闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

『海流のなかの島々』萌ぇ~!?

2011-06-12 23:22:36 | テクストの快楽
昨日読み終えたヘミングウェイの遺作『海流のなかの島々』(新潮文庫、沼澤洽治訳)第一部「ビミニ」のなかに、私からすると、非常に同性愛感覚に近いように感じられる表現があったので、今日はそれを紹介しておこう。
「ビミニ」の部分は、画家ハドソンが、離婚によって元妻に引き取られている息子たちをフロリダに近いビミニ諸島の自宅に招き一夏を過ごすという話なのだが、そのなかでハドソンは、3人の息子、友人のロジャーらとともに、クルーザーに乗って釣に出かける。そうしたなかで、次男デイヴィッドの竿に巨大な魚がかかり、それを釣り上げるべく全員で数時間苦闘するが、結局、糸が切れてこの大魚を釣り逃がしてしまう。
このあたり、それ自体緊迫感に富むすぐれた描写なのだが、魚を釣り逃がした空虚感のなかで、デイヴィッドが言う次の言葉に、私は同性愛的感覚を感じたのだ。

     ★     ★     ★

「そうだな」デイヴィッドは目を固くつぶって言う。「一番ひどい時、一番くたびれてふらふらだった時、どっちが奴でどっちが僕だか分らなくなっちまった」
「よく分る、それは」ロジャーが言った。
「それから、この世の中の何よりも、奴が好きになった」
「好きって、本当に好きなの?」とアンドルー。
「そう、本当にね」
「へえ、僕には分んないな」
「あまり好きになっちまったもので、奴が上がって来るのが見えた時、辛くて我慢できなかった」デイヴィッドは目を閉じたままである。「ただ奴の姿を近くで見たかった、それだけだ」
「分るよ」とロジャー。
「奴を釣り落したことなんて屁とも思っちゃいない、今の僕は。記録なんてどうでもいいんだ。記録がどうこうなんて、前にそう思い込んでただけ。今は奴も大丈夫で僕も大丈夫なことが嬉しい。敵じゃないんだから、僕たち」(同書上巻、226~7頁)

     ★     ★     ★

この引用を読んで頂いた方にも私と同じように感じて頂けたら幸いだが、要は、私が考える同性愛感覚というのは、相手と子供をつくりたいとか家庭をもちたいとかいう感覚でもなければ、特定の性的快楽でもなく、わけのわからない相手と「どっちが奴でどっちが僕だか分らなく」なりたいという感覚なのだ。
ヘミングウェイという人は、同性愛的世界から非常に遠いところで小説を書いている作家だとおもうが、同性愛者が読めば、そのなかにいくらでも同性愛的感覚を見いだすことができるということで、特に記しておく。
しかし考えてみると、釣というのは、基本的に男の世界という感じがしなくはないけれど…。

ヘミングウェイ『海流のなかの島々』を読む

2011-06-11 23:37:28 | テクストの快楽
今日はアルバイトの休日だつたので、ヘミングウェイの遺作『海流のなかの島々』(新潮文庫、沼澤洽治氏訳)を一気に読み終えた。

新潮文庫の解説によれば、この作品は、ヘミングウェイが61年に自殺した時点で原稿のまま残され、メアリー未亡人と編集者が70年に出版したもの。原稿がどの程度完全に仕上がっていたのか、私にはまったく判断材料がないが、構成にかなりムラがあり、ヘミングウェイとしては、全体的にもっと手を入れる予定だったのではないかと感じられる。万人向けの作品ではない。

作品全体は、これまた解説によれば、第二次大戦直後の46年から51年にかけて執筆されたという。
物語は、ヘンミングウェイの自画像に近い画家トマス・ハドソンを主人公とする三部構成。ほんらい、これに続く第四部として『老人と海』が構想され、結局この部分だけが他から切り離されて独立した中編小説として52年に刊行されたという(この作品は、舞台は『海流のなかの島々』と同じ西インド諸島だが、ハドソンらはまったく登場しない)。先に出た『老人と海』が大成功したため、『海流のなかの島々』はそれと整合させるのが難しく、いろいろと手直ししている途中でヘミングウェイ自身が自殺してしまい、結局未出版(未完成)に終わったということらしい。

