初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

50肩?

2009-09-21 | 未分類

連休2日目の夜、腕と肩の痛みで眠られませんでした。


まだ病院に行ってないのですがこれは50肩ではないかと思います。


力を入れたり動かすと目が飛び出そうな痛みが来ます。


昨夜も殆んど眠られず、ドックドックと痛みが酷くなります。


木曜日には整形外科に行こうと思いますがブログはとても無理です。


皆さんの所を黙って読ませてくださいね。


50肩の経験のある方、教えてください。只今シップで冷やしています。




連休初日は・・・

2009-09-19 | 未分類

今日から5連休。


からりと晴れたさわやかな朝、休日も同じように起きてしまう。


昨夜、食事をしにきた娘が「連休はインフルエンザが流行ってるから外出、人の多いところは自粛するようにと学校からお達しがあった」と言っていた。


一日くらいは遊んであげようと朝電話したら中学生の孫が出てきた。


「あのね、仲良しのお友達がインフルに感染して今日は私だけ何処にも行けないの」と言う。


上の孫は喘息持ちなのでもし感染していたら早く治療をして貰わないといけない。


「じゃ、昨夜一緒に食事したからもしかしたら私も感染したかもね」と言うと、娘に代わって「ごめんね、昨日聞いていたら行かなかったのに今朝連絡が入ったから母さんにうつしたかもしれない」


急にインフル渦の輪が広まりはじめ、私なりにシュミレーションしていた通りになり身近に迫ってきた。


孫達はどの子も毎年予防注射を受けない。


でも、あまりかかることは無く、かかっても2日位ですぐに治る。


しかし、新型インフルは同じようなわけに行かない。


未知の病気はやはり怖い。


連休中は私達も自粛しようと話してはいたが以外に早く周囲に迫ってきて不気味だ。


取り合えず、食料は1週間以上あるので篭ることは出来る。


が、涼しい風が吹き始め秋の山野草も見に行きたい。


お弁当でも持って高原ドライブでもする事にしよう。


私は高熱が出たことが無いが、夫はインフルにかかると歩けないくらい衰弱する。


ちょっとヒヤヒヤの数日間。


皆さまもどうぞお気をつけ下さい。


もはや、すぐ側に迫っていますよ。




友人達と

2009-09-17 | 未分類

夏休み以前から「会おうね」と約束していた友人達と食事をしに出かけた。


4人でと言うことだったが一人都合がつかなくて3人。


パセーラがいいか、駅前福屋がいいかメールで確かめる。


駅前がいいと言う事で少し早めに出た。


おっちょこおばさんのブログに広島駅にエレベーターが出来たと書いてあったのでウロウロしたが見つからず駅員さんに聞くと私の降りた場所からは死角で見えなかったがなるほど楽になった。


