車椅子父さん別館 ほのぼの子育て日記≪チームくまさん≫

車椅子父さん別館 くまさんチームのほのぼの子育て日記

メッセージ (みんみん)

2011-03-29 07:56:35 | みんみん
この度の震災では、たーちゃんの為に沢山のメッセージをありがとうございました

温かい、心のこもったメッセージの数々に、本人もとても喜んでいました。
皆さんによろしくお伝えください、とのことです



たーちゃんとばあばは今、宮城県内の親戚の家にいます。

早くも、被災した石巻の家を再建する気マンマンで、
たーちゃんも、その手続きの為に、仙台、石巻間を走り回っています

きっと、皆さんからの温かい気持ちが、大きな励みになっていると思います


(処理がひと段落したら、石巻の家が再建されるまでの間、我が家に住むそうです)



今日から私も子供達も北海道へ帰省するので、
ここもしばらくの間、お留守にしてしますが、

また戻ったらたくさんお話させていただきたいと思いますので、
楽しみにしていてくださいね~



ところで、ある所で目にして、とても感動したメッセージがあったので、
紹介させてくださいね











日本の友人の皆さまへ




最近の地震と津波の悲惨な状況を知り、愕然としました。

そして愛する人を失った人や土地の損害を被った人々、
仕事の窮境に立たされた人やその他の困難を抱えられた方々のことを気にかけています。


多くのアメリカや世界中の人々と同じく、私自身も毎日日本の癒しと復興を祈っています。

皆さんの幸福は私たちにとってもとても大切であり、できる限り早い復興を強くイメージしています。



皆さんがこの困難な時を乗り越える上で、ぜひそのプロセスを容易にし、希望や励ましを与えられるように、

ガイダンスやサポートの言葉を少しお伝えできればと思います。




まず困難は常に、私たちのためになる学びや気づきをもたらしてくれることを知っておきましょう。

アラビア語では「問題」という言葉は、「他の視点」と訳されます。


ですから問題は人生において、より高い見地から物事を見るようにという誘いなのです。


問題が大きければ大きいほど、その問題をより幅広い視点で見てそれを乗り越えられれば、
それはさらなる強さを与えてくれるでしょう。

人生でのすべての学びは、最終的には私たちがすでに持っている愛やパワー、美という存在に意識を向けさせるためのものなのです。



災害は、私たちがそういう困難が起きなければ体験することのなかった形で、私たちを結びつけてくれます。
そして私たちの優先順位をいやおうなく見直しし、立て直してくれます。


2001年9月11日にアメリカでテロリストによる攻撃があった後、
多くの人々が仕事やお金、多忙な出来事以上に、家族や友人、人生が与えてくれるちょっとした恵みに感謝し始めるようになりました。


そして人々は人生が貴重なものであることや、今という瞬間の美しさ、頭よりもハートで生きることの大切さに気付きました。
そして、物質的なことは人生における霊的な要素ほど大切ではないのだと気づいたのです。



どんなに容易な、または困難な体験であっても、それがあなたに本当に幸せをもたらす価値を思い出す役に立ったのであれば、
それはあなたのためになったといえるのです。


不便は一時的なものに過ぎません。

しかし(そこで得られた)進歩は一生ものです。




最近仙台市に住んでいる、あるアメリカ人女性からのメールを受け取りました。


仙台の人々は(この出来事を)、「まるで人々が助け合っていた、一昔前のようだ。」と言っているそうです。
皆が協力しあい、そして誰かが飲み水があると分かれば、それを友人や隣人の人たちと分かち合っているそうです。

それから夜には静かな美しさが漂っており、例え街の光は消えても、長年ぶりに星を見たと言っています。



もしかしたらあなたにも、あなたにとっての新たな星が見つかったかもしれませんね。




(アメリカで)経済不況が始まった後の年に、私のプログラムのいくつかはキャンセルとなりました。


結果として私は家にいることになり、いつも以上にパートナーや家族といる時間が増えました。

そこで余った余暇を利用して、家族との楽しい時間を過ごしたり、
クリエイティブな執筆活動をしたり、外に出たり、ヨガや瞑想をして過ごしました。



そして少し経つと、今までここ何年もなかったほど調子が良くなりました。
私の健康、幸福、そして内なる平安(の度合い)は明らかに高まりました。

そしてその余暇はなんという祝福だったんだろうと思いました。



つまり旅行や仕事上の活動から、私自身の内側へと意識の転換を仕向けられたのだと思います。
そして徐々に不況が収まると、また多忙になりました。


そしてその時、これからも自分の魂を回復させる時間は持ち続けようと、固く自分自身や家族に誓いました。



そして実際にそうしました。今では、人生のプラスの転機の一つとして、あの年があったことに感謝しています。



ですから日本が今回の震災から立ち直るまでの間に、
あなたも自分のための時間や、愛する人たちと過ごす時間が増えるかもしれません。



仕事上の活動をスローダウンさせたり、またはしばらくは硬直状態が続くかもしれません。


こういった時こそ自分の内側に入っていって、あなた自身の中心にある強さとつながる時なのです。
もし今まで多忙にしていたのであれば、もっと静かにできる時間が与えられることに感謝しましょう。


静かな自分の内なる聖域に入っていけば、きっと神の声が聞こえ、

これからあなたが取るべきステップについての特定のガイダンスを与えたり、あなたを安らげてくれるでしょう。
もしくはあなたの人生が新たな方向性を見せたり、現在の道の中でさらに深いレベルに進んでいったりするでしょう。



