ひとり上手

あぁ、今日もお酒がおいしいわ…・。お兄さん、一杯ご一緒にいかが?

2012-02-21

2012-02-21 | 日記
FaceBookが「同級生交流ツール」として機能し始めて1か月。
今日は中学の同級生と、新宿のコジャレたイタリアンでご飯なのだけれど、
割と東京暮らしの子との再会は気が楽。

最近「ソーシャル疲れ」とまではいかないけれど、
「うへぇ…」と思うことも、ちょくちょくあったりする。
基本的にFaceBookは実名で、所属も明らかにしているので、
変な愚痴やら何やらは書けないんだけれど、それがちょっと負担だったりする。
他の人の記事も、「いい事」だらけだし。
家族の写真、こじゃれたランチやカフェ、楽しい飲み会。
「私、今こんなに幸せ!」というのを、どんだけ周囲に見せつけられるか、
その状況を羨ましがってもらえるかの応酬合戦みたい。

で、最近とみに顕著なのが
東京で遊びまくる生活VS田舎で子供の成長を見守る(もしくは結婚)生活
の絶望的な温度差。

いや、深く考えすぎなのかもしれないけれど、
実際自分も上げている記事は、
「新宿で楽しく飲んでま~す」
「今日は上野公園を散歩してます」
「新宿でお買い物で~す」
とか、やっぱりどこか地元を意識しているのは事実だったりする。
(さりげなく地名入れてみたりとか)

どっちがどっちって訳ではないけれど、
それは十分承知の上なんだけれど、
田舎の子がどんなにオシャレなカフェで、かわいいケーキを食べてようが
「でも、それ熊本じゃん」
と思ってしまうんだよなぁ。
東京で遊びまくる生活の河岸にいる身としては。

多分、向こうは向こうで
「30にもなって、まだチャラチャラ遊んで、身も固めないで可哀想」
とか映ってるんだろうな、とも思ったり。

会社の人と細々やってた頃は、ホント意識もしてなかったけど、
中高の同級生と繋がり始めて、
「私はこんなに素敵な生活を送っています」
の同級生アピールが、お互いに顕著になっている気がする。
同級生だからこそ、みたいな。

学校を卒業してからの時間が生んだ、価値観やらその他諸々は、
もうどうしようもないのかも知れない。

2012-02-17

2012-02-17 | 日記
名古屋以西の人と話していて、東北に通っていることを口にしてしまうと
「地震どんな感じだったの?ひどかった?」
って聞かれるけど、どうしても口ごもってしまう。

倒れそうになるPCや散乱する書類を必死で抑え、
あまりの揺れに壁にはミシミシと亀裂が入る中、
「逃げろーーー!!!!!」の総務の人の声に、
開け放たれた非常階段から、震える膝を必死に抑えながら地上へ降りたこと。

何とか新宿駅までは出られたものの、京王線の改札どころか
その外にまで溢れる疲れ切った人達を見て、
会社の先輩と「歩いて帰りましょう」と、
長い長い人の行列の後ろを無言でひたすら歩いたこと。

家に帰り着いて、ドアを開けた途端、
傾いた本棚、どうしてこんな所にまで飛んだんだという電子レンジが目に飛び込んできたこと。

つけたテレビに映る、真っ暗やみの中に燃えた石巻の街。
「警察の発表によると、海岸には200名を超えると思われる遺体が」のニュースが、
あまりにも現実離れを起こして、吐き気にトイレに駆け込んだこと。

30分置きに襲ってくる余震に怯え、
枕元にいつでも逃げられるようにと、
ありったけの荷物を詰めて眠ったこと。

3/11のたった数時間でさえそうなのに、
その後、実際に東北に行った時のことなんて、
どう言葉を選べば伝わるのだろう。

何とも言えない、生臭い海水の混じった泥の匂い、
何もなくなった荒野に、びょうびょうと鳴る風の音、
「目の前で何が起こったのか」あまりに想像を超えるた光景を前にすると、
人間は本能で「思考」を停止すること。

これはブログでしか呟けないこと。
友人は「実際行きたいんだよね」「行かなきゃって思うんだよね」
って言うのだけれど、お願いだから僕の前では言わないでほしい。
0泊3日の弾丸ツアーや、福島への日帰りツアーだって、
都内でだって、津波に流された写真の洗浄のプロジェクト、
色んな手を差し伸べる術はあったし、それとなく紹介もした。
でも、「あなたは行かなかった人」である、「できることを探さなかった人」である、その事実を受け入れるべきだ。
別に僕はそれを弾劾する気はない。
ただ、イラッとするのは、「行った人」と同じ彼岸に立とうとするからだ。
「こんな想いはあるんだから一緒よね」
って、時間もお金も、労力も使わずに、「やった気」になられるから腹が立つのだ。

