本草書のトレンド④ 16世紀新世界に関する本草書ブーム
プラント・ハンターのパイオニア、エルナンデス
1570年 医師・植物学者フランシスコ・エルナンデス(1514-1587)は、
スペイン国王フェリペ二世から植民地全域の薬用植物情報を集める特命に任命された。
やはり、腕っ節が強い海賊タイプだけでは物事が進まないことがわかり、
植物・薬草の専門家を送り込まなければならなくなったのだろう。
1571年、彼は、息子のJuanを連れてメキシコに行き、中央メキシコなどを精力的に歩き
薬草及びその情報の収集、サンプルの収集・分類、先住民などからのヒアリングなどを5年間行い
1577年にメキシコを去るまでに800の木版画を取り入れた20冊の原稿を2年間で作成した。
新世界メキシコの動植物を記述した博物誌としては、初めてであり、
この成果は、帰国後のヨーロッパで発表された。
しかし公開・出版はされなかった。
なぜかというと、植民地メキシコの動植物の情報は、
先行するスペインにとって重要な機密情報に当たると判断されたからだ。
このエルナンデスの原稿は、Escorial王立図書館に保存されたが、
残念ながら、この原稿を預けた王立図書館が火事になり原稿は消失した。
しかし、部分的な原稿はメキシコに残っており、メキシコの聖ドミンゴ修道院の修道士によって
エルナンデス死後の1615年にメキシコで出版された。
by Francisco Hernandez (1514-1587). The Rerum medicarum Novae Hispaniae thesaurus seu Plantarum, animalium, mineralium mexicanorum historia
アコスタの新大陸自然文化史
フランシスコ・エルナンデスがメキシコに向かった1571年
イエズス会の修道士ホセ・デ・アコスタ(José de Acosta 1540-1600)は、新赴任地ペルーに向かった。
アコスタは、布教のかたわらでペルーの自然、先住民の生活、言語、習慣などの観察、
動植物の調査などをおこなった。
1576年にはアコスタはペルーの菅区長となり、1588年ローマに向けて旅立ったが、
このときには、これまでのペルーの観察などで書いた原稿を持っていき、
1589年『新大陸自然文化史』7巻中のうちの最初の2巻のラテン語版をサラマンカで出版。
1590年『新大陸自然文化史』(Historia natural y moral de las Indias)全文をスペイン語で公刊した。
エルナンデスの大作は、出版されなかったために評価を受けなかったが、
アコスタの博物誌は、新世界を理解するうえでの良き手引書として高い評価を受けている。
カカオについて記述されているアコスタの観察眼の一部を抜粋紹介すると
“カカオは貨幣としても使われる。このカカオの主な効用は、それからチョコラーテというおかしげな飲み物を作ることである。これはあの地方で愛好される奇妙きてれつな代物で、慣れていない人には、見ただけで吐き気をもよおすものもいる。何しろ上に泡が浮き、くそかすのようなものが煮えたぎっているのだから、よほど念を押さない限り安心してもめない。だが結局は愛好される飲み物でインディオでもイスパニア人でも自分の土地を通る主人たちにこれをささげる。”
(注)チョコラーテの語源は、ナワトル語のchocolatlから出た。
新大陸関係のの本草書
ヨーロッパで始まった植物学への関心は、半世紀遅れの16世紀中頃以降に、
新大陸の自然・社会・生活などにも関心が向かった。
それまでは、中世の奇妙奇天烈な迷信というメガネで新大陸を見る兆候があった。
代表的なのは、エル・ドラード(黄金郷)神話であり、黄金郷を求める異様な情熱が始まり、
アマソーナス、パタゴニア、カリフォルニアなどの地名に騎士道物語から取られた情熱の名残が残っている。
しかし、現地での経験・観察を基にしたリアルな記述が、
迷信・誤解などを消していく役割を果たした。(相当長い時間がかかっているが・・・・)
その先駆けが、博物誌のブームでもある。
【新大陸の博物誌】
・1498年ころ、コロンブスの第二次航海に同行したヒエロニムス会の修道士ラモン・パネー
コロンブスから依頼された信仰と偶像崇拝に関する『インディオの信仰ならびに習俗に関する報告書』を提出。
ヨーロッパ人がインディオの文化を調査してまとめた最初の文書。
・1525年 ゴンサロ・フェルナンデス・デ・オビエド・イ・バルデース(マドリード生まれ1478-1557)
スペイン、トレドで『インディアス博物誌要約』を書く。1534年ラテン語版とイタリア版。
1555年ロンドンで英語版が公刊。
・1552年 フランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ『新大陸概史』サラゴッサで第一部・二部を出版。
1553年には縮刷版が出版され、スペイン語版・イタリア語版・フランス語版・英語版に翻訳出版された。
・1553年ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンの『ペルー誌第一部』がセビリアで出版。
・1555年アグスティン・デ・サラテの『ペルー発見征服史』がアンヴェールで出版。
・1560年代イタリア人ジェロニモ・ベンゾーニの『新世界史』がヴェネチアで出版。
・1589年ホセ・デ・アコスタの『新大陸自然文化史』7巻中のうちの最初の2巻のラテン語版が
サラマンカで出版。1590年『新大陸自然文化史』全文がスペイン語で公刊。
<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
・イスラムの世界へ
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
⇒Here フランシスコ・エルナンデス メキシコの自然誌を発表(1578)【その31】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
プラント・ハンターのパイオニア、エルナンデス
