闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

夏物の靴と洋服を整理

2011-09-24 22:58:17 | 雑記
本日は晴天なり。
冷え込みのせいか、今朝は8時少し前に目が覚めた。ただちに起床して、『人間の精神について』を校正する。このところ、朝はモーツァルトの弦楽四重奏曲第20番ニ長調を聴くことが多い。秋のさわやかな感じにぴったりの曲想だ。短い曲なので、それが終わると、そのときの気分で、同じくモーツァルトの適当なピアノ協奏曲をかける。
ブランチは、冷蔵庫のなかの残り物で、ほんとうに簡単に済ます。ブランチ後、残りの校正を続けていたら、西国に戻った謙介さんから、地元の銘菓という栗のタルトが届いた。さっそくそれをいただく。濃厚な味で、とてもおいしい。一息いれてから、蒲団をほす。
昼過ぎにスーパーにコピーに出かけ、戻ってからそれを閉じる。そのうち1部は、先日タックスノットで会ったKさんに送る。
そんなことばかりしていたら、なんだか雑然とた感じでフランス語のテクストを読む気分にならないので、そのあとは、久しぶりに寓居の整理。
まずは下駄箱をあけて夏の靴をしまい、ブーツなど、秋から冬にかけての靴を出して並べる。靴の整理がことのほかスムーズに済んだので、次は、勢いにまかせて洋服の整理。半袖の衣類をしまい、トレーナーやセーター、長袖シャツなどを取り出す。ついでに、整理箪笥のなかや衣類掛けも大幅に整理。
秋物の靴や洋服をどうしようかこのところいろいろ迷っていたのだが、靴と洋服を整理していたら、着れるものがたくさんあるので、新しいものは買わずに、少しがまんしようという気になってきた。また、もう着そうもないTシャツは、カレシモドキに送ることにした。
整理が済んでもまだ4時前。小腹が空いたので、昼にスーパーで買ってきたハンバーガーを食べてから、外出することに。洋服を整理しているときに出できた黒地のTシャツをはおる。
さて今日はめずらしく、まず下北沢で降りる。駅前の商店街を少しブラブラしたのち、古本屋を覗く。下北沢では他に行きたい店もないので、その足で今度は新宿へ。
新宿では、丸井の古着屋を覗いたのち、タワーレコードに立ち寄って、7時過ぎに帰宅した。

謙介さんの訪問を受ける

2011-09-20 23:18:23 | 雑記
昨日は、西国から、「終着までは何哩?」ブログの管理人・謙介さんが、仕事で上京の忙しい合間を縫って、寓居を訪問された。
謙介さんとお会いするのは、もちろんこれがはじめてだが、ブログの文章をとおして、誠実で知的な人柄はよくわかる。実際にお会いした謙介さんは、まさにそうしたイメージどおりの方で、初対面のK堂の駅でも、一目でこれが謙介さんだなとわかった。1

さて、謙介さんとは、K堂でどこかおいしい店に行こうと、事前にメールで話し合っていたのだが、いざとなると、帯に短し襷に長しで、これという適当な店がおもいつかない。よさそうな店はみなこじんまりとしすぎていて、セクシュアリティーのことも含めたいろいろな話題をじっくり話ができるような雰囲気ではない。そこで結局、寓居で謙介さんをおもてなしすることにした。とはいえ、それではなんとなく心許ないので、K堂では調達できない前菜、パン、ケーキ等の食材を伊勢丹で買ってくることにする。
そんなことでいろいろ準備をしていたら、突然、私の友人も謙介さんにお会いしたいと言い出して、これる予定外ながら、当方は2人で謙介さんをお迎えすることとなった。
新宿から戻ってから、今度は足りない料理材料を近所のスーパーで調達して、4時過ぎから鶏肉のトマト煮込みをつくりはじめる。予定どおり6時少し前に謙介さんから連絡が入り、駅に迎えに行った。
食卓での話は、互いの創作活動や翻訳のことがメイン。いろいろと話し込んでいるあいだに、あっという間に時間が経った。
そこで、食卓をかたづけてから、今度は謙介さんと2人で新宿探訪。といってももうあまり時間がないので、まずはタックスノットを訪問することにした。
昨晩は月曜日なので、残念ながらマスターのタックさんは休みだが、月曜担当のウタちゃんが、アトホームな感じで迎えてくれた。そこでいろいろ雑談をしているうちに、今度はジャズシンガーのKさんがやってきたので、4人であらたに会話のしきり直し。久しぶりにお会いしたKさんとは、いろいろ話もはずんだが、今日のアルバイトがあるので、12時少し前にタックスノットを辞去した。
謙介さん、昨日は、台風で帰りの飛行機がちゃんと飛ぶか気にしておられたが、無事ご自宅に帰られただろうか…。

