初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

イズモコバイモ

2012-03-26 | 写真

昨日の予報は雪。

朝から少し底冷えするような天気だったが気になっていた「イズモコバイモ」を見に行こうと沢山着込んで出発した。

天気予報は的中し動物園付近から雪が舞い始め場所によって強く降ったり止んだり。

昼前に川本の道の駅に着き場所を確認、数年前に行ったのに忘れていた。

道の駅の入り口には浜田から直送の干物屋さんがいて丁寧に説明をしてもらった。

帰りにお勧めの「バトウ」のフライとサバの干物を買った。

帰ってすぐに揚げたが白身の魚で美味しい魚だった。

ずっと前TVで見たような気がするが流通しないのはきっと足が速いからだと思う。

お店のお兄さんが「このあたりでないと無いけど驚くほど美味しいから食べてみて。僕らはこの魚で育ったから大好きなんです」と。

向かい側では地元のお寿司屋さんがお寿司を売っていて田舎風な野菜が沢山入っているのを買ったらこれも味が濃くなくてさっぱりしていた。

私はお寿司は食べるのはあまり好きではないが作るのは大好きで姑さんが好きだったので週に何度も作っていた。

ちらしずしを始め角寿司、稲荷、巻き寿司・・・。

私の母は角寿司の上には卵やデンブなどを載せ、具は寿司飯と混ぜて型で抜いていたが夫の実家は上にしめ鯖が載り中にあんこの様に具が入っていて宝探しのようでとてもおいしい。

姑が「豆がはいっとらん」と文句を言うので「私は食べたことが無いのでおばあちゃん見本を作って食べさせて」と言っていたのにとうとう姑は作ってくれなかったがどんな豆を入れるんだろう。

とにかく家事が大嫌いな人だったので家事が好きな私とはあまり話が合わなかったけれど年がら年中お寿司を作るのだけはきにいっていたみたい。

亡くなる前の日までお寿司を食べられるなんてしあわせですよね。

道の駅を出てイズモコバイモの公開地に行くと、この寒さで見物の人より地元の人が多いくらい。

寒いうえにさあ撮ろうと息を止めてスタンバイすると突風。

写真に風は一番の禁物ですが下を向いて小さな花が揺れているのは確かに「春の妖精」らしいですが非常に疲れます。

先日のセツブンソウは大きいのでまあ写真はごまかせますがコバイモは難しいです。

今日の朝刊に写真が載っていたので見物人がどっと押し寄せるでしょうね。

皆様もどうぞ見に行ってくださいね。

今が一番の見ごろです。


何だか・・・

2012-03-21 | 日記

今朝7時過ぎに携帯電話が鳴り、目が覚めた。

夫が応対しているが何かにぎにぎしい。

「は~い」とのんびりと出ると友人が少々興奮した声で「初ちゃんへラブレターがきています」と上記の投稿を読み始めた。

まだ頭がはっきりしないが読み終わった彼女が「誰だか判る?」と言うので「こんなことを書くのは大野弘子しかおらん」と言うと「ピンポーン正解です」と言う。

「私も彼女に逢いたいから連絡先教えて」と言うので「私も知らん」と答える。

投稿の彼女はちょっと私も似ている変り者と言われていた人。

コーラスのサークルでも一緒だったが突然「ちょっと地平線に沈む夕日と猛獣を見に行ってくる」とアフリカに旅立つような自由奔放の人。

私も負けず劣らずの「変り者」だったが当時500人くらいの女性の多い職場で彼女も私も「奇人変人10人衆」のうちの一人だと聞かされた。

一瞬にして彼女とのエピソードを思い出すほど色々なことがあった間柄だが私にとっては年齢だけではない「先輩」なのだ。

実は私の職場には昔から文章の達人がいて投稿欄にいつも掲載される大先輩がいた。

彼女の冴え渡った文章が載るといつも職場で話題になった。

しかし彼女が管理者になった頃から投稿されなくなった。

寂しいなあと思っていたら先出の大野さんが投稿を始めてしばしば掲載されるようになりいつも顔を思い浮かべては「ウフフ」と笑っていた。

しかし、彼女もいつの間にか投稿されなくなり寂しいなあと思っていたらネットのお友達から「こだま」に投稿を勧められ数年前に初投稿した。

その時はどうして電話番号を調べたの?と思うくらい沢山の人が電話をくれ「今度は初ちゃんが投稿を頑張ってよ。いつも応援してるから」と念を押されプレッシャーを感じていた。

しかし、毎日の日常を時折切り取ってワードに書くと心が落ち着き心がすっきりとして時折投稿しても掲載される頃には書いたことも忘れるくらい「書くこと」は私のストレス解消になっている。

