京都ごろごろ案内

どこへ出かけるでもなくごろごろと暮らしています。
生活向上を目指して日記をかきます。

中川前大臣ご一行、飛行機代1人700万円!

2009-02-27 09:52:14 | Weblog
許せない!

ほんの一月ほど前、私は格安航空券サイトトラベルコちゃんで、
何日もかけて少しでも安い航空券確保に駆けずり回っていた。

中川大臣(当時)達は飛行機代ひとり700万円の税金使ってイタリアに行ってた。
格安だと10万前後だ。
以下、アサヒコムより。

《中川前大臣ご一行、飛行機代1人700万円》 

 G7ローマ行きのチャーター便、費用はお一人様約700万円――。財務省は26日の衆院予算委員会で、もうろう会見で辞任した中川前財務・金融相が出席した主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議の出張費用約6千万円(22人)のうち、チャーター機の使用料は6人で計約4100万円だったと明らかにした。

 ガルフストリーム社製のビジネスジェット機。8人乗りに中川氏ら6人が搭乗した。同じ会議に11人が参加した日本銀行の出張費用は計約1300万円で、うち飛行機代は約900万円だった。

 民主党の川内博史氏は、中川氏が成田空港を出発した約2時間後に民間航空会社のローマ行きの便があったと指摘し、今後は商用機の利用を原則にするよう求めた。与謝野財務・金融相は「国会に出席する時間を最大限に確保すべきだ。チャーター機を利用したのはやむを得ない措置だった」と釈明した。

異常、じゃない…以上。

※財政危機だからいろんなことができない!
と言いながらなんでこんな無駄な税金の使い方ができるのか!

エコノミー格安でぎゅうぎゅう詰めに乗れば6人で60万円だ。
6人で4100万円という数字には怒りよりも絶望感を感じる。

自費で、エコノミーとの差額一人当たり690万出してチャーター機に乗るなら文句は言わないし、
絶望感も感じないし(でも「ああ、金持ちもいるんや」と別の絶望感感じるかも)
「お好きにどうぞ」だけど
(でもそんなことしてたら普通は貯金なくなるし、第一、690万円の貯金がない家も沢山ある)

税金でそれはないでしょう!!

税金のそんな使い方をしてやったことが、
日本の恥を世界中に晒したことだけなんて二重三重に許せない!!
…と朝から怒っているのですが。






根無し草結構!

2009-02-14 12:30:00 | Weblog
姜尚中の「在日」を読んだ。
小池龍之介君の説教を聞いているときは人生軽く考えていいんやと思い、
「世の中の仕組みに組み込まれ、人生軽くなんて考える発想などどこにもありませんというぐらい重いものを抱えさせられた人間の、人生に対する構え、世の中に対する構え」
を語る姜さんの話を聞いたら
物事はしっかり考えなあかんと思い、ややこしい毎日です。

姜さんの話に出てくる、ザイードという人の言葉が私をちょっと救いました。

「自分は流されて生きているのが好きだ。地面に根をはらず行きたいところに行く。」
メモしてないので、換骨奪胎手前味噌に覚えているかもしれません。

でも、根無し草でもええんとちがう?とそっと肩に触れてもらったようで嬉しかった。

学生の頃からサークルの友人に
「ごろごろさんはアウトローやな」と言われ、自分でも「地に足ついてない」と思い続けて何十年。

根無し草結構!と言われたらほっとします。

真面目で誠実な人間に憧れながら、真面目で誠実じゃない生き方をしている自分が嫌になっていたのですが
真面目で誠実じゃなくてもほかの立ち方があるかもと思えました。

タイトルにするほどのこともなし

2009-02-12 09:39:04 | Weblog
小池龍之介という若い坊さんの本を読んだ。

なかなかの修行を積まれたお方のようでした。

読んで初めて知ったことが
「神さんと仏さんはえらく違うなぁ」ということでした。

仏さんは心方面のマスクスレーニンなんだと思いました。
(恥ずかしながらマルクスレーニンを読んだことはないのですが、
便宜上弱いものの代弁者、活動家の代表者にさせてもらってます。)

堀江さんや村上さんがよもや仏道を叩くとは思われず、迷い多き心の弱い者が訪ね歩いてたどり着く場所のひとつが仏道だと思います。

道に迷っておられる方にお薦めです。合掌。

正月から今まで「心」関係の本に手が行きました。

わかったことは
「私だけが邪念の人ではなく、だれでもそれなりに邪念をもってるんや。」
ということです。

「私だけじゃなくみんなもそれなりに持ってるんや! なんや、なんや、なーんや!」
 
と思えたのがよかったです。

昨日、

私には趣味がなく生きていくのに楽しくないので何か生き甲斐を、と思い
「生き甲斐」という言葉をググっていたら

かなりの項目の中に

「生き甲斐探しをやめれば幸せになれます。」とか
「生き甲斐は探すものではなく作るものです」とか
「生き甲斐はどこにも落ちてません。ありません。ないもの探しても見つかりませんし!」
 
という風なことばがあった。

ある部分納得できたが、「なら、どうやって作るんじゃ!」という気にもなりました。

天使と悪魔

2009-02-09 22:55:31 | Weblog
天使と悪魔というダンブラウンの本を読みました。
ダビンチコードの前作でなんやら博士が主人公というのはおんなじです。
作りもキリスト教がらみの謎解きということで私には似た物語でした。

