先週、毎年恒例のアースディへ、お登紀さんこと「加藤登紀子」さんのライブを聴きに行って、
今年は去年にない想いを色々持ちました。
去年は大嵐の中、それもあの出来事からまだ1月しか経っていないという時期の開催。
会社の希望退職に手を挙げたはいいものの、これからどうするのか?と不安を抱えてもいたし、
いっそお世話になった人のために、東北で暮らすという選択をしようかとも考えていました。
3/15に首都圏に放射能物質が降り注いだ日、私は思いっきり外に出て仕事をしていました。
あの時に「生きる」「死ぬ」を自らの中に引き受けたのだと思います。
そうして、私はその後、東北へと長靴、スコップ、寝袋を持って旅立ちました。
困っている人のお力になれるよう。
ただそれだけの、確かな想いを持って。
あの日から1年が経って、人々の会話に登場することは少なくなっても、
どうしても私は「あの日」から進むことができません。
時間は止まったままです。
会話が辛気臭くなることを懸念して、自分も口を閉ざしていたけれど、
お登紀さんがギター一本で歌いあげた「今どこにいますか」の
「できるだけのことをして
それでも足りなくて
悔しくて泣けてくる」
にどうしても涙を止めることができませんでした。
見渡す限りの賽の河原のような荒野。
辛うじてそこに生活があったことが分かる跡。
夜は小さな腕に抱かれていたであろうぬいぐるみ。
ビョウビョウと風の音しかしない世界。
一日に3時間程度しか活動もできず、
やることと言えば側溝の泥かきや、海岸沿いのゴミ拾い。
それも奇麗に片付いたと言っても、たかが知れた範囲。
周りは凄惨な光景が広がる中の地道な活動に、
「こんなことをして役に立っているの」と抱いた空虚さ。
亘理町で行われた足湯活動では、
淡々と語られる想像を絶する記憶に、心が耐えきれず
オイオイと泣いてしまったこと。
泣きに来たわけではないのに。
そんな遠いような、つい最近の事のような出来事の一つ一つが
ものすごい勢いで迫ってきました。
私は困っている方のお役に立つことはできたのだろうか、
今でも細々と通ってはいるけれど、お役に立っているのだろうか。
やっぱり、この想いは消えません。
今年は去年にない想いを色々持ちました。
去年は大嵐の中、それもあの出来事からまだ1月しか経っていないという時期の開催。
会社の希望退職に手を挙げたはいいものの、これからどうするのか?と不安を抱えてもいたし、
いっそお世話になった人のために、東北で暮らすという選択をしようかとも考えていました。
3/15に首都圏に放射能物質が降り注いだ日、私は思いっきり外に出て仕事をしていました。
あの時に「生きる」「死ぬ」を自らの中に引き受けたのだと思います。
そうして、私はその後、東北へと長靴、スコップ、寝袋を持って旅立ちました。
困っている人のお力になれるよう。
ただそれだけの、確かな想いを持って。
あの日から1年が経って、人々の会話に登場することは少なくなっても、
どうしても私は「あの日」から進むことができません。
時間は止まったままです。
会話が辛気臭くなることを懸念して、自分も口を閉ざしていたけれど、
お登紀さんがギター一本で歌いあげた「今どこにいますか」の
「できるだけのことをして
それでも足りなくて
悔しくて泣けてくる」
にどうしても涙を止めることができませんでした。
見渡す限りの賽の河原のような荒野。
辛うじてそこに生活があったことが分かる跡。
夜は小さな腕に抱かれていたであろうぬいぐるみ。
ビョウビョウと風の音しかしない世界。
一日に3時間程度しか活動もできず、
やることと言えば側溝の泥かきや、海岸沿いのゴミ拾い。
それも奇麗に片付いたと言っても、たかが知れた範囲。
周りは凄惨な光景が広がる中の地道な活動に、
「こんなことをして役に立っているの」と抱いた空虚さ。
亘理町で行われた足湯活動では、
淡々と語られる想像を絶する記憶に、心が耐えきれず
オイオイと泣いてしまったこと。
泣きに来たわけではないのに。
そんな遠いような、つい最近の事のような出来事の一つ一つが
ものすごい勢いで迫ってきました。
私は困っている方のお役に立つことはできたのだろうか、
今でも細々と通ってはいるけれど、お役に立っているのだろうか。
やっぱり、この想いは消えません。