モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

バラの野生種:オールドローズの系譜⑦ 中国からのバラ

2008-12-08 09:09:41 | バラ
中国から入ってきたバラ
中国のバラの歴史は古く、周の時代(BC1066-BC256)に、
しょうび(穪靡)きんとう(釁冬)などの文字が見られる。
これは、バラに当てられた最初の文字という。
そのためでもあるが、文字変換は探すので大変目を酷使した。また、有意性の漢字は教養というハードルがあるのでこれは頭を空回りさせられた。

中国原産のバラがヨーロッパにもたらされたのは、大航海時代以降の1500年代の中頃からといわれる。オランダ、イギリスに入りそれからフランス(マリーアントワネットの庭園、ジョゼフィーヌの庭園など)に渡った。

ヨーロッパでの品種改良で重要な役割を果した主要なバラの道筋をたどってみると次のようになる。(年号など諸説あるので併記した。)

1.コウシンバラの命名
英名:クリムゾン・チャイナ(Crimson China)
中国名:月季花
学名:Rosa chinensis Jacquin(1768) ロサ・キネンシス
1733年、オランダ・ライデン植物園の植物収集家が中国の四川州(あるいは雲南州)で濃紅色のバラを発見し、本国に持ち帰り植物園の園長であるニコラス・ジャカン(Nicolaus Joseph von Jacquin)に同定を依頼した。ジャカンはこれを“中国の原種のバラ”であるとして、Rosa chinensis Jacquin と命名した。
当初は花色から「クリムゾン・チャイナ」と呼ばれた。
命名者ジャカンは、オランダ生まれでオーストリアに移住した植物学者。リンネと仲良しで、オキザリス・パーシーカラーにて紹介した。

2.1759年コウシンバラヨーロッパに入る
英名:ピンク・チャイナ
学名:Rosa indica.Linnaeus  ロサ・インディカ
1759年、リンネの弟子ペーター・オスベック(Peter Osbeck) が広東の税関の庭で発見し中国から持ち帰ったバラ。花色から「ピンク・チャイナ」と呼ばれた。
リンネは「クリムソン・チャイナ」とは別種と考え Rosa indica の学名を与えたが、現在では ジャカンが命名したR. chinensis と同種と考えられている。


中国原産の四季咲き性のバラがヨーロッパに入ってきたのは、1789年(1792年という説もある)で、引き続いて重要な3品種も入ってくる。

3.1789年、赤いバラの基本種が入る英名:スレイターズ・クリムゾン・チャイナ(Slater's Crimson China)
学名:Rosa chinensis 'Semperflorens') 1789(1792)
1789年ヨーロッパに紅色花で四季咲き性のコウシンバラが入る。この品種は、古い時代に中国にて育種されたものとみなされている。
伝来のルートは、インド・カルカッタにあった東インド会社の庭からイングランドのノット・ガーデンで庭園師をしていたギルバート・スレイター(Gilbert Slater)の元へ持ち込まれた。
スレイターは、2年目に深紅色の花を咲かせることに成功し、1792年(一説には1789年)に公表した。このバラは、彼の名を採りスレイターズ・クリムゾン・チャイナと呼ばれる。
この品種が入るまでのヨーロッパでは、ガリカなどの赤いバラは、ディープ・ピンクあるいはバイオレットの入った色合いだったが、この品種を交配親として鮮やかな赤の品種が出現することになる。
日本では東インド会社のあったカルカッタが所在する地方名にちなみベンガル・ローズと呼ばれる。
(画像リンク) Slater's Crimson China
http://www.rdrop.com/~paul/chinas/slaters.html

4.1793年、新しいタイプのバラを生み出す交配親が入る
英名:パーソンズ・ピンク・チャイナ(Parsons' Pink China)
中国名:桃色香月季
学名:Rosa chinensis 'Old Blash') 1789/(1793)
1793年(一説には1789年)、王立協会会長のジョセフ・バンクス卿が紹介したバラだが、イングランドのパーソン(Parsons)の庭にあったチャイナ・ローズで、伝来のルートはよくわからない。
パーソンは、ピンク色で香りのあるバラを4年間かけて開花させ、バラ愛好家に広めた功績を称えられパーソンズ・ピンク・チャイナと呼ばれるようになる。後にはオールド・ブラッシュとも呼ばれる。
この品種は後日、米国に渡ってノワゼット種を生み出し、フランス・リヨンでポリアンサを、さらに仏領ブルボン島で、ブルボンを生み出す交配親となる。
(画像リンク) Parsons' Pink China
http://www.rdrop.com/~paul/chinas/oldblush.html

5.1809年、ハイブリッド・ティーの親となるロサ・オドラータがイギリスに導入
英名:ヒュームズ・ブラッシュ・ティ・センティド・チャイナ(Hume's Blush Tea-scented China)
中国名:赤色香月季
学名:Rosa × odrata) 1810
1809年にイングランドのヒューム卿(Sir Hume, A. Bart)により紹介されたバラで、中国原種のコウシンバラとロサ・ギガンテア(Rosa gigantea)との交配により生み出された自然交雑種だと見なされている。
淡いピンク色の花、紅茶のような特徴的な香り、大株となるつる性の木立から、ヒューム卿の名を採りヒュームズ・ブラッシュ・ティ・センティド・チャイナと呼ばれる。
この品種は、後にノワゼット、ブルボンなど、他の品種群との交配により、ティー・ローズの源流となり、さらに、ハイブリッド・パーペチュアルを経て、ハイブリッド・ティーへと発展する。
(画像リンク) Hume's Blush Tea-scented Chinahttp://www.rose-roses.com/rosepages/ogrs/RosaXOdorata.html

6.1824年、イエローローズの基本種が入る
英名:パークス・イエロー・ティ・センティド・チャイナ(Parks' Yellow Tea-scented China)
中国名:黄色香月季
学名:Rosa × odorata ochroleuca(1824)
イギリス王立園芸協会のパークス(John Damper Parks)は中国の広東省の育苗商からヒュームのバラと同じ系統で花色が黄色のバラを入手しロンドン園芸協会に送った。 
この大輪で、芳香のある黄色のバラは後にパークス・イエロー・ティ・センティド・ャイナと呼ばれるようになった。 1825年にはパリに送られるなどし、その後のハイブリッド・ティの作出に多大な貢献をすることとなった。
特に、ペルシャン・イエローからのイエローの花色を取り入れるまでの間、イエロー・ローズの元となった品種です。
(画像リンク) Parks' Yellow Tea-scented China
http://www.ausgarden.com/parks-yellow-tea

ジョゼフィーヌが世界の植物を仕入れたのは、18世紀ヨーロッパNo1の栽培業者『リー&ケネディ商会』からであり、これはジョゼフィーヌのシリーズで紹介したが、プラントハンター・育種園が世界の植物を収集・育成し園芸が広まっていく時期に、中国の原種が“四季咲き性”“花の色(紅赤・黄色)”“香り(ティー)”という特徴を持って入ってきた。
日本の原種が入ってきて現在のバラの親たちが出揃うことになる。
中国、日本ともバラは重視されなかった。キクが珍重されたからというのも一因あるだろうが、棘だけでなく香りにも要因があったのだろうか?


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