こうした事情があるため、この作品を批評するのは非常に難しいのだが、単純な好き嫌いでいえば、『武器よさらば』よりもずっと好きな作品で、随所にこれまでの作品と共通するヘミングウェイらしさがあふれているとおもう。
なかでも関心させられるのは、登場人物たちの会話のみごとな流れ。それは、第三部「洋上」で特に際だっている。
それと、作品全体を貫くトーンが「死」であるということも、非常に印象的だ。
ただその死は、『武器よさらば』のキャサリンの死が唐突だったように、かなり唐突な印象も受けるのだが、もしかしたらそのあたりは、ヘミングウェイ自身がさらに手を入れていれば変わっていたかもしれない。
また、この死の物語に手を入れながらヘミングウェイ自身が自殺してしまったということもいろいろ考えさせられるものがあるが、一方で、『海流のなかの島々』のあとに『老人と海』を置くと、この作品はみごとな鎮魂と再生の物語になっていることにも気づかされる。再生を強く意識しなから、自分自身はそこからはずれてしまったのが、ヘミングウェイの一生ということなのだろうか。

ヘミングウェイ『武器よさらば』に失望

2011-06-08 23:23:19 | テクストの快楽
ヘミングウェイ『武器よさらば』(新潮文庫、高見浩氏訳)を読んだ。先日同じくヘミングウェイの『日はまた昇る』を読んで非常に感激したということを書いたばかりなのだが、同じヘミングウェイの小説でも、『武器よさらば』は、私からするとまったくいただけない。今回はそのあたりを少し書いてみよう。

さてこの作品は、前作『日はまた昇る』を1926年に刊行したあと、その勢いをかって28年に書き始め、29年に刊行したものだ。
物語は、第一次世界大戦でイタリア軍に志願したアメリカ人フレドリック・ヘンリーと従軍看護婦キャサリン・バークリーの恋物語だが、『日はまた昇る』の女性主人公ブレットとことなり、キャサリンの性格描写があまりにもとおりいっぺんで、しかもヘンリーとキャサリンの性格のからみや対立といったものがまったく描かれていないため、作品全体は極めて単調だ。
その単調さを救うのが、戦争の描写、なかでもフレドリックの逃亡の描写なのだが、私には、この描写が物語全体とうまく結びついているようにはどうしても考えられない。戦争の場面とくらべると、全体の大枠である恋物語があまりにも牧歌的過ぎるのだ。
フレドリックとキャサリンが最初に出会った瞬間からなんのトラブルもなくスムーズにつきあい始めるのも、私がこの恋物語のなかにうまく入っていけない原因の一つとなっている。新潮文庫巻末の作品解説によれば、この恋物語はヘミングウェイ自身の19歳のときの失恋を下敷きにしているというが、よく解釈すれば、このときヘミングウェイはあまりにも若すぎて、恋愛といっても、一方通行の未熟なものだったのではないだろうか。

いずれにしても、私は『武器よさらば』という作品に対して非常に大きな不満があるのだが、こうした不満を、新潮文庫で『老人と海』訳している福田恆存氏がうまく指摘しているようにおもわれるので、以下に紹介しておく。

「ヨーロッパ文学のように、精神を精神によって、あるいは自意識を自意識によって否定するとすれば、そこに意識が意識をうたう抒情が出てくるでしょうが、肉体的行動という外面的なものによって否定すれば、どうしてもハードボイルド・リアリズムにならざるをえないでしょう。かれの作品がアメリカ文学の伝統たる通俗性をもっている理由も、またそこにあります。いかに内面意識のなかにもぐりこんでいったとしても作品の主題を展開していくモメントとして、ヘミングウェイはつねに肉体的行動にたよっているからです。
 結論はこういうことになります。心理や意識の委曲を深く描きわけるという点では、たしかに第一次大戦後のヨーロッパ文学に似ているのですが、しかもなお私がアメリカ文学に不満を感じるわけは、それらがいかにヨーロッパの『意識の流れ』派や『自意識の文学』に学ぼうとも、ヨーロッパ文学においてはその現象の根底をなしていたはずの精神というものが、そこにはないからであります。絶望とか虚無的色調とかいう点では、両者共通でありますが、それはあくまで表面的、現象的な類似にすぎず、本質的にはたいへんちがっているように思われます。精神がないということは、倫理がないということであります。文学的にいえば詩がないといえましょう。」(『老人と海』新潮文庫、164~5頁)