     ☆     ☆     ☆

「終着までは何哩?」
http://tamafu.cocolog-nifty.com/

巴里の中国人

2011-09-16 00:39:34 | 雑記
今日は派遣のアルバイトが休み。いつものように起床時間とブランチの紹介からはじめたいところだが、内容がもりだくさんなため、大急ぎでアウトラインのみご報告。

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ということで、起床は9時少し前、ブランチは10時。その後、洗濯を早めに済ませ、午後から『人間の精神について』に向かう。今日はここでおもしろいことを見つけたのだが、それは後回しにすることにして、ともかく午後4時過ぎまでテクストと向かい合う。
夕方は新宿に買い物。このところ、アルバイト先ではいているパンツがジーンズで定着してしまったので、思い切ってスラックスを購入。あれこれ迷ったが、細身のストレートのスラックスを選んだ。その後、伊勢丹に行き総菜を買い込むともう6時過ぎ。
急いでK堂に戻り、いつもとは気分を変えて、カジュアルなイタリアン・レストランで夕食をとることにする。入ったのは、以前からちょっと気になっていたチェルヴォという小さな店。
カウンターの他に2階もあるようだったが、若いシェフが1人で切り盛りしていたので、カウンターに陣取る。
注文したのは、前菜として鮮魚のカルパッチョとトリッパの2皿。トリッパというのは牛の胃の一部で、それをトマトで煮込んである。私は小食なので、これだけでけっこうお腹がいっぱいなのだが、もう1皿、ジェノヴァ風のパスタをたのんだら、もう動けなくなった。しかしこのパスタはとても変わっていて、しかもとてもおいしい。料理が出できたとき、おもわず私は、「これは薄切り蕪のパスタですか?」と尋ねたのだが、実はその蕪の千枚漬けのように見えたのがパスタそのもので、太いパスタを薄切りにして特性ソースや具材とからめてあるのだ。すっかり満足して店を出たら、シェフが店の外まで送ってくれた。

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さてここから先は『人間の精神について』の書き込み。
今日読んだのは、実は中国の唐の太宗(599年~649年)についての記述。18世紀のフランスで、太宗のことが知られていたというのが、私にはまず驚きなのだが、その内容は、史実の一部は伝わっているものの、やはり、かなりゆがんでいる。ただ、その変形が、中国を蔑視する方向ではなく、理想化する方向だというのが、私にはおもしろい。
内容的には、まず歴史学についての一般論が述べられ、いい国をつくるためには、歴史家が政治家におもねることなく真実を書くことができなくてはならないとしたうえで、そうした「真実の歴史」を実現していたのが中国だと、中国を持ち上げる。
これは実は、中国の正史についての知識にもとづく記述で、周知のように、中国では、唐の太宗以来、前代の王朝の歴史を、次の王朝が国家事業として編纂することが定着していた。
それがルイ14世時代のフランスに伝わり、中国の歴史学は非常に客観的だと絶賛されているわけだが、そこからは、中国の正史は、当の王朝の事跡について編纂しているからではなく、すでに滅びた前の王朝についての記述だから客観的に書けるのだということが脱落している。
そこで今度は、この知識がいったいどのようにしてフランスにもたらされたのかを調べてみると、黄嘉略(1679年~1716年)という福建省生まれの中国人が浮かび上がってきた。この黄という人は、中国でキリスト教に改宗し、ローマ法王に謁見するために渡欧して、その後ルイ14世に仕えたとある。フランス最初の中仏事典や中国語の文法書の出版も、黄の尽力が大きかった。中仏交流史のなかでは、かなり重要視されている人物のようだ。そこから、この中国人は、18世紀のフランスで何を考え、どのような暮らしをしていたのだろうかと、しばしおもいを馳せる。
この黄氏の知識によるテクストは次のとおり。事実無根の記述だとしても、それはそれで記事としておもしろい。

