緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

疑問をもつ事も進化、それを止めない制限しない。

2024-04-05 | 真理
  地に足を付けて生きると言われます。
そう生きないといけないって真面目に人間は無意識にそうしてきたんでしょう。
地球に生まれてきたらそうしないと!!
宙に浮くわけにも行けませんからね (^.^)

そうしているうちにそれが当たり前になって、
当たり前が無意識になって、
そのうちに無意識にも慣れて思い込む

ある時不思議に疑問に思う事が起きても何となく自分の思い込みに逃げる。
それが一つだけでなくどんどん増えて、
今の地球に立って地に足を付けて歩いて生きている世界が本当だと思い込む。
丸い地球に立っている事すらも不思議で疑問に思わなくなっているぐらいです。
自然界に起きている事だって不思議だけど疑問に思う事は無い。
本来は不思議だし疑問に思う事ばかりだなと。
それが増え過ぎて、考える事も、そんな時間も無くなり、
それを解明する術も無くなり、
専門家は研究続けるもその証明に月日を要し、
解明して証明したとしても既に世界や次元は変わってしまって、
通用するかしないかだけで判断され、
何でもが後まわしにされていくほど、ひとつの本質にも次元の幅が起きて広がる。

それが年月の経過とともに進んでる。
私自身何か専門知識があるわけでもないので、だからどうだという事でもないけど、
進化とともに本質の見えない部分が後まわしで忘れ去られているというのは段々分かってきているし明確になっていると思う。
たとえ個人的気付きで疑問を感じたとしても世の中との意識のギャップでどうにもならない事が広がったりしてる。

地に足をつけすぎて答えが出なくなるし、
大きな世界観がただ狭くなっているのが分かるから!
個人がただの個になっても世界観は広がらないから。
人間が人間個人の人生を考えるのも必要だし、それには人間学も必要。
同じように人間個人には人類学も必要。
そして人類が生きていくには人類学や生物学が必要なように、
そこに生きていくためには地球の中に在るすべての学問が必要になってくるというのと同じ。
同時にすべてが必要だというぐらい人間の個人でも目の前に見えている事だけで生きている訳ではないという事。
専門的に学問をしている人とのギャップも広がり過ぎているので
個人の疑問が出てこなくもなり進化もない。
個人の淀みとなっている。
個人は不思議に思うことも無いのか、
個人は疑問に思うことは無いのかな。
個人の中だけで悩んで心が閉ざされ固まり病気になっているのも専門家に委ねる事しかしない。
個人はもっと疑問を呈した方が良いのではないかと思うんだけど。

個人の身の勝手、身勝手で成立しているものなどない。
個人の世界観も地に足つけるためには必要だけど、大きなものの中に生きているという事も忘れてはいけないのかなと思うのです。
離れ小島で生きている訳でもない。
昔々に日本が開国したように、そうして発展してきたように、
個人も開国しながら進化していくという風に。
それには個人の知識を増やしながら大きな世界でも知識を増やし進化する。
昔ならそうしないと発展していなかったからそうしていた。
今より難しい時代でもそうしていたはずだけど、
今は発展しすぎた、飽和状態だと言われればそうかも知れない。
それが目に見えるものだけでは追っつかなくなってきた。
地に足を付けてばかりだと観えるものも見えなくなって
進化の妨げになり、制限になり、
制限ばかりだとそこで循環も無くなり、詰まっていく。
こんな状態!!
世の中の制限も外す必要もあるし、個人の制限も外していく必要があるという事。
これらは常に同時に行われることが大事なのかなって思う。
そのためには個が繋がる必要もあるし、離れる必要もある。
それが呼吸の様に行われている事が個人の人間にとっても自然な真理なのでしょう。

個人が呈する疑問と言えば……、
今期から始まったNHKの朝ドラでふと思った事があります。
まあまだ始まって1週間ですが、
ヒロインの彼女が常に「はて?」って言うんです。
日本で初めて女性が法曹界の人となるストーリーみたいです。
その時代の社会の価値観や、家族の価値観、個人の価値観の中で生きていくみたいですね。
自分の思うこと考える事の価値観と違う事があった時、人から言われて違うなと思った時に「はて?」って思うし、言うんです。
それが面白いのと、凄く共感する。
価値観って違って良いと今なら私も思うけど、まだそれが通らない世の中で、そして個人同士でも交わらないで、認め合わないで、
それが現代でも通らない場合や混ざりまくって複雑になっている事などを照らし合わせたり。
個人の中でハテナ?で疑問を感じても口に出せないと諦めたり、
ハテナにも気づかない個人になってたり。
そんな世の中になってたりするのは世の中の機能自体が病気になっているのかなって思ったりするなと。
そうなると自然災害となるのも分かるような気がするなと。
個人と自然界自体も繋がっているから!!

