『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

一心に動くということ

2018-02-15 | 2018年
24歳の時、療術の勉強を始めた。
それ以前、特にこの業態に以前から興味があったかというと、それはそうでもない。
ただ、幼少の頃よりボクシングの世界戦やキックボクシングのテレビ中継など視聴するのは好きだったし、当時の多くの子供がそうであったようにブルース・リーへの憧れもあった。
武術や格闘技への興味は強く、「空手バカ一代」という漫画がブームになった時代でもあったので、特に打撃系の格闘技術には惹かれていた。

しかし、その当時、近所には空手(フルコンタクト=直接打撃制)の道場はなかった。
その代わりに、歩いて10分くらいの所に少林寺拳法の道院があり、そこに4年ほど通った。

少林寺拳法には、剛法(突き、蹴りなど)柔法(投げ、関節技など)整法(整体医術)などがあり、段階的に学ぶ技術の構成やメカニズムが非常によくできていた、と今にして思う。
少林寺拳法の関節技というのは、中国武術というよりは、日本の合気系の柔術の下地が強くあり、それは相手を痛める、壊すというよりは、傷つけず、ぶつからないために極めるというニュアンスが強い。
稽古の際、たとえ乱取りという防具着用して行うフリーの組手であっても、ガチガチに相手を倒しにいくというものではなく、半ばは自分の技を深めるため、半ばは相手の技を深めるために、という意識で行うものだった。

整法というのはある程度高段者になるか、武専という少林寺拳法の専門コースに通うしかないため学ぶことはできなかったが、柔法の稽古をしていくことで、自然に関節の構造や動きを感覚的に理解することができるようになった。
この頃の経験が、のちに“身体均整法”を学ぶうえで非常に役立つことになる。

いくら解剖学的に関節の構造を覚えたとしても、それだけで関節の歪みの修正テクニックなどができるようになるワケではない。
よく【カラダの声を聴く】というけれど、ある関節の発する「声」が聴ければ、たとえ解剖学的な構造を知らない状態であったとしても、どうすればいいかがなんとなくわかるだろう。
これは、関節に限らず、あらゆる部位について同じことがいえる。

ここまで書いて、ずっと以前に聞いたある事例を思い出した。

時折、熟練の療術者をしのぐ、観ることができる人間が見れば目の覚めるような見事な「技」を魅せる素人、が出現することがある。
たとえば、その当時来室いただいていたある女性から直接聞いた話だが、その方の幼い子供さんが転んだか何かで肘が反対方向に曲がったらしい。
その時にその方は、ハッとしたと同時に、その肘を正常な位置にパッと戻したという。
子供はすぐに何事もなかったかのように泣き止んだという。
そのあと病院に行かれレントゲンで診察した結果、橈骨か尺骨(前腕の骨の名前)が完璧に折れていたのを、その場でほぼ完璧にくっつけたらしい。
もちろん、一旦折れたのだからそれで全てオーケーではなくギブスなどによる通常の医学的処置はされたようだが、随分経過も早かったという。

子供が泣いた、どうすればいい…そう思った時には動いていた…
それでいいか、正しいかどうか、間違っていたらどうしようとはその瞬間は考えなかった…
ただ夢中で、子供を救いたい一心だった…

この女性に、関節の構造などの知識はなかった。
ただ、子供のピンチによって、何かに突き動かされるように無我夢中で動いただけだろう。
これが仮に、ある程度知識を持っていたなら、たぶんその知識に従って行動しただろうから、子供はずっと泣いたまま救急車を待ち、しばらくは痛みを引きずることになったのではないかと予想される。

もちろん、ケースバイケースだが、こうした事例を聞いたり見たりするにつけ、思う。

誰もが、本来は全てを知って、生まれてきているのだと。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ぼちぼち (toru)
2018-02-20 21:38:41
こんにちは

ブログを再開されたのですね。

再開後は、理念というか?
思いが反映されていて、
深読みしたくなる内容になっていますね。

楽しみが、増えました。
コメントありがとうございます。 (田村)
2018-02-27 14:40:30
toruさま

思い出したことを書いているだけですよ

いつもありがとうございます。

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