ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ぼくと1ルピーの神様

2009年03月26日 | 映画評じゃないけど篇
第81回アカデミー賞で作品賞を含む8部門の栄冠に輝いた『スラムドッグ$ミリオネア』の原作本だ。現役外交官によって書かれたこの小説は、発売と同時に英国内で話題沸騰になり、すでに数ヶ国語に翻訳されている隠れた世界的ベストセラー。司会のみのもんたが「ファイナル・アンサー?」と回答者に問いただす、あの『クイズ$ミリオネア』のインド版に回答者として出演したラム・ムハマンド・トーマス(この名前にも実は深い意味がある)が、13題全問に正解し10億ルピー(日本円で約18億円)を見事にゲットするというサクセス・ストーリーである。

一介のウェイターにすぎないスラム育ちの青年が、なぜクイズに全問正解することができたのか?その理由こそがこの小説の主題となっていて、クイズ番組自体は単なる型枠にすぎない。インド最大の都市ムンバイ(別名ボリウッド)は映画の都として有名だが、同時に世界最大級のスラム人口を抱えていることはあまり知られてはいない。この小説の中で、主人公と友人の2人がムンバイに連れてこられるくだりがあるのだが、その描写があまりにもエグすぎるとムンバイ当局から(映画に対して)クレームが入ったという。

宗教対立、貧困格差、DV、人身売買、売春・・・。主人公の青年が語る、クイズの回答を知るにいたった過程(=暗ーい自らの生い立ち)から、読者は日本とは比べものにならないほど過酷なインドの現状を知らされることになる。たとえ派遣切りにあって明日の見えない不安をかかえている人であっても、この小説を読んだら「ああ、日本に生まれて本当に良かった」ときっと胸をなでおろすはず。その悲惨な生い立ちにも関わらず、主人公が一人称で語る文脈から不思議と“開き直った明るさ”を感じるのだ。

「人間死ぬときに必要なのは、布キレ1枚だけでいいんだよ」人生を達観したこの力強さの源は、“貧困層がけっしてこえることができない線”を青年が自覚している諦念にこそあるのだろう。日本人の死生観とも相通じるラムの無欲な潔さに共感できる人も多いのではないだろうか。捨て子の主人公がかすかに記憶している<母親のイメージ>が放置プレー状態なのはいささか残念だが、断片的なエピソードに張り巡らされた伏線が後で効いてくる展開は読んでいて確かに面白い。「都合のいい問題ばっかり出すぎ」という醒めた突っ込みはこの際無視することにしよう。

ぼくと1ルピーの神様
著者 ヴィカス・スワラップ(ランダムハウス講談社文庫)
〔オススメ度 

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