いつもながらガーネット・クロウの記事を書くたびに、この記事は「AZUKI七」カテゴリーなのか、「ガーネットクロウ」カテゴリーなのか、迷ってしまいます。だいたい歌詞に重きを置いた場合前者、ボーカルや曲に重きを置いた場合後者、という区分けをしているつもり、今回「風とRAINBOW」は七カテゴリー、「この手を伸ばせば」はガーネットカテゴリー、こちらの方は明日にでも。
MFM(ミュージック・フリーク・マガジン)でゆりっぺ(中村由利さん)がインタビューに答え、「今までは虹に対してメルヘンチックなイメージを持っていたんですけど、この曲の歌詞を読んでからイメージが変わりました。今までは乙女心みたいなものの延長線上にあるものだったんですけど、今はカッコ良いものに感じますね。この曲を聴いて”七色の虹”は思い浮かばないですよね(笑)?ここでのイメージは少し冷たくて掴めないものというか、無機質な感じがします。」「GARNET CROWの曲の中では攻撃的であり、挑発的な曲だと思います。」
こんどはセルフ・ライナーノーツで、「喜びや驚き、苦しみや憧れなど、人間の本質、心について考えさせられる曲です。」「聴いてくださる方にとって、黄昏から暁へ、新しい一歩を踏み出すきっかけになる歌になればうれしいです。」
ゆりっぺ語録のようになってしまいましたが、ここいらで本題。
陽だまり横たわる魅惑的なそのボディ
丸い目を見開いて眺める世界はどぉ?
「昨年のライヴの東京公演ではやったんですよね、”ボディ”の所でポーズを…(笑)」
PVの、あの、ポーズ(関連記事)かなぁ。いきなりぎょっとさせるオープニング。ただどうも人工生命体らしい。人工生命体で魅惑的なボディといえば、SFの古典名作「メトロポリス」に出てくるヒューマノイド(原形)か、寺沢武一の「コブラ」(全巻持っている!)に出てくるレディ。たしかにどちらも人間より色っぽい。
しかし、歌詞に登場する「メタルハート」は、その魂の遍歴という点では、どちらかといえば、あの「アル中」ロビン・ウィリアムス演じたアンドリューNDR114(原題:Bicentennial Man、1999年)。ヒューマノイドのアンドリューの、人間にすこしでも近づこう、人間になりたい、という200年かけての遍歴は、機械には成し得ない「死」というものを手に入れることで終わる。そしてアンドリューは遂に人間になったという幸福感の内に死んでいく。
ふたたび歌詞に注目。
風と RAINBOW
追いかけて 夢みる季節のように
世界の果てまでも行くよう
暁に背を向けて
で始まった旅は
風と RAINBOW
追いかけて 黄昏がとても締麗
いてついたその輝きに共鳴
心を奪われてる
で幕を閉じる。ゆりっぺのインタビューとは逆の、「暁に背を向けて黄昏に向かう旅」。そして「黄昏がとても綺麗」と言い切る。確かに考えてみれば人間は生まれた時から最終到達点の「死」に向かって歩んでいく。幸せだったと死ぬ間際に一言、満足して死ねたらいいな。「死」を手に入れた満足感の内に死んでいくアンドリューのように。
涙も流せます最新のこのシステム
確立で造られた生体反応なんです
プラトニックな哀しみ抱いた花は機械式
嘆くな人々もあまり変わらない
「機械式」と書いて、automationと読む、この下り、ゆりっぺの乾いたボーカルが至高の輝き。「メタルハート」故、「いてついたその輝きに共鳴(なき)」とあるように、その心象風景はゆりっぺも言っているように、なんとなく、無機質。AZUKI七さん、ちゃんとその心を慰めるのも忘れてはいない。
シニズム、いや透徹した人間観。ロック調のサウンド、いつにもまして力強いゆりっぺのボーカルに乗ったこの曲は、たとえそれが「暁に背を向けて黄昏に向かう旅」であるにせよ、「力強く生きよう」とのメッセージを運んでいることも、また間違いがないでしょう。
サウンドと歌詞のナイス・ミスマッチ。これだからガネクロはやめられない。
MFM(ミュージック・フリーク・マガジン)でゆりっぺ(中村由利さん)がインタビューに答え、「今までは虹に対してメルヘンチックなイメージを持っていたんですけど、この曲の歌詞を読んでからイメージが変わりました。今までは乙女心みたいなものの延長線上にあるものだったんですけど、今はカッコ良いものに感じますね。この曲を聴いて”七色の虹”は思い浮かばないですよね(笑)?ここでのイメージは少し冷たくて掴めないものというか、無機質な感じがします。」「GARNET CROWの曲の中では攻撃的であり、挑発的な曲だと思います。」
こんどはセルフ・ライナーノーツで、「喜びや驚き、苦しみや憧れなど、人間の本質、心について考えさせられる曲です。」「聴いてくださる方にとって、黄昏から暁へ、新しい一歩を踏み出すきっかけになる歌になればうれしいです。」
ゆりっぺ語録のようになってしまいましたが、ここいらで本題。
陽だまり横たわる魅惑的なそのボディ
丸い目を見開いて眺める世界はどぉ?
