このブログ、なるべく自分の日常に即して書いてみたいとは思っているのだが、いざとなると、GAYであるといっても生活そのものはノンケと変わらないから、自分の生活のことでこれはという題材は特に思い浮かばない。自分の身近ということで、まずいつも聴いている音楽のことを書いてはみたのだが、第三者的に考えてみれば、GAY的な音楽の聴き方なんてあるのかとも思う。一般のGAYブログをみると、それをGAY映画やGAY小説の感想(あるいはもっと端的には性的な話題)で補って、なんとかGAYとしての特色をだそうとしているように思えるが、昨日も少し書いたように、GAYだからGAYが生み出したさまざまなアートに共感するというのは、どうもあまりに短絡すぎるような気がして、私は好きではない。
たとえばヴィスコンティ映画のことを考えると、彼はいつもGAYを主題にして映画をつくっていたわけではなく、変わったところではカミュ原作の『異邦人』なんて作品もあるし、初期のものは、GAYもノンケも全然関係ないところで映画をつくっている。要するに、ヴィスコンティ映画がGAY的だというのは、GAYの世界を描いているからではなく、普通の世界を描いていても、その見方、描き方がGAY的だということだと思う。ヴィスコンテイには及ばないが、そのGAY的な日常のとらえ方に、このブログでは一歩でも近づいてみたい。
* * *
さてこの辺で話題をかえて、プロフィール第二弾ということで、今日は、私がGAYに目覚めた頃のことを少し書いておこう。
とはいえ、私の場合、ものごころがついたらすでにGAYだったような気がして、GAYに目覚めた具体的なきっかけというものをどうしても思い出すことができない。あえていえば、ほんとうに小さくて幼稚園に行くか行かないかの頃に観た映画がそのきっかけだったかとも思う。映画好きの両親は、私をよく美空ひばりの時代劇につれていってくれたそうだが、当時の美空ひばりの時代劇というのは、彼女が若衆に扮して旅をするというようなものが多く、5、6歳の幼児の性的アイデンティティーを攪乱するには充分だったようだ。その頃何というタイトルの映画を観たのか、今はもう全然覚えていないのだが…。
そんなことで、GAYという言葉は知らなくても、小さいときからなんとなく同性に対する憧れはあったのだが、それが特定の個人と結びついて明確なかたちとなったのは、高校生のときだ。
小中学生時代は近所の子といっしょに公立の学校に通っていたので、家庭ぐるみの近所での交友がそのまま学校での交友だったのだが、高校になってはじめてそれが崩れ、全然知らない同世代の人間と接触することになった。ちなみに、私の通っていた田舎の公立高校は、いちおう男女共学ではあったが、女子の数は圧倒的に少なく、たぶん、全体の二割程度だったような気がする。
まわりがほとんど知らない人ばかりなので、最初はとっかかりにも苦労したような気がするが、自分が知らない人ばかりということは、相手もこっちを知らないというお気楽さはある。そのうち、私は、たぶん一度も口をきいたことのないクラスメートのM君をものすごく意識するようになった。私が文系志望なのに、彼は理系志望、私の興味が、映画、小説、音楽なのに彼は根っからのスポーツマン。二人の世界は全然重なるところはないのだけれど、当時の私にはそれが魅力だった。
二年のときにクラス替えになり、彼とは別のクラスになってしまったけれど、休み時間、何かと理由をつけては彼のいる隣のクラスに入り浸っていた。はっきり「好き」といったことはなかったけれど、彼はそれをわかっていたと思う。
さて受験ということになり、志望校を決めなくてはならないのだが、私は行きたい大学が全然思いつかなかった。ただ、東京に行って思い切り映画を観たいという希望はあったし、学科はなんとなく仏文科にしようと思っていた。それともう一つ。私には変なこだわりがあって、単科大学(カレッジ)には行きたくない、行くなら絶対総合大学(ユニバーシティー)だと決めていた。そんなとき、ふとしたことでM君が某大学を受けると知ったとき、私の志望校は自動的に決まってしまった。その大学は東京にある総合大学で、しかも仏文科があるのだ(笑)。
そんなことでその大学に願書を出しておいたのだけれど、受験当日になり、受験校を変更した。「自分が好きな男が受けるというそれだけの理由でこの大学を選んだのなら(私にとっては現にそれしか理由がなかった)、仮に受かっても一生後悔するのではないか」と思えてきたのだ。万一に備え、私はもう一通別の大学に願書を出していたので、当日は下見もしていない別の大学を受けにいき、みごと落っこちた。ちなみにこの二つの大学は受験日が同じだったので、両方受験するわけにはいかなかったのだ。だから二つの大学に願書を出したからといって、片方がいわゆる「すべり止め」ということではない。考えると相当無謀なことをしたと思う。
そういうことで大学受験には失敗したが、両親は東京の予備校に行くことを認めてくれた。大学の入学試験は一回しか落ちていないのに、予備校の入学試験には落ちまくった。しかたがなくて適当な予備校を選んだのだが、なんと!めぐりめぐってM君もその予備校に入っていたのだ。入学式でそれを知ったとき、夢のような気がした。
予備校時代、予備校生同士で新たな交友ができるわけでもなし、同じ高校から来た同級生数人が一つのグループになっていつも集まっていたが、そんなことで、私は高校時代にどうしても実現できなかったM君の親密な友人グループに入るという夢を、この予備校時代に実現した。
そうこうして毎日M君と会い、いっしょに昼食したり無駄話をする日が続いた数カ月後、がまんしきれずにとうとう彼に自分の思いを打ち明けた。M君は「自分にはその気はない」と言ったが、その後もそれまでと変わらずつき合ってくれた。私はというと、告白した安心感があって、毎日公然と彼を見つめていたと思うのだが、この辺のところはあまり記憶にない。また受験の季節が来て、私もM君もまた同じ大学を受け、私はその大学に受かったが、彼は受からず、別の大学に進学した。