自分の読み方に問題があるのは棚においといて、

この本は私にとっては大いなる暇つぶしでした。

私は
「人間の心のあり様、行動の動機、私が大事にしたいものは何かのヒントなどを教えてくれる」
作り話が好きで、
そういう本は読んだあと幸せを感じながら「読んでよかった」BOXにいれるのですが、

謎解きとか推理小説とか「火サス」の類は、読んでるとき(見てるとき)は面白いけど後が虚しい。

クイズと同じで早く正解は知りたいが、心は動かない。

一昔前の小説や映画は多種多様の「人間」が主人公で、
作り話を何かひとつ読む毎に、見る毎に、私は人間の素晴らしさを知ることができた。

最近の小説、映画はそこのところが文字通りエンタテインメント・娯楽になりつつあるのではないか。

仰々しいBGM、おどろおどろしい幕開け。
波乱万丈、謎が謎を呼ぶ。風呂敷いっぱい広げました。
で、結末がこれですか?!というものが多すぎる。
(様な気がする。というか、そんなつまらんもんばっかし私が選んで見ているのか?)

水村早苗さんが言ってる日本語の嬉嬉、じゃない「危機」の一因はそんなところにもあるのではと思う。

マスメディアの傾向として
物語の主人公が人間から筋立ての奇抜さに変わってきつつあるように思う。

それが「売れる」から泥鰌を狙ってわれもわれもと奇天烈さグロテスクさをエスカレートさせていく。
人間について考える機会は少なくなり、本能、反射、好悪の感情だけが太らされていく。

ま、片方ではしっかりと、より人間らしい人間の追求も絶えることなく受け継がれているのですが。

小説でも、映画でも、漫画でも、金が目標NO1になると人生踏み間違えていくと思います。

言葉について

2009-02-01 08:47:00 | Weblog
ブログブルースさんが日本語についての記事を書いてはったので、
私も日ごろ感じている日本語についてちょっと書いてみたくなった。

私の半生(と思っているのですが、もしかしたら一生?)は多分少し変わっていて、
A 高校卒業までは「自己嫌悪」ってなんですか?
  と本気で聞く能天気な自信過剰な人間だった。

B 大学入学から40歳位まで仕事は持っていたが文通友達以外、
  友人が誰もいず万年思春期の、真っ暗なトンネルにいるみたいな
  引きこもりだった。

C ある人との出会いから今日まで、親しい友人も増え楽しく暮らしている。

…と大まかに3つの時期に分けられる。
日本語がここにどう関わってくるかというと…

能天気なAは関係ありません。

問題は深刻なBです。

友達が誰もいないもんだから楽しみは本を読むくらいでした。

松本清張、沢木耕太郎 本多勝一 等。

あるとき職場の同僚が
「ごろごろさんの話ってなんか四角い…というか、なんか4文字熟語が多いと言うか、なんかこちんこちんと固いっていうか、そんな気がするんだけど…」

と私に言いました。

その時
「あ、だって私、友達いいひんから人と話しする機会ないし、
本しか読んでないから書き言葉しか浮かんできいひんし」
ということに気がつき、それから必死で

人と話すときは頭の中で書き言葉から話し言葉へと、めまぐるしく翻訳し、たどたどと話していました。(ややこしいのなんの!)

ちょうどそのタイミングで椎名誠を読み始めたのです。
話し言葉書きの王者!

椎名誠の話術をそのまま借り話すようにすると頭の中での翻訳の必要がなく、
それまでなかなか話せなかったあれこれが、
これが同じ人間かいなと思うくらいなめらかに次々と話せるようになったのです。

そして、これまたこのタイミングに私の半生の画期を作る友人Fに出会ったのです。  

友人Fが私の話をそれはそれは面白く聞いてくれ、それで
「私って話せるかも、私ってOKかも?」
と自信を持ち始め、今に至っています。

もし、椎名誠に出会わなかったら
もし友人Fに出会わなかったら

私の人生いまだ暗い中にいたかもしれません。

そういう意味で話し言葉を私に教えてくれた椎名誠は私にとって大恩人なわけです。

斉藤孝は「もっと書き言葉を知ろう!書き言葉には人間の知恵がいっぱい詰まっているから」
と言ってはるが書き言葉に脳が占領されるというのも経験上よくない。
バランスが要る。

漫画がここまで文化に進出している要因の大きなものに「わかりやすさ」があると思います。
わかりやすさばかりの文化だと脳のしわが半分になるかもしれないので、これもまたバランスがいると思う。

チャップリンの信条は
「誰もがわかる映画。それが芸術だと思う。私はそんな映画をとりたい。」だ。

チャップリン信奉者の私は
書き言葉もだから入り口は入りやすく!というのが大事だと思う。
入り口が難解すぎて人々が帰っていくような「文字芸術」は力がない。

誰もがわかる言葉で尚且つ心が動くような「文字芸術」が本当に力になると思う。

えーっと何が言いたいのかというと
「わかりやすいけど脳が溶けないくらいの中身を持ち人間の心を豊かにしてくれる書き言葉を創り出す」
ことがこれからの文字芸術に携わる人達の仕事ではないかと思うのです。