勝手知ったる駅周りだけど随分変わった。


福屋の中も配置が変わり新しい店が入っている。


前回「梅の花」でお豆腐を食べたが今回はおば様たちがずらり並んでいるのでお隣の「濱登久」へ。


殆んどが中年女性。眺めが良く新球場のほうまで見渡せる。


私は今回聞き役で親の介護の話、孫守りの話、それぞれに皆大変そうだった。


二人とも手にシップを貼って痛々しい。ゴツゴツと指が硬くなってグーが出来ない。


「どうしたのよ」と、聞くと使いすぎだと言う。


私も一時手に力が入らずほうれん草も搾れなかった。


でも、週1回の整体通いで手術だなと言われていた腱鞘炎はすっかり良くなり柔らかい力の入る手になった。


そんなにまでして頑張らなくてもいいのに二人とも頑張りやさんだからきっと無理してるんだろうな。


私の手を握って「柔らかいなあ」と二人で感心している。


私だってほうれん草やきゅうりを搾れるようになったのは数ヶ月前だもの。


まだ肩や腕は時折痛むので週一回はメンテナンスに通わなければいけない。


お茶は違う店にしようとアフタヌーンティーへ。


3人寄れば話は尽きない。


帰る道すがら直通のバスは無いのかとそれぞれ見ていたら制服を着た若い女の子が「どちら方面ですか?」と一緒に探してくれた。


最近は親切になったものだ。


結局、あるような無いような、結論は出なかったが友人はバスで帰るとさっさっと帰って行った。


私はやはりJRで帰る事にして地下のお店をぐるりと回って帰った。駅ビルは新球場にあやかりカープ製品が並んでいる。


お弁当もこれでもかと言うぐらい積み上げているがそんなに沢山の人が行くのだろうか。


結局何も買わずに早々に帰宅。


次も元気で逢えますように・・・友人は120歳まで生きるそうなので大変だぁ。




デンゼル・ワシントン

2009-09-16 | 未分類

久々に映画に行った。


デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタの「サブウエイ123」


NYの地下鉄のハイジャック犯(トラボルタ)と、交通司令室の平凡な一社員(デンゼル)との行き詰るような交渉。


名優同士の激突はやはり手に汗握るシーンの連続で結構面白い。


デンゼル・ワシントンにしては珍しく「娯楽映画」


トラボルタは歌はあまり好きじゃないが年とともに渋みが出て冷血なしかもデンゼルがすっかり好きになって少し隙のある役どころは以外に間抜け。


デンゼル・ワシントンは有名になった作品「遠い夜明け」を見てファンになった。


遠い夜明け以降、殆んど映画は見ている。


アッテンボロー監督が主役のスチーブン・ビコ役をアフリカに探しに行ったがいなくて、アメリカに帰り「ソルジャー・ストーリー」に出演しているD・ワシントンを一目見て白羽の矢を立てたと本で読んだ。


遠い夜明けのビコ役は黒人をこの上も無く神秘的に美しく撮っている。


アパルトヘイトの運動の中で英雄視されたビコは実在の人物だと思う(半分忘れたが)が暗闇の中での目の演技は本当に魅了された。


黒人の俳優では「招かれざる客」や「野のユリ」に出演したシドニー・ポワチェが好きだったが彼に続いたのがD・ワシントンだと思う。


不思議なことにD・ワシントンという俳優は憎たらしい兵士の役も弁護士も作品によって顔や態度も全て変わり、役にはまりきる。俳優だから当然でもあるが。


今回のサブウエイ123ではあまり見たことの無い、家庭を大事にする普通の中年男性の役どころ。


最後は機敏にピストルを発射してちょっと英雄的だったけれど終わると本当の一般人のような笑顔をみせる。


娯楽映画も良いが彼には知的な演技でう~んとうなされるような映画がピッタリ。


次の作品もきっと見に行くだろう。





この秋から生活一新

2009-09-13 | 未分類

涼しい風が吹き始めやっと爽やかな秋の香り・・・。


先週はパソコン教室の方に食事につれていって貰いご馳走になった。


古田台のイタリアンのお店。


他のクラスは田舎料理のお店だとか、私はイタリアンが大好きなので嬉しい。


でも、このお店は美味しいけど量が多く、やっぱり最後のデザートは食べられなかった。


いつもは夫が残りを食べてくれるので何とか残すことは無いが皆さん綺麗に食べておられるので頑張って食べたらお腹がはちきれそうになった。


ま、デザート系はあまり好きじゃないので皆さんに食べてもらった。


みんな陽気で楽しい人ばかり、おしゃべりに花が咲いた。


さて、帰ってから手帖を出して今秋の予定をめくってみる。


「夏休みが終わったら働くよ」と言ってた娘がいよいよ10月から働きに出ることになった。


中1のお姉ちゃんが私達の予想を裏切って体育会系クラブに入り本人は勿論、娘も大変な忙しさになったようだ。


おまけに塾に通い始め休日は部活とボーイスカウトでキャンプや訓練があり目の回るような忙しさ。


手際のいい娘はいつの間にか仕事を見つけ、面接にまでこぎつけた。


10月から訓練期間に入り下の子のお留守番の日が心配らしく電話をして来た。


勿論、私達も両方の親に助けてもらって子育てをして来たので最大限の協力はしようと話していたが予定より早いスタートなのでちょっと驚いている。


朝は同時に出かけられるのでいいとしても、問題は小1の男の子。


小3の女の子とは帰る時間が一緒になるときがあるが一人になるときがたまにある。


私のボランティアは大抵夕方までなので夕方からは留守番に行かれる。


が、娘宅の台所で食事の支度はしたことが無く、道具も私の手に合わせて色々そろえているが娘宅には無い。


だから、「私も食事の支度は帰ってからしていたので貴女もそうしてね」と、最初に宣言しておいた。


私の場合は宿直や夜勤もあり、私のいない時間帯、次の日のお昼ごはんも用意して出勤していたので物凄い急がしさだった。


のんびりの私でも何とか乗り切ったので娘にもそうしてもらう。


娘は「いるだけでいいのよ」と言うけれど「いるだけ」が出来るはずも無く、あれもこれもと仕事を背負いこまないように気をつけようと思っている。


来春からは夫が半日勤務にすると言うのでそうなると随分楽になるので半年の頑張りだ。


しかし、毎日のお出かけは疲れるに違いないと絵手紙教室は春までお休みし、ボランティアもなるべく早く帰らせて貰える様にお願いしようと思う。


秋からどんな一日になるのか心配だけど子供達は何とか納得したみたいでホッとしている。


忙しくなって少しは体重が減るかも。


不安と楽しみと同居して複雑な心境。頑張らなくちゃね。




官僚たちの夏

2009-09-08 | 未分類

民主党政権になり官僚との対決だと騒がれていますがそんなに官僚は悪いものでしょうか?


