初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

岡山県 ダムカード求めての旅

2014-11-23 | ダムカード

世間は3連休ですが我々は孫の「お守り」以外大した用事が無い夫婦。

良い気持ちで眠っていたら「今日、用事が無かったら岡山県のダムを訪ねようと思うけど着いてくる?」と言うので家でじっとしていたり、TVを見ているとアレルギーの症状が気になりひどく痒くなるので一緒に出掛けた。

新見で降りて3つのダムを制覇。

だけどダムって山の中だし、あまりいい風景でもない。

それでも、大抵どなたかと一緒になる。

今日は神戸の若い男性。あちこち先日の豪雨の傷跡で通行止めがあり時間がかかったそうだ。

ダムは被写体としてはあまり奇麗ではないので私は降りてもひたすら紅葉を撮っていた。

高速道路からの眺めももう晩秋に近い黄葉ばかり。

何となく秋に訪れたニュージーのアロータウンやクイーンズタウンを思い出した。

地震で、私たちがお世話になったゲストハウスは無残にも家の真ん中に亀裂が入りオーナー夫妻は子供さん二人とともに友人宅やホテルを転々としてやっともうすぐ再開の運びになったみたいだ。

あんなに大変な目にあっても二人とも日本に帰る気はないみたいだ。

ニュージーランドで出会った人は総じて心優しい。

少々おせっかいみたいに見えるがその優しさイコール作業はのーんびりで時間がかかるそうだ。

大抵の方が1か月以上ホームステイさせてくれる。

それに、リピーターさんが多いので再開しても多分営業して行けると思う。

私たちは初めて行った時少し優雅すぎて大金を使ったがグループで行く人が多いのでホテルもシェアすればもっと安く行ける。

あ~も一度行ってみたいね、と話した。

吉備高原を走っているとき山の中に突如洋館作りの店が現れ「これは何だろう?」と恐る恐る入って見るとレストランらしい。

お昼にはライブがあったと言われたが確かにケーキとコーヒーは美味しく容器もきっと高い食器だと思った。帰ってからネットで検索したらあったのでやっぱり本物(?)だった。

 http://www.fantasia-7.co.jp/


アレルギー

2014-11-12 | 日記

やっと食欲が戻ってきたと思ったら今度はアレルギー症状。

先週のHP反省会で信州の実家から戻ってきた仲間と錦糸卵、山芋、ねぎ、大根おろしなどの薬味を持ちよりお昼に食べた。美味しくて私は3杯も食べてしまった。

その後二人の若い職員さんを呼んでみんなで「食べろ食べろ」と。

今回は女性の職員さんが転勤して今は男性ばかり。

まるで息子か孫のような存在。

館長さんも今年は若くそんなに愛想が良い方では無いが先日も例年どうり「ボランティアさんへの感謝の食事会」と称し、男性全員でひとしなづつ作って会を催してくださった。

蕎麦を食べた夜からあごのあたりが痒く次の日の朝から目の上が腫れはじめあごの下も広がり始めた。日曜日、お岩さんのようになり月曜日に皮膚科に行くと「顔湿疹」かな?と言われ塗り薬を下さった。

が、どんどん酷くなるので火曜日に友人から聞いた皮膚科に行くととてもてきぱきと指示され「取りあえず血液検査をして異常があれば電話をしますので大きな病院に行きなさい」とのことだった。

そして、前の病院より強い薬、その後、中。弱と言うふうに塗り、かゆみ止めの薬を処方された。

今日一日待ったが電話が無く、きっとアレルゲンが判ったのかもしれない。

孫の二人もアレルギー体質で畳がダメ。常に薬を持ち歩いている。

私のアレルギー歴も結構大変だった。 

最初は息子が生まれて一か月丁度に田舎の風習で「名つけ」と言うのがあり、親戚や近所の人など五〇人くらいのお客をすると言うので床上げ直ぐに三日間掃除や食事の支度までまるで結婚式のような準備をした。

若い私は毎晩深夜まで作業をして当日はくたくたになっていた。

そして、酒宴が始まったが途中からおかしいなと思っていたら悪露と言う再出血があり心臓が悪くて代わりに来ていた兄が片隅に呼んで「お前、顔が真っ青じゃけどだいじょうぶか?」と聞いた。

私はしんどいとは思わなかったが近所のおばさんが「顔色が悪いから二階で寝ていなさい」と言うので横になっていたら姑さんが来て「よそから応援に来て貰っているのだから頑張って起きなさい」と言う。