それ以来、彼とはもう会っていない。
* * *
無意識的でぼんやりした同性への憧れを除けば、これが私の自覚的な初恋だ。
たとえばヴィスコンティ映画のことを考えると、彼はいつもGAYを主題にして映画をつくっていたわけではなく、変わったところではカミュ原作の『異邦人』なんて作品もあるし、初期のものは、GAYもノンケも全然関係ないところで映画をつくっている。要するに、ヴィスコンティ映画がGAY的だというのは、GAYの世界を描いているからではなく、普通の世界を描いていても、その見方、描き方がGAY的だということだと思う。ヴィスコンテイには及ばないが、そのGAY的な日常のとらえ方に、このブログでは一歩でも近づいてみたい。
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さてこの辺で話題をかえて、プロフィール第二弾ということで、今日は、私がGAYに目覚めた頃のことを少し書いておこう。
とはいえ、私の場合、ものごころがついたらすでにGAYだったような気がして、GAYに目覚めた具体的なきっかけというものをどうしても思い出すことができない。あえていえば、ほんとうに小さくて幼稚園に行くか行かないかの頃に観た映画がそのきっかけだったかとも思う。映画好きの両親は、私をよく美空ひばりの時代劇につれていってくれたそうだが、当時の美空ひばりの時代劇というのは、彼女が若衆に扮して旅をするというようなものが多く、5、6歳の幼児の性的アイデンティティーを攪乱するには充分だったようだ。その頃何というタイトルの映画を観たのか、今はもう全然覚えていないのだが…。
そんなことで、GAYという言葉は知らなくても、小さいときからなんとなく同性に対する憧れはあったのだが、それが特定の個人と結びついて明確なかたちとなったのは、高校生のときだ。
小中学生時代は近所の子といっしょに公立の学校に通っていたので、家庭ぐるみの近所での交友がそのまま学校での交友だったのだが、高校になってはじめてそれが崩れ、全然知らない同世代の人間と接触することになった。ちなみに、私の通っていた田舎の公立高校は、いちおう男女共学ではあったが、女子の数は圧倒的に少なく、たぶん、全体の二割程度だったような気がする。
まわりがほとんど知らない人ばかりなので、最初はとっかかりにも苦労したような気がするが、自分が知らない人ばかりということは、相手もこっちを知らないというお気楽さはある。そのうち、私は、たぶん一度も口をきいたことのないクラスメートのM君をものすごく意識するようになった。私が文系志望なのに、彼は理系志望、私の興味が、映画、小説、音楽なのに彼は根っからのスポーツマン。二人の世界は全然重なるところはないのだけれど、当時の私にはそれが魅力だった。
二年のときにクラス替えになり、彼とは別のクラスになってしまったけれど、休み時間、何かと理由をつけては彼のいる隣のクラスに入り浸っていた。はっきり「好き」といったことはなかったけれど、彼はそれをわかっていたと思う。
さて受験ということになり、志望校を決めなくてはならないのだが、私は行きたい大学が全然思いつかなかった。ただ、東京に行って思い切り映画を観たいという希望はあったし、学科はなんとなく仏文科にしようと思っていた。それともう一つ。私には変なこだわりがあって、単科大学(カレッジ)には行きたくない、行くなら絶対総合大学(ユニバーシティー)だと決めていた。そんなとき、ふとしたことでM君が某大学を受けると知ったとき、私の志望校は自動的に決まってしまった。その大学は東京にある総合大学で、しかも仏文科があるのだ(笑)。
そんなことでその大学に願書を出しておいたのだけれど、受験当日になり、受験校を変更した。「自分が好きな男が受けるというそれだけの理由でこの大学を選んだのなら(私にとっては現にそれしか理由がなかった)、仮に受かっても一生後悔するのではないか」と思えてきたのだ。万一に備え、私はもう一通別の大学に願書を出していたので、当日は下見もしていない別の大学を受けにいき、みごと落っこちた。ちなみにこの二つの大学は受験日が同じだったので、両方受験するわけにはいかなかったのだ。だから二つの大学に願書を出したからといって、片方がいわゆる「すべり止め」ということではない。考えると相当無謀なことをしたと思う。
そういうことで大学受験には失敗したが、両親は東京の予備校に行くことを認めてくれた。大学の入学試験は一回しか落ちていないのに、予備校の入学試験には落ちまくった。しかたがなくて適当な予備校を選んだのだが、なんと!めぐりめぐってM君もその予備校に入っていたのだ。入学式でそれを知ったとき、夢のような気がした。
予備校時代、予備校生同士で新たな交友ができるわけでもなし、同じ高校から来た同級生数人が一つのグループになっていつも集まっていたが、そんなことで、私は高校時代にどうしても実現できなかったM君の親密な友人グループに入るという夢を、この予備校時代に実現した。
そうこうして毎日M君と会い、いっしょに昼食したり無駄話をする日が続いた数カ月後、がまんしきれずにとうとう彼に自分の思いを打ち明けた。M君は「自分にはその気はない」と言ったが、その後もそれまでと変わらずつき合ってくれた。私はというと、告白した安心感があって、毎日公然と彼を見つめていたと思うのだが、この辺のところはあまり記憶にない。また受験の季節が来て、私もM君もまた同じ大学を受け、私はその大学に受かったが、彼は受からず、別の大学に進学した。
それ以来、彼とはもう会っていない。
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無意識的でぼんやりした同性への憧れを除けば、これが私の自覚的な初恋だ。