申し訳ないが私はあまり推敲を重ねない。ちょっと気張って推敲を重ね「書いたど」と言う時は大抵ボツにされる。

しかし今日はとても疲れた。

新聞を通じて「会ってみたい」などと言われると「何だか・・・」と思ってしまう。

中には私の姓をまだ昔のままにして今の姓は良く知らないと言う人がいる。

「初ちゃん」はハンドルネームにして公用語になったようだ。アハハ・・・。

 

 

 


四苦八苦

2012-03-20 | ボランティア

月初めに音訳の録音日があり、午前中いつものエッセイを読み、午後、この時期の作業、プロ野球の選手名鑑を録音した。

私は昨年と同じ「ソフトバンク」を読んだ。

読み方を統一して読むので昨年どうりにワードで文字を大きくしてソフトバンクのホームページをコピーして自分専用の原稿を作り録音室に入った。

所が校正や録音の担当をしてくれる人たちが、貰った原稿どうりに読もうと言うことになり「あれっ早まったなあ」と思ったけれど何とかなるさと読み始めた。

すると、いつもは間違えないのに、読み違いが続出。

我ながら文字を追うのが精いっぱいで何やら変な読み方をしたり「1989年」をセンキュウヒャクハチジュウキュウネンじゃなくてセンキュウヒャクハチジュウクネンと読んだり「20歳」をニジュッサイ→ハタチと。

おかげで次の人は1球団しか読めず迷惑をかけてしまった。

それで済めばまだいい、問題はまずい録音だと後の修正作業が時間がかかる。

殆ど毎日数時間ずつパソコンで作業して今日までかかった。

元々口半分がマヒでしびれているので気を抜くとすぐに言葉がはっきりしなくなり口中音も激しくなる。

感度のいいマイクなのでプチッと口中音が入ると聞き苦しくなる。

パソコンでそれを取れればいいのだが取れないと時間をかけて修正することになる。

これはお互い様だが時折重ね撮りして消えていたり。

そうなると録音のし直し。今回は2度も録音し直した。

そんなことをすると声の音質も高さも変わり聞く人には、ますますもって聞きづらいことだろう。

今年も恥ずかしいくらいの出来だったがさて、聞いてくださるのは何人だろうか。

今年で4年間になるがこれ以上の上達は難しいかもと思ってしまう。

いつも指導して下さる方が「自宅で録音したら?」と勧めてくださるのだが第一に読み方の指導をして貰わなくては上達しないのだから自宅録音だと勉強にならない。

もっと暖かくなれば口も少し楽に動かせるようになるかもしれない。

読みが下手なのを口の麻痺のせいにするのはとても悔しいが少しでもマヒの改善に役立てばと始めたボランティア、辛抱のしどころです。


投稿

2012-03-08 | 日記

今日の朝刊の投稿欄に私の投稿が載った。

「へぇ~~」としか言いようがないくらい載らなかったのでボツになったとばかり思っていた。

時折、思いついたらワードに書いて文字数を見てコピペをしてメールで送信。

これがいちいち書くのであればものぐさの私は「投稿」などしないだろう。

友人に聞いて初めて投稿した時は文句なしで掲載された。

初投稿の人は必ず載せて貰えるんだそう。

味を占めて二度目に投稿したら新聞社の方からメールが来た。

文字数の決まりがあり500文字を少し出るくらい。そして、名前だけじゃなく住所、電話番号、年齢、職業も。

年末に出したら「年末はもう埋まりました。お正月に面白いことがあったら投稿してください」とお返事が来たりした。

今回は二月の中旬に出したので約1か月位、最初の頃は投稿して3~4日で載ったり1週間後に載ったりしたのに最近は随分時間がかかるのは投稿者が多いと言うことだろうか。

数か月前、公民館のパソコン相談日に来られる男性と知り合いになった。

勉強するときにどうしてもその方のパソコン内の写真を見ることがある。

沢山の写真を整理するのだと言われたので見せていただくと「ピースボートの旅」だったので「被爆者の方ですか?」と聞いたらそうだと言われ色々な話をされる。

その方の友人が「この人はねえ、投稿もされるんじゃ」と言われたので名前を聞いたら姓を聞いただけで下の名前がすぐに出てくるくらい頻繁に掲載される方だった。

「広場専門」だと言われたので「私はこだま専門」と言って友人になった。

2月の相談日に来られ「この間出したのに1週間以上経つが掲載されん。ボツかのう」と言われた。

私もそのうちに忘れてしまったがその後2週間くらいのちに掲載されたので安心した。 

前回の掲載はこだまに投稿したのに広場に載った。

良く判らないが今回はテーマがエンディングノートだと言うことで「前向きだね」と言う反応が多かったけどそうなのかな?

これからも面白おかしく日常が綴っていければとおもいます。