福田氏の文章だけでは充分納得できないという方のために、『武器よさらば』のなかでヘミングウェイの文章がいかに平板なものに堕しているか、適当な箇所を抜き出して例示しておこう。ぜひ『日はまた昇る』の引用と比較していただきたい。

     ★     ★     ★

はるか遠くには山並みが見え、木立ちや畑の向こうにミラノも望まれた。
「さっきよりずっと爽やかな気持よ」キャサリンが言った。全身、汗で濡れた馬が、次々にケートを抜けてもどつてくる。騎手たちが彼らの気持を鎮め、木陰まで乗りつけて、そこで降りていた。
「ねえ、一杯やらない?ここで飲みながら、レースを見ましょうよ」
「よし、持ってくる」
「ボーイが持ってきてくれるわよ」キャサリンが手をあげると、厩舎の隣りのパゴダ・バーからボーイがやってきた。ぼくらは鉄の円形のテーブルに向かって腰を下ろした。
「わたしたち二人きりのほうがいいと思わない?」
「ああ」
「あの人たちにとりまかれていたら、すごく孤独な気分だった」
「ここにいると、気持が晴れ晴れとするね」
「ええ、本当にきれいなコースね」
「素晴らしいよ」
「わたし、あなたの楽しみを損ないたくないの。そう言ってくれれば、いつでもあっちにもどるわよ」
「いや」ぼくは言った。「ここにいて、飲もうじゃないか。それから水濠のところまでいって、障害レースを見よう」
「あなたって、本当にこちらの気持を汲んでくれるのね」
しばらく二人きりですごしたあとは、またみんなのところに引き返しても不快な気分にはならなかった。楽しいひとときだった。(同書218~9頁)

     ★     ★     ★

同じように簡潔な文体でありながら、『日はまた昇る』の文章が生き生きしているのに対し『武器よさらば』が間延びして感じられるのは、『武器よさらば』の文章や言葉のやりとりが、あまりにも情況説明に堕しているからではないだろうか。
もしかすると、『武器よさらば』の表現のなかでは、『日はまた昇る』には欠如していた「精神」や「倫理」が情緒的なものとして描かれているという反論があるかもしれないが、そうした情緒的な表現を、福田氏は、「表面的、現象的」といって批判しているのだとおもう。こうした手垢にまみれた情感は、やはり、福田氏のいう「精神」や「倫理」の対極にあるものなのではないだろうか。あるいは、「絶望」の底が浅いといってもいい。
その点をもうすこし具体的にみていくと、『日はまた昇る』のなかのブレットのキスやホテルに入っていく行動は、いろいろな動機が省略されて行動だけが端的に描写されているだけなのに対し、『武器よさらば』では、ヘミングウェイが、会話をとおしてキャサリンとフレドリックのあいだの情感や思いやりを伝えようとしているために、緊張感が感じられないのである。引用末尾の「楽しいひとときだった」の一文などは、言わずもがなの表現というべきであろう。『日はまた昇る』の記事のなかで用いた「映画のシナリオのような」という表現を用いるならば、「楽しいひとときだった」という表現は、映画的表現の対局にあるものだ。
こうした表現過剰が、簡潔な文体であるにもかかわらず、結果的に『武器よさらば』を「ソフトボイルド」な作品にしてしまっているのだ。