人類個人も「はて?」が無いと進展しないし、大きな世界も詰まってしまう。










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多様性の複雑化、その先の宇宙は絶対化かな (^.^)

2024-03-17 | 真理
  昨日の記事の最後の方でまとめた中の一節ですが、
脳の中も自分勝手な記憶など、心のシステムが重なり複雑化して行っているという事なんですが……。

今の世の中多様化と言われています。
私なんかも自分の中で「全てオーケー」という価値観を基準にしながら生きようとある時から決めてきました。
だから、人間関係や社会との関わりの中で「えっ?これオーケーなの?」っていう事が自分の中での壁となったり境界線となった時には必ず考えます。
そして自分の価値観や常識をアップデートします。
どうしたら人の価値観を認めることが出来るか考えたり、自分の意見を考え改めたり、それで良いと考えたり、社会の時代とのギャップを知ったりしながらも心を置いて行かれないように、また置いて行かないように惑わされないように堂々と出来る自分を考えようとしたりしています。

それらの事、
親の刷り込みや、時代の社会の刷り込みによって固められてきた脳も段々と壁やギャップや境界線が増えて行ってます。
ましてや心のズレも (^^;)

その上多様性と言われて脳ももっと複雑になって、
自分の過去の脳がアップデートしていなければまた複雑化が増します。

その個人の複雑化はもっと社会の中で増えるのは当たり前です。
多分普通にジェネレーションギャップが起こっているし、
またそれぞれの個人各々のギャップもあるし、
それぞれのアップデートの格差もある。
その結果今の多様性はもっと複雑化して行っていると思います。

何でも良いよと言いながら、何でも良いわけないという事も絶対あります。
今私もコミュニティの組織で運営側に所属していますが、
そんな中で、私個人ならどうでも良いし、何でも良いし、嫌なら避けたら良いし、辞めれば良いしという事もいっぱいあります。
個人なら自由だと思うのですが……。

一つの組織をまとめたり、行事を遂行したりする時に何でも良いよという事の多様性を認めつつもそこに集まる多様性の個人がある中で、無責任にあしらう事も出来ません。

そこには言ったもん勝ちや、やったもん勝ちという結果になる事もあります。
たとえば公金や補助金を使っている中ではある決まりもやっていけない事も出るわけです。
役割もあるし、責任もある。
そんな時にいろんな人の多様性がめちゃ複雑に絡む時があります!!
お気楽に考えられる人はどうでもいいいやんと捨て台詞で済ませられたり出来るし、それもそれでありだと思うのですが、