【原文】
Ta-i-t-song, deuxieme Empereur de la Dynastie des Tang demanda un jour au President de ce tribunal qu'il lui fit voir les memoires destines pour l(Histoire de son regne. Seigneur, lui dit le President, songez que nous rendons un compte exact des vices et des vertus des Souverains; que nous cesserions d'etre libres, si vous persitriez dans votre demande...Ehquoi! lui repondit l'Empereur, vous qui me devez ce que vous etes, vous qui m'etiez si attache, voudriez^vous instruire la posterite de mes fautes, si J'en commettais?...Il ne serait pas, reprit le President, en mon pouvoir de les cacher. Ce serait avec douleur que je les ecrirais: mais tel est le devoir de mon emploi, qu)il m'oblige meme d'instruire la posterite de la conversation que vous avez aujoud'hui avec moi.

【英訳】
Ta-i-t-song, the second emperor of the dynasty of Tang, one day demanded, of the president of this tribunal, the sight of the memoirs destined for the history of his reign. "My lord," said the prcident, " know, that we render an exact account of the virtues and vices of sovereigns; and that we should be no longer free, if thou shouldest persist in thy demand." "What," replied the emperor, "wilt thou who owest all that thou hast to me, wilt thou who art so attached to me, inform posterity of my faults, if I commit any." "It is not in my power," said the president, "to conceal them. It would be with grief that I should write them; but such is the duty of my employment, that it obliges me even to inform posterity of the conversation thou hast this day had with me."

【試訳】
唐王朝の第二代皇帝太宗が、ある日、この法廷の院長に、彼の治世の歴史用に向けられた覚え書きを見せるよう要求した。院長は彼に言う。「陛下、われわれは主権者の悪徳と美徳の正確な報告を行うこと、もしあなたが要求を貫いたならば、われわれは自由であることをやめるであろうことを思い浮かべて下さい。」皇帝は彼に応じる。「なんと、自分の地位を私に負っている汝、私にこれほど結びつけられていた汝が、もし私が誤りをおかすならば、後世にそれを知らせることを望むであろうというのか。」院長はこたえる。「それを隠すことは、私の権限外となるでしょう。私は、苦しみながらそれを記すでしょう。しかし、それが私の仕事の義務なのです。その義務は私に、本日あなたが私と行った会話を後世に知らせることさえも、強制するのです。」

「無知ゆえの大胆さは、勇気ではない」

2011-09-12 00:27:24 | 雑記
今日は日曜なので派遣のアルバイトが早番出勤の日。早番といっても勤務先に9時に入ればいいのだが、ふだん自堕落な生活を送っている身としては、その9時出勤がつらい。それでも7時過ぎに起床し、朝食もとらずに9時前に勤務先にすべり込む。
遅刻せずに到着しさえすれば、あとはルーティーン・ワークなので仕事は楽なのだが、それでも午前中の仕事はつらい。それと、朝食を取っていないので、10時頃にはお腹がすく。なんとか無事に仕事をこなして、ともかく7時過ぎに帰宅。戻ってから、昨日の残りのパスタ、サラダなどで夕食。夕食が済んでから、昨日、友人と電話で話したあたりの訳をすすめる。テクストとにらめっこすること数時間。ようやく私なりの仮の結論に到達した。テクスト、英訳、試訳は次のとおり。

【原文】
Le courage est donc souvent l'effet d'une vue peu nette du danger qu'on affronte, ou de l'ignorance entiere de ce même danger. Que d'hommes sont saisis d'effroi au bruit du tonnerre, et craindraient de passer une nuit dans un bois éloigné des grandes routes, lorsqu'on n'en voit aucun qui n'aille de nuit et sans crainte de Paris à Marseille? Cependant la maladresse d'un postillon, ou la rencontre d'un assassin dans une grande route, sont des accidents plus communs, et par conséquent plus à craindre qu'un coup de tonnerre ou la rencontre de ce même assassin dans un bois écarté. Pourquoi donc la frayeur est-elle plus commune dans le premier cas que dans le second? C'est que la lueur des éclairs et le bruit du tonnerre, ainsi que l'obscurité des bois, présentent chaque instant à l'esprit l'image d'un péril que ne réveille point la route de Paris à Marseille.