1570年 医師・植物学者フランシスコ・エルナンデス(1514-1587)は、
スペイン国王フェリペ二世から植民地全域の薬用植物情報を集める特命に任命された。
やはり、腕っ節が強い海賊タイプだけでは物事が進まないことがわかり、
植物・薬草の専門家を送り込まなければならなくなったのだろう。
1571年、彼は、息子のJuanを連れてメキシコに行き、中央メキシコなどを精力的に歩き
薬草及びその情報の収集、サンプルの収集・分類、先住民などからのヒアリングなどを5年間行い
1577年にメキシコを去るまでに800の木版画を取り入れた20冊の原稿を2年間で作成した。
新世界メキシコの動植物を記述した博物誌としては、初めてであり、
この成果は、帰国後のヨーロッパで発表された。
しかし公開・出版はされなかった。
なぜかというと、植民地メキシコの動植物の情報は、
先行するスペインにとって重要な機密情報に当たると判断されたからだ。
このエルナンデスの原稿は、Escorial王立図書館に保存されたが、
残念ながら、この原稿を預けた王立図書館が火事になり原稿は消失した。
しかし、部分的な原稿はメキシコに残っており、メキシコの聖ドミンゴ修道院の修道士によって
エルナンデス死後の1615年にメキシコで出版された。
by Francisco Hernandez (1514-1587). The Rerum medicarum Novae Hispaniae thesaurus seu Plantarum, animalium, mineralium mexicanorum historia
アコスタの新大陸自然文化史
フランシスコ・エルナンデスがメキシコに向かった1571年
イエズス会の修道士ホセ・デ・アコスタ(José de Acosta 1540-1600)は、新赴任地ペルーに向かった。
アコスタは、布教のかたわらでペルーの自然、先住民の生活、言語、習慣などの観察、
動植物の調査などをおこなった。
1576年にはアコスタはペルーの菅区長となり、1588年ローマに向けて旅立ったが、
このときには、これまでのペルーの観察などで書いた原稿を持っていき、
1589年『新大陸自然文化史』7巻中のうちの最初の2巻のラテン語版をサラマンカで出版。
1590年『新大陸自然文化史』(Historia natural y moral de las Indias)全文をスペイン語で公刊した。
エルナンデスの大作は、出版されなかったために評価を受けなかったが、
アコスタの博物誌は、新世界を理解するうえでの良き手引書として高い評価を受けている。
カカオについて記述されているアコスタの観察眼の一部を抜粋紹介すると
“カカオは貨幣としても使われる。このカカオの主な効用は、それからチョコラーテというおかしげな飲み物を作ることである。これはあの地方で愛好される奇妙きてれつな代物で、慣れていない人には、見ただけで吐き気をもよおすものもいる。何しろ上に泡が浮き、くそかすのようなものが煮えたぎっているのだから、よほど念を押さない限り安心してもめない。だが結局は愛好される飲み物でインディオでもイスパニア人でも自分の土地を通る主人たちにこれをささげる。”
(注)チョコラーテの語源は、ナワトル語のchocolatlから出た。
新大陸関係のの本草書
ヨーロッパで始まった植物学への関心は、半世紀遅れの16世紀中頃以降に、
新大陸の自然・社会・生活などにも関心が向かった。
それまでは、中世の奇妙奇天烈な迷信というメガネで新大陸を見る兆候があった。
代表的なのは、エル・ドラード(黄金郷)神話であり、黄金郷を求める異様な情熱が始まり、
アマソーナス、パタゴニア、カリフォルニアなどの地名に騎士道物語から取られた情熱の名残が残っている。
しかし、現地での経験・観察を基にしたリアルな記述が、
迷信・誤解などを消していく役割を果たした。(相当長い時間がかかっているが・・・・)
その先駆けが、博物誌のブームでもある。
【新大陸の博物誌】
・1498年ころ、コロンブスの第二次航海に同行したヒエロニムス会の修道士ラモン・パネー
コロンブスから依頼された信仰と偶像崇拝に関する『インディオの信仰ならびに習俗に関する報告書』を提出。
ヨーロッパ人がインディオの文化を調査してまとめた最初の文書。
・1525年 ゴンサロ・フェルナンデス・デ・オビエド・イ・バルデース(マドリード生まれ1478-1557)
スペイン、トレドで『インディアス博物誌要約』を書く。1534年ラテン語版とイタリア版。
1555年ロンドンで英語版が公刊。
・1552年 フランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ『新大陸概史』サラゴッサで第一部・二部を出版。
1553年には縮刷版が出版され、スペイン語版・イタリア語版・フランス語版・英語版に翻訳出版された。
・1553年ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンの『ペルー誌第一部』がセビリアで出版。
・1555年アグスティン・デ・サラテの『ペルー発見征服史』がアンヴェールで出版。
・1560年代イタリア人ジェロニモ・ベンゾーニの『新世界史』がヴェネチアで出版。
・1589年ホセ・デ・アコスタの『新大陸自然文化史』7巻中のうちの最初の2巻のラテン語版が
サラマンカで出版。1590年『新大陸自然文化史』全文がスペイン語で公刊。
<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
・イスラムの世界へ
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
⇒Here フランシスコ・エルナンデス メキシコの自然誌を発表(1578)【その31】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
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