作品の結末であるキャサリンの死も唐突で、作品構成としては疑問。ヒロインが死ねば読者が同情し悲劇になると考えていたとすれば、ヘミングウェイはあまりにも甘い。

『シューマンの指』著者・奥泉光氏のトークを聴く

2011-06-04 22:52:59 | テクストの快楽
今日は新宿のタワーレコードに行き、奥泉光氏のトークを聴き、サインをもらってきた。
奥泉氏は、小ブログにも書いた(2010年9月24日付)幻想ミステリー小説『シューマンの指』(講談社)の著者。5月18日にソニーからこの小説に出でくる曲を集めた6枚組のCD『シューマンの指 音楽集』(SICC-1445~1450)が発売されたのを記念して、今回のトークショー&サイン会となったもの。

トークでは、奥泉氏自身が、『シューマンの指』という作品の構造的な鍵を明らかにしたが、それは、この作品は物語をどうすすめるか(どのような物語であるか)という観点からのみ書かれたのではなく、作品そのものが「たくらみ」をもっているということだ。そして『シューマンの指』の場合、そのたくらみは「ミステリー」という構造そのものにあるのだが、デュラスの『ラマン』を例に、20世紀以降、小説はそうしたたくらみを意図的にもちだしたということを奥泉氏は強調した(私が今読んでいるヘミングウェイの小説でいうと、「釣」や「漁」というのはそうした「たくらみ」の一種だとおもう)。

また、小説『シューマンの指』のなかでは、シューマンの曲がかなり取り上げられているのだが、なかには、作品構成上取り上げることができなかった曲があるのも事実で、そうした曲の一つである『アラベスク』について、『早稲田文学』誌上に、『シューマンの指』の補遺のような文章を掲載したとして、それを朗読し紹介した。
その文章は、Sという女性が弾く『アラベスク』に対する『シューマンの指』の登場人物による批評というかたちをとっているのだが、その批評のなかで、技巧を超えて伝わる「祈り」ということを取り上げていたのが、音楽の本質とは何かとの関連で、強く印象に残った。もちろん、その技巧にとどまらないメッセージ性をもつというのが、奥泉氏も強調するようにシューマンの音楽の特徴なのだが。

ということで、なかなか有意義なトークとサイン会であった。
なお、トークとサイン会のあいだに、恩泉氏はジャズ・フルートの演奏を披露したが、それもすばらしいものであったことを書き添えておく。

ヘミングウェイ『日はまた昇る』を読む

2011-05-28 22:42:10 | テクストの快楽
今朝は午前8時に起床。
ヘミングウェイ『日はまた昇る』(新潮文庫、高見浩氏訳)の残りを一気に読む。
その後、朝食、洗濯等と一日の過ごし方は休日のお決まりコース。夕方、銀座の画廊にでかけ、ある作家の個展のオープニングを見て帰った。

     ☆     ☆     ☆

さて、ヘミングウェイの作品は、現在の自分の関心とはなんの関連もなく、手元にあったからというのでアトランダムに読んでみたのだが、実際に読んでみると、1920年代後半のパリとスペインを舞台としており、偶然ではあるが、日頃クレンペラーの演奏を聴きながら考えている「1920年代のヨーロッパ(ベルリン)は、どのような空間であったのか。そこでどのような文化が展開していたのか」という問題ともぴたりオーバーラップしている。『日はまた昇る』が出版されたとき、ベルリンでは、クレンペラーが次々とセンセーショナルな演奏を行っていたのだ。
それと、私にはヘミングウェイの文体(高見氏の訳文)そのものが、とても新鮮で心地よいのだが、これをクラシック音楽の演奏に比較するならば、やはりクレンペラーのキビキビした演奏が、この文体に通ずるのではないだろうか。すくなくともこれは、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの演奏の背景にある文化意識とは、まったく別種のものだ。
ちょっと、映画のシナリオを読んでいるような気もしてくる。
それは、ヘミングウェイの文体が映像を思い浮かばせるというよりも、セリフの連続と行動の描写だけで成り立っている文章の構造そのものが、映画のシナリオによく似ているのだ。適当に例をひいてみよう。