毎週日曜日に「官僚たちの夏」というドラマが放映されていますが、この話は殆んど実話に近く、城山三郎さんが綿密な取材をされて書かれた実話です。


少し官僚びいきに書かれてはいますが取材は主人公の側近の部下だった元大分県知事の平松守彦さんや周りの人物から徹底して聞き出し、その中で浮かんでくる人物像を描いていくのだと色んな人の城山評伝に書いてあります。


主人公は佐橋 滋氏で昭和30年代、戦後復興期の通産省の官僚たちの生き方にスポットを当てています。


ドラマの中で「理想的な官僚」として活躍するのですが復興期の対アメリカとの輸出協定、国産コンピューターの普及、三池闘争の労使との橋渡しなど今では考えられない働きぶりに国を思う、国民の事を思う官僚の姿が浮き彫りになっています。


昔はそういう佐橋さんのような人が活躍できる雰囲気があったのでしょう。


と言うより彼が特別だったのかもしれません。


映像では出始めの大きなコンピューター(名前は忘れましたが)が出てきますが、我社の比治山ビルまで見に行った事があります。


東京オリンピック、三池闘争・・・私はまだ学生であったけれど兄達の時代、多くの労働者が支援に行き首になった人もいます。


そんな時も労使の間に入り争議の解決に尽力したなんてドラマではじめて知った事実です。


全部が事実とは限らないけど国の為に一途に働いた人がいたのは確かでしょう。


が、佐橋さんは時の総理や周りの官僚から嫌われ左遷の憂き目にもあうのです。


それなのに今では悪の根源のように「官僚」と言う言葉が使われ官僚政治だと言われて来た。


今回の政権移譲でどのように変わっていくのか、政治主導だと安定した国になるのか、期待と不安が交差する。


政治が本気で国民の事を考えようと言うのならば本気で取り組む官僚も出てきて欲しいものだ。


しかし、そんな甘いドラマチックなことは無いに等しいだろう。


再び官僚たちの夏が来て欲しいものだ。




懐かしい人たち

2009-09-08 | 未分類

最近残暑が厳しく涼を求めて湯来町のカズエラで食事をしようと出かけたら、朝が早すぎてまだ準備中。


廿日市市の「柿木村」で買い物を済ませたので用事で帰る事も無く湯来ロッジの工事がどの位済んだか見に行きました。


ほぼ完成して随分綺麗。


湯来温泉は姑が足を骨折した時随分通った。


姑はお風呂が嫌いで、お供に私の母が着いて行き相手をしてくれました。


私も温泉はあまり好きでなく友人がお弁当を出すと言う条件で付き合ってくれ、待っている間吉和方面の裏道を山野草を見てドライブしたものです。


ふと、あの爽やかな風が吹く裏道を思い出し夫に提案すると、じゃあ「もみのき森林公園まで行ってみよう」と言うことになり、私のナビで行くことにした。


私が姑を温泉に連れて行ったことも、その間あちこちドライブした事も知らない夫は半信半疑で細い道に入っていった。


途中、岩のゴロゴロした渓流があり、夫の好きな風景らしく一人歓声を上げていました。


道が狭く、離合が難しい道が続き今思うとよくぞあの山道を運転していたものだと我ながら感心した。


夫も「こんな道、よう運転したなぁ」と驚いていましたが「若い」からこそできたのでしょう。


もみのき森林公園は以外に人が多く、若者が多いのに驚きました。


食事を済ませ、ロビーで寛いでいると夫が誰かと話しています。


振り返ると、昔一緒に労働運動していた友人が立っていてびっくり!


彼女は数年前にリタイアして年賀状のやり取りしかない。


年取ったけれどやっぱり美人は美人、変わっていない。


彼女は「平和友好祭」に来たのだという。


私は「平友祭」には一度も行ったことが無いが夫は行っていたらしい。


彼女が「○○君や○○君も来るから会場に行こうと誘ったので着いていった。


体育館に沢山の若者が集まっていた。


出てきたのはコーラス部の後輩の○○君。


もう一人の後輩は夕方来ることになっていると言う。


平友祭が始まるまでおしゃべりをし、旧交を楽しんだ。


自分の信念を貫き、リタイア後も若者の指導や手助けをしてハツラツと生きている。


女性が少なかったのが気になるが遠目に見ると彼女も彼も若者に見える。


何であってもいい。自分の人生を懸命に生きるって素敵だなあと思った。


森林公園はもう秋の走り。


ナナカマドの実が色づき始め、モミジも紅葉を始めていた。


秋の山野草が咲き始めカメラを忘れたことが悔しい。


しかし、何と言っても懐かしい人たちに会え、それぞれの場所で頑張っているのを見て私も元気を貰った。


歌声指導・・・そんなこともしていたなあ。


 




