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機械の愚直さは時に感動的でさえある(ターミネーター2)

2006年04月11日 | よしなしごと
土曜日、フジテレビ系で「ターミネーター2」(1991)やっていました。ターミネーターシリーズは、ビデオとDVDで持っているのに関わらず、観てしまいました。こういうのってどういう心理なのでしょうね。

リキッドメタルという発想は余りにも突拍子で、非現実的、とても近い将来にできるとは思えず、いくらSFとはいえどもチョット、という気は管理人、しております。

それにも関わらず、3部作の中でこの作品が一番好きなのは、映画の途中と最後のサラ・コナーズのモノローグ(独り言)。ジョンの遊びに辛抱強く、飽きることなく付き合いながら、決して周りへの警戒を怠らないT-800(シュワちゃん)に、サラが半ば羨望と嫉妬交じりに、あたしにはとてもあそこまで出来ない、とつぶやくシーン。そして最後に心を持たない機械でもここまで出来る(人類、というかジョン・コナーズの未来を守るため、溶鉱炉に身を沈める)、だから私たちにも未来は変えることが出来る、とつぶやくシーン。

心を持たない機械。あくまでプログラムどおりに動く。ジョンを守れといわれれば、何があろうとも最後まで守り抜く。心を持たないゆえ、死ぬということへの恐れは無い。彼にとって自分の頭の中のチップを破壊するということは単に、自分へ与えられた使命を遂行することでしかないかもしれない。しかしその愚直さは、とても人間にはまねが出来ないがゆえに、感動的でさえあります。

機械が心を持てるか持てないかは、まだ誰にもわからない。スカイネットの自我は心と呼べるものなのか?限りなく人間に近づいた擬似人格はいったいどの段階で心と呼べるのか?同じテーマは攻殻機動隊でも扱われていますね。永遠の課題かも。ま、難しい話はともかく、ここは単純に感動しておきましょう。