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お金とコミュ力

2012-02-16 22:40:10 | ココロ
fujiponさんが「「必要なときに、必要な人と助け合う」ことが難しいからこそ、人はお金をつくったし、それが便利なものとして使い続けられているのだと思うのです。」と書いてるのを読んで,はっとした…というか,そうだなぁ…と思いました。

わたしは以前「お金は価値観を相対化し交換可能とした」と書きました。それは,人の命や美的感覚までも数値化するというお金の特性…というか現代社会での用いられ方から,わたし自身が「お金を好きじゃない」という気持ちが含まれてました。

でも今回fujiponさんの文を読んで,価値観の擦り合わせが苦手な人に取ってはお金があって値段が決まっていた方が,楽だし便利なんだな…と思いました。まぁ確かに,物事を交換する…という事が発生する時点で,価値観が数値化されてなかったら,その都度擦り合わせを行わなくてはいけなくて,大変なわけです。物々交換だったり,恩義の貸し借りだったり,そういうのをその都度交渉するのは確かにわたしも面倒です。そういう意味ではお金は,どこかで値決めをしなければいけませんが,決めちゃえば,ある程度交渉が不要(値切り交渉とかありますが)という意味で楽だよな…という気がします。というか値段がついてるという時点で,お金を出せば手に入る事自体は約束されているわけですから。

さて,なんでもお金で測る現代社会が嫌い…とわたしは言いましたが,でも,最近コミュニケーション能力が大事と良く聞きます。これはどういう事なんでしょう?。お金を持っていればコミュ力が不要なんじゃない?,コミュ力つけましょう…というよりは,お金を手にいれればいいじゃない…という気もします。…というかそういう人もいましたよね。金持ちになれば異性の気持ちも買える…と思った人とか…。

コミュ力が叫ばれるのは,お金の価値がどんどん下がっているからか,もしくは一般の人がお金を得ることが不可能という意識になり,お金以外の手段を身につけよう…となっているか…,どっちかでしょうか?…。

どうも後者のような気がしてます。今は格差社会とか就職氷河期とか言われていて…,社会に出る前の学生とか,将来お金を得て自由にいろいろ手にいれる…という自信がなかなか持てないという事なのじゃないでしょうか?。そういえばバブル全盛の頃「三高」というのが女性が男性に求める条件…で,「高学歴」「高収入」「高身長」というものでした。この中には「人当たり」とか「優しさ」とかそういうコミュ力にあたるものは入ってません。身長はともかく,高学歴も高収入に相関があり,つまりお金が人間の魅力になっていたって事でしょう。

多分今はそういうことをメインには求められないように思います。まぁ低収入で困る…という感覚はあるのかもしれませんが,もう少しコミュ力に関係あるものの方が重要視されてるのではないでしょうか?。

…なんとも結論はないのですが,今はお金よりも人間の魅力自体の方が重要視される…って意味では,わたしが望んでいたような世の中なのかも知れません。でもそうなのかな?。本当にそう?…とかいう気持ちも若干残ってます。「コミュ力」「コミュ力」っていうのも何か決まった価値観で人を数値化してるようなものと雰囲気が似てるんですよね。いい人の価値観を一つの物差しで決めてしまうような気持ち悪さというか…。

とかそういうことを思いました。特に結論はないのですが,実はコミュニケーション能力があればお金は不要(またはその逆)…という風には あまり考えてなかったので,なるほどなぁ…と思いました。
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