阿修羅に逢いに

2009-09-03 | 未分類

期日前投票を土曜日に済ませ、日曜日、急遽大宰府の九州国博に行ってきた。


奈良興福寺のガラスケースを出て半年あまり、東京と大宰府の2箇所のみの公開なので待ちに待っていたがとうとう9月末で終わってしまう。


高校の修学旅行は奈良、京都。


沢山のお寺を巡ったが頭に残っていた仏像は中宮寺の菩薩半跏像で、はじめて見た時にじ~と見つめたまま動けなかった覚えがある。


美しく、首をかしげた物思いに沈む表情には確かにかすかな笑みがこぼれ魅力的な仏様でした。


その時の思いとは別に阿修羅は清々しい顔と横向きの顔との対比が見てみたく、今回は後ろもぐるりと回って見ることが出来るので大渋滞覚悟で行きました。


前日、HPで渋滞や駐車場などの検索をして資料を揃え早朝出発。


土日は混むからと平日の予定を立てていたが二人のスケジュールが合わず、兎に角早く行こうと言うことになった。



国博のお勧めはナビ通りに行かずすこし遠回りでも違う道を行けと書いてある。


私達は大宰府の次のインターで降り、地図通りに行くとスムーズに行くことが出来た。


大宰府は娘の高校受験の時以来だけど随分変わっていた。


10時に着いたけどもう長蛇の列が出来ていた。


私は持参した障害者手帳を出して障害者駐車場に止めさせて貰おうと思ったがここも満杯で暫く待つことになった。


窓を開けると暑い。広島に比べると随分暑くやはり九州。


ネット友のととろさんのお宅はこのあたりなんだなあと見渡したが無論、連絡する時間も無く、又この渋滞ではとてもお会いすることは無理だと思った。


暫くして駐車場が空き、やっと入場することになった。


こちらへ、こちらへと手招きされて列に割り込ませて貰った。


しかし、中ではエスカレーター待ちの長蛇の列があり、これは並んで歩かなければいけない。


でも、ゆるゆると進み、私はこんな歩き方が一番楽なのでラッキーだった。


中は人が溢れ奇妙な掛け声が聞こえる。


遠目に阿修羅像が見え、幾重にも取り囲んだ人の波が「1・2・3・4・5」の掛け声でゆるゆる動く。


夫の腕を掴んで引っ張ると「危ないから近づくな」と言うのだがチョコチョコと間に入り三方の顔を見たり首の飾りや華奢な身体、後姿など見ることが出来た。



本で見るより「つや」が無くて小柄153センチ、表情は遠くを見つめ人間に近く、手を合わせる姿は清清しさを感じる。


左の顔は唇をかみしめ、あどけなさが残る少年の顔、右の顔は中向きにこじんまりとしたすこし大きくなった顔、正面は確固たる意思を持った成熟したきりりとした顔。


耳は一つなのにぐるり、不自然ではない。バランスの取れた、技術的にも優れた仏師が作ったものだろう。


他の仏はあまり取り巻きがいないのでじっくりと間近で見ることが出来、やはり、人間に近い表情。


四天王像が踏みつける鬼の表情が可笑しくて「鬼と四天王とどちらが怖い?」と言いながらあっちを見たりこっちを見たり。


片隅にあったバラモンの像や華原磬(バラモンが打ち鳴らすそう)もなかなか面白かった。(バラモンってカースト制度の身分の高い人の意味かしら。どうして鐘を打ち鳴らすのかこのあたり勉強不足)


八部衆像は阿修羅に似た顔が多く、天平時代特有だと言われる脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)と言う技法を見たいと思ったが暗くてしかと見ることは出来ない。



殆んど興味の無い夫は「何でこの人達はこんなに来たのかな?そうありがたい仏には見えんけど、わからん」と言いながらミュージアムに意気揚々と行く私を呆れて見ていた。


絵手紙仲間に出す絵葉書。絵が好きな友人に近況報告、床に飾る素敵な手ぬぐい、両手に持って出ると益々人の波が増えている。


早く出てあげないと駐車場が空かない。博物館の人にお礼を言って早々に退散。


帰りはうっかりナビをセットしたばかりに渋滞に巻き込まれ「梅ガ枝餅」も買うのもやっと。


天満宮へのお参りも叶いませんでした。


おかげで夕方には広島着。行き当たりばったりにしては上出来の旅でした。