「昨年のライヴの東京公演ではやったんですよね、”ボディ”の所でポーズを…(笑)」
PVの、あの、ポーズ(関連記事)かなぁ。いきなりぎょっとさせるオープニング。ただどうも人工生命体らしい。人工生命体で魅惑的なボディといえば、SFの古典名作「メトロポリス」に出てくるヒューマノイド(原形)か、寺沢武一の「コブラ」(全巻持っている!)に出てくるレディ。たしかにどちらも人間より色っぽい。
しかし、歌詞に登場する「メタルハート」は、その魂の遍歴という点では、どちらかといえば、あの「アル中」ロビン・ウィリアムス演じたアンドリューNDR114(原題:Bicentennial Man、1999年)。ヒューマノイドのアンドリューの、人間にすこしでも近づこう、人間になりたい、という200年かけての遍歴は、機械には成し得ない「死」というものを手に入れることで終わる。そしてアンドリューは遂に人間になったという幸福感の内に死んでいく。
ふたたび歌詞に注目。
風と RAINBOW
追いかけて 夢みる季節のように
世界の果てまでも行くよう
暁に背を向けて
で始まった旅は
風と RAINBOW
追いかけて 黄昏がとても締麗
いてついたその輝きに共鳴
心を奪われてる
で幕を閉じる。ゆりっぺのインタビューとは逆の、「暁に背を向けて黄昏に向かう旅」。そして「黄昏がとても綺麗」と言い切る。確かに考えてみれば人間は生まれた時から最終到達点の「死」に向かって歩んでいく。幸せだったと死ぬ間際に一言、満足して死ねたらいいな。「死」を手に入れた満足感の内に死んでいくアンドリューのように。
涙も流せます最新のこのシステム
確立で造られた生体反応なんです
プラトニックな哀しみ抱いた花は機械式
嘆くな人々もあまり変わらない
「機械式」と書いて、automationと読む、この下り、ゆりっぺの乾いたボーカルが至高の輝き。「メタルハート」故、「いてついたその輝きに共鳴(なき)」とあるように、その心象風景はゆりっぺも言っているように、なんとなく、無機質。AZUKI七さん、ちゃんとその心を慰めるのも忘れてはいない。
シニズム、いや透徹した人間観。ロック調のサウンド、いつにもまして力強いゆりっぺのボーカルに乗ったこの曲は、たとえそれが「暁に背を向けて黄昏に向かう旅」であるにせよ、「力強く生きよう」とのメッセージを運んでいることも、また間違いがないでしょう。
サウンドと歌詞のナイス・ミスマッチ。これだからガネクロはやめられない。
どうなんでしょう??
この曲の「暁に背を向けて」からまず最初に思い出したのは
西条秀樹の若き獅子たちという作品
「太陽に向かい歩いてる限り影を踏むことはない…」
でした。
年齢バレバレのコメントですね。
ミスマッチ私も感じました。
「太陽に向かい歩いてる限り影を踏むことはない…」
で更に思い出すのは、森田健作先生……
忘れた頃になんとやらですが(笑
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