もしそうであれば、それはあなたにとってとても大切な機会です。それをうまく活用して下さい。




エネルギー不足により、人によっては計画停電を体験しているかもしれません。



私たちの住むハワイでは、公共の電気システムは古く、不安定です。


そして時々何分か、または何時間にも渡って電気が停電することがあります。

夜に電気が落ちてしまったら、僕のパートナーのディーと共に、キャンドルを灯し、犬も一緒に静かな時間を過ごします。
そしてお茶をすすりながら、私たちにとって大切なことを語りあいます。


ですから停電があると、夜をテレビやビデオ、パソコンなしで過ごす夜を楽しんでいました。
そして「今後はもっと時間を決めて、停電がなくてもあえてこれをやろうよ。」なんて言いました。


そして実際にそうしています。
そういった夜の過ごし方はとても気に入っています。キャンドルの光はとても美しいのです。

ですからできる時には、ぜひそういったことも楽しんで下さい。


電力会社が提供してくれるもの(に頼る)よりも、人生においてははるかにそういったことの方が大切なのです。





日本では、今回の地震や津波は日本人が我欲に走ったから与えられた神からの天罰だ、と言っている人がいるようです。
しかしこれは個人的な解釈に過ぎません。


日本人の多くの皆さんには罪悪感や羞恥心という態度が染みついており、何か困難な体験がやってきたら、
それを罰として見てしまうのでしょう。


しかし(起こった)出来事の意味とは、あなたが作るものに過ぎません。


困難をあなた自身を押さえつけるための言い訳にすることもできれば、
それを活用してあなた自身を高めていくこともできるはずです。




この出来事は、あなた自身が自己制限にあふれたメンタリティーを乗り越えて成長し、
人生に対してより大らかな解釈を持てるように起こったのではないでしょうか。


もし周囲と関わるためにあなた自身の心を開き、羞恥心よりも自己価値を学べれば、

この出来事は罰ではなく、非常に役に立つ軌道修正だったと分かるでしょう。


この危機において、自分たちがどれだけうまく対応できているかについて自分自身やお互いを褒め合ったりするようにしましょう。

そうすれば、日本人の精神を何世紀もに渡って押し殺していた恐れの支配から自由になることができるでしょう。




今こそ信じ抜く時です。



物事がうまくいっている時には、信じることは簡単です。


しかし物事がうまくいっていない時にも信じ抜くことができれば、
あなたが得た力ははるか深いものとなります。

ある詩には、「恐れが扉を叩いた。信じる気持ちが応えた。するとそこには誰もいなかった」とあります。




人々は放射線(radiation)も恐れています。

しかし“radiation(放射という意味もある)”という言葉を、
あなた自身の『幸福感』をradiate(放射する)ためのものとして使いましょう。

『愛の霊的な放射』(radiation)は、物質的な放射能を弱める力があります。



あなたは、福島原発よりもパワフルな原発(愛を放射する、という意味で)そのものです。
言葉より、あなたの姿勢がより多くを語るでしょう。


あなた自身の意識を高く保ちましょう。

するとあなたの周りの状況を、あなた自身の意識に沿う形に変えることができるでしょう。




すべての瞬間には、愛と恐れの選択があります。


あなたの周りの人々が恐れを抱いている時には、
あなた自身の信頼や強さこそが、あなたが周囲に提供することのできるもっとも大きなギフトとなるでしょう。



暗い時にあなたが差し出せる最も大きな行為は、『光であること』です。



誰が何と言おうとしようと、恐れの中に入っていかないで下さい。


強さを持ち、信じて、恐れを捨てて高く立ちましょう。

そうするためにあなたは生まれたのです。


(中略)


この困難から、新たな日本が生まれます。


日本がいかに第二次世界大戦の灰の中から立ち上がって、世界的リーダーとなる経済大国となったかは皆さんご存知でしょう。




そしてこの震災から、日本は霊的な面における世界的リーダーとなっていくでしょう。


どうかそのことを知り、毅然として、心を開き、最高の運命へと突き進んでいって下さい。




そうするときっと成功し、新たな人生が現れてくるでしょう。
皆さんが光のために行ってくれているすべての行為に感謝します。


皆さんは世界中の何十億人もの仲間の祈りによって支えられています。
神と愛の力はあなたと共にあります。

祝福を
アラン・コーエン

さよなら ようちえん(みんみん)

