豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

恵庭の寺-1,恵庭の古刹 「千歳山天融寺」(真宗大谷派)

2015-02-21 16:45:09 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭散歩-「寺院」の章

恵庭開拓の時代,移住した人々は小さな祠(郷里の神社から分霊を得た)を祀り,春には五穀豊穣を祈り,秋には収穫を感謝した。もう一つ,開拓者の拠り所となったのは,祖先を祀る寺院であったに違いない。開墾作業の過労や馴れない寒さに病気で亡くなった人も多く,葬儀の執行が必要であった。

一方,開墾に取りかかったものの,子弟教育の場所がないことには困惑した。移住者たちは土地を提供し寺を建て(最初は説教所であった),僧侶に読み書きなど初等教育を依頼したのは必然だったろう。いわゆる寺小屋である。分教場(小学校)が出来るまで幼児教育の役割を担った寺院は道内にも数多い。

そして,開拓から140年。恵庭は人口が増加し,市街地が拡大し,経済規模も大きくなった。しかし足元を見れば,高度成長の時代は既に終焉し,老齢化,少子化が進んでいる。今や開拓以来の苦労を知る人もない。平成の世は安寧の時代のように見えなくもないが,一方では経済格差の拡大,テロリズムの横行,温暖化と異常気象など不安に満ちた時代でもある。将来が見えにくい時代だからこそ,個々人がどう生きるかを問われよう。自然環境を大事にすること,歴史や文化を大事にすること,個の心を大切にすること等々が,今まで以上に大切になって来るだろう。

神社仏閣を巡る時間があっても良い。

と言うことで,恵庭にある寺院を訪ねることにする。恵庭にはどんな寺院があるのか? 開創は? 宗派は? その歴史は? 恵庭散歩の一章である。

 

  

 

1.千歳山天融寺(ちとせざんてんゆうじ),真宗大谷派(東本願寺)

所在地は恵庭市上山口,国道36号線を札幌方面から進むと恵庭バイパスの漁川大橋を渡った左側にある。道の駅「花ロードえにわ」の漁川対岸である。JR恵み野駅(またはJR恵庭駅)から約1.8km,徒歩で22分ほどの距離にある。

この寺を訪れたのは,立春が過ぎ,久々に春の陽射しを感じる日の朝だった。国道36号線に面した駐車場に車を停め,山門に向かった。朝日が当たる門柱は質素なレンガ造りで,北海道の開拓時代を思い起こさせる。境内には,櫟,銀杏,櫻,柳など木々が繁り,正面に本堂が望める。山門を入ると,左手には親鸞聖人行脚像,鐘楼堂がある(写真は2015.2.20撮影,以下同じ)。散歩中のご夫妻が,何時もそうしていると言うように,自然な仕種で親鸞聖人像に手を合わせ通り過ぎた。

さらに進み,駐車場につながる道路側には納骨堂「無良寿堂」と本寺の開基「淨華院之碑(明治四十三年四月二十日新羅天融)」が建っている。また,右手には会館「光照殿」が配置されているが,モダンな造りだ。天融寺HPには,会館「光照殿」,新納骨堂「第二無量寿堂」,新書院(客殿)などが平成時代に完成とある。この寺には,開拓時代以来の古い歴史と新しさが混合した空間がある。第二無量寿堂も絵になる建造物だ。

話は変わるが,現在恵庭市民会館の東側,会瀬洞門通りグリーンベルトにある「山口県人恵庭開拓記念碑」は,この寺の境内から移転再建したものである。碑の基石には,「山口県移住者の子孫は,恵庭の礎となった先人の苦労を偲び偉業を讃えるため,明治44年(1911)11月3日天融寺境内に記念碑を建立した。現存の碑は,当初の碑が損傷著しくなったため,昭和31年(1956)10月8日この地に再建されたものである」とある。本寺が開拓と共にあったことを伺わせる史実である。

