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木津川市・高麗寺 講堂基壇の外装は極めて珍しい三重構造 

2009年02月24日 | Weblog
木津川市が、国史跡・高麗寺跡を史跡公園化へ新年度から整備
 史跡指定地(5200㎡)に、伽藍配置が分かるよう植栽したり、基壇や門、築地塀を復元する計画。新年度当初予算案に設計・工事費など800万円を盛り込んだ。
2012年度に完成の予定。
[参考:京都新聞]

2009.2.7現地説明会
 7日、現地説明会が3回開かれ、約700人の歴史ファンが詰めかけたとのことです。
 [参考:読売新聞、京都新聞]
 現地説明会の様子(映像)がMBS(毎日放送)のホームページで公開されています。

2009.2.4掲載分
 市教委は3日、飛鳥時代前半(7世紀初頭)に創建された国内最古級の寺院とされる京都府木津川市の高麗寺跡(国史跡)について、伽藍の回廊北側に位置する講堂の基壇の外装が、極めて珍しい三重構造だったと発表した。
 高麗寺は、朝鮮半島から渡来した狛(こま)氏の氏寺。伽藍は7世紀中期に完成したとされ、西側の金堂と東側の塔を回廊で囲み、金堂の正面に中門や南門が並ぶ。
 講堂は東西約23.7m、南北約19.5mで、今回、北西側を調査し、幅2mにわたって基壇が出土した。高さ約60cmの瓦積み基壇の底部を確認し、その周囲で、外縁を石で囲った幅約75cmの土壇が巡っており、さらにその外側には約15cm低く石が敷かれた構造だったことが判明した。
 1段目は直径約20cmの石が敷き詰められ、その15cm高い位置に土壇を縁取るために囲む2段目の石列があった。さらに3段目には基壇を支える直径約50cmの「地覆(じふく)石」が置かれ、その上に装飾のために積み上げられたとみられる瓦が見つかった。基壇全体の高さは計75cmあったらしい。
 高麗寺の伽藍が整備されたのは660年代で、東に塔、西に金堂、北に講堂を配置する法起寺式の初めての例。
 全国へ寺院を普及させるため、国営の川原寺(奈良県明日香村)の伽藍配置を簡略化し、中金堂に当たる部分に講堂を造っていた。高麗寺では川原寺と同型の瓦を使っている。
 また、南の築地塀の西端では、飛鳥時代の創建当初に、排水用に掘ったとみられるV字形の溝(最大幅3m、深さ1・7m)も出土した。
 現地説明会は7日午前10時半、午後1時、同2時半の3回。少雨決行。問合せは教委へ。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、京都新聞、読売新聞]

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