あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった-カウラ捕虜収容所からの大脱走- ノーカット完全版VAP,INC(VAP)(D)このアイテムの詳細を見る |
「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった~カウラ捕虜収容所からの大脱走~」脚本:中園ミホ
大泉洋が小泉孝太郎を「けんちゃん」と呼びながら近づいてくる光景に何かデジャヴュを感じていたら、「ハケンの品格」のコンビだった。考えてみると脚本も中園ミホだし、これで篠原涼子でも出てくれば決まりだったのだが、あいにく今回は女っ気のないヒューマンドラマ。戦時中、シドニーの西にあったカウラという捕虜収容所が舞台だ。
敗走中に捕虜となった朝倉憲一(小泉孝太郎)は、恩のある嘉納二郎伍長(大泉洋)と偶然に再会する。二郎に案内された収容所は、毎食と5本のタバコが保証され、虐待も強制労働もない楽園のような場所だった。
だが、生きて虜囚の辱めを受けず……と覚悟を決めていた憲一には、その環境が疑問でならない。朝起きて朝食をとったら次の食事まで野球や賭け事に興じる穏やかな生活。濁酒を密造し、歌や踊りに手拍子を打つ。先だっての剣林弾雨の戦場からは想像もつかない、気の抜けるような境遇。
待てよ、ちょっと待てよ。憲一の常識が待ったをかける。お前ら、恥ずかしくはないのか。今この瞬間にも命がけの死闘を繰り広げている戦友に、散ってしまった英霊に申し訳なくはないのか。俺達は、潔く命を絶つべきじゃないのか。
憲一の青臭い疑問に、二郎は答える。皆死に場所を探しているのだ。いずれ来るその時に供えつつ、ただ一時、ほんの少しの平穏に身を委ねているのだと。
そうして始まった、笑いの絶えない収容所での生活は、憲一の心にも密かに緩やかに安らぎをもたらしていった。二郎の心には、故郷へ残してきた妻への思慕を積らせていった。
黒木軍曹(阿部サダヲ)とその取り巻きが収容所へ連行されてきてから、環境が変わった。戦場訓を振りかざし、部隊教練を欠かさず、非国民への鉄拳制裁を断行する原理主義者たちの存在が、平和だった収容所の生活を蝕み始めた。
そして、その日が訪れる……。
外国人との交流が少ない。収容所での日常が大雑把すぎる。土地柄や寒暖などの匂いを嗅ぎ取れない。途中までなかなか入り込めなかった。それは暮らしに説得力を感じなかったせいだ。鉄条網と看守と監視塔と収容施設だけでは「らしさ」が表現しきれていなかった。阿部サダヲが登場してからは、その狂気の演技に集中していたものの、もの足りなさが拭いきれなかった。脱走シーンも、収容所の全体像が掴めていなかったせいで、いまいち何が起こっているのかわからなかった。
だが、ラストの良さがすべてのマイナスイメージを吹き飛ばした。山崎努演じる64年後の憲一が、カウラ事件の犠牲者を弔う墓地を訪れ、ある告白をするのだが、それが良かった。あまりの切なさに涙を流してしまった。現代のカウラに広がる風景……放牧された牛……絵に描いたような青空……どこまでも広がる自由の景色の中に立ち尽くしている「無常さ」が素晴らしかった。その後の流れは本当に蛇足で、説明のしすぎで、残念だ。いつも日本のドラマを見ていて思うことだが、親切設計というより無粋。もっと視聴者に考えさせてくれよ、と心の中で叫びながら、山崎努の横顔に見惚れていた。