2011-03-28 06:29:34 | みんみん





もくれんの花が
青空にそよぐ 大きくなれよ
さようなら みんな

みんなのことを
いつまでも 忘れない
しあわせになれよ
さようなら みんな




3月25日金曜日。
見上げれば、どこまでも澄み渡るような青空


龍馬は、卒園の日を迎えました。


この幼稚園で、泣いたり笑ったり、駆けっこしたり、側転したり、
お友達と喧嘩して、仲直りして、

まるで、宝物のようなキラキラな日々を過ごしてきた子供たち。


本当に、子供たち一人一人の可能性を、どこまでも信じてくれる幼稚園で、
園長先生はじめ、先生達みんなが、
子供たち一人一人のことを

心底、愛してくれているのを感じてました







「お母さん、ありがとう!」
とプレゼントされた花束。



・・・正装した子供たちの笑顔が、あんまり眩しくて、
涙が止まらなかったのですが、

最後に子供たちから、歌のプレゼントがありました。


「卒業してもいっしょにあそぼう
忘れないよ みんなのことを
いつまでも
楽しい思い出ありがとう

竹馬側転 逆上がりも
上手になれよ 頑張る心を
忘れずに
ぼくらも学校でがんばるよ

ここで学んだ一つ一つが
僕らをこんなに大きくしたよ
けわしい坂道負けないよ

これからも遊んでおくれ
これからも遊んでおくれ
手を組んで
新しい道作ろうよ」






担任の先生と龍馬。


最後の活動の記録(保護者と先生の交換日記のようなもの)には、
こう書かれていました。



「とうとうこの日が来てしまいました。

考えないようにしていた、この瞬間。

でも、くよくよしてはいけませんよね。
龍馬君にとっては、小学校へあがる大きなステップとなるのですから。

龍馬君。

名前にある馬のように、風のように、駆け抜けるイメージ。

とても素直で、担任の思いがすっと溶け込む子で、ご両親が愛情一杯に育てられたことを感じます。


ひばり進級当初、鯉織製作、おみこし作り、横丁作り、と
クラスの力を高めるため、共同制作を続けました。

そのおかげで、みんなで一つのことを作り上げる間に、グンとクラスの力が結束。

子供の町での充実した活動。
いろいろ学んだインドの時間。
どれも楽しく、忘れがたいです。

そして、みんなで出かけた日光合宿。

「森のホテル、いいホテルだね」

と、みんなで寝食をともにした、一泊二日は、
龍馬君にとって、心の奥深くに残る思い出となったことでしょう。

「心が広がり・・・」
の頃は、歩きコースでの登園ありがとうございました。
どうやったら、美しく前転できるか、美しく走れるか、
みんなで高めあっていた日々でした。


贈っていただいたうさぎの人形で、「月のうさぎ」の人形劇。

おじいさん役をお願いした龍馬君。
物語の奥深いところ、分かってくれたかなあ、と演じた後、感じました。


音の祭や、作品展の、連日のご参加、本当にありがとうございました。

一つの山を登りつめようと、努力することは、楽しく美しい。

ご両親様が、見守ってくださるからこそ、できたことです。

そして、「かさじぞう」の表現。

はじめは、言葉を覚えるのが必死だったはずの龍馬君も、
しっかりと、物語の世界を生きている。

皆で演じられる喜びを感じております。


龍馬君のお母様。

○○(幼稚園の名前)を信頼してくださり、支えてくださり、
本当にありがとうございました。

龍馬君を産み、育ててくださったこと、○○へ入れてくださったこと、

安部家に出会えたこと・・・

大げさではなく、本当にその必然に感謝しております。

龍馬君を見ていると、本当にご両親に愛されているのだなぁ、と感じます。


○○で生活してきたこと、培われてきたことが、龍馬君の礎となり、
これからの龍馬君の生きる道を少しでも支えられたら、

こんな嬉しいことはありません。


何かありましたら、いつでも○○に来てください。

いつまでも、龍馬君のこと、想っています。

龍馬君の健やかな成長と、ご家族の更なるご発展をお祈りしております。

一年間、ありがとうございました」






ホワイトデー♪(みんみん)

2011-03-26 05:48:09 | みんみん
・・・もはや昔すぎて、間抜けな感じがするけど、
ホワイトデーの写真をアップしますね~~~


今回のホワイトデーには、アイシングでデコレーションした手作りクッキーに挑戦しました



カンちゃんも、クラスの女の子5,6人、そして、近所の友達と
友チョコを交換してたので、
ホワイトデーにも何かあげたい

とクッキー作りに参加しました♪




小学5年生のカンちゃんなら、家庭科の授業でお料理も作ってるので、割と手際よくできるのですが、

問題は龍馬・・・。

何かしようとするたび、


飛びはねるバター!!
散乱する砂糖!!
モクモク舞う小麦粉!!

そして、何かするたび、龍馬は「味見~~♪あじみしたい!!味見!!」
と指ですくってなめてました(笑)






バターに卵、アーモンドプードル、お砂糖、そして小麦粉を混ぜて、
麺棒で伸ばして、型で抜いて・・・。

そして、
「おいしくなあれ、おいしくなあれ
と気持ちを込めて、
最後に卵白をあわ立てたアイシングで飾って・・・。



できました~~







最後のトッピングや「スキ」っていう文字は、
もちろん私が書いたんですけど(笑)


あいなちゃん、おいしかった?


あいなちゃんには、このほかに、パルコ一階にあるソープ屋さんの
いい香りのする石鹸をプレゼントしました

(なんと!みんみんの居住区には、パルコが存在するのだ!)






そして龍馬は、私の手を借りずに、頑張って一人で、
あいなちゃんへのお手紙を書いていました。



「できたよ~~~~



というので見に行くと・・・。






(あいなちゃんより あべりうまより)


あいなちゃんより、あべりうま
なんのこっちゃ・・・。



かんじんのお手紙を開くと・・・。







「あいなちゃん だいすきだよ

ほかのひとと けっこんしないでね

づっと だいすきだよ

けっこんしても りこんしないでね」


(わぁ~~~っ何というか・・・
激しすぎる内容~~!! 笑)



あいなちゃんは、このお手紙を見て、
「りこんってなぁに?」

と言っていたそうです・・・(笑)




たーちゃんのブログ(みんみん)