本寺の開創は,明治19年(1886)現在地に説教所が開かれたのが始まりとされる(天融寺HPによる。恵庭市史には,明治20年5月東本願寺札幌別院が派出布教にあたったのが始まりで,明治23年浄土真宗大谷派説教所を漁村に設置とある)。明治19年と言えば,山口県岩国・和木地方から団体移民40戸が漁川沿いに入植した年で,恵庭開拓への団体移住初年に当る。このことから考えても,本寺は恵庭における最古寺の一つと言えよう。

<北海道有形文化財指定の御本尊>

この寺では,御本尊に触れねばなるまい。御本尊は「阿弥陀如来立像」,昭和34年2月24日北海道の有形文化財に指定されている。天融寺HPから引用すると,「本像は明治38年,天融寺開山新羅天融が京都市本町の仏工田中文弥(定朝法印38世)より譲り受け,本山の点検裏書を受けて天融寺として安置したものである。・・・おそらく新羅天融は明治36年から37年にかけてご本尊を求めて上京し,この御木像に巡り合い,天融寺へ請来したものと思われる」とある。また,北海道教育委員会「道指定文化財概要一覧(有形文化財)」によれば,「ヒノキ材寄木作りの漆箔像で百毫と眼(玉眼)に水晶が用いられています。左肩から右肩をおおっている衲衣のひだ,ふっくらとした顔,両手の肉付きなどが鎌倉時代の代表的な仏師法印運慶の作風を伝えており,その門人法眼安阿弥快慶の作と言われています。修理の際,鎌倉時代に造られたことを示す建保2年(1214)と記された文書が体内から発見され,製作年代が明らかにされた像として注目されています。像の高さは77.5センチメートルあります」と説明されている。

一般公開されていないが,写真を見ると,その姿は気品にあふれ,ふくよかで美しく,非常に荘厳である。

天融寺では,元旦慶讃法要,新年交礼法要,永代経法要,婦人会報恩講,春・秋季彼岸会,お盆法要,宗祖聖人報恩講,秋初穂感謝法要,御正忌法要(親鸞聖人祥月命日),大晦日夜の鐘などの年中行事に加え,各月の4日と27日は定例布教日として法座が開催されている。

◆千歳山天融寺の概要

所在地:恵庭市上山口

本尊:阿弥陀如来立像(像高77.5cm,檜漆箔,明治38年に開山新羅天融が京都の仏工田中文弥から譲り受け,本山の裏書を受けて本尊として安置した。胎内文書から,建保2年(1214,鎌倉時代前期)仏師安阿弥陀仏快慶の作とされてきたが,作風から運慶派の作品だろうとされる。昭和34年,北海道有形文化財に指定される)

開創:明治19年

歴代住職:新羅天融(開山),宮本教順(第二世),宮本龍音(第三世),宮本哲雄(第四世),宮本正尊(第五世,現職)

沿革(歴史)

明治19年(1886):現在地に説教所が開かれる(天融寺HPによる。恵庭市史には,明治20年5月東本願寺札幌別院が派出布教にあたったのが始まり。明治23年浄土真宗大谷派説教所を漁村に設置とある)。

明治37年(1904)8月8日:「千歳山天融寺」の寺号公称が許可される(明治27年4月に公称出願しているが許可されず,明治35年11月に再出願した)。

明治40年(1907)4月:旧本堂,庫裏など完成。

昭和3年(1928):鐘楼堂(現)完成。

昭和14年(1939):本堂(現)新築完成(昭和12年2月改築出願,同3月10日許可)。

昭和35年(1960):旧納骨堂完成(天融寺HPによる。恵庭市史には昭和34年12月とある)。

昭和39年(1964):書院と渡り廊下を改築。

昭和46年(1971):庫裏の改築及び会館新築完成。

昭和61年(1986):天融寺開教百年慶讃法要。

平成7年(1995):新納骨堂(無量寿堂)新築完成。

平成9年(1997):新書院(客殿)完成。

平成23年(2011):会館「光照殿」,新納骨堂「第二無量寿堂」完成。

なお,宮本正尊住職から「天融寺の歴史等については,近く発刊予定の天融寺寺誌に詳しい」と伺いました。

参照:恵庭市史,天融寺HP,北海道教育委員会「道指定文化財概要一覧(有形文化財)」

   