【英訳】
Courage is often then only the effect of a man's not having a clear view of the danger he confronts, or of his being entirely ignorant of it. How many are there, who are seized with terror at the noise of thunder, and would be afraid to pass a night in a wood at a distance from the high road, while there are none found who do not pass in the night without fear from Paris to Marseille? However, the blunder of a postillion, or the meeting an assassin on the high road, are accidents more common, and consequently more to be feared, than a clap of thunder, or meeting an assassin in a distant wood. Why then is fear more common in the first case than in the last? It is because flashes of lightning, and the noise of thunder, as well as the darkness of woods, present every instant to the mind images that give us the idea of danger, which do not arise in our minds in the road from Paris to Marseille.

【試訳】
それゆえ、勇気はしばしば直面している危険へのすこしも明瞭でない視点、もしくはこの同じ危険に対する完全な無知の結果である。パリからマルセイユまで夜に怖れることなく通行する者を誰も見ないとき、雷の音をきいて、恐怖にとらえられ、大きな街道から離れた森で夜を過ごすことを怖れる人間が、どれほどいるであろうか。しかしながら、御者のへまや大きな街道で殺人者に遭遇することはより普通のできごとであり、したがって、雷の一撃や人里離れた森で同じ殺人者に遭遇することよりも怖れるべきである。それではなにゆえ、最初の事例では第二の事例よりも恐怖はさらに普遍的であるのか。それは、閃光と雷鳴ならびに森の暗がりは、各瞬間、精神にパリからマルセイユへの街道がけして引き起こさない危難の心象を提示するからである。

     ☆     ☆     ☆

テクストでは、危険への恐怖を第一の事例、第二の事例と、二つの事例で比較し、雷や暗闇は(それを怖れるひとは多いが)ほんとうの恐怖ではないこと、これに対し、大きな街道を通行することはほんとうは恐ろしいことなのだが、一般の人は怖れることなく街道を通行していること、しかしそれは結局、無知ゆえの大胆さ(=直面している危険へのすこしも明瞭でない視点の結果)であり、ほんとうの勇気とは異なると言おうとしているのだとおもう。
ここでややこしいのは、第一の事例で、これが、「雷の音をきいて、恐怖にとらえられ、大きな街道から離れた森で夜を過ごさないこと」だけを指すのであれば、話は単純なのだが、そこに、「パリからマルセイユまで夜に怖れることなく通行する者を誰も見ないとき」という限定条件が入るために、解釈(訳)が複雑になるのだ。
要は、「~のとき」に相当するフランス語の「lorsque」、英語の「while」を、文章全体のなかで意味的にどうとらえるか、どう訳すかなのだが、これが結構ややこしい。
そして、話をさらにややこしくしているのは、英訳にはフランス語テクストの誤解に基づく誤訳があるのではないかとおもわれることだ。
私が誤訳というのは、「while there are none found who do not pass in the night」のフレーズのなかのnotで、これは、不要の単語だというのが私の考えだ。
というのは、このフレーズに相当するフランス語原文は、「lorsqu'on n'en voit aucun qui n'aille de nuit」というフレーズで、そのなかには確かに否定の副詞ne(n')が入っているのだが、このneは、フランス語独特の否定の意味をもたない虚辞のneであり、ほんらい他の言語の訳文のなかには入れるべきではないものを、英文翻訳者が誤ってフランス語の構文そのままに否定の副詞を挿入し、そのために英文の意味がとおらなくなっているのではないかというのが、私の解釈だ。ただし、ではなぜ英文の翻訳者が誤ったかというと、それはフランス語の原文そのものがぐちゃぐちゃした文章で、そのままでは意味が取りにくかったからだとおもう。
ということで、四苦八苦のうえでたどりついた日本語の試訳なのだが、これが正しいかは、いま一つ心もとない。