2011-03-23 05:39:11 | みんみん
実は、たーちゃんもブログをやっていて、
一昨日、携帯で話した時に、

「今晩遅くに、被災記録アップするから、美保ちゃんとお兄ちゃん読んでね。
そうしたら、詳しい経緯が分かるから」

と言われてました。


昨日の午前中に読んでみると・・・。

そこには、報道では伝えきれない、あまりに過酷で悲惨な現実がありました。


報道で伝えられているのは、それが可能なごく一部なのかもしれません。




たーちゃんは、自分だけではなく、母親の命も守らなければいけなかったので、

いくら体力が人よりあったとはいえ、
状況判断能力や、最後まで諦めない精神力を維持し続けるのは、言葉で言い表せない程大変だったと思います。



今という瞬間を生きることに、文字通り精一杯で、
その時は、目の前で起きている現実に、感情がついていかない状態だったようです。



その記録の最後に、



「辛い経験だったが、出会った人達全てが、温かく思いやりに溢れていた」

「想像を絶する過酷な環境の中で、それでも今日を明るく生きようとしている人たちがいる」

「この一週間を、一生忘れることはない」


という言葉があり、涙しました。




・・・途中、文章の中に、

「携帯は水没してしまったが、タバコはラップしてあったので無事だった」

と書いてあって、


「おい!!タバコをラップするヒマがあったら、携帯をラップしろ~~~~

と、みんみんパパは叫んでましたが・・・(笑)




被災したたーちゃんは、震災後の一週間、一度も涙を流す事はありませんでしたが、
↓の映像をいとこの家で見て、初めて泣いたそうです。


pray for japan 日本へ


Pray For Japan Tsunami March 2011





私達も、今日を明るく精一杯生きていこうと思います。

私達の仕事や役割は、まるで網の目のように互いが繋がりあっているから、
自分の目の前の役割をまっとうすることが、

間接的に、被災した人たちを支援することにもなる、と信じて。


小さな事を、大きな大きな愛で行っていきたいと思います













おばあちゃんが・・・(みんみん)

2011-03-21 18:20:06 | みんみん
今から8年ほど前のこと、

北関東U市に、カンちゃんという3歳の女の子が住んでいました


カンちゃんは思ってました。


(ちびまるこちゃんを見ても、サザエさんを見ても、みんなには
おばあちゃんが一匹しかいない。

それなのに、私には、おばあちゃんが2匹もいる。

きっと私は、おばあちゃんが2匹もいる特別な子供なんだ


そしてカンちゃんは、近所のセブンイレブンのレジの、
顔なじみのおばちゃん達に向かって、自慢しました。



「私には、おばあちゃんが2匹もいるの!!」






・・・もしカンちゃんが番町皿屋敷を書くとしたら、こんな感じになるでしょう。。。




「おばあちゃんがい~っぴき・・・

おばあちゃんが、に~~ひき・・・

・・・おばあちゃんが、9ひき・・・

いっぴき足りな~い・・・」





そんなカンちゃんはおばあちゃんが大好きで大好きで、
もしかしたら、これからしばらくの間、大好きなおばあちゃんと一緒に住めるかもしれない、

と大喜びしてます



この連休を利用して、(ガソリンが無くてどこにも行けないし)
おばあちゃんとたーちゃんの為に、部屋を模様替えしてました。


そして、おばあちゃんの話から、ご先祖様の話になり、

ご先祖様が今も皆を見守ってくれる、ありがたいね~~


と私が言いました。



するとカンちゃんは言いました。



「ご先祖様をず~っとさかのぼっていくと・・・サルだよね。

私のこと、サルも見守ってくれてるの?」


(わっはっはっは~~~)


「うん♪きっとサルも見守ってくれてるよ


大爆笑したあとに、そう答えました(笑)




するとカンちゃんも大笑いしながら言いました。

「ありがとうきっと、ママのサルも見守ってくれてるよ♪♪」



ご先祖様・・・どこまで遡ってご先祖様と定義するのでしょうか・・・。
サルまで?(爆)


次回の記事は、遅くなってマヌケな感じがするけど、
龍馬のホワイトデーの話をアップしますね~♪





生きてました!!!(みんみん)

2011-03-19 03:08:19 | みんみん
たーちゃんとばあば、生きてました!!!

この言葉を書いただけで、涙が溢れてきます。

本当に本当に、ありがとうございます。
皆さんの気持ち、今までどれだけ心強かったか分かりません。


たーちゃんは、地震発生後、ばあばを車に乗せて、牧山という山方面へ避難しました。

どの地点まで行けたのか確認してないので分からないのですが、
途中で津波が押し寄せてきて、間に合わないと判断して車を乗り捨て、
ばあばを肩車して逃げ延びました。

車は津波に流されたそうです。

雪が降る寒い日に、胸まで濁流に浸かりながら、ばあばを肩車して生き延びました。


たーちゃんはその時、持っていた携帯を水没させてしまったそうです。


そして、何とか逃げ切った後、ばあばの体調が心配だったので、
救急車を呼んで(どうやって呼んだのかとか、詳しい事はまだ不明)
石巻赤十字病院へ搬送されました。


赤十字病院では一泊し、軽症と判断されて、(もっと重症な患者さん達が次々と押し寄せてくる為)
一泊で病院を後にし、
救急車に乗って、石巻市桃生町の親戚の家に身を寄せました。


そこで二泊した後、心臓に持病のあるばあばは、薬を必要としていたので、
親戚が車で送ってくれて、再び赤十字病院に向いました。


・・・一旦そこで、足取りが途絶えていて、一時心配していたのですが、
仙台付近に住む、ばあばの妹があれこれ捜索した結果、

石巻市不動町にある自宅の、すぐ目の前にある、
ばあばが貸していた貸家の二階に、どうやってか辿りついていたことが分かりました。
(貸家の住人さんは、一年前に亡くなっていていました)


