各種事典、科学史、電気工学史などの資料をひもといてみると、テスラに関する記述にはかなりの幅とバラツキがあることがわかった。
テスラを交流電力システムの発明者としている点では共通していたが、その栄誉は他の発明家(たとえばガリレオ・フェラリス、ドリボ・ドブロボルスキーなど)に分け与えられている場合も多かった。無線の業績については「高周波の先駆的研究」について簡単にふれられているだけで、無線電信やラジオに対する貢献を記したものはほとんどなかった。
もちろん、それらの正統的なソースに「世界システム」や「粒子ビーム兵器」の語を見出すことはなかった。そしてテスラの伝記的な記述に関しては、オカルト関係のソース以上のものは見つけることはできなかった。
当時のわたしは編集者とライターの掛け持ちで、単行本も執筆していた関係で、忙しくなかなか本格的に取り組めなかった。それでもひまをみつけては神保町の洋書屋で資料をチェックし、ジョン・オニールによる伝記(John J. O'Neill"Prodigal Genuis")や講演の論文集("Inventions,Researches and Writing of Nikola Tesla"など)を購入して、少しずつ読み始め、興味のある部分を翻訳したりしていた。
とくにテスラ伝記の嚆矢となったオニールの著作は読みやすく、エピソード満載でわたしの英語力からすれば、かなりのスピードで読み進んだ。読後はテスラの全体像がそれなりに見えてきた気がしたが、少しおもしろすぎることと、ソースの提示がないことが不満だった。
同じ頃、ケネス・スウェジーによるコンパクトなテスラ紹介記事も読んだ。テスラの伝記作者をめざしながら、その死によって志を果たせなかった彼の文章は、オニールとは異なり、終始冷静な記述の中に、テスラに対する熱い思いが感じられ、出色のものだった。
そんな折り、友人のサイエンスライター永瀬唯氏が新宿の紀伊國屋にテスラの伝記が並んでいるとおしえてくれた。それがマーガレット・チェニーの「Tesla:Man out of Time(邦題:テスラ-発明王エジソンを超えた偉才)」だった。(この項つづく)
テスラを交流電力システムの発明者としている点では共通していたが、その栄誉は他の発明家(たとえばガリレオ・フェラリス、ドリボ・ドブロボルスキーなど)に分け与えられている場合も多かった。無線の業績については「高周波の先駆的研究」について簡単にふれられているだけで、無線電信やラジオに対する貢献を記したものはほとんどなかった。
もちろん、それらの正統的なソースに「世界システム」や「粒子ビーム兵器」の語を見出すことはなかった。そしてテスラの伝記的な記述に関しては、オカルト関係のソース以上のものは見つけることはできなかった。
当時のわたしは編集者とライターの掛け持ちで、単行本も執筆していた関係で、忙しくなかなか本格的に取り組めなかった。それでもひまをみつけては神保町の洋書屋で資料をチェックし、ジョン・オニールによる伝記(John J. O'Neill"Prodigal Genuis")や講演の論文集("Inventions,Researches and Writing of Nikola Tesla"など)を購入して、少しずつ読み始め、興味のある部分を翻訳したりしていた。
とくにテスラ伝記の嚆矢となったオニールの著作は読みやすく、エピソード満載でわたしの英語力からすれば、かなりのスピードで読み進んだ。読後はテスラの全体像がそれなりに見えてきた気がしたが、少しおもしろすぎることと、ソースの提示がないことが不満だった。
同じ頃、ケネス・スウェジーによるコンパクトなテスラ紹介記事も読んだ。テスラの伝記作者をめざしながら、その死によって志を果たせなかった彼の文章は、オニールとは異なり、終始冷静な記述の中に、テスラに対する熱い思いが感じられ、出色のものだった。
そんな折り、友人のサイエンスライター永瀬唯氏が新宿の紀伊國屋にテスラの伝記が並んでいるとおしえてくれた。それがマーガレット・チェニーの「Tesla:Man out of Time(邦題:テスラ-発明王エジソンを超えた偉才)」だった。(この項つづく)