色んな性格や資質を多様性だからすべて認めようと思うと多分無理があります。
そんな時に悩む事もあります。

まあこれはたかが一つの私が属しているコミュニティの場の話ですが、
コミュニティというのは一名詞ではなく、
人それぞれ何かのコミュニティに属していると思います。

単体であれば家族もそうです。
趣味を共有しているコミュニティの場もそうで、
デイサービスなどのコミュニティの場もそうです。

そんな単体から小さい大きいコミュニティに属している人間世界、
その多様性が、認められるようになってから進化していますが、

その多様性がどんどん複雑化しているなという事です。
もっと心が付いて行かなくなっている人が多いと思う。

そして昨日までに話していましたが、
その多様性の複雑化が脳のシステムや仕組みを複雑化して行ってるという事になっている。

そのシステムや仕組みを自分がコントロールや整理しているけど、
自分で気づいていないという。

だからその複雑化に絡んだ結果、肉体に症状として出てしまうという。
心に出る人は精神疾患となったりしているし、
肉体では組織や臓器細胞にまで絡んで症状化している。

まとめるのが大変だという事を言いましたが、
人をまとめるのも大変だけど、
自分の中で自分の多様性の複雑化をまとめることが出来ないという事も起っていると思うのです。
じゃあ……人間関係や社会の中でどうすればいいか、
誰かが世直しの様に直すわけでも、まとめるわけでもないんです。
個人それぞれが正直に自分に素直に生きて、気付きを投げかけあってるだけしかないのかなって!(^^)!
意識して与えるとかではなく。
きっと影響は波紋の様に勝手に与えているんです。
だから自身も自分に責任持つという事なんだなと。
多様性の複雑化に紛れて我を見失わないようにですね (^.^)

これも地球や宇宙で人類が生きている仕組みやシステムの真理で、
本来はそれを理解して行くのが真理を解くという事に通じるんだと。
そのヒントが仏典だったり経典だったりするんだと。

話が大きくなってしまいましたが、
真理を解くって大きくも観るのと内へ深く小さく観るのと両方が必要だという事なんですよね。

自分と外と内という事。
本来宇宙意識は多様性の複雑化を超えた絶対化ですから (^.^)


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時代ごと価値観の進化は起きている。

2024-01-18 | 真理
  昨日は映画の物語を通して時代の価値観が違うという話をしました。
愛の心をもってして真実の現実だと伝えても伝わらないもどかしさ。
その時代に生きている者はその時代の価値観に生きている。
というかそうしないと生きれないと言うのか生き辛いのか。
チョット受け止めてみれば良いのかも知れないのに、
自分だけでは受け入れられないという。
ある意味そこにも本来人類は孤独との戦いがあるのかも知れない。

だからか、何か大きな出来事、社会的にも自然界にも大きな事が起きて、崩壊や分離を起こしてまでも変わらないと変化は起きない。
みんなが心を団結したり、力を合わせたり、
自分の事以上に大きな愛で知恵を出し合おうとしなければ。
時代ごと進化するってそんな事なんだと。
あの戦争から終戦の時代からの進化もまさしくそうだったのかも。
その時に亡くなられた人を犠牲と観るかもっと大きな意味で受け取るか。
映画の中でもそんな事を考えさせてもらった。

この現代も、ここ数年がまさしくそういった時代の変わり目だった。
価値観が大きく変わり進化して行ってる。
それこそ昔の価値観に縛られていると、時代の進化にもついて行けない生き辛さの中に置いてかれてしまうんでしょう (>_<)
実際に今高齢者が多く、時代がまたがっている。
明治大正昭和平成令和と……。
ただ天皇の退去ですよねと言う人もいるでしょうが、その時代の価値観は政治や社会の流れでもありますから。

私の人生の中にもその変化とか進化は目に見えてありました。
生命観も人生感も宗教観も結婚観も仕事観も子育て感も教育観も
これらの全ての価値観の進化において変化の中でもがいて悩んで考えてアップデートしてきたと自信もって言えます。
私って未来から来たのかなと思った時もありました。
もうちょっと後に生まれた方が自分にあってたかもって思った事も。
その反対に、過去世というか魂が古いから何度も輪廻転生しているから今の時代に気づきがいっぱいあってうんざりして開き直れたのかなって。
だから繋目の役だったり架け橋だったり。

ある時に気脈診の鑑定を受けた時に「あなたの閃きは思いつきにあらず、決められし道を示すものなり」「すでに気づいている事に気づく」と言われたんだけど、その時に自分の内側を信じて行こう、本質を信じよう、本質に繋がっていると、そんな事を思いました。

その本質が過去にも未来にも現在にも時代の本質にも全ての本質にも繋がっていると思ってるからなんです。
それは魂にも全ての魂にも、全ての源にも繋がっていると信じているんです。

まあその自信となる根拠を求めて生きているという事でもあるので、
引っかかれば考えアップデートの課題として人生活動やってる私 !(^^)!