屋根は傾き、柱は折れ、
一階の半分は泥まみれだったけれど、石巻不動町の自宅は、何とか流されていませんでした。


自宅の押入れの高い部分はまだ水に濡れてなかったので、
そこにある布団を持ってきて、貸家の二階で寝泊りしていたそうです。


石炭ストーブもありました。


避難所は、場所によって非常に格差(?)があり、
凍え死にそうに寒かったり、一日に食パン一枚しかもらえない所もあったり、
高齢なばあばには、つらい環境にいるのではないかと思ってましたが、
数日は温かい生活を送っていられて本当に良かったです。

食料(そして水)は、たーちゃんが自転車で近くの避難所に行って、
配給の列に並んでもらっていたみたいです。


二人の無事が分かって本当に本当に嬉しかったです(涙)

問題は、宇都宮から石巻までガソリンを補給するポイントが無い中、
とうやって二人を迎えに行くかなのですが、

みんみんパパが閃いて、仙台の便利屋さんを雇って、車で仙台から石巻へ迎えに行ってもらい、
取りあえず、仙台近くに住むばあばの妹の家まで連れて行ってもらえる事になりました。

仙台でも今、ガソリン事情が非常に悪くて、便利屋さんは10時間並んでガソリンを満タンにして
石巻へ向ってくれたそうです(涙)


昨日のお昼から、石巻はようやく携帯が通じるようになり(auが繋がりやすい)
貸家の二階にいる二人に会えたとき、

便利屋さんの携帯を使わせてもらって、みんみんパパと話せたたーちゃん&ばあば。


話した感じでは、
たーちゃんは、一週間お風呂に入れず全身ヘドロまみれなのに、
普段と全然変わらず元気一杯だったし、(←驚異)

ばあばは、
「たーちゃんのおかげで、命助けられた・・・涙」
と何度も言っていたそうです。


今二人は、仙台の近くのばあばの妹の家に身を寄せていますが、
ガソリン事情が回復次第、宇都宮の我が家に来ることになっています




来る日も来る日も、二人の消息を調べ続けていたパパ。
地震発生からこの一週間は、本当に長かったです・・・。

避難所名簿を探しても探しても、二人の名前が載ってなくて、
それでも、みんみんパパは「二人は生きてる」ということを疑ったことはなかったそうです。

夜は毎晩ぐっすり寝てるし、私にも

「人を救助したかったら、まず自分が健康じゃなきゃいけないんだからね」
と言っていました。


今回の事では、心配することより信じ続けることがどんなに大切か、
教えてもらったような気がします。


震災から一週間過ぎ、被災地も復興はこれからですが、
大丈夫です。
東北の人は本当に強いです

必ず立ち上がります。


それに、沢山の人の温かい善意の輪・・・。

世界中から、そして身近な所からの被災地への善意の行為を見聞きするだけで、
感謝の気持ちで涙が出そうになります。

本当に本当に、ありがとうございます。


皆さん、「自分にできることは小さいけれど、こんなことしかできないけど」

と仰るけれど、
小さくなんてないと思います。

みんなみんな、かけがえのない温かい気持ちです。

大きな大きな、愛です。


本当に辛くて苦しい試練だったけれど、
あんな事があったから、私達、以前よりずっと強くなったね、優しくなったね、
と笑いあえる日が、必ず来ると思います。


皆さん、応援してくださって、本当にありがとうございました

勇気・・・たーちゃんの消息(みんみん)

2011-03-17 09:30:45 | みんみん
パパの弟たーちゃん。



見た目もパパそっくりで、根っからのスポーツマンのたーちゃん。


20代の頃はスイミングスクールのコーチをやっていて、小さな子供が大好きだった。
真冬にも、波を求めてサーフィンをしにいっていた。

初めて会った時、
「こいつは、頭の中まで筋肉でできてるんだ」
って紹介されたたーちゃん



地震が来た後、石巻を高さ10mの津波が襲うまで、わずか10分。


その間、たーちゃんは、逃げ遅れそうな人、逃げる手段がなくて困っている人がいないか、
近所に声をかけていたという。

そして、皆の無事を確認してから、
車でばあばを乗せて、市民プール方面へ避難してった。

(声をかけられた人と、昨日ようやく連絡が取れて分かった事です)


帰省するたび、カンちゃんや龍馬に馬乗りになられたり、
かくれんぼの鬼にされたり、
頼りなく見えた事もあったのに、


その話を昨晩聞いたときほど、

たーちゃんのことを誇りに思ったことはなかった。



たーちゃん・・・また会えたら、一杯褒めてあげたいです。

(私より年上だけど)

本当の勇気って何なのか、愛って何なのか、
たーちゃんに教えてもらった気がします。

今、家では、たーちゃんとばあばの為に、
部屋を作っています・・・。
寒かった石巻から離れて、少しでも温かく過ごしてもらえるように



バス停友達ママのご主人も、東京電力の社員で、次は、自分が福島の原発へ向う予定だと言っていました。

向こうに行ったら一泊二泊はしなければいけないけど、
自分達が行かなければ、
自分達が何とか食い止めなければ、

ただその思いだけで、向こうへ皆で交代で向かっているのだそうです。

幼稚園年少さん、小学一年生、小学4年生の三人の子供達の、
優しい優しい子煩悩なパパです。


命を懸けて、皆を救おうとしている人たちがいる・・・。


私達も、命を懸けるのは難しくても、

ほんの少しなら・・・見習うことはできるはず。


今日生きていられること、
今日を神様に生かされていること、
これはやっぱり、大きな大きな奇跡なんですね。



皆を助けよう、自分が輝いて皆を明るく照らそう、

そんな思いが集まった時、世界をも変えることができるかもしれない、

本当にそんな事を思っています

石巻から帰ってきたパパ(みんみん)

