モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

オキザリス・パーシーカラーの花 と オーストリアのプラントハンター“ジャカン”

2008-12-03 08:59:17 | その他のハーブ

マッソンが探検した南アフリカ原産の植物が目に付くようになり、来年の仕込みとしていくつか球根を植えた。
もう芽を出しているので、この冬の寒さを乗り切れるのだろうか? 
心配だ。   
さて本題に・・・

(写真) オキザリス・パーシーカラーの花


オキザリス・パーシーカラーの花が咲き始めた。
この花は、日が昇るにつれ花びらを広げ、日がかげると閉じる。

そしてその閉じた姿は、英名で「Barber's pole」というように、
床屋のシンボルマークである動脈と静脈がパラソルをまいたような様になる。

原産地は南アフリカでありこれからが春本番となるため、時期的に日本の冬に咲く貴重な花だ。
寒さに弱いため室内がよいが、昨年は日当たりが良い屋根下で耐えたので多少耐寒性がある。

オキザリスは、イギリス、キュー王立植物園のプラントハンター、マッソン(1741-1805)も
南アフリカで採取してイギリスに送っているが、どの品種か確認できなかった。
(注)マッソンにご興味のある方は、『喜望峰シリーズ①~⑭』をご覧ください


パーシーカラーの学名“Oxalis versicolor Jacq.”から命名者を確認すると面白いつながりが見えてきた。

命名者は、オーストリアのプラントハンター“ジャカン”
命名者“Jacq”は、ジャカン(Jacquin, Nicolaus Joseph von 1727-1817)
オランダ・ライデンの裕福なカトリック教徒の家に生まれる。

新教徒の国オランダでカトリック教徒の子弟の教育は恵まれた環境にはなく、
彼が23歳の1750年にパリで医学を2年間学ぶ。
この時、フランスの植物学をリードしてきたジュシュー一家と知り合う。

リンネ(1707-1778)もパリに一度行っているが、
パリの植物学界をリードしていたのはリンネ嫌いのビュッフォン(1707-1788)であり、
ビュフォンは会わなかったので、ジュシュー兄弟の弟のベルナールと親交を結ぶ。

敵の敵は味方というわけではないが、リンネは自分の味方を増やすためにもジャカンと親交を結ぶ。
マッソンもリンネに認めてもらいたい願望があり親交を結んでおり、

植物の体系のグローバルスタンダードを目指していたリンネが
この知のネットワークのハブとなっているようだ。

ジャカンは、マリーアントワネットの母、オーストリア皇后マリアテレジアから招聘を受け、
以後生涯をオーストリアで暮らすことになる。

彼は、1755-1759年まで皇帝フランツ一世からの要請で西インド諸島への植物収集旅行をしている。
マッソンよりも早い時期でのプラントハンターでもあった。
これはどこかで深堀してみると面白そうなので、このへんでやめておく。

さらに“ジャカン”に興味を持ったのは、彼の自宅で、モーツアルトのピアノ演奏会がされたそうだ。
悪妻に悩まされたというモーツアルト(1756 – 1791)確かにこの時代にウィーンにいた。

(写真)花びらが閉じた時のオキザリス・パーシーカラー


オキザリス・パーシーカラー
・カタバミ科の半耐寒性の球根で冬場は室内又は屋根下で。
・学名は、オキザリス・ベルシコロル(Oxalis versicolor Jacq.)、流通名がパーシーカラー。
・英名は、Barber's poleと床屋のシンボルとはおしゃれなネーミング。和名は、しぼりかたばみ (絞り酢漿草)
・原産地は南アフリカケープ地方。プラントハンター、マッソンが採取したのだろうか?
・草丈は10~15cmで、線形の葉、白と赤の縞模様のつぼみが特色。
・やや渇き気味を好むので、乾燥したらたっぷりと水を与える。
・開花期は、10月から春先まで。花の色は白で裏側の縁に緋赤色が入る。
・陽が揚ると開花し、陽がかげると閉じる。曇りの日は閉じたままのこともある。
・休眠期は、5月から9月頃まで。この時期は乾燥させ水を与えない。


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