その中で、私の周りにも古い価値観で生きている人がいて、生き辛そうだと思うと手離すきっかけを投げかけたりする役目をしてたりする。
無理やりは変えることはできないし、変えれません。
この映画の様に真実だと知っていても愛の心ででも変えることが出来ないのは知ってるからです。

憎まれ役となっても、うざがられてもきっかけの矢を放つしかできない。
きっかけの矢を放つか方法や術を伝えるだけ。
その表現も愛だと思ってやってる私 (^.^)

その方法や術も価値観がずれているとその受け取り方もずれます!!
素直じゃなかったり、頑固だったり、拘りだったり、
それも古い価値観に縛られていたりです。
その人の手離せない本質が内側にこってりと残っていると。

この時代の価値観で通用するものは全て愛で愛のカタチとして表現した人はしっかり卒業も出来るのでしょう。
老いては子に従えという事だって、子供は愛で新しい価値観を伝えに来てくれているのかも!!
子供の事になると親は一生懸命になれるしね。
ちょっと子供のいう事にも耳傾けてみると閃きがあるかもです。

この……「愛」とか「愛の表現」という事をもまだ古い価値観の正解と不正解で決めつけていると真の答えには届かないかも知れません。

その正解不正解を手離せばどんどんと時代の進化について行ける今年。
龍神様もこの世のエネルギーに合わせて導いてくれると思います !(^^)!

ちょっと聞いた事のない価値観だったり、聴いたことのない世界感、見た事のない世界観が自分の眼の前にやって来た時がチャンスかも知れませんね。
その時に間違えないのは、大事なのは、自分自身が不快でない事です。
古い価値観のまま自分を信じるのでなく、本当の自分の心を信じれるかです (^.^)
全ては愛だから正解なんですもん!!
その選択が続いていきます (*^^)v
時代の進化はそうして続いていく。

映画を観てて……ふとそう感じた私 (^.^)















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はみ出しも正解。

2024-01-07 | 真理
  昨日の話で、「はみ出しっ子」というワードが出ましたが、
自分の価値観や概念以外は全てはみ出しなのか、
自分がさてはてはみ出し者なのか (^^;)
ホント全てが正解なんですよというと、
そのはみ出し者でも正解。
意外とこの世の中は全てみんなと同じという多数派で来ていましたが、
はみ出し者と言われる人ほど大成してきたって事も多かったですね。
変わり者や奇人変人って色眼鏡で見られたりしてても大きな器で大きな愛をもって人々に愛を与えている人もいました!!

自分以外とか、ひとつの概念に縛られているそれ以外ははみ出しっ子で、本当は大きな宇宙かも知れないんです。

自分以外がある意味正解の時が多いんです。
それの意味するところの本質は……、悪い・間違い・不正解と思っているのに本当は大きな愛で大きな宇宙で本当は大正解への道を与えてくれているのかも知れないんですよね !(^^)!

私はそう思っているんです。
なので、私が年越しに悩んでいた全部正解だと思う中からの自分の正解が分からない出来事が起きた時に「気の向くままに行け!」という道を教えてもらった気がするからです (^^;)

どちらの世界も必要で、
物事を知るため、仕組みを知るため、心理を知るため、真理を知るためには全てが必要なんですよね。

はみ出しているようではみ出していない、
はみ出していないつもりでもはみ出している、
これで良いんだと。
それを他人が教えてくれたりしてるだけ。
それを人間関係が教えてくれているだけ。
諸行無常、結局は知るまで理解するまで納得するまでその繰り返しであるだけ。
大いにはみ出してみようかなと。
それに心が少し溺れたりアップアップするかもしれないけど、
それが人生のアップデートで、はみ出しながら大きくなっていく。

年末放映で3週だけのドラマがあったんです。
そのタイトルが「自転しながら公転する」って言うんです。

地球がそんな動きをして、そのエネルギーで太陽系の銀河の中で存在してます。
それ以上に宇宙は大きい。
その地球の動きの中で人類も存在している。
存在で来ているのかどうなのかも神秘な事だけど。

その、自転しながら公転するというのは
スピリチュアルの勉強した頃から自分の中の真理に必ず必須なエネルギーで、意識の本質や真理もそれと同時に意味合いを繋げて行ってました。

私の指針でもある「全ては一つの中に一つは全ての中にある」という真理の本質と通ずるものでもある。

自分の中にも真理はあるし、全ての中にも真理はあって通じてる。
自分の中心も持ちながらすべてと融合していくとか。
自分の中心も正解でもあるけどはみ出しも正解
その両方が繋がっていて通じていて全てが正解という。

