「「友人はいません」……私の場合」という文を読んで,元記事「人付き合い - マイボイスコムのネット調査結果」を読む。
うーん,よくわからないのだけど,やっぱりわたしには言葉の定義の問題な気がする。
というか,わたし自身が「友人」というのはどういう人をさすの?と思ってしまいます。マイボイスコムのデータを見ると,むしろ分析の仕方によっては「友人と思う人」というのはどういうコミュニケーションを取る人で…とか判るんじゃないか?という気がしてしまう。そういう分析をすれば面白いのに。
で,わたしの場合,今の自分に友人がいるか?というとやっぱり答えにくいのですが,そういえば,大学くらいのときに「親友は誰々」という風に一人くらいの名前を想定していたことを思い出します。誰でも「親友」と呼ぶのは抵抗がありますが,一人くらい親友というカテゴリーを作っておくと,むしろ「友人」はそれ以外の親しい人,ぐらいになって,結構気軽に挙げられたりする気もします。
でも今は親友と呼べる人がいるって感じもしないし,それにあわせて友人と親しい人を呼んでいいのだろうか?という疑問も浮かんだりします。でも昔と今とで人との距離感が変わったか?というと良くわかりません。まぁ昔はもっと人と実際に良くあったり遊んだりしていたのは事実ですが,そういうことがなくなった現在,友人を失った…という感じはしてません。
わたしは子供の頃から引越しが多かったので幼馴染はいません。そして一人でいてもあまり苦にならない性格だったりします。そういう意味では友人は昔からいなかったのかもしれませんが,学生時代くらいまでは,あまりそうも思わなかったし,まぁ実際よく遊ぶ相手というものはいました。社会人になってネットの知り合いは増えて,実際に会う人もそれなりにいましたが,その人たちが友人というとそうかもしれないし,そうじゃないかも知れない,という感じかなぁ。
ただ,3年前にガンになった時に数人とても頼った人がいます。普段よく会う人とは限らないのだけど…。リンクの調査に「よりどころ」という言葉ありますが,その方々はいざというときに便りしにしたという意味ではよりどころでしょう。そして,その時に同じく思ったのは,やっぱりいざとなるという時に頼りになるのは家族だなとも思いました。ただ,今思うのは家族は友人というよりは自分の一部だなとも思います。
家族と違い友人ということに確証を持つ難しさは,友人とはお互いに友人と思わないといけない…というような感覚があるからじゃ無いでしょうか?無い?。自分が友人と思いたくても相手がそう思って無いかもしれないと思うと友人といいにくい。いつも一緒にいる相手だとそうでもなくても,長く会わないと,まだ相手は自分を友人と思ってるだろうか?とか思うかもしれません。
まぁよくわからないなと思いました。言葉の定義じゃないか?とか,友人という確証よりも,大切な人とか頼りになる人とか,一緒にいると楽しい人とか,そういう風な人が具体的に浮かべばいいようにも思います。
うーん,よくわからないのだけど,やっぱりわたしには言葉の定義の問題な気がする。
というか,わたし自身が「友人」というのはどういう人をさすの?と思ってしまいます。マイボイスコムのデータを見ると,むしろ分析の仕方によっては「友人と思う人」というのはどういうコミュニケーションを取る人で…とか判るんじゃないか?という気がしてしまう。そういう分析をすれば面白いのに。
で,わたしの場合,今の自分に友人がいるか?というとやっぱり答えにくいのですが,そういえば,大学くらいのときに「親友は誰々」という風に一人くらいの名前を想定していたことを思い出します。誰でも「親友」と呼ぶのは抵抗がありますが,一人くらい親友というカテゴリーを作っておくと,むしろ「友人」はそれ以外の親しい人,ぐらいになって,結構気軽に挙げられたりする気もします。
でも今は親友と呼べる人がいるって感じもしないし,それにあわせて友人と親しい人を呼んでいいのだろうか?という疑問も浮かんだりします。でも昔と今とで人との距離感が変わったか?というと良くわかりません。まぁ昔はもっと人と実際に良くあったり遊んだりしていたのは事実ですが,そういうことがなくなった現在,友人を失った…という感じはしてません。
わたしは子供の頃から引越しが多かったので幼馴染はいません。そして一人でいてもあまり苦にならない性格だったりします。そういう意味では友人は昔からいなかったのかもしれませんが,学生時代くらいまでは,あまりそうも思わなかったし,まぁ実際よく遊ぶ相手というものはいました。社会人になってネットの知り合いは増えて,実際に会う人もそれなりにいましたが,その人たちが友人というとそうかもしれないし,そうじゃないかも知れない,という感じかなぁ。
ただ,3年前にガンになった時に数人とても頼った人がいます。普段よく会う人とは限らないのだけど…。リンクの調査に「よりどころ」という言葉ありますが,その方々はいざというときに便りしにしたという意味ではよりどころでしょう。そして,その時に同じく思ったのは,やっぱりいざとなるという時に頼りになるのは家族だなとも思いました。ただ,今思うのは家族は友人というよりは自分の一部だなとも思います。
家族と違い友人ということに確証を持つ難しさは,友人とはお互いに友人と思わないといけない…というような感覚があるからじゃ無いでしょうか?無い?。自分が友人と思いたくても相手がそう思って無いかもしれないと思うと友人といいにくい。いつも一緒にいる相手だとそうでもなくても,長く会わないと,まだ相手は自分を友人と思ってるだろうか?とか思うかもしれません。
まぁよくわからないなと思いました。言葉の定義じゃないか?とか,友人という確証よりも,大切な人とか頼りになる人とか,一緒にいると楽しい人とか,そういう風な人が具体的に浮かべばいいようにも思います。