野菜のゼリー寄せではじめてレトルトカレーで終わる

2011-09-10 22:29:23 | 雑記
今朝は8時過ぎに起床。しばらく『人間の精神について』のテクストと格闘。9時半過ぎから食事を準備して、10時にブランチ。メインは、このところ休日のブランチの定番となっている茄子とベーコンのスパゲッティだが、一昨日、伊勢丹で薄切り野菜のテリーヌを買ったので、これを前菜にすることにする。ところがあけてびっくり。包んであったのは、伊勢丹のショーケースでテリーヌの隣に並んでいた野菜のゼリー寄せだ。店員のそそっかしさにちょっと憤慨したが、これはこれでおいしそうなので、気持ちをなだめる。食べてみると、牛蒡や薩摩芋、椎茸など、普通洋風のゼリー寄せには使われない野菜がいろいろ入っていて、食感もなかなかだ。前菜を食べたので、ドルチェは省略して、10時半くらいにエスプレッソでブランチを終える。
それからしばらく、家のなかを片づけたり、洗濯をしたり雑用を済ませ、気がつくいつのまにか2時。翻訳のなかでよくわからない文章や事実について相談するために友人たちに電話を入れ、それが済んでからまた翻訳。5時くらいまでテクストと向かい合って、どうにか少し訳が進んだ。
さて、コインランドリーに出かけた以外は一日中ずっと家にいて鬱陶しいので、5時過ぎからはK堂散策。結局、N大通りのフレッシュネスバーガーに入り、ビールとハンバーガーを食べる。フレッシュネスで、少し、訳を校正。
部屋に戻ってから夕食をどうしようかちょっと迷ったが、考えるのが面倒なので、結局レトルト・カレーを食べることにする。
食後、スーパーに明日の食料を買い出しにでかけ、戻って、今はこうしてブログの記事を書いている。

新宿へ行ったり、翻訳をしたり…

2011-09-08 23:16:01 | 雑記
このところ、派遣のアルバイトも仕事が落ち着き、家に戻ってからの翻訳作業も順調だ。

今日はアルバイトが休みなので、午前9時頃に起床。10時頃にスーパーの特売で購入して冷凍してあったフィレ肉を焼き、それにサラダをつけ合わせて、ややヘビーなブランチ。食後はアイスクリームとエスプレッソ・コーヒー。
天気がいいので、そのあとすぐに洗濯をしたかったのだが、最近私が新宿の丸井のリサイクル・ショップでいろいろな洋服を買っているのを聞いた友人が、自分もそのリサイクル・ショップに行きたいというので、つきあいで新宿に出る。
丸井のリサイクル・ショップで、先月私はシャツを2枚買ったのだが、今日は、友人も私も、サイズの合う気に入った洋服が見つからず、結局何も買わずに、丸井のなかの他のショップを見て回る。
その後、友人と一緒に伊勢丹に行き、さる人からもらった商品券で、ワイン、チーズ、コーヒーなどを買い込む。
ここで友人と別れ、私はもう一度、丸井のなかの別のお気に入りのショップを覗いて、秋物の新作をチェック。ただしここでもどうしても着たい洋服がなかったので、何も買わずにショップを出て、2時過ぎに帰宅。
それから急いで洗濯を済ませ、『人間の精神について』のテクストと向かい合う。
夕食は、何をつくるかあまり考えたくなかったのと、朝からステーキを食べたり食料品の買い出しをした反動で、レトルト・カレーとビールで簡単に済ませる。
その後、地元のスーパーで明日の食品を買い、翻訳を切りのいいところまですすめてから、駅前のショッピング・モールにできたタリーズ・コーヒーで息抜き。
のんびりした一日だったが、翻訳はそれなりにすすんだ。このままのペースでいけば、来月のはじめまでには、仕上がった部分を古都の大学に送れるかもしれない。