緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

自分を棚に上げていて起こる事。

2024-04-18 | 意識・無意識
  思考癖から当たり前になり、無意識化していくというはなしをしていますが、
そこから言葉や行動にも癖が出てきて、
その中には自分の歪みや傾きや偏りの影響から肉体の状態にも症状として出ているという話でもありました。


それには捉え方や受け止め方の癖にも注意し、
ヒントとして受け止めてみるという。
それを素直にフラットにして自身を俯瞰してみると良い、という話 (*^^*)


よく人を観察洞察していると自身を棚に上げて、という人をよく見るのですが。
勿論そんな人を観た時や出くわした時には私自身も我振り返ってみることはするのです。
それで、自分の事を考察して、自分の事なのか他人の事なのかをしっかり分析しながら双方の深層心理というより潜在意識を知るようにしています。


そんな中でも自分を棚に上げている人に限ってそんな言葉を耳にするのが苦手だと見受けられます。
自分を俯瞰するのも避けたいし、自分を知る事からも逃げている人が多い。
まあ私の認識の中で一概には言えませんが。


大概、どこかに痛みを抱えているとか、眼や耳を閉ざしているとか、血液疾患やリュウマチなど、表面に現れにくい自分の中に潜めている症状に出てたりします。
知らないうち気づかないうちにひそめている(秘めている)。
知らないうちに壁を造ったり、ガードしていたり、循環が苦手な感じ。
人には厳しく言うけど、自分は何でもええやんという!
大概人に厳しい人は自分に厳しいっていう事が分かっていない。
自分の事を棚に上げて、自分を痛めつけている事に気づかない。


自分の事、俯瞰?そんなん知らんわ!という。
自分と対話?それ何?という感じです。


双方に対立の出来事が起きた時、喧嘩などになったとして、
人と同じものを観て、価値観が違うと必ず対立は起こるでしょう。
でももう関わりたくないとしても自分の脳裏に残るのでいつまでも自分が悔しい。
その人がもしも腹立った時にでも、出来事は共有で起こります。
見ているものは同じで捉えている物事は同じでも、見方や捉え方は違います。
そこには感情の行き違いが起こります。
その人の事を認めなあかん、受け入れてあげなあかんと言いながら一生懸命に蓋をしようとします。


そんな時に人の事をどうのこうのいう前に、自分を棚に上げる前に。
自分がその出来事をどう観ているのか、どう感じているのかも俯瞰してみるのです。


どちらが正しいとか間違いとか、受け入れるとか拒否るとかの前に、
自分の感情を知る方が大切です。


その思考癖、受け止め癖も病気の要因だと言っているのです。


まあ私のこんな言葉なんかも受け入れる必要だって本当はどうでも良いかも知れないけど、
自分を俯瞰してみるという事や
出来事が起こっている事は全てが自分の必然だと考えてみる事


これは真実かなと (^^;)


たまたまここのところ、そんな話で盛り上がってたもんで (^^;)
哲学してみました !(^^)!


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