2011-03-15 05:36:35 | みんみん
励ましのコメント多数ありがとうございます

そして、PCや携帯の方へも、温かいメッセージを多数、本当にありがとうございました
皆さんの温かい言葉、一つ一つに、どんなに勇気付けられたか分かりません・・・。



13日、日曜日。


膝まである長靴を用意し、親戚一同の住所連絡先を持ち、

避難所で再会した時に食べさせようと、食料を色々用意して出発したパパ。


「じゃぁ、行ってくるね!皆元気にしてるんだよ。
ママに心配かけたりしたらダメだよ~!」

と、朝8時半頃に、笑顔で石巻へ向けて出て行きました。


私の方からも、運転の妨げになるだろうからと思い、その後パパの携帯にかけたりすることはなく、

大好きな、ばあばやたーちゃん(パパの弟)と一緒に住むことになったら、
あんな楽しい事をしよう、部屋はこんな風にしよう、と子供達と計画を練ったり、

翌日のホワイトデーの為に、粉まみれになりながら、
三人で楽しくクッキーを手作りしたりしていました。


・・・その日の夜遅くに、みんみんパパは一時帰宅しました


高速は不通になっているので、一般道を仙台方面へ向って走り続けたのですが、
仙台まであと少しという所で、引き返さざるをえない状況だったそうです。


給油可能なガソリンスタンドが、福島には一軒もない状態で、
宇都宮までの帰路を考慮すると、今回は一度帰宅した方が良いと判断したのだそうです。

翌日にはガソリンが供給されるかもしれないと、朝まで待とうかと思ったけれど、
それもないと分かり、仙台手前で引き返し、ぶっ通しで走って帰ってきました。


福島では、所々で土砂崩れが起こっていて、
コンビニには水すら売ってない(何故かアイスだけは売っていたそう)
物のまるでない店頭に、何十メートルにも渡って、長い行列ができている・・・



「いや~~、まさかガソリンを入れられる店が無いとは。
今回は、完全に俺の読みが甘かったな~~

と、苦笑していました。


(再会を応援してくださった皆さん、本当にごめんなさい!!)



ですが、普段から、へこんだり嘆いたりすることが、ほぼゼロに近いみんみんパパ。。。

どんなに不測の事態が起こっても、頭の中では常に、次に打つ手を考えています∑(; ̄□ ̄A アセアセ
(いつもながら、本当にすごいと思います)


ばあばや、たーちゃんとの避難所での再会を、100%信じ、その為にどうしたらいいか、
行動していきます





・・・・今回の地震の主な被災地は東北ですが、
東北の人間は、元々粘り強い人たちです。

今回の地震にも、負けたりしません。


そして、阪神淡路大震災の時にも思った事ですが、
物資が不足するような事態に陥っても、日本人は決して、暴徒と化したりしないんですね。

むしろ、この様な状況で、自分は何ができるか考えて皆が協力しあっていく。

テレビに映る映像は本当に悲惨な状態だけど、
こんな時こそ、日本人の精神性の高さを感じることができて、本当に胸が一杯になります


日本の戦後65年の歴史の間で、最も大きなピンチなのかもしれないけれど、
逆に、日本が、そして世界の心が一つにまとまるチャンスなのかもしれませんね



以下は、大好きなかっこちゃんのメルマガより↓↓↓




日本はまだまだ素敵です。


★ディズニーランドでの出来事ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。

ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、

その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった


★国連からのメッセージ国連からのコメント

「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」に感動した。

良い事をしたら戻ってくるのです。これがいい例なのです


★渋滞した交差点での出来事一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、
誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。
複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。

恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。


★揺れている最中でも・・・聞いた話でびっくりしたのが、とっさに「入口の確保」と揺れてるにも関わらず、
あの状況で歩いて入口を開けた人が居たのが凄いと思った。
正直、シャンデリアも照明も何時落ちるか分からないのに、凄く勇敢な人が居た事に感動した。


★バス停で・・・バスが全然来ない中、@saiso が、バス停の前にある薬局でカイロを買ってきて、並んで待ってる人みんなに配った!

★ディズニーシーにてディズニーシーに一泊した娘、無事帰宅しました!
キャストのみなさんが寒い中でも笑顔で接してくれて不安を感じることなく過ごせたそうです。
防寒のカイロやビニール袋、夜・朝の軽食と飲み物、おやつまで。ディズニーの素晴らしさに感動です。

頑張ってくれたキャストさん、ほんとにありがとう!!


★日本人の良さを再認識この地震が、きっかけになって、失いかけていた日本人本来の良さが戒間見れた気がする。

犯罪はする様子はなく、助け合い、律儀、紳士的。普段日本人は冷たい人が多い…。って個人的に感じてるんだけど、
多くの人が今回で「絆」を取り戻しつつあるように見えて、それがなんか感動して、泣けてくる。


★タイムラインに感動TL見て感動した。
みんなが、ひとりひとりが大変な状況にいる人に笑顔を伝えようと、
前向きになってくれるような発言がいっぱいで。
TLがあたたかい。みんなのコトバを見て笑顔が少しずつでも増えればいいな。

