ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いおやじの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

昼下りの情事

2010年03月01日 | 誰も逆らえない巨匠篇
『麗しのサブリナ』に引き続きオードリー・ヘップバーンをヒロインに迎えたロマンス・コメディ。相手役のプレイボーイを、なんと年の差2倍のゲーリ・クーパーが演じている。『サブリナ』のボギーも違和感バリバリだったが、いくらなんでもクーパーはないだろうというのが正直な感想だ。監督ビリー・ワイルダーは、どうしてもヘップバーンを<老人どもの手慰み>にしたかったとみえ、年老いたプレイボーイのいやらしさが蔓延している作品となっている。

各国の有名リゾート都市でガール・フレンドと遊んではゴシップ記事のネタになっている金持独身男フラナガン。すでに往年の魅力もハゲ?おち、たるんだシワが顔中に目立つようになっていたクーパーは、ある意味適役だったのかもしれない。だが、その疲れきったクーパー演じるフラナガン氏から、午後は小娘、夜は双子とハシゴするタイガー・ウッズなみの精力旺盛さはみじんも感じられない。公開当時28歳のヘップバーンも19歳のバージン・アリエンヌをぬけぬけと演じており、あらゆる意味で年齢がネックとなっている1本だ。

世界中の美女と浮名を流しているフラナガンの気を引こうとしてアリエンヌがでっちあげる男性遍歴の元ネタは確かに笑えるが、そんなお子ちゃまの女の子の嘘も見抜けず百戦錬磨のフラナガンがアリエンヌに夢中になっているくだりには相当な無理がある。名優モーリス・シュヴァリエ演じるアリエンヌの父親にしても、あんなどうしようもない男にかわいい娘をとられてみすみす見逃すはずがないのである。

とここで、一見パリを舞台にした軽いロマコメを見ているようで実は・・・・・・といつもの妄想論を展開したいところだが、残念ながら本作からは、まるで小津作品を鑑賞しているかのような不思議な違和感しか浮かびあがってこないのだ。どうして寄りによってヘップバーンとあんなおじいちゃんをくっつけなきゃならんのか。どう冷静に考えてみても、ラストの展開などは絶対にアリエンヌ?なのだ。

昼下りの情事
監督 ビリー・ワイルダー(1957年)
〔オススメ度 

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