     ★     ★     ★

ブレットがショールをまとってもどってきた。伯爵とキスを交わし、彼が立ちあがろうとすると肩をおさえて止めた。外に出しなに振り返ると、伯爵のテーブルには若い女が三人集まっていた。ぼくらは大きな車に乗り込み、ブレットが自分のホテルの住所を運転手に告げた。
「だめ、あがってこないで」ホテルに着くと、ブレットは言った。すでにベルを鳴らしていたので、ドアのロックは解除されていた。
「本当に?」
「ええ。おねがい」
「じゃあ、おやすみ、ブレット」ぼくは言った。「残念だよ、きみがそんなみじめな気分で」
「おやすみ、ジェイク。おやすみ、ダーリン。もう二度と会わないわ」ドアの前で、ぼくらはキスした。彼女はぼくを押しのけた。もう一度キスした。「だめ、おねがい!」
素速く背後を向いて、彼女はホテルの中に消えた。ぼくは自分のフラットまで伯爵の運転手に送ってもらった。20フラン渡すと、運転手は帽子に手を添えて言った。「おやすみなさい」彼は走り去った。ぼくはベルを鳴らした。ドアがひらいた。ぼくは自分の部屋まであがって、ベッドにもぐりこんだ。(同書126~7頁)

     ★     ★     ★

文学の世界では、この文体を「ハードボイルド」というのだとおもうが、この文体が指向しているものは、文学という現象を突き抜けているように、私には感じられる。

また、この作品は物語そのものも、とてもおもしろい。
19歳の闘牛士に恋した34歳のブレットが身をひくラストは、特に秀逸。もし自分が若い男に恋をしたら、自分から身を引くことなんてできるだろうかと、おもわず作品世界にのめり混んでしまった。

パゾリーニ詩集刊行!

2011-02-19 12:00:22 | テクストの快楽
このほどみすず書房から、四方田犬彦さんの訳で、待望ひさしい『パゾリーニ詩集』が刊行された。今、本書を手にして、これからじっくり読んでみようとおもっているところだが、以下、この詩集およびパゾリーニについて、本書の巻頭に付された四方田さんの解題「詩人としてのピエル・パオロ・パゾリーニ」のなかの文章を引用して紹介しておきたい。

     ☆     ☆     ☆

「20世紀を代表するイタリア詩人は誰であったか?」

「イタリアの民衆に一番近いところにあって、日常生活の卑小な悲しみから天下国家の行く末までのいっさいを射程に入れ、この国の言語的多元性、多層性を肯定的に取り上げるばかりか、ときに過激な実験に訴えつつも伝統的な韻律に忠実であった詩人は誰かといえば、それがピエル・パオロ・パゾリーニであることを否定する人はいないだろう。」

「パゾリーニといえば、日本ではゴダールやマカヴェイエフと並んで、1960年代から70年代にかけて一世を風靡した映画監督としての印象が強い。なるほど彼は傑出した映画監督であり映画理論家であって、『奇跡の丘』や『アポロンの地獄』といったフィルムは映画史上の古典として、現在ますますまその意味が高く評価されている。だがパゾリーニは単に映画人であったばかりではない。『生命ある若者』や『あることの夢』、さらに未完に終った大作『石油』まで、短編長編を問わず旺盛な筆を振るった小説家であり、『カルデロン』をはじめとする戯曲の作者であった。『ルター派書簡』『海賊評論』といったエッセイ集を通してつねに物議を醸す批評家であり、『異端経験論』では独自の言語論・映像記号論を展開し、ミラノの学者一派と論戦してやまない理論家であった。画家であり、バレエ作家であり、その政治的発言によって論壇を挑発してやまない知識人であった。その八面六臂のあり方に拮抗できる芸術家としては、わずかに本朝の三島由紀夫の名が思い出されるくらいである。」

