『天然宣言』 勇気を持って生きていくブログ

笑える天然ボケの実話です。失敗談から子育て節約話まで満載!笑って元気になるブログです。

忘れない 2

2012-01-26 22:58:39 | 震災のこと
35年近く前。


バス停前によくあるベンチ。


そこに姉とちょこんと座って、

父が会社から帰ってくるのを待っていた。




「お迎えかい?えらいね。」



私達姉妹にアイスを差し出しながら、

声をかけてきたのは、バス停前にある商店のおじちゃん。

魚屋、花屋、肉屋、八百屋が入っていて、日用雑貨からなんでも揃ってしまう。

昔ながらの商店だ。


「ありがとう!」

お礼を言ってアイスをほおばった。



その商店の2階は、そろばん教室。

当時、習い事と言えばそろばん教室くらいしかない時代。

姉と二人で通った。

姉、6級に落第。

私、6級最低点で合格。


6級で落ちたり、ひどい点をとる人を聞いたことがない。


その後、二人仲良く退会した。







その後、時代の流れによって、お店は閉店。

そろばん教室も無くなった。







ここ最近の仙台では、

震災処理のスッテカーを貼ったショベルカー、ダンプカーが

あちこちで解体工事を行っている。




近所のラーメン屋、お向かいのアパート、友人の家・・・・。





突然、更地になってしまう。





(あれ、ここ何があったっけ?)






そんなことを思いながら、歩く散歩道。






先日、

商店も解体された。





がらんと何も無くなった空き地を前に



(ここに、よく通ったお店があったっけ。)



記憶に刻まれたお店がよみがえる。






様々な物を消し去ってしまった

震災。



忘れられない。



忘れてはいけない。


















































とことん使う! で、出来たのがこれ。

2011-05-15 15:42:13 | 震災のこと
地震のあと、

水が出なかった生活をちょっとご紹介。



きれいな水で野菜を洗い、

その水で、食器の下洗い。

汚れた水はトイレへ流す。

きれいな水で、ためすすぎした後、

その水で台ふきんを洗う。

汚れた水はトイレに流す。




布オムツをお風呂の残り湯で手洗い。

すすぎの水はトイレに流す。

(布オムツを紙オムツの中に入れて使うと、

多少紙オムツがぬれても、何度か使える。

本人も快適!)





エコ好きの私にとっては、

あまり普段と変わらなかったりする。



ちょっと恥ずかしいけど…






水が貴重なので、紙コップを使うことも多かった。


一度しか使われなかった紙コップ…。



私 「これ、なんかに使う?」

娘 「うん!」(ちなみに小6)


出来たのがこれ。







結構、いいでしょ!




不自由な生活が続き、ちょっと疲れたあの時。

元気をくれたライオンでした。


ちなみに、

今日が娘の誕生日です。



















揺れるものは何?

2011-05-08 17:54:02 | 震災のこと
前回の続編。


仲良くなったお友達が避難所から家に帰ることになり、

姑も家に戻ってきた。


当時、私の仕事は当面お休み。

姑とずっと一緒に日中を過ごしていた。

なんだかちょっと窮屈そう。


それから、しばらくして仕事が再開。

姑に子供をみてもらう以前の生活へ。




地震から一ヶ月過ぎた頃。


姑  「ばあちゃん、そろそろ家に帰ってみようかな?」

私  「大丈夫!?余震もまだあるし、ここにいたら?」


姑  「んー、確かに怖いけど…。

    でも、やっぱり、今日は帰るわ。」

息子 「じゃあ、俺、ばあちゃん家に泊まるよ。」

姑  「そうしてくれるか。ありがとう。」



その後、


姑が帰った日には、

子供が後を追っかけて必ずお泊りに行く。


息子 「ばあちゃん、本当は地震が怖くて、一人で家にいるのは嫌なんだよ。

    でも、お母さんに遠慮して俺をよこしてって言えないんだ。

    だから、ばあちゃんが帰った日は泊まり行くんだ。」





遠慮って…。 





そこまでして、帰りたい理由って?



ここで一句。




揺れるもの、



余震





悩む姑心



お粗末







何が怖いって…、そりゃあ決まってるでしょ。

2011-04-28 17:08:38 | 震災のこと
地震直後、


食器は大分割れてしまったが、

幸いなことに、倒れた家具もほとんどなかった。

しかし、小さい娘がおびえて私にしがみつき、

片付けなどできる状態ではなかった。

娘を抱き、ひとまず外に出てみる。


ご近所の方も、一体何が起きたのか、

呆然とした表情で外に出てきていた。

すると、町内の方がきて、

「避難所は中学校です。」

という。


( えっ?避難?私達が!? )

他人ごとのように感じた。





その後、小学校へ娘の迎えに息子を行かせたり

懐中電灯を探したり、直後はでていた水を溜めたり、

慌しく過ぎていく時間。




そんな日に限って、姑は自分の家に帰っていた。

迎えに行くと、ご近所で姑を見てくれていた。

本当にありがたいことだ。

姑を連れ帰ってきたが、

家は夜を迎えられる状態ではない。


結局、その日は避難所へ泊まった。



余震のたび、ガタガタと揺れる天井。

もとより怖がりの姑。

本当に怯えている。


翌日、

家に戻り、割れた食器を片付け、停電の中暮らせるよう支度した。

姑に帰ろうと言ったが、

余震が怖いので、一軒やは嫌だ。体育館に残りたいという。

そこで、中1の息子を姑のサポート役に残し、

自宅に戻った。




それから、

過ぎること10日・・・・・。




余震も減り、避難していた多くの人が自宅へと戻っているにもかかわらず、

なかなか戻ろうとしない姑。


私 「帰っておいでよ。」

姑 「いやあ、お友達も出来て、みんなとお話するのが、楽しいんだ。

   ばあちゃんは、ここにいるよ。」


避難所は、老人クラブのサロンとなっていた。


息子 「ばあちゃん、本当にここがいいんだよ。大丈夫だから。」


私  「わかった…。」




ここで、一句。



怖いのは、


余震か、


はたまた


怖い嫁?


続く。




今日は49日。

あっという間だった。

未だ行方不明の方もいる。

未だ避難所で不便な生活をしている人も大勢。

自分は普段の生活に戻ってしまうと、

あの不自由な生活を忘れてしまいそうになる。


継続は力なり。

みんなで支えていこう!

なんてCMっぽいですね。




















おいおい…。

2011-04-06 21:07:01 | 震災のこと
福島原発

今日はどうだったろうか。

毎日ニュースを見て、見守っている。

原発の説明をする原子力保安員(かな?)

説明がわかりづらい

その後で、説明してくれる枝野さん。

枝野さんの方がわかりやすいと思うのは私だけだろうか?


娘が言う。


枝野さんって、東京電力の人?



おいおい…。



私 「違うよ。官房長官!菅さんの女房役ってやつよ。」


娘 「あー、わかった!菅さんを守るんだ!

   菅防長官でしょ!」



おいおい…。


小6になるのにこれですか…。





私の友人は南相馬に住んでいた。

今は避難し、横浜暮らし。

周りが支えてくれていると言う。

茨城の友人は、茨城産野菜を買っている。

私も茨城産野菜買ってますよ



みんなで支え合ってがんばろう!!