そうして深夜にやっと終了。

次の日、片付け自宅に帰ると体中に発疹が出始め発熱し始めた。

皮膚科に行くと即入院。

夫は一か月の息子にミルクを飲ませ、お風呂 に入れ、おむつを替え、昼は義姉に預け、夕方は連れに行ったらご飯も食べずに帰って育児、家事をしたそうだ。

私は1か月入院し完治しないので退院し毎日注射に通い、人に勧められ漢方薬局に相談に行った。

漢方薬は新薬と飲んでも大丈夫だそうだが何しろ手がかかる。

育児休職を取り殆ど私の闘病ではあったが飲み始めて半年した頃治ってきた。

医師が「今回は治ったが年取ったり、体が弱ったら又アレルギー症状が出ることがあるから疲れすぎないようにね」と言った言葉はいつも気になっていた。

そして、二度目は脳出血の後遺症の視床痛。

倒れて三年目ぐらいだろうか。

リハビリをしたり、身体を動かすと何とも言えない痛みが体中に走りがまん強い私がとうとう根を上げて「死にたい」とか「お父さん会社を辞めて私の傍にいて」と、言い始めた。

それは言葉で言い表せない痛みで本当に私も参った。

その頃、我が家に来ていたヘルパーの友人が「夫が俺のことはいいからできるだけ付いていてあげなさい。ご主人はやめたらいけん」と言われ時間がある限り我が家に来てくれた。

数年たって「あの頃ドアの前で開けるのが怖くて見ていられなかった。もう、目が死んでいていつ自殺するかと思った」と白状して「そうだったん?ありがとう」と言って二人で笑いあったことがある。

毎日「イタイイタイ」「死にたい死にたい」と言う私に夫もさぞ苦しかったろうと今は感謝です。

その時、薬学に変更した息子が「お母さん世界中探したけど痛みを消す薬は無いよ。頑張って痛みを克服して生きてくれよ」とメールをしてきました。

そして、入院していた脳神経外科に行って相談したら「そうだよ。無いんだよね。でも、視床下部が切れた人は多くの人が後遺症で同じような障害が出る。消すことはできないが和らげる薬がある」と言うので心療内科の先生に言うとそれならうちにもあるよ、とすぐに処方して下さった。

なるほど、痛みが少し和らぎ多少楽になった。

次の日、むすめたちが暮らしていた芦屋市に遊びに行った。

到着して暫くして胸のあたりが痒い。

娘が近くのお医者さんに連れて行ってくれた。

すると、一目見て「薬疹ですすぐに帰りなさい」と言われ帰宅したらあっという間に全身に広がり毎日点滴と薬で半年通った。

その時、大きな病院で行くべきだったのに家庭医に行ったばかりに半年かかった。

そして、今回はそうならないようにと思ったが夫の弟の薬剤師がすぐに調べてくれたが「薬ではないような・・」と、言い、薬学博士を持っている息子に相談すると「薬は害も多いから薬を減らしてくれる医師を探しなさい」とのこと。

孫たちも頑張っている。

私も負けずに頑張って行こうと思っている。

今は夫もいるので心強い。

 


燻製の味

2014-11-09 | グルメ

毎日の食事ではあまり食べることのないハムやウインナー。

でも、数年前からハムを売っているのを見かけたり、facebookで見かけたりしていた

実はリタイアした当時、使わない中華鍋を使って燻製をしていた。

だが、ハムやウインナーは面倒なのでしたことが無いので興味を持っていたのだ。

添加物の入らないベーコンは美味しくて沢山作って色んな人に配った。

本当はウインナーが一番作りたかったのだが・・・面倒くさそう。

子どもが生まれて自然食の運動をしている人たちと出会って添加物の無いウインナーが食べたいねと言っていたら地元の福留ハムさんが生協と共同研究されて作ってくれることになり私たちは子育てグループで会社に直接届けて貰っていた。

今もウインナーを買う時はどうしても福留ハムでと思う。

食品添加物、合成洗剤、原発、まるで仕事をしに来ているのか商売をしに来ているのかと言う毎日。昭和の時代はそんなことも許してくれる会社だった。

合成洗剤の全国集会は琵琶湖まで一泊で参加してきた。

何をしても目の前のことを一生懸命になるので家族は大変だったろう。

だから、手作りのハムはどうしても食べたかった。

夫に話すと場所も大体わかると言ってお昼を目指して出発。

場所は直ぐに判り、やはり少し高めなので好きなハムとウインナーを1種類づつ買って外に出ると数組の家族づれがホットドッグを買っているので私たちも同じように好きなウインナーを入れてのみ物を買って里山を見乍ら食べた。小さいから・・・と思ったら何とパンも食べ応えがあり十分でした。

私はちょっとピリッとするチョリソーが好きなので燻製の香りがしてやはり、探しながら来た甲斐ががあったと自己満足。

次回もまた違うものを食べてみたいと思いました。

通販もされていましたが直接お店に行った方が楽しいですね。

チョリソーが一袋残っているのでこれは勿論ポトフだな。

お店は

Glücksschwein

https://www.facebook.com/glucksschwein86