豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

下賀茂温泉の「湯雨竹(ゆめたけ、竹製温泉冷却装置)」

2021-11-07 16:44:48 | 伊豆だより<里山を歩く>

湯雨竹(ゆめたけ)

2021年10月下旬、南伊豆の下賀茂温泉ホテル河内屋に宿泊した。新型コロナウイルスCOVID-19の第5波が収束に近づき緊急事態宣言が解除された後だが、まだ温泉場は閑散として客は数組しかいなかった。ホテル河内屋を選んだのは竹製の温泉冷却装置(湯雨竹)を備えていると謳っているので、その状況を眺め、温泉を体感しようと思ったからである。

下賀茂温泉は青野川沿いの山間に広がる温泉場で、ホテルや温泉宿が数軒あるだけの静かな佇まいを見せている。開湯は永禄年間と言うから約460年も昔の室町時代、武田信玄や織田信長が桶狭間や川中島で戦っていた頃のことで、トビが湯で傷を癒すのを見て発見されたと伝えられている。高温の源泉が多く、「杖知らず、医者いらずの湯」とも言われ古くから湯治場として知られていた。泉質は塩化物泉、効能は神経痛、冷え症、婦人病、皮膚病、創傷などとある。

 

(上の写真はホテル河内屋の資料)

ホテルの資料には「・・・明治37年創業以来、念願でありました源泉100%が実現したのでここにお知らせします。以前までは敷地内26mより90℃と高温で良質な源泉が湧きだしているにもかかわらず、高温すぎる源泉のため加水して温度調節してまいりました。今回中庭に設置いたしました「湯雨竹(ゆめたけ)」は竹製の冷却装置でございます。汲み上げた源泉が装置上部から竹をつたって落ちることで、50℃程度の温度に調節でき、夢の源泉かけ流しが実現いたしました。下賀茂温泉では初の源泉かけ流し100%をお楽しみ下さい・・・」とある。

女将に「湯雨竹」の由来を尋ねたら「別府の人に創ってもらった」と言う。子供の頃(昭和20年頃か)「竹製枝条架」の風景を見たような記憶があったので、古く江戸時代から存在していたのではないかと思い込んでいたが、そうでもないらしい。そこで、別府市鉄輪「ひょうたん温泉(屋号)」のHPを見ると、「湯雨竹」の開発の苦労やネーミングの過程が詳しく紹介されている。

同HPの「施工日記」「ネーミング秘話」によれば、株式会社ユーネット(ひょうたん温泉会社名)社長河野純一、同専務河野健が大分県産業科学技術センターの斉藤雅樹、大分県竹工芸訓練支援センターの豊田修身氏らの技術開発支援を得て完成したもので、「湯雨竹」の命名は海洋問題研究家・作家の東海大教授山田吉彦(大橋郁)氏であると言う。別府や雲仙温泉での普及例も紹介されている。

さて、筆者の脳裏に残っていた「竹製枝条架」は何だったのだろう? 東海道五十三次に描かれた「はさがけ(稲架がけ)」からの連想だったのか? 改めて記憶を辿ると河津町谷津温泉の風景であったような気がする。そこには製塩工場があり、今思えば製塩課程の一場面だったのだろう(現在、温泉施設がある)。

昭和20年代、製塩方法は入浜塩田方式から流下式塩田方式に改善され、海水の濃縮技術として「柱に竹の小枝を階段状につるした枝条架に、ポンプで汲み揚げた海水を流して太陽熱と風で水分を蒸発させる方法」が普及していた。あの時、竹の枝にキラリと光ったのは、温泉の水滴ではなく塩の結晶だったのか。

源泉かけ流しの下賀茂温泉は確かにまろやかだった。加水しない源泉の良さを体感。温泉に浸かって、ゆったりと目を閉じた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コロナ禍に、せめて八十路の... | トップ | わが裏庭で「鹿角」を拾う »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊豆だより<里山を歩く>」カテゴリの最新記事