初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

綺麗な下着

2007-12-28 | 未分類

今日のちびまる子ちゃん(新聞の一こま漫画)のテーマに思わず笑った。


事故したときに妻が心配するのは「きれいな下着を着ていたか」と言う事だけ心配すると言う話。


実は私も常日頃考えてる事なので、自分が言われてるみたいでギョッとした。


家から出る時は「何事が合っても良い様に下着は綺麗に」というのがモットーで、こうして漫画を読んでみて「ちょっと古いかなあ」と思った。


よく考えると、事故、病気は場所時間を選ばずやってくる。


自宅にいたって倒れる事はある。


昔の人は何でも「もったいない」と、新しいものを使いたがらない。


特に義母は夫の下着でも破れた所を繕って自分がはいていた。


私は「下着を買うのが勿体無いからだと早合点して年末に上から下まで下着をプレゼントしてきたが結局10年間一度も新しいものを着なかった。


とうとう、亡くなるまで着る事無く逝ってしまったが、今思うとその方が勿体無いと笑える。


同居していた時、「腸管結石」になり、私が介護した時の事。


痛みの発作時には転げまわるほどの痛みで何度も往診してもらっていた。


下着を脱いで診察をして貰う時、医師の目の前で下着を脱がそうとするが脱げない。


義母は普段のままの下着で継ぎはぎだらけの下着を着ていた。


だから、形がいびつで脱がそうにも脱げない。


医師の目の前で、痛い義母と脱がそうとする私の悪戦苦闘に、恥ずかしそうに目をそらした義父を見て「下着、綺麗なの着た方がいいよ」と、忠告したが、義母はもう大丈夫だと新しい下着を着ずに何度も医師の往診を受けた。


それ以来、私は下着がいつも気になるのだ。


結婚した時に母から言われた教え。


1、夫には好きなだけお酒を飲ませてあげなさい。


2、破れた服を着せないようにしなさい。


この二つは忠実に守っているがお酒は適量しか飲まないが、洋服は私がうっかりすると破れたパンツ、靴下など履いているときがある。


そんな時に限って母が来る。


私は大目玉だけど、母はちゃんと繕って帰っている。


母が出来なくなった今、事故に遭わなくてもやっぱり綺麗な下着にこだわりたい。


はて、私が倒れた時は綺麗な下着だったか?


 




運転

2007-12-27 | 未分類

夕方娘から「芦屋を出た」と、メールが来た。


それから3時間で「広島に着いた」と、メールがあり、若さとはこんなにも力があるものなんだと思った。


私達が行く時は5時間かけて行ってた。


私には休憩が多いが運転一人じゃ大変だろうと思っての事だが夫の体力も随分落ちたようだ。


私は運転が意外と好きで、休憩するより走ったほうが気が楽で、松江あたりは休憩ナシで走っていた。


だから、病気したら夫が運転を許してくれない。


「無鉄砲だから何処へ行くかわからない」と言う不安が大きかったようだが、今思うと本当にやりかねなかったから止めて貰って良かったと思う。


運転する事で移動の自由は持てるかもしれないが、その分危険も伴うわけで事故をすると自分で処理が出来ず、誰かの迷惑になりかねない。


まして、高速道を走ると急激に血圧が上がり、元の木阿弥になりかねない。


今でも時々運転する夢を見る。


切ないけどその分自分の足で歩きリハビリになった。


歩く事で少しずつ自由を勝ち取ってきた。


長い時間をかけて公共機関にも乗れるようになった。


リハビリや急ぐ時はタクシーで移動するが、これも安全で快適、お金はかかるけど出かけるほうがはるかに身体にいい。


何はともあれ「レモン」はあっという間に迎えに来て連れて帰った。


ホッとしたり、寂しくなったり・・・孫達も「広島に帰りたくない」と、ダダをこねたそうだ。


本当に切ない事だが仕方ない。


車をぶっ飛ばして子供達3人を友人に合わせに行った娘の気持ちを考えると複雑な気持ちだ。


あ~今日は安心して眠れる。


 