「『異端経験論』の中心をなす記号学的論文は、「ポエジーとしての映画」と題されている。このことからもわかるように、パゾリーニにとって詩とは、単に散文に対立する特定の文学ジャンルを示しているばかりではない。それはむしろ思考の根元的な形態であり、混乱と矛盾を湛えながらも世界が存在しているという事実をめぐって、その価値を確認し肯定するためのモードであった。ポエジーとしての小説。ポエジーとしての民謡蒐集と翻訳。ポエジーとしての政治評論。その意味でパゾリーニに比較すべきなのはフランスのジャン・コクトーである。コクトーもまたあらゆるジャンルを自在に横断して創作を続けたが、その根底にはつねに詩が横たわっており、現実に彼が手掛けた映画作品や小説は、ポエジーがださまざまな形態をとって表出されたというだけのことであった。とはいえパゾリーニが、コクトーが得意とした天使的な軽快さからはほど遠い存在であったことも書き添えておかねばなるまい。長編詩「掘削機の涙」のなかで彼は書いている。「ぼくはさまざまな情熱を生きたが、/それを知る者は少ないと知った。」このイタリア詩人にとって人生とは、孤独と後悔の果てにうっすらと垣間見ることのできる希望として、まず体験されていたのである。」

奥泉光『シューマンの指』を読む

2010-09-24 21:35:04 | テクストの快楽
ポーランド出発を前に、今日と明日はもろもろの準備のため、アルバイトを休みにしてもらった。だからゆっくり寝ていられるはずなのだが、今朝は5時頃に目が覚めてしまった。旅行に出る前から時差ボケだろうか。
ともかく、横になっていても眠れそうにないので、起き出して、読みかけの本を読み終えてしまうことにした。それがまた、とても刺激的でおもしろかったので、今日はその感想を記しておくことにする(ちなみに今は、ヴェデルニコフが演奏するシューマンのアルバムを聴いている)。

      ☆     ☆     ☆

さて、今朝読了したのは奥泉光の『シューマンの指』(講談社、2010年)。作曲家シューマンに魅せられた高校生たちの物語だ。
作品全体は、ピアニストを目指し、音大の途中でその道を断念し医師となった「私」の回想録として進行する。話の中心となるのは、「私」に強烈な影響を及ぼした2歳年下の天才ピアニスト永嶺修人(まさと)のシューマンへの向き合い方。作品全体の大枠は推理小説的構造で、「もしピアノの前にホロヴィッツが座ったとしてもあれほど驚かなかった」という叙述を皮切りにして、「私」と修人の高校時代を振り返るという形式で話がすすんでいく。
しかしともかく圧巻なのは、その修人のシューマン論だ。前置きはこのくらいにして、さっそく核心にはいろう。
「シューマンは、変ないい方だけど、彼自身が一つの楽器なんだ。分かるかな?音楽は、彼の躯というか、意識とか心とか魂なんかもぜんぶ含んだ、シューマンという人のなかで鳴っている。だから、彼がピアノを弾いたとしても、それはシューマンのなかで鳴っている音楽の、ほんの一部分でしかないんだ。」(同書127頁)
これは登場人物・永嶺修人のシューマン論というより作者・奥泉光本人のシューマン論だろう。修人の言葉にもう少し耳を傾けてみよう。
「シューマンがピアノを弾くーーそのとき、シューマンは実際に出ている音、つまりピアノから出ている音だけじゃなくて、もっとたくさんの音を聴いている、というか演奏している。極端にいうと、宇宙全体の音を聴いて、それを演奏している。そういう意味でいうと、ピアノから出る音は大したものじゃない。だから、シューマンは指が駄目になったとき、そんなに悲しまなかった。だって、ピアノを弾く弾かないに関係なく、音楽はそこにあるんだからね。」(同書128頁)
ゆえに、修人流に考えれば、シューマンを弾くときに、どういう音をならすかは必ずしも大きな問題ではない。いやそもそも、演奏という行為自体、「宇宙全体の音」の前では問題たりえない。したがって、シューマンを深く理解し、それを具象化できる最高度のテクニックをもちながら、修人は演奏という行為を拒む。
一方、そうした修人と修人のシューマン論に深く共感を覚えながらも、平凡なピアニストでしかない「私」は、音大の試験に受かるために、シューマンを演奏せざるを得ない。
「なるほど演奏は「音楽」を台無しにするかもしれない。しかしだからといって、それで「音楽」が消えるわけではない。「音楽」は傷つきもしない。そうなのだ。「音楽」はもう在るのだ。氷床の底の蒼い氷の結晶のように。暗黒の宇宙に散り輝く光の渦のように。動かし難い形で存在しているそれは、私の演奏くらいで駄目になるものではない。私はミスをするだろう。技術が足りないところも多々あるだろう。だが、それがなんだというのだ。私はただひたすらに「音楽」を信じ、余計事を考えずに光の結晶であるところの「音楽」に向かって進んでいけばいいのだ。「音楽」に半歩でも近づけるように。」(同書238-9頁)
ともかく、この作品では、こうしたシューマン論、シューマン演奏論が強いインパクトをもって迫ってくる。
作品のなかで、「私」はシューマンの「交響的練習曲」を演奏して音大にうかる。そして天才・永嶺修人は自分たけのシューマンの世界を守るために、指を失い、演奏を断念する道を選ぶ。
そうしたなかで、「私」がたまたま耳にした修人の「幻想曲」の演奏は、演奏者と曲が一体化したエクスタシーの瞬間として作品のなかにある。