被災地の方、頑張れ、応援してくれる人がたくさんいます。


★段ボールに感動ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。

いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。


★外国人から見た日本人外国人から見た地震災害の反応。

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。

運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て外国人は絶句したようだ。

本当だろう、この話。すごいよ日本。


★メディアの動きについてツイッターやUSTでの状況共有と、それに連動するマスコミの動きは、
阪神淡路大震災の時とは比べ物にならない質の高さを感じる。

もちろん過去の辛い経験から得た教訓を、みんな活かそうとしている感動。


★ツイッターに感動それにしても、電話もメールも繋がらなかった中でのTwitterの強さには感動した。
171より役に立ったんじゃないだろうか。

否定的な意見も多いけど、垂れ流されたRTのほとんどはきっと誰かの心を支えたと俺は思います。


必要不必要は選ぶ側で決めればいいだけ。


★絵師さん絵師さんたちがこの地震でみんなに元気付けようと必死に美しい絵や励ましのイラストを描いていることに感動。
みんな自分にできることをしたいと思っているんだね。


★BBCの報道本当に感動。泣けてくる。⇒BBCめっちゃ誉めてる。


地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。
その力や政府が試される。

犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力がある。


★父親の行動1階に下りて中部電力から関東に送電が始まってる話をしたら、
普段はTVも暖房も明かりもつけっぱなしの父親が何も言わずに率先してコンセントを抜きに行った。
少し感動した。


★整列する日本人日本人すごい!!
こんな時にも山手線ホームできれいに整列してる …涙。
有楽町駅を上から眺む。 http://twitpic.com/48kn1u


★パン屋昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、
とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。

こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。
心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。


★日本ってすごい日本って凄い。官僚も民間も、皆で助けようとしてる。
トラックの運転手も有志で物資運んでるらしいし、

東北の交通整備をヤクザさんがやってるという話も聞いた。
最近、日本に対して誇りを持てないことが続いていたけれど、そんなことない。

日本は凄い国だ。素直に感動してる。日本国の皆さん頑張ろう


★twitterすごいTwitterの方々の情報とかが一致団結しててすごくたすかります。

みなさま親切です!!こういうとき、なんか、感動します。
最近は近所とつきあいなかったり冷たい世の中だとか思ってたけどそんなことなかったね。


★ドイツ人の友達ドイツ人の友達が地震が起きた時に渋谷に居て、
パニックになっていた所を日本人に助けてもらったらしく、
その時の毅然とした日本人の態度や足並み乱さずに店の外に出てやるべきことを淡々とこなす姿にひどく感動し、

まるでアーミーのようだったと言っていた。


★スーパーでの出来事スーパーで無事買物出来ました
ヽ(´o`; でもお客さんのほとんどが他の人の事を考えて必要最低限しか買わない感じだったのが感動しました(涙)


★御殿場で実際日本すごいよ。
昨日信号が一カ所も機能していない御殿場市でも、お互いにドライバー同士譲り合ってたし、
地元のおじいちゃんおばあちゃんが手信号やってくれてたりで、混乱もなく本当感動した。

9時間運転してたけど前車を煽るようなドライバーはもちろんいなかったし、
みんな譲り合い精神。


★「みんな」タクシー運ちゃんと電車駅員さんとおばさんと話したけど、
みんな遅くまで帰れなかったりしてすごく疲れているのに、苛立つ事なく、
言葉遣いもふるまいも丁寧で、逆に気遣われてしまった。

「みんな大変だから」という"みんな"って意識があることに感動するし、私も受け継いで大事にしたい文化。


★日本の強さサントリーの自販機無料化softbankWi-Fiスポット解放、

色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。

海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より
日本は確実に強い国になってるんだ。みんな頑張ろう。


★朝礼今朝の朝礼で
「何があっても決して不安な顔は見せずに売り場に立つ以上はおもてなしをする気持ちを忘れずにお客様を安心させてあげてください」
ちょっと感動した。がんばるか。開店です!


★人のぬくもり昨日、信号が完全に機能していなかった鎌倉で、人力車のお兄さんたちが手信号やってたのと、
モータープールで停電のために出られなくなってる車を近所の住民さんたちが車持ち上げるの手伝ったりと、人の温もりにすごく感動した


★ローマからローマにいる友達からメール。

ローマの人々はニュースを見ながらこのような状況でも冷静に対処する日本人に感動し、尊敬の念を覚えながら、非常に心配しているとのことです。


★声をかけること昨日、裏の家の高1になるお兄ちゃんに感動した。
家に1人で居たらしく、地震後すぐ自転車で飛び出し近所をひと回り。
【大丈夫ですか───!?】と道路に逃げてきた人達にひたすら声掛けてた。

あの時間には老人や母子しか居なかったから、声掛けてくれただけでもホッとしたよ。ありがとう。


★助け合い警備員の友人何人かが町田~相模大野で夜間警備のボランティアをしていたので手伝ってきた。
年齢問わずいろんな知らない人同士が助け合っていて心強かった。
ちょっと感動してトイレの隅で泣いた。