ワンコ

2007-12-26 | 未分類


昨夜から娘宅のワンコを預かっている。


娘は今日の早朝芦屋の友人宅に子供達を連れて遊びに行った。


いつも我が家に来ているのでそう不安は無いと思うが、みんなが「じゃあね」と言うと寂しそうに「クイーン」と鳴いた。


昨夜は電気を消すと大人しくすぐに寝た。


今朝は何故かワンワンと吼え、ゲージから出すと走り回り夫は追いかけるのに大変そうで、遅刻寸前になった。


何だかずっと見張られている感じで少しうっとうしいけどいればいたで可愛い。


私も犬と一緒に育ったけど大きな犬はどっしりとしていて話し相手になるけど小さいとそういう気にならない。


レモンはいつもゲージでお留守番が多く、いないと一人遊びをしているようだ。


時々出して一緒に遊んでやると疲れてすぐに伸びる。


トイレシーツを出して綺麗にして、足と手をちょっとシャワーで洗って「ハウス」と言うとちゃ~んと入る。


私がパソコンをしている間は手鏡でゲージの様子を時々見ているが見えなくなった。


「レモンちゃん」と呼ぶとひょこひょこ出てきた。


鍵が外れていたようだ。


娘の命令だといろんな事が出来るみたいだけど、私じゃ「おいで」と、「ハウス」ぐらいしか聞かない。


午前中用事で出かける時は「行って来ます」と言って出かけた。


留守番をするということがわかるらしい。


その家の事情で飼い方も異なりそれなりのしつけが必要なのだそうだ。


午後は少し走らせて一緒に遊んだ。


別の部屋で片づけをしていたら物音に吼える。


「NO~」と言ってもなかなかやめない。


犬の習性だから仕方ないけど、少し煩いなあと思う。


2~3日の間だから我慢しよう。


まさか、孫の守は覚悟したけどワンコの守をするなんて思わなかった。




映画

2007-12-25 | 未分類


今日は巷はクリスマス。


私はこの所娘達との夕食で少し食べすぎなのでケーキとご馳走は無し。


娘は2段のケーキを焼いたそうだが私はいらないと言った。


午前中、孫二人を映画に誘ったのでネット予約した。


劇団四季などのチケットは席も細かく指定できるのにtohoは大まかな指定しかできなかった。


ど真ん中が予約できたと言う事は良しとすべきだろうか。


子供は途中でトイレに立つから通路側が良いと思ったが指定をやり直しても3つの指定は無理みたいだ。


チケットの購入もスムーズに出来、お決まりのポップコーンと飲み物を買い順番を待っていたら、小5の孫がいきなり飲み物を落とした。


すぐに私が拾ったのだが慌てて次々に落とし、大勢の人が悲鳴を上げた。


声でパニクッてしまったのだろう。私が「大丈夫だよ。何とかなる」と、言って落ち着かせた。


声を聞いて劇場のスタッフが飛んできた。


「何の飲み物でしょうか?」と聞きつつコップの匂いを嗅いで「すぐにお持ちします」と、もって来てくださった。


お礼を言って入場したがこういう事は慣れているだろう。道具も完備、跡形も無く綺麗になった。さすが最近の映画館はサービスが行き届いているなあと感心した。


一人で持つのは重かったのかもしれないと「悪かったね。全部あなたに甘えちゃって」と、言ったらすぐに笑顔が返ってきた。


始まって少しすると今度は下の子がトイレだと言う。


入る前に教えたがやはり、一人では不安みたいだ。


上の子は上手に頭を下げて通路に出たが下の子は足元を四つんばいになって這って出た。


帰るときも同じように這いつくばっている。


やはり、通路側で無いと無理かなあと思った。


映画は「マリと子犬の物語」


新潟山古志村の地震のでの実話に基づいた映画だが子役の演技が上手く泣けた。


地震と言う未曾有の天災には人間は無力で立ち向かえない事が多いが動物は運命のままに生きていかれる強さを持っているなあと思った。


それに、災害救助用のヘリ。


大きくて沢山の人を収容できる。映画で見ることで現実味を感じた。


本当はもっともっとドラマが沢山あったのだろうと思ったが、地震は本当に不可抗力の出来事。


山古志村の被災された人たちがこの映画を作る事で少しでも元気が出ればいいなと思った。


 


 


 




