僕が高校生の頃、フルトヴェングラーのブルックナーの第4番とシューマンの第1番といふそれまでは聴くことのできなかった作品が一度に2つも発売され驚いたものだ。しかも、学生の手の届く1200円の廉価盤だったので喜びも一入だった。 . . . 本文を読む
1938年9月のニュルンベルク歌劇場での維納フィルハーモニーとの「マイスタージンガー」の録音には、第1幕・第3幕前奏曲、ティアナ・レムニッツとルドルフ・ボッケルマンによる第3幕の掛け合いから五重唱、第3幕終局などが収められてゐる。 . . . 本文を読む
英國フルトヴェングラー協会のCDだといふことで数千円で送ってもらったのが、今宵聴いてゐる演奏である。ラコッツィ行進曲の頁で書いた1951年4月のエジプト公演の際のブラームスである。しかし、残念なことに、この演奏は聴くたびに腹が立つ最悪の偽物盤なのだ。 . . . 本文を読む
フルトヴェングラーによるベルリオーズのラコッツィ行進曲の録音は4種類残されてゐて、1951年のエジプト演奏旅行の際のライブ録音以外の3種類を聴くことができる。管絃樂作品として取り上げたライブ録音である1951年の演奏が、実は一番聴いてみたいのだが、CD化されてゐるのかどうか僕は知らない。 . . . 本文を読む
ドミトリ・ミトロプーロスの洋琴はプロコフィエフの協奏曲で一度取り上げてゐる。激しい音楽に見せるエキセントリックな一面を愉しんだが、今日の音楽はマイナーな作品(忘れ去られた作品)ながら、実に美しくセンスに満ち溢れた名曲であり、ミトロプーロスの繊細で美しい洋琴の音色を堪能できる、僕のお勧めの1枚である。 . . . 本文を読む
ジプシー音楽の代表格、コマーシャルで有名なツィゴイネルワイゼンを初めて聴いたのは小学校の油引き教室だった。カモンタツオとか伝ふ先生が電蓄で鳴らして聴かせてくれた。ちなみに、僕はつい最近まで学校に土足で入るのが当たり前で、子どもの通ふ田舎の学校だけが上履きに履き替えるのだとばかり思ってゐたが、土足で学校に入れるのは欧米の諸外国と神戸・西宮の一部の学校だけだといふ事実を知って驚いてゐる。つまり土足はハイカラの象徴だったわけである。 . . . 本文を読む
チャイコフスキーに続いて今日も露西亜ものを聴いてゐる。露西亜臭い土着の音楽を僕は好んで聴かない方だ。しかし、旅先に持って出る自家製「MP3ジュークボックス」には普段聴くことの少ない作品を中心に納めてあるものだから露西亜ものが結構多いのは仕方が無い。しかも指揮者は音楽を徹底的に分析して破壊するゴロバチョフだ。(ゴンチャロフかゴロバノフかコロバヌサキノツエの何れかだったかも知れない) . . . 本文を読む
今、僕は神戸の中心にあるタワーの11階の一室から神戸空港を眺望しながら音樂を聴いてゐる。チャイコフスキーに素晴らしい解釈を示す和蘭の名指揮者、パウル・ファン・ケンペンの演奏で組曲第4番を選んでみた。 . . . 本文を読む
今、僕は神戸に帰る車の中だ。お抱え運転手に命を預け、僕はただ音楽を聴きながら寝るだけしか仕事が無い。毎回見飽きた景色を見てゐても退屈なのでCD棚にあった未開封のものを10枚ほど箱に詰めて車に持ち込んだ。ソロモン、ルビンシュタインなどを聴いてみたが無難な名演だった。この2人より名の通ってゐないコンラート・ハンゼンが素晴らしいブラームスを聴かせてくれた。 . . . 本文を読む
当ブログにお便りをお寄せ頂くN久生氏が制作されたCD\'Hounds of Ecstasy\'第弐巻の最終トラックに、このエトキンといふ未知の洋琴家が収められてゐる。久々の驚きの出会ひに興奮気味だ。 . . . 本文を読む
マリア・サンローマはグローフェの洋琴協奏曲で知った洋琴弾きであるが、コルトーとシュナーベルの弟子でもある。1902年11月7日にプエルトリコで生まれ、14歳のとき紐育でアントワネット・シュモフスカについて学ぶが、この人はミハウォフスキの弟子でパデレフスキーにも5年ついて学んだ大洋琴家である。サンローマがコルトーやシュナーベルに学んだのはその後の話だ。四国中央市の出張から帰って来て、沈んだ気分で彼のお国ものであるカンポスの珍しい作品を聴いてゐる。 . . . 本文を読む
1973年、シューラ・チェルカスキといふ名を初めて知ったのは、FM放送から流れてきた墺太利放送協会のテープ録音だった。曲は、リストの「死の舞踏」といふ僕にとってはどうでもよい作品である。しかし、冒頭のハンマーで脳天をかち割るやうな強烈な打鍵と時代を間違えて現れたやうな浪漫的な演奏スタイルに度肝を抜かれたのであった。 . . . 本文を読む
米國のハリウッドスター、オスカー・レヴァントはシェーンベルクに学んだ経歴を持ち、洋琴弾きとしてレコヲドも数多く残してゐる。ホセ・イトゥルビもそうだが、米國のエンターテイナーの芸の奥深さを象徴的に表してゐるやうに思ふ。 . . . 本文を読む
エミリオ・プジョルのSP盤を知人から頂いたときのことは忘れられない。Victorの赤盤にPujolといふ名を見たときは、正直言ってそれほど関心は持たなかったのだが、その盤に針を下ろすや僕はこの盤の虜になってしまった。 . . . 本文を読む
ジョージ・アンタイルのジャズ・シンフォニーを久々に聴いて愉しんでゐる。ラインベルト・デ・レーウ指揮和蘭ウィンド・アンサンブルの演奏で、1976年6月18日のヒルヴェルスム放送の録音である。 . . . 本文を読む