はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

らんぷの下

2007-02-24 22:52:31 | マンガ
明治四十二年冬。
その頃私は不忍池に程近い根津に住んでいた。
人の心も自分の心もその頃の私には捕らえがたく、漠とした不安を野心に変えて、私はただ待つしかなかった。
人生に何度か訪れる運命的な転機を……

「らんぷの下」一ノ関圭

とても漫画とは思えない、むしろ文学作品を思わせるような出だしから語られるのは、ある画家の生涯。
主人公柘植は画家志望の若者だ。美術学校の同期だった天才画家青木の出世の報に鬱屈とした日々を送っている。寝食を忘れ絵に打ち込むも目は出ず、親からの仕送りは打ち切られ、かえって財政的に逼迫していく。恋人すなほとの暮らしにも安らぎはない。むしろ憎しみとやりきれなさのみが募っていく。そうさせるのはヒモ生活の後ろめたさだけではない。
美術学校時代、すなほは青木の恋人だった。柘植は青木の才能とすなほの美貌を羨むあまり、無理矢理にすなほをモノにしようとしたのだが、意外にもすなほは柘植を拒まず、青木は二人を祝福しさえした……。
それが悔しいのだ。青木の描いた絵を模倣し、青木の抱いた女を抱いて、無駄に積み重ねられていく日々の中で、我慢ならない屈辱のみが残るのだ。嫉妬の炎にあてられた柘植は、かいがいしく世話を焼いてくれるすなほに鬱憤をぶつける。生々しい女の世渡りをあげつらい、怒鳴り散らす。
すなほも黙ってはいない。青木の陰に怯え、その背を追い続け、自分のことをちっともわかってくれようとしない柘植を罵る。
女に発言権がある時代ではなかった。女が出世できる時代ではなかった。かつて青木並みの才能を絶賛された女傑の、女であるが故の悲しみ。こんな男に賭けてしまった自分の目の無さ。奔流となったストレスのぶつかり合いは、やがて寒々しい結末へと流れ着く……。

白土三平を思わせるような暗い劇画調のタッチ。スクリーントーンを極力廃し、色の濃淡と線描の細やかさでのみあらわされた世界。そこにはデッサンのよどみも狂いもまったくない。この作品から漂う凛としたたたずまいの正体は、作者本人の作品に取り組む姿勢そのものであるようにも思える。
だからこそ惜しい。一ノ関圭という人は、俺と同郷で、俺が生まれる前にデビューして、俺がその存在を知る遥か前に筆を折っていた。これだけの画力で、これだけ説得力のあるストーリーテリングで、機会にも恵まれていて。なぜに語ることを辞めたのかわからない。あるいは、すなほと同様のことを思っていたのだろうか。
作品後半、すなほと柘植の口論のシーンから引用する。
「しょせん女の力じゃ一度燃焼するのがせいいっぱい。永くは続かないわ……」