思わぬ生ライブ

2007-12-23 | 未分類


年末の行事、田舎へのあいさつ回りをやっと済ませた。


毎年、お歳暮を持参して近況報告をして帰る事にしている。


と言っても、普段から帰る度に顔は出すようにしている。


義母が亡くなって10年、いつまでお付き合いが出来るかわからないけど、みんないい方ばかりでこのまま身体が続く限りは行かせて貰おうかと思っている。


今年は暖かくて何度も田舎通いしたが、今年は今日で終わり、「良いお年を!」と言って帰った。


するべき事を終えて安心したので、帰りは湯来町のカズエラでお茶を飲んで帰ることにした。


珍しく車が何台も止まっていてお客さんが6人位いた。


見るからにミュージシャン?と言う感じでジャズの曲に合わせてリズムを取っている。


若いアベックさんが帰ると、椅子に座っていた熟年の男性がピアノの前でクラシック風ジャズを演奏した。


終わると「イエーイ」と、声がかかり、こんどはマスターがドラムスを叩く。


ピカピカに磨かれたベースも合わせて3人で2~3曲弾き私達も一緒にリズムを取った。


いいなあ~こんな風に趣味で集えるなんて。


それに皆さんお洒落。


ずっと前に、マスターに聞いた事がある、お仲間との練習だったのだろう。


時々はプロのミュージシャンとも出会う、素敵な癒しの空間でまったりとした時間を過ごした。


やっぱり、生の演奏はいいなあ。




おっちょこ夫婦

2007-12-20 | 未分類


実は、昨日から今日にかけて、楽しいこと、無念な事、腹立つこと、嬉しい事、ありとあらゆる出来事が私の身の回りに起こったのです。


昨日の夕方それは始まった。


携帯電話に夫から電話があり、「ニュージーランド行きの切符が取れなかった」と、言うのです。


11月頃から頻繁にニュージーランドのゲストハウスからメールが来て「早く切符の手配をしないと申込が増えてきて取り消すようになります」と、催促されていた。


ゲストハウスは日本人夫妻の経営で、8日間の旅は私達だけのプランでメールのやり取りで行きたい所、体験したい事などを決め、それにそってスケジュールを決めると言う方式。


今年の春に申し込み、リタイアの記念旅行と言う事、私に障害がある事、私達それぞれがしたい事などを打ち合わせてきた。


そして、大まかなプランが立ち、切符の予約を催促されていた。


具体的に日時が決まり夫に切符の手配を頼んだら勘違いして早すぎ、すぐに他の日を探したが取れない。


昨夜、私は涙を飲んで断りのメールをした。


メールを起動したら「金ちゃん」からメールが来ていて、私は会った事の無い彼女に「残念さ」を切々と綴り、送った。


すぐに暖かい励ましのメールが届き、私は心が落ち着きニュージーランドにメールをした。


そして、翌日の絵手紙教室の打ち合わせの為に迫ちゃんに電話し、いきさつを話すと「よし、明日はヤケ食いしよ」と言う事になった。


この二人の助っ人の為に私はすっかり楽になり、夫が帰ってきたときも笑顔で迎える事ができた。


二人共ニュージーランド旅行の事は触れずに眠った。


朝、夫が「来年は休みを取るから来春に行こう」と、すっかり気落ちして言った。一晩寝てすっかり諦めた私はすでに忘れ始めていた。


いつもより早く出かけパセーラで「穴子蒸し定食」を食べすっかりご機嫌になって絵手紙教室に行った。


ご馳走を食べたせいか「アンデルセン」に足が向わずさっさと二人で帰った。


夕食の支度が出来暇になった私はPCを開き、メールを起動した。


ニュージーランドからメールが来ていた。


その内容を読んで私は驚いた。


事の成り行きを見守っていて下さったみたいで「こちらで手配のお手伝いをしましょうか?」と言う内容で手続の仕方も丁寧に書いてある。


ヒッヤッホゥーと叫び、名前と電話番号を書いてすぐに返信した。


昨夜、ここまで書いて睡魔が襲い、この続きを書こう。


朝一番にメールチエックしたら返信が来ていた。


「無事、関空発のチケットが取れました」と、言う内容で改めての注意事項などが記載されていた。


おとといから3日間の喜怒哀楽、海外旅行経験の多いネット仲間が読んだら大笑いだけど、何故かとても可愛い失敗談に恥ずかしくもあるが敢えて公開。


夕方には旅行社から正式に切符が取れたと留守電に入っていて後は料金の振込みなどの手続をするばかりになった。


最初からこれじゃあ、先が思いやられるけど、60歳の節目、いい思い出を作りたい。


 




御用納め?

2007-12-19 | 未分類

北欧展」で買った帽子と靴。


早く雪が降らないかなあ。


 


 