★バイクでよければ僕は感動しました。

バイトの先輩が1人でも救うために寒い中紙に

「バイクでよければ送ります」と書き駅前で掲げ鳶職のお兄ちゃんを所沢まで送ったそうです。


世の中まだ捨てたもんじゃないなって思いました。本当に尊敬です!!
自分もなんか人の役に立ちたいと生まれて初めて思いました。


★乗り合い浦和美園からタクシー使えると思ったのが甘かった…

30分歩いてたら知らない人が車に乗せてくれた(つд;*)
人間の優しさに感動。ありがとうございました。


★開放昨日、歩いて帰ろうって決めて甲州街道を西へ向かっていて夜の21時くらいなのに、
ビルの前で会社をトイレと休憩所として解放してる所があった。

社員さんが大声でその旨を歩く人に伝えていた。感動して泣きそうになった。
いや、昨日は緊張してて泣けなかったけど、今思い出してないてる。


★コンビニ停電地区のほとんどの店が店を閉めてる中、あるセブンイレブンが店内陳列棚にいくつもろうそくを置いて、営業をしていた。

レジが使えないため在庫確認用のハンディで値段確認し読み上げ、
もう1人が電卓で計算、もうひとりが懐中電灯で照らす。その状態でレジ2台稼動させていた。感動した。


★避難所長女いわく、横浜の避難所に向かう時に、知らない人達と声を掛け合い、
場所を教え合っていたそうです。

普段は冷たいと思っていた他人の優しさに触れ、感動したそうです。
日本人のいざという時の団結力を再認識しました。まだまだ日本も捨てたものではないです。



★呼びかけ何時間も歩き続けてたんだけど、
至る所でトイレかしますとか、休憩できますとか言うビルや飲食店が沢山あって感動しました。

とある企業ビルの人がボランティアで、○○線運転再開ですー!とか、休憩できますー!!
って呼びかけてるの見て感動して泣きそうになったマジでw
日本も捨てたもんじゃないな


★ホームにて都営大江戸線の光ヶ丘方面行きは、非常に混雑しています。

ホームにも、改札の外にも、電車を待つ溢れんばかりの人。
でも、誰一人列を崩さず、通路を開け、係員の誘導に従っている。
ロープがあるわけでもないのに、通る人のための通路スペースが。

その不自然なほどの快適さに、ただただ感動するばかり。


★駅員さん終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、
笑顔で、 こんな時ですから!だって。捨てたもんじゃないね、感動した。

石巻へ

2011-03-13 09:12:41 | みんみん
パパが石巻のおばあちゃんと弟を救助する為に、現地へ向いました。

いまだに、宮城の親戚一同含めて全員安否不明なんですけど、
絶対無事だと信じています


パパもありとあらゆる情報を収集して、現地へたどり着けるルートを見つけたようです。

パパの病院では来院できない患者さんの為に、訪問診療も行っているのですが、
それに使用している車椅子対応の車で出発しました。

被災後、72時間の間は、被災者の生存率が高く、現地で救助活動を行っている人の邪魔になるので、
今日のところは仙台まで到着するのが目標だと言っていました。

三日後に帰ってくると言っていました。


「じゃぁ、行ってくるね!!みんな元気にしてるんだよ」

笑顔で言うパパに泣きそうになったのは私だけ・・・。


私も笑顔でいなくっちゃね

私も頑張るど~



陽子ちゃん、岩手のいとこもおじさんおばさんも、絶対無事だよ!
豊子ちゃん、パパのご実家もきっと大丈夫だよ!

地震(みんみん)

2011-03-12 13:10:33 | みんみん
昨日の大地震、皆さん大丈夫ですか???

取りあえず、私や家族の皆は元気です。



丁度、地震があった時は、仕事休みのパパと、幼稚園から帰った龍馬と三人で家にいて、
揺れ始め・・・

そして激しい揺れにたまらず、3人でテーブルの下に避難しました

目の前で右に左に揺れる本棚、次々に落下する食器や本。


ハグちゃんも私の膝の上で恐怖のあまり、ガタガタ震えていました


揺れが収まってからリビングを見回すと、家の中が壊滅状態・・・。

私の住んでた地域は、震度6だったそうです

後で確認したら、壁にヒビが入ってたし・・・(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ-



龍馬は、

「僕、怖くなかったよ~!

だって僕、男だもん

カンちゃんも、きっと大丈夫だよ。
だって僕より、お姉ちゃんなんだからねっ♪」


と胸を張っていました。


でもそのカンちゃんは、

全然大丈夫じゃなかったんです・・・。



カンちゃんたち5年2組は、5時間目の理科の授業で、校舎の外で植物の観察をしていたそうです。

すると揺れが始まり、子供達が大騒ぎで教室に戻ると、
廊下で先生が立っていて、

「早く教室に戻れ

と怒鳴っていました。


激しい揺れの中、児童達が机の下にもぐると、
次々に落下するガラス、本で大変な状態に。


普段強気な男子、カンちゃん、女の子達も泣き出す子が続出。

そして揺れが収まったところで、帰り支度を済ませ、校庭に避難していたそうです。



家に無事着いた時のカンちゃんは、目が真っ赤に泣きはらしていました・・・。



その後、ガラスや食器や物が散乱状態の我が家は、電気もガスも止まり、

食料の買出しにコンビニへ行くと、
停電した真っ暗闇の店内に、50人程の客が行列していました
食料もほぼ何も無い状態∑(; ̄□ ̄A アセアセ

懐中電灯の灯りで、電卓でレジの計算をする顔見知りの優しい店員さん・・・。
「大変でしたね~~」
と声をかけると、
慌ただしい中、笑顔を返してくださいました・・・。


真っ暗闇の寒い外の中、バーベキューセットでお湯を沸かしてカップラーメンを食べようと苦心しました


そして、子供達の心細さをほぐそうと、ロウソクの灯りの下、怪談話をしたり、

懐中電灯を顔の下から照らして、不気味な顔をしてふざける不謹慎なパパ∑(; ̄□ ̄A アセアセ



今日の午後になり、ようやく電気も復旧し、ガスも使え元通りの生活に戻りつつあります。


ですが、パパ方の親族はほぼ全員、宮城県に住んでおり、

特にパパの方のおばあちゃん、パパの弟は、津波の被害の大きかった宮城県石巻市に住んでおり、
いまだ安否確認できない状態です。。。


でも絶対に無事だと信じています