「確かに世界中の人間が一人残らず相手を慮ることができる人間であれば、戦争はなくなり、軍備も必要なくなるでしょう。それどころか、家の戸締りもする必要がないし、警察も必要なくなるでしょう。
でも管理人さんの「私らの時代には無理でも」という認識の通り、現状は、相手を慮ることができない人間はたくさんいます。だから軍備反対論者だって、自分の家はしっかり戸締りをするし、犯罪に巻き込まれれば警察を頼るわけです。それなのに何故自分の国の戸締りには反対なのか私にはわかりません。」
Nさんの
「軍備反対論者でも、自分の家の戸締りはする…」
については…
家の戸締りは、強盗とか、変質者に対する防備です。
個々のそういう者たちに対して、防げることは自分で防ぐ、異常があれば 税金でそのために雇われている警察に頼む。
(警察が国民の側にたっているかというと、
しっかり国民の側に立って仕事をしている人と
国民は眼中になく組織と国家を守ることだけに専心している人の2つに大きくわかれているようなので、
運がよければ自分の側に立って解決してもらえます)
国の戸締りと家庭の戸締りとでは 話はまったく違います。
国に押し入ってくる「強盗、変質者」の類は
例えば、最新のケースでは
ビンラディンがアフガンにいるだろうという憶測だけで アフガンの空からアメリカ軍需産業製造の(三菱も入っていますか?)超高価な爆弾を湯水の如くばら撒き、
1年半後にはフランスドイツロシアも「やめといたほうがええんとちがうか」と言ってるのに耳を貸さず、国連の反対も屁でとばし、イラクの空から爆弾撒いたアメリカのイラク侵略があります。
(あの時ほど世界中の普通の人が無力感を感じたことはなかったと思います。
理不尽という言葉をつくったのは昔からこんなことがたくさんあったからなんやなぁと思いましたよ。)
あの戦争については今では
「嘘で固められた大義で始めた戦争、イラク国民の生活はますます酷いものになっている」と、
悲しいことですが、この5年で さまざまな事実により証明されています。
前回の記事で書いたとおり、Aという国家がBという国家に強盗に入ることは
人間の考え方が進歩していく中で、どんどん難しいことになっています。
以前はたやすくやれた国家への強盗がやりにくくなっている。
(今の日本が60年前と同じように中国に侵略することは考えられないことでしょう?
というか《ありえん!!》
…ありえます??九条取っ払えば!!
あのころよりもっとたくみに情報操作すれば!!
それでも無理だと私は思っています。
基本的人権と人間の命はみな平等に大切なものだと
知ってしまったからです)
アメリカのイラクへの強盗だって、アメリカ国内の反対世論が開戦当時とは段違いに大きくなっています。
(15万人のイラク人と5000人のアメリカ人の命との引き換えですが…
軍費は47兆円とか。ほんまに戦争って儲かる商売ですね、やめられないのも無理ないです。)
家庭への強盗、変質者は個々の特殊な人間の行為で、
昨日の8人連続きり付け犯人の行為のごとく、予想もできなければその人を止めることもできません。
(でも私はこういう人すら文化の質、生活の質を弱者を大切にすることを基本に据えた政治によって大幅に少なくできると思っています)
国家への強盗は、止めることができます。やめさせることができます。
国家の強盗をやめさせる力を今、各国の国民が持ち始めている。
弱者は
強者(支配者)の論理に騙されない事実や考えを、
この長い悲惨な弱者の歴史からすくいとり、創り出してきたのです。
(九条はそういう意味で、歴史的な意義のあるすばらしい”弱者の考え”だと思います。)
家庭の防備と国の防備は全く違うというのが私の考えです。
でも管理人さんの「私らの時代には無理でも」という認識の通り、現状は、相手を慮ることができない人間はたくさんいます。だから軍備反対論者だって、自分の家はしっかり戸締りをするし、犯罪に巻き込まれれば警察を頼るわけです。それなのに何故自分の国の戸締りには反対なのか私にはわかりません。」
Nさんの
「軍備反対論者でも、自分の家の戸締りはする…」
については…
家の戸締りは、強盗とか、変質者に対する防備です。
個々のそういう者たちに対して、防げることは自分で防ぐ、異常があれば 税金でそのために雇われている警察に頼む。
(警察が国民の側にたっているかというと、
しっかり国民の側に立って仕事をしている人と
国民は眼中になく組織と国家を守ることだけに専心している人の2つに大きくわかれているようなので、
運がよければ自分の側に立って解決してもらえます)
国の戸締りと家庭の戸締りとでは 話はまったく違います。
国に押し入ってくる「強盗、変質者」の類は
例えば、最新のケースでは
ビンラディンがアフガンにいるだろうという憶測だけで アフガンの空からアメリカ軍需産業製造の(三菱も入っていますか?)超高価な爆弾を湯水の如くばら撒き、
1年半後にはフランスドイツロシアも「やめといたほうがええんとちがうか」と言ってるのに耳を貸さず、国連の反対も屁でとばし、イラクの空から爆弾撒いたアメリカのイラク侵略があります。
(あの時ほど世界中の普通の人が無力感を感じたことはなかったと思います。
理不尽という言葉をつくったのは昔からこんなことがたくさんあったからなんやなぁと思いましたよ。)
あの戦争については今では
「嘘で固められた大義で始めた戦争、イラク国民の生活はますます酷いものになっている」と、
悲しいことですが、この5年で さまざまな事実により証明されています。
前回の記事で書いたとおり、Aという国家がBという国家に強盗に入ることは
人間の考え方が進歩していく中で、どんどん難しいことになっています。
以前はたやすくやれた国家への強盗がやりにくくなっている。
(今の日本が60年前と同じように中国に侵略することは考えられないことでしょう?
というか《ありえん!!》
…ありえます??九条取っ払えば!!
あのころよりもっとたくみに情報操作すれば!!
それでも無理だと私は思っています。
基本的人権と人間の命はみな平等に大切なものだと
知ってしまったからです)
アメリカのイラクへの強盗だって、アメリカ国内の反対世論が開戦当時とは段違いに大きくなっています。
(15万人のイラク人と5000人のアメリカ人の命との引き換えですが…
軍費は47兆円とか。ほんまに戦争って儲かる商売ですね、やめられないのも無理ないです。)
家庭への強盗、変質者は個々の特殊な人間の行為で、
昨日の8人連続きり付け犯人の行為のごとく、予想もできなければその人を止めることもできません。
(でも私はこういう人すら文化の質、生活の質を弱者を大切にすることを基本に据えた政治によって大幅に少なくできると思っています)
国家への強盗は、止めることができます。やめさせることができます。
国家の強盗をやめさせる力を今、各国の国民が持ち始めている。
弱者は
強者(支配者)の論理に騙されない事実や考えを、
この長い悲惨な弱者の歴史からすくいとり、創り出してきたのです。
(九条はそういう意味で、歴史的な意義のあるすばらしい”弱者の考え”だと思います。)
家庭の防備と国の防備は全く違うというのが私の考えです。