ただいろんな経験と共に知って行ったり、悟って行ったり。
活用して行ったりしながら自分のものにしていくという。
正解も不正解も融合ですね。
どちらかに決める必要もない、ただ自分の正解を持つのにその本質が必要なだけ !(^^)!
深くなるほど、自分の正解が分からなくなるのは、その境界線が無くなっているという事なのかなって (^.^)

たまに人の事、人の世界観を不正解だと言っている人にもその出来事は必要なんですよ !(^^)!
それは同じ正解でも不正解でも、子供と大人が表現する事が違うのと同じです。
それが解ったのなら温かく見守ってスッと去る事です。
逃げて避けるのは駄目だけど、分かって知って去るのはオーケーです。
しっかりそのコンセントは抜くだけですね (^.^)
次へ行きましょう !(^^)!


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「正解不正解」について考えてみた (^.^)

2024-01-06 | 真理
  今日は仕事始めで、私の母親の妹でいつも来てくれる叔母二人でした (^.^)
踊りの先生の姉とその妹、妹の方の叔母は毎月来てくれているので良く会っていろんな話をしています。
私の母より付き合いは深いし長いです。

この二人が来ると母方の祖父母の性格からの価値観がさく裂します!!
叔母の二人は76と78歳、普通より若いし元気。
私の母親の世界観とやっぱり似ているところもある。

この姉妹は家も同市で踊りの会でも一緒で日ごろの付き合いも深いので仲も良いですが、喧嘩まで行かないけど、その分言えない事や鬱憤も溜まってることも多い。お互いに自分が我慢してあげてるのよって感じ (^^;)

私のところに来たりすると、私がクッションになっているので、お互いがいつも言えない事を私を介して漏らす事も多々ある。
「ねぇ~」「おかしいね~」とか私に言いながら、直接言えないでいる事をふと出るんでしょうね。

クッション材ってホント大事だなと思うけど、
クッションになってる方は結構大変だったりする時も (^^;)
どっちもどっちだなと思う事が多いから (^.^)
第三者からすると、ある意味両方正解でもある。

たまたま昨日までにブログで話していた
「正解不正解」の話に繋がる話題が妹の叔母から出て来たのにはちょっと内心笑った (^^;)
リアルなシンクロっぽくって面白かった。
うちの母親もですが、その母親(祖母)もその妹の方の叔母も結構自分の「正解不正解」の範囲が厳しくて、
それが人に対しても厳しくて、自分の世界観を超えると自分の不正解になる事が多々ある。
たまたま今日も姉妹共通の知り合いの話題になり、その正解不正解について漏らしてた。
私達が聞くとそうでもない事でも、自分の不正解は認められないという。
私と姉側の叔母はどちらかというと祖父タイプ。
私の母親と妹側の叔母は祖母タイプ。
祖母と祖父の中でも常に正解と不正解で問題が起きていたような記憶の中に在る (^^;)
これは遺伝子レベルなのか、家系なのかって思ってしまうけど、
きっと世界観を広げる家系のミッションだ (^^;)

人との間の価値観や世界観は信頼関係や少しずつの対話と理解で歩み寄ることでしか縮められない。
その叔母の話を聴いてて余計に確信。
叔母はその友達の性格を自分で付き合う事で少しは良くしてあげたと言ってのける 
凄い世界観だけど、うちの母親もそんな感じ!!
それに上手い事ハマらない人だったり、
私は母親にとっていうと、はみ出しっ子 (^^;)

ただ自分以外のどれだけがはみ出しっ子か、いるかいないか。
多分一人一人にとってはみんな正解。
だけど歩み寄りや融合していく事で自分の世界観が広がるかなんでしょうね。

自分の中の正解不正解で、自分の中で葛藤するかしないか、
受け入れるか認めるか、排除するかしないか、
ただそれだけなんやろうな。
その必要な時にやっぱり考える事で自分が成長するだけ (^.^)
「正解不正解」について考えた新年の始まりだったなと !(^^)!
とにかく、正解不正解の枠を広げて行く!!
要らない概念は自分の中では手離していく事にする。
楽に生きる、楽しく生きる事はそこから始まる。
そう思った!!




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