 

◆日本の仏教

ここで,仏教について概観しよう。「仏教」はインドの釈迦(釈迦牟尼の略,ゴータマ・シッダッタ,紀元前5~7世紀)を開祖とする宗教。人の一生は苦しみの連続,その苦しみから抜け出すのが解脱で,修行により解脱できるとする理念を基本とする。

日本への伝来は飛鳥時代とされる(538年とする説)。伝来後に混乱はあったものの,奈良時代には国家鎮護の手段とされ,次第に寺院が大きな力を発揮するようになる。平安時代に入り,最澄と空海が唐から戻り天台宗と真言宗を開くと,鎮護国家の仏教としての役割を持つ一方,民衆救済の実践仏教として次第に広まり定着して行った。

そして,鎌倉時代には,鎌倉新仏教と呼ばれる,浄土宗(法然),臨済宗(栄西),曹洞宗(道元),浄土真宗(親鸞),日蓮宗(日蓮)など,日本独自の仏教宗派が成立する。念仏か禅か題目かどれか一つの行を積めば救われるとする教えは分かりやすく,民衆の心を掴んだのだろう。これら宗派が現代に連なる日本仏教の源となっている。

文化庁「宗教統計調査結果」(平成24年12月31日)によれば,仏教系宗教法人は全国に77,400法人(寺院75,911,教会993,布教所82,神社24,その他390)あり,法人格を得ていない団体を含めばその数は85,238に上る。また,信者数は8,500万人とされる。

◆真宗大谷派(東本願寺)

それでは,真宗大谷派とは何か? 真宗大谷派は親鸞を宗祖とする浄土真宗の宗派の一つで,京都市の真宗本廟(東本願寺)を本山とし,所属寺院数が全国で8,900寺を数える大きな教団である。なお,浄土真宗系の教団組織(真宗教団連合,10派で構成)には,もう一つの大きな宗派である浄土真宗本願寺派(通称西本願寺)がある。後者は,龍谷山本願寺(大谷祖廟)を本山とする。前者は「お東さん」,後者は「お西さん」と親しみを込めて呼ばれている。

宗祖(開山):親鸞(1173-1262),第三代覚如(1271-1351)が本願寺の実質的開基とされる。

本尊:阿弥陀如来(一仏を本尊とし,寺院に安置する影像は親鸞聖人や高僧,歴代門首など)。

本山:真宗本廟(東本願寺,京都)。

経典:釈迦が説いた「浄土三部経」(中でも仏説無量寿経)や親鸞の著述。

教義:本願念仏による往生を説く。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば浄土へ生まれることが出来るとする専修念仏が基本理念である。

各種資料によると,真言宗大谷派の作法は以下のとおりだと言う。専修念仏の理念から,出家しなくとも阿弥陀仏の本願を信じて肉食妻帯(在家仏教)を認め,迷信や占いを排除してお守りや朱印を扱わず,戒名でなく法名(釈○○,釈尼○○,釈を冠するのは釈迦の弟子を意味する),位牌を用いず過去帳や法名軸を掛け,焼香は2回するが額の前で香を頂く作法をせず,線香は立てず折って寝かせ,般若心経を読まずお盆にも精霊棚を設けず,ひたすら念仏を唱える,等々。

組織は大きく布教活動も多岐に亘っている。学校法人,大谷保育協会(全国に500の保育所をもつ)などの実績は,私たちの知るところである。

恵庭市内では,千歳山天融寺(恵庭市上山口)と恵庭山島松寺(恵庭市下島松)が真言宗大谷派である。

注意:わが国の寺院は,檀家と呼ばれる信者を抱え,先祖を供養する一方経済的基盤を檀家の財施に依っている場合が多い(檀那寺)。一般の方が境内へ立ち入るときは,許可を得るなど礼節を重んじること。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恵庭の神社-5,恵庭開拓期以... | トップ | 恵庭の寺-2,恵庭の古刹,禅... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>」カテゴリの最新記事