緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

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当たり前が無意識化になる前に。

2024-04-07 | 魂・潜在意識
  当たり前に時は過ぎるという話をしていました。
自分の身近なところにもそれ絵が起こっている。
そしてその影響はいろんなカタチで現れるという話でもありました。
災害だったりもその一つだと。
当たり前になってしまっている、人類はもうその当たり前の中に存在して気にも留めない事もあると。

人生は自分の事だけ考えていて良いわけでもないと。
当たり前の毎日普段の生活を無難に生きていれば良いと考えている高齢者も多いと思います。
私ももう何年もすれば高齢者。
でもそんな高齢者になる前にこの世を卒業したいとも思っている。

何にも気づかず、ただ生きればいい、ただ静かに死を待てばいいなんて思わない。
最後まで普段の当たり前に気づきたい。
まだまだ知らなかったことに気づきたい。
昨日に話した桜が咲き続ける仕組みすら知らずにいて、それが自分たちに何を伝えているのかにも気づけにいるのは嫌かな、そんな事を人と共有する事もしないで一人身勝手に自分の人生が良かったというのは嫌かなと思うのです。

地球に住んで、生きて、宇宙にも存在して、
宇宙の中の自分なんて、本当にミクロな意識の存在だけど、
生きている間は自分自身がマクロな存在で、その共存がある事は確かで。
ミクロな世界もマクロな世界も当たり前になってしまうのは嫌だなと。

マクロな自分の中にもミクロな世界が存在するし、
当たり前のカタチが存在する前に当たり前になるカタチになる前が存在する。
それは人間の意識だったりするのかなと思う。

当たり前になってしまう前に人間の意識が変われば良いという話もしていました。
出来事に影響が出る前に、自然現象に影響が出る前に。
自身の身勝手な意識が当たり前になる前に、
そんな話でもありました。

分からない理解できない話でもあるけど、
例えば生活習慣病を考えてみればよく理解できるんじゃないかと私は普段から思ってる。
生活習慣病とは、普段の当たり前になっている行動が当たり前になり過ぎて型より崩壊して病気というカタチになってしまっている。
睡眠の偏りや、食生活の偏り、栄養の偏り、思考の偏り、行動の偏り、等です。
それは癖にもなるという。
当たり前は癖にもなり習慣にもなる。

当たり前になってしまうと、それはもう無意識化になります。
無意識の行動は中々気づきません。

当たり前になる前に気づく。
もしくは難しくなるかもしれないけど、自分を俯瞰する力を養う。

先日、私がソロキャンプで焚き火を眺めている時に思考がストップしていたと話しましたが、
それも自分にとっては思考する事が癖になっている、それを辞めたいという話でもありました。

無意識化って、それは何かというと、潜在意識(魂)です、
本来、人間は魂が生きているけど、肉体をもつ事で思考が働くようになっているんです。
せっかく魂が生きようと無意識に行動しようとしても、思考が邪魔するのです。

普段の当たり前になっている事が邪魔するのです。

たまに、
思った事と違う事をしちゃうとか、考えていた事を言おうと思っていたのに言えないとか、話す内容が変わるという事ってあると思います。

それも思考と意識、無意識の違いが出るのです。
思考のまま言おうとするけど、本質が本当に言いたい事を無意識に出ちゃうって事。

本来は無意識が良いんだけど、思考が邪魔する。
その自分の無意識が本来魂の赴くままに生きれていると肉体も腑に落ちるんです。

思考は育つ環境、また、生きている間の環境によって変化するもの。
その奥に魂の本来の生き方とか、目的があるのに、
自分が生きている間に自分が育てた心や思考の偏りが当たり前になって無意識行動になってしまうのです。

高齢者になったとしても人生の終焉を迎えるまでは魂との一致がなされるまで自身のまわりの当たり前に気づく何かが存在するんだと思います。

気づいているとするなら人との共有する役割があるんだと思います。
その共有はどんな共有であっても良いし、人類の成長と進化のためだと。


コメント
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