作品は、最後にドンデン返しを繰り返しながら意外な結末を迎える。最初私は、このとってつけたような結末に強い違和感を覚えたが、次に、その結末すらももしかしたら幻想かもしれないと考えることで、作品そのもののリアリティが逆に浮き上がってくるのを感じた。つまり、作品世界も結末も幻想に過ぎないのかもしれないが、逆に、作品のなかで描かれている修人の「幻想曲」の演奏の印象は、不思議なほどリアルで、私自身、その場に居合わせてその演奏を聴いてしまったような気がするのだ。それは奥泉光が、音楽の聞き手が耳にすることのできない「宇宙全体の音」に迫っているからではないだろうか。

ちなみに、この作品の文体には最初強い違和感を覚えたが、読み終えて、それも「シューマン的文体」なのかとおもったりしている。

『ムガル帝国誌』第一巻を読む

2010-05-19 23:47:04 | テクストの快楽
17世紀フランスの旅行者・哲学者フランソワ・ベルニエ(1620年~88年)のインド旅行記『ムガル帝国誌』第一巻を読んだ(関美奈子氏訳、岩波文庫)。
今私が翻訳している『人間の精神について』のなかに、インド関係の記述が複数記してあり、17世紀から18世紀にかけてのフランス人のインドに関する知識はどのようなものだったかを確認することがその直接の狙い。その狙いはさておき、ある国の地誌として、けっこうおもしろく読むことができた。
ベルニエは若い頃、当時流行のエピクロス哲学と医学を学び、その後、非ヨーロッパ地域の国情を実際に知ることを志し、1656年から13年間にわたりアフリカ、アジアに滞在し、帰国後、その体験を旅行記にまとめて出版した。この旅行記は、当時のインドの情勢を詳細に伝えるものとして評判を呼び、モンテスキュー、アダム・スミス、さらにはマルクスにまで影響を及ぼしているという。
さて、ベルニエがインドに到着した当時は、ちょうど、ムガル帝国第五代君主シャー・ジャハーン(タージ・マハールの建設者)の晩年の混乱期で、彼は、第六代アウラングゼーブが権力を掌握する過程をくわしく目撃した。ベルニエは、この政変を中心に、ムガルの国情を詳細に記している。ムガルは、もともと中央アジア系のムスリムによる征服王朝であるが、ムガル内部でのスンニー派とシーア派の違い、ムガルとペルシアの宗派の違いなども、きちんとおさえられている。
私にとっては、この『ムガル帝国誌』に記されている人物は、皇帝たちも含めて、大半がはじめて名前を聞く人物なのだが、その闘争の様は、ちょうど日本の源平合戦の描写のようで、日本史も、第三者が見たらこのように描写されるのではないかと興味深かった。
その記述も、戦闘の詳細を記すというよりは、その背後にあってさまざまな人物を権力闘争に駆り立てている理由やそれを支える経済的な背景などにおよび、『平家物語』というより『愚管抄』をおもわせる。
最後は、ムガルの土地制度、司法制度にも話がおよび、ムガルという特異な国の記述というより、ムガルを手がかりにした社会制度論としておもしろかった。

