Dishes Are Burning ~燃ゆる皿~

宇宙、そこは最後のフロンティア。UFO時代のときめき飛行、動くなよ、弾が外れるから。

猿と残業と私

2022-12-31 22:52:13 | 日記
被害妄想丸出しの前回投稿から早一年、今年もこの季節がやって参りました。
毎年大晦日にのみ更新される、最早紅白かレコ大かというレベルである。

今年は春先から身辺を揺るがす出来事が続き、夏には遂に家を出て一人アパートでの生活となった。
それからも独り暮らしの気楽さ…というには程遠い、気を病む事のみの日々が続いている。
宿の立地は鬱蒼とした山林が間近に迫り、時折現れる野生の猿に心慰められる…いやいや猿とか怖いだろ。
気鬱のあまりブログの更新もままならないのである。前からずっとそうだが。


そんなこの一年、心の支えというか逃避先となったのは、年明けに開眼した伊福部昭の音楽であろうか。

アニメにかぶれていた中学生の頃、専門誌に載っていたキングレコードの広告で「伊福部昭」の名前を知った。
「ゴジラの音楽を作った作曲家」であり、『県立地球防衛軍』に登場する「伊福部あき子」の元ネタである事も…。
その後高校に入った頃FMで聴いた井上誠『ゴジラ伝説』が、最初に聴いた伊福部音楽という事になるだろうか。
編曲作品とはいえ、近代音楽的な響きはクラシックと無縁な田舎の少年にも「カッコいい!」と思わせるものがあった。
しかし舶来ロックにうつつを抜かす山奥の高校生にとって、往年の特撮映画の音楽は些か「守備範囲外」であり、
伊福部との接点もそれきりだった。

その後、伊福部昭が映画音楽を手掛けるだけでなく、芥川也寸志等著名な作曲家の師であったり、
『管絃楽法』という専門書(エッセイ等の類ではなく)の大著を物す純音楽の作曲家である…といった事を知る。
キース・エマーソンがヒナステラの音楽を遠回しに伊福部に例えてるのを読んでは「なるほど」等と解った気になった事もあったが、
依然私の中の認識は「伊福部=映画音楽」の域を出ないものだった。

10年程前にたまたま伊福部を取り上げるTV番組を観た時、何やらプログレみたいな曲が一瞬流れてきて、
「こんな曲も書いていたのだな」と興味を引かれたものの、当時は未知の音楽への探究心どころか音楽を聴く気力自体が減退していたため、
なおも伊福部の純音楽に触手を伸ばすには至らなかった。

それが変わったのは、ネットで観たエレクトーンの演奏動画がきっかけである。
女の子が四人で「リトミカ・オスティナータ」を弾いている、という内容だ。
長尺の曲を縮めるためにかなり端折られてはいるが、絵面も相まって強力なインパクトがあった。…何だこのプログレは!
最早私には俄か伊福部ファンになる以外の選択肢は残されていなかった…。
その頃は自分の生活もある意味で安定していて、音楽を受け入れる心の余裕があったという事だろう。
今やその音楽だけが心の支えなのだが…。


「心の支え」といえば、キース・エマーソンについて私が勝手に思っている事がある。
彼は伊福部を映画音楽の作曲家としては知っていても、純音楽作品までは聴いてなかったのでないだろうか。
実際はどうだったか知らない。だが「シンフォニア・タプカーラ 」を聴いた時、ふと思った。

「もしこれを聴いていたら、キースは死ななかったかも知れない」

こう言えば失笑する人もいるだろう。そもそも一流の演奏家の苦悩など凡人には解る筈もない。
ただ、キースが「リトミカ」や「タプカーラ 」をどう評するか聞いてみたかったと思うのは、私だけだろうか。



来年は酒を止めたい。
だが、それは「残業をなくしたい」というのと同じように、虚しく儚い夢なのである。(完)

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