さて、今日は今年最後のホームページボランティア。


最後となると何故か張り切る私、一番乗りでした。


腱鞘炎が痛いと、友人のKさんを無理やり誘い、私のパソコンでスタート。


タイピングが早い彼女、余裕の一着で「次何かしま~す」と、次の仕事にかかった途端、画面が霧のようにもやがかかり、エラーに。


驚いて保存したファイルを探したらホームページビルダーごと消えている。


無理やり連れて来た彼女の仕事は全部消え、おまけにサイトも消えている。


ビスタを入れてからこっち、こんな事ばかり。


電気屋のお兄さんが「ビスタはまだ不安定だから僕もまだ買ってないんですよ」と、言ってたけど、セキュリティはきついし、動作を少し間違うとしっぺ返しがきつい。


サイトまで消す事ないよね~と言いつつ作り直した。


公民館のホームページは「標準モード」で作るので「どこでも配置モード」で作る私とは作り方が違い戸惑う事が多かったが最近はこの方が綺麗で良いなあと思うようになった。


公民館からもお菓子やコーヒーの差し入れがあり、館長さんも顔を覗かせて下さった。


思った以上に記事が少なく、指にも影響は無かったみたい。


自分のホームページも9月頃から更新していない。


お正月用に新しくお掃除をしなければ。


一足早い御用納め、ご苦労さま。




食品庫大掃除

2007-12-17 | 未分類

以外に暖かい今日は午後からPC教室の日。


午前中、気になっていた食品庫の掃除をした。


無駄な買い物をしている自分に出会う瞬間、自戒を込めて取り掛かる。


上から順に出しては整理して綺麗に拭く。


これを繰り返すのだが上の段は回転が速く、いつも出し入れしているのであまり手がかからない。



真ん中辺りから奥のほうに物が詰められていて一つずつ出して賞味期限を確かめて捨てる。


可愛いビンに詰められた中国茶、紅茶、ハーブティーが封を切らずに入っている。


まさに私が嵌って買いだめし、飽きてしまったもの達。


誰もいない間に全部捨てて洗い、次なるものを入れた。


いつも「無駄な買い物をやめよう」と、心に誓うのだが・・・これが守れない駄目な私。


唯一、私を褒めるとしたらこの食品庫。


かれこれ20年位使っている。


シンプルな形、沢山の収納が出来、私の台所仕事を助けてくれた。


最近は無いのよね、こんな形。


そうめんはあと少しで無くなりそう。


スパゲッテイもまだ十分ある。


昆布はタッパーに入り切らないほどあるので佃煮に。


夫の好きなぜんざいを炊こうと買っていたあずきも早く食べなければ。


生姜湯はこれからが出番なのでもっと出さなければ・・・・と、一歩年末に近づいた1日。


かたや、年賀状の印刷をしながら片付けた私は天才?




携帯依存症

2007-12-13 | 未分類


 


携帯電話を持ち始めて何年になるだろう。


私はデザインやサービス内容にはさほど興味が無いけれど、メモ代わりに、電卓に、勿論電話帳としての機能は大きい。


最近ではインターネットで人のブログを読んだり、コメントしたり、旅行記なんぞとはしゃいでみたり・・・。


そんな、私の必携のものだと言うのに・・・病院に連れて行って貰った時に忘れた。


夫は何処へ行っても私を降ろすとすぐにいなくなる。


私もうっとうしいので何処かで時間つぶししてくれると気兼ねが無くていい。


その日に限り患者が少なくすぐに私の順番が来た。


すぐに診察が終わり、さてどうしようと思案した。


私は、あの長い携帯電話番号は下4桁と始めの090しか覚えていない。


夫の携帯電話を知っているのは兄と娘。


兄の所へ掛けると留守電。


娘は・・・娘の自宅はIP電話でまだ覚えていない。


う~んどうしよう。


電話帳は掲載略になってる。やはり、私の娘だ。


すると兄を攻めるしかない。


この時間帯はボランティアに行ってるかもしれない。


ボランティア先の病院の電話を探して掛けたら外出中だ。


もう~~これまでかなあと「妹ですが携帯の電話番号教えてください」と、ダメモトでお願いすると以外にすぐに教えてくれた。


電話をするとすぐ近くの整形外科へ母を連れて来ていると言う。


そうだった、母は手を骨折してその日がギブスを外す日だ。


「お前、何してるん、俺が電話するけど・・・」と、笑われてしまった。


電話を切ると、受付の女性二入が心配そうに覗き込んでいた。


私が余程困った顔をしていたらしい。


10分もしない内に夫は戻ってきたが、忘れた私もすぐに逃げてしまう夫も気まずくて、結局何も言わなかった。


携帯依存症、あなたもなっていないですか?


それにしても、夫の携帯の電話番号がどうしても覚えられないのはどうしてだろう?


仕事柄、電話番号を覚えるのは超得意のはずなのに。


 


 




忘年会

2007-12-13 | 未分類


昨年のこの時期、最後の職場の同僚が集まって忘年会をした。


もう半数以上がリタイアしているが遠慮の無い仲間同士楽しい集いだった。


今年もすると言うので楽しみにしていた。


場所も同僚の娘さんのお店。


現役が二人、あとはリタイア組みで美味しい料理に舌鼓を打ちながら話が弾んだ。


私も仕事を離れて20年近くなり、仕事の話はよく判らないがそれなりに頑張っている様子、リタイア組も再就職したり子供の子育てのお手伝いをしたりと皆忙しそうだが皆が言うには私が一番元気そうだと言う。


気持ちの上では元気そうかも知れないが身体はあちこち悲鳴を上げ「もういつ死んでもOKだよ」と言うと「まだだめだ」と言われた。


あの人もこの人も亡くなったと聞き、時の流れを感じた。


私などは命が助かり、時間と共に回復し2度目の人生を味わえるようになって幸せな方だ。


今ある命を大切に、次回も明るい笑顔で出席できるように誓い合って別れた。