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欧米と日本の自然観、宗教観、死生観(兼リンク集)

2013年06月08日 | 英語生活ノおト
英語生活ノおト 第2巻(補)> 英語のバックグラウンド(3)> 欧米と日本の自然観、宗教観、死生観(兼リンク集)


文化にはそれ独自の自然観や宗教観、死生観というものがその根底にあります。例えば日本人が「神も仏もない」といった場合の神は神道的八百万(やおよろず)の神であり、仏は観世音菩薩でしょう。アメリカ人やイギリス人が"Oh, my God!"と言った場合のGodはほぼ間違いなくキリスト教の神です。ほぼ間違いないといったのは可能性としては低いものの、イスラム教のアラーを指し示すこともあるみたいです。乱暴な話ですが、どちらも唯一紳ですので、キリスト教の神(ヤーウェと呼ぶこともありますが、基本的に大文字で始まるgodはキリスト教の神です)もアラーも同じ存在の別名だという話さえあります。

万物に霊が存在すると考える神道と神はただ一人と考える宗教とでは、おのずから自然観も異なります。突き詰めていえば共存する自然と征服すべき存在の自然。

死生観も異なります。仏教の死生観の中心は因果応報で、よい行いをすると幸せに生まれ変わり悪い行いをすると蝶や虫など人間以外に生まれ変わると言う、いわゆる輪廻という考え方。現代のチベット仏教でもダライラマが死ぬとその生まれ変わりを探します。

キリスト教では人は一度死ぬが、キリストがその例を示されたとおり、いずれ総決算される最後の審判のときに全てが裁かれ死者がよみがえるといわれます(よみがえらない死者もあります)。それじゃあ復活するまで死者はどうしているのかというと、この辺りは結構諸説紛々で(だれも行ってみたことがない、経験したことがないので当たり前と言えば当たり前)、ずっと天国で待っているのだという楽観的な見方もある一方、旧約聖書、創世記の言葉通り、「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」まであります。この場合死ぬことと復活する時との間には連続ではない、非連続の隔たりがあると考えます。

英語をただ表面的にビジネス・コミュニケーションのツールとみるならここまでの自然観、宗教観、死生観の違いに関する知識や理解は必要がないともいえましょう。ただ、非常に微妙なところで相手の意図を取り違える可能性はあるかもしれません。だって基本となるものの考え方が大きなところで違うのですから。

こういった自然観や宗教観に関する投稿はいままで別のカテゴリーで行った来ましたが、一応リンクだけは「英語生活ノおト」のカテゴリーで再掲しておきたいと思います。ちょっと英語の文化面的側面に踏み込みたい方はお読みください。当然数年かけ断続的に投稿しておりますのでやや首尾一貫しておりませんが、軸足はずれていないと思っております。

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