あれからの日々をどう話せばいいのだろう、
どう話していけばいいのだろう。

2012-02-14

2012-02-14 | 日記
今朝、お弁当を詰めていたら、
「あ、今日東京に出てきた日だ」
と唐突に思い出す。

今思えば、10年前は「不況だ」なんて言ったって、
卒業の夏から就職活動始めても、高望みしなければ余裕で受かる時代で、
アテクシも余裕ぶっこいて、(というか後先を何も考えず)
「卒業したら親の紹介で農協か、公務員(郵政1種)の勉強を実家ですればいいや」
とか思っていたんですけどね、
当時のオサレさんの絶対的代名詞、セレクトショップ「○ームス」が、
レディス部門のメンズ展開を拡張を行うってことで、
初の新卒男子社員1名を募集してたんですよ。(しかも1月に)

片田舎でそれをボンヤリ眺めていて、
「受かるわけないけど、卒業旅行を兼ねて遊びに行くついでに、
就職活動ってやつを一回位しておくか」
と、これまた舐め腐った動機で受けたんですけど、
何がどうしたのか、募集してきたのが絶望的に2人。最終面接でもなくて2人。
んで、これまたどうしたことか、もう片方の方が面接の最中に
「あまり長く続ける気はありません!」
と爽やかにキッパリ言い放って、
実質消去法的にくる代が採用され、
鳴り物入りの「全国初の男子新入社員」となったわけです。
(今でも取材されたメンズ・ノンノとスマートは、実家の仏壇に仕舞ってある)

今以上に世間知らずで、物事を知らない田舎者で、
友達もいなくて、毎日が不安で不安で仕方なくって、
仕事では毎日裏で怒鳴られては泣いて、
代官山から浦安の道のりを毎日通って、
そんなに遠くはないと思ったけれど、あの日から、もう9年も経ってました。

今朝、それをメールでお母さんに伝えたら
「誰も周りに知り合いもいなかったのに、よく頑張ってこれたね」
って返ってきたけれど、
それ以上に、安くはない引っ越し代や、生活基盤の家賃や生活費、
老後の不安もあっただろうに送り出してくれた、父母や親せきへの感謝やら申し訳なさでいっぱい。

2012-02-13

2012-02-13 | 日記
本当に今年は何なんだろう。
今、ケータイに実家から着信履歴が残っていたから、
何事かと慌てふためいて電話したらば、
「お姉ちゃんから結婚するって、知らせが直接来た」
と嬉しそうなお母さんの声。
ちょっと前に書いたけれど、お姉ちゃんは前回の結婚が
家同士のいざこざが原因で流れてしまって、
「お母さんたちは私の幸せを邪魔するんだ」
と、実家からしばらく離れていたこともあったし、
お正月にお姉ちゃんの口から結婚のことを聞いた時、
まだお母さんに言うのは早いかなぁと、そのことは伝えないでいたのだけれど、
お姉ちゃん自身が、自分で決めて、お母さんに伝えてくれたことが嬉しかった。

と、お母さんは、電子機器の取次販売代理店の代表として、
15年以上頑張っていたのだけれど、
この春から引き抜きとやらで、地元の中堅結婚相談所で営業として働くらしい。
しかもこのご時世で、60歳を迎えたというのに「正社員」で。

あまりの事にポカーンとなりつつも、
でもお正月に感じた「やっぱりお母さん、歳かも」ってのは微塵も感じないほど
キラキラした元気な声に
「うん、まぁ、いいと思うよ」
と気押されながら言うしかなかった。
うん、頑張れ。お母さん。


2012-02-12

2012-02-13 | 日記
先日、久しぶりに再会した中学校の同級生がホモだった、というお話の続報。
その同級生が、どうもくる代ちゃんのこと好きらしい。
らしいって、私のことなんですけど。
ね、この衝撃の展開。

それに加えて、一個上の先輩(同じ委員会だった)もホモだった。
何、この安定のホモ率。
その先輩は今、東大の院で助手をやっているそうなんだけど、
やっぱさ、バカと何とかは紙一重と言うけれど、
天才とホモも紙一重だと思うよ。

というか、なぜ皆、何の躊躇いもなしに打ち明けてくるんだろう。
彼らの中で「もしかしたらくる代は、ノンケなんじゃないか?」みたいなこと、
一切見受けられずに、直球で投げ込んでくるしね。
いや、ちょっと待って、私がまだお酒回ってないんだけど…とドギマギする展開。