「死を思え」

2010-03-25 23:58:52 | テクストの快楽
最近、集英社から『渋沢竜彦ドラコニア・ワールド』というビジュアル新書が出たので、このところ毎日、自室でもアルバイト先でもパラパラとそれを眺めている。
渋沢が死んだのは1987年で、それからもう20年以上経つのだが、北鎌倉にある渋沢の書斎は、1冊の本も動かさずに彼が死んだときと同じ状態で残されており、この新書は、渋沢邸に残されている彼の遺品とそれにちなんだ渋沢の文章をまとめた忘備録のような本だ(編者は渋沢未亡人の竜子さん)。
この本を眺めていると、渋沢の遺品が、その思い出とともにとても大事にされていることがひしひしと伝わり、故人を忘れないということがどれだけ重要かよくわかる。そして、今の私には、この死者に対する思いの濃さがとてもここちよい。ちなみに現在私が使っているPCは、電源を入れると主なき渋沢の書斎の画像がでてくるようになっている。そのかたわらにMくんの写真をならべておくと、なにか、自分が死者たちにやさしくとりかこまれているような気がしてくる。

「渋沢竜彦との結婚生活は18年、彼が逝ってからすでに20年あまり。今、彼がすり減っても替えずにいた椅子に坐り、生前そのままに、削りかすの入った鉛筆削りやボロボロになるまで使い込んだフランス語の辞典などが置かれた机に向かい、(中略)オブジェのあれこれを見渡すと、木の実や貝殻や石を夢中になって拾っていた姿を懐かしく思い出します。(中略)こうして「ドラコニア・ワールド」に集まってきた物たちを眺めながら、彼との来し方を辿ると、渋沢は永遠の少年だったという思いでいっぱいです。そしてこの王国がいつまでも続いてくれますように…。」(渋沢竜子さんの序文から)

渋沢の文章も引用しておく。これは、応接間の髑髏について書いたものだ。
「わが家の応接間の飾り棚に、一個の髑髏が安置してある。ぽかりと開いた眼窩といい、亀裂が走ったような冠状縫合といい、黒々とした鼻中隔といい、乱れた歯並びといい、全体に象牙色をおびた色艶といい、まさに迫真の相貌である。(中略)私が髑髏を手に入れたいと考えるようになったのは、別に物好きのためではない。よくヨーロッパの中世の木版画などに、机の上に置かれた頭蓋骨を、学者がじっと眺めている図があるのに気がついていたからである。中世の学者は死と慣れ親しむために、好んで頭蓋骨を身辺に置いたのだった。メメント・モリ(死を思え)というのが中世の合言葉である。私もまた、中世の学者にならって、日常坐臥、死を見つめていたいと考えるようになったとしても、ふしぎはあるまい。」(渋沢竜彦)

アダム・スミスの入門書を読む

2010-02-02 00:16:56 | テクストの快楽
先日から堂目卓生氏の『アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」』(中公新書)を読んでいる。スミスは、私が訳している『人間の精神について』の著者とほぼ同時代人で、この著者とも面識がある。18世紀の中ごろ、仏英でほぼ同時に、『人間の精神について』と『道徳感情論』が書かれていたことになる。これも時代性なのだろう。だからほんとうは、実際に『道徳感情論』と『国富論』を読んだ方がいろいろ勉強になるのだが、まずは手っ取り早くということで、この入門書を手にしたという次第。ざっと読んでいる感じとしては、私の著者よりもスミスの方が一般受けする考え方をしており、両者の知名度・影響度の違いも納得できる。
また、有名な「見えざる手」と概念というのはこういうことを指すのかと、ためになる本ではある。