墳を配置。粗く積み上げた人頭大(直径約30~50cm)の石に土をかぶせる形で墳丘が作られている。北側には別の墳丘も確認した。古墳時代前期の石清尾山古墳群も同じ積石塚だが、土の覆いは見られない。
 出土品は埴輪の破片を中心に約100点。壺型と円筒の2種類で、円筒埴輪の胴体部には巴型の透かし穴が開けられ、周囲には複雑な文様が刻まれていた。畿内や吉備(岡山県)の影響を受けながら、独自にアレンジしたと推測されるという。
 現地説明会が26日午後1時半から香川町浅野―大野地区にまたがる船岡山の山頂で開かれる。
[参考;四国新聞、